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川柳的逍遥 人の世の一家言
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ヒマがなきゃ誰も出来ないヒマつぶし  ふじのひろし


 

  (画像は拡大してご覧ください)
  伊勢参宮略図(広重)

 

江戸時代の旅で一番人気は「お伊勢さん詣り」。
庶民が伊勢神宮を詣でることができるのは、一生に一度あるかないか、
かかる費用だけでも大層なことだった。
それでも懐に多少のゆとりがある場合は、伊勢から足を延ばして京都や
大阪の有名な寺社名所を廻る。もっと時間と資金にゆとりのある場合は、
瀬戸内海を渡って、讃岐の金毘羅山に参詣することもあった。
さらには、帰りに中山道コースで信濃の善光寺を参拝することもあった。


 

「詠史川柳」 江戸の景色6-② 江戸小咄と旅事情





    旅 駕 籠

 

単に旅に出ると言っても、当時の移動手段は、基本的には自身の足だけ、
馬や駕籠もあるが料金が高くて、庶民の懐では全行程利用するのは無理。
お伊勢さん参りの場合、一度旅に出れば少なくとも1、2ヵ月は要する、
費用もかかる。そこで考え出されたのが講である。
講とは、同じ信仰を持つ者が集まって金を出し合い、金を積み立てて、
資金が貯まったところで、講中から幾人かが代表して目的地に行く。
代表を決めるのは大抵の場合、くじ引きで決まる。
一度行った者は、もう権利がないので、最終的には講中のメンバー全員
が行けるようになっているという、公平なシステムである。


 

裏庭に吹いた西瓜の種芽吹く  くんじろう


 

小咄ー6
 母、親爺にむかい
「おはなも、だいぶ手があがりました。もう百人一首でもございませぬ、
 ちと伊勢物語でも読ませたらよいでしょう」
親爺うなずいて
「なるほど、よかろう、どうせ伊勢へは参られないから」
これは在原業平が書いた歌物語の『伊勢物語』を勘違いし、
伊勢参宮の案内書と思った無学者のお笑いである。
小咄ー7
 仙台者が二人連れで伊勢参りに出かけるが、一人は目が不自由。
連れの男、赤子の捨ててあるのをを見つけ、
「これちょぼ市、ここに子めが 俵にいれて捨ててある」
「なんだ、米が捨ててある、ひろえひろえ」
「いやさ、赤子めだ、赤子めだ」
「赤米でもいい、ひろえひろえ」
「いやさ人だ人だ」
「四斗なら二斗ずつわけるべえ」


 

ガラクタは僕を宇宙へつれていく  徳山泰子




  53次・戸塚宿

 

懐と相談しながら旅は京都・大坂へと向かう。京都には寺社が多い。
京都見物というと、大方は寺院や神社を見て歩くということになる。
川は幾つもないが、鴨川には有名な橋が架かっていて、これが三条の
大橋、これが五条の橋と、一つ一つ渡るたびに古い昔が偲ばれる。
今でも京都の観光地ナンバー1といえば、清水寺。清水の舞台からは
京都市中を眺望することが出来る。
小咄ー7
 さる所に若息子、女郎を連れて清水へ参り、舞台にて、遠眼鏡で
五条の橋を見れば、友達の吉兵衛の通るが手に取るように見えたので、
その友人に「これ吉兵衛、必ずここで逢うたといのではないぞ」

 

神さんがくしゃみしてはる間に悪さ  居谷真理子




  京都三条大橋

 


次の小咄は、芝居の忠臣蔵に出てくる高師直(吉良上野介)が欲張り
だったというところから創作された。
小咄ー8
 師直、賄賂の金銀をしこたま溜めるに従い、一向使わず、その金銀を
舐めて楽しみけるが、のちには鉄、赤がね、真鍮、鉛まで舐めるという
病となり、
「われいまだ塔の上なる玉を舐めてみず、なにとぞ五重塔の上にある
    擬宝珠(ぎぼし)を舐めてみたい」
と望み、権勢第一のお方のおおせ、さっそく五重塔へ足代を掛けさせ、
てっぺんの擬宝珠を舐めてみ「多年の望み達したり」と喜びける。
「あの貴殿には塔の擬宝珠をお舐めなされたか」
「舐めましたとも 舐めましたとも」
「どのようなものでござるな」
「いや思うたほどにもござらぬ、橋の擬宝珠に塩気のないものじゃ」


 

股ぐらに貼った両面ガムテープ  井上一筒




  53次・冨士見     53次・藤沢


 

一般的に東海道は、江戸から京都までを、宿場の数で五十三次と呼ばれ
ているが、大坂まで足を延ばす旅行者も増え、また参勤交代の宿の手配
も必要であったため。伏見・淀・枚方・守口の4か所に宿場を設置し、
実際には、「東海道五十七次」というのが正しい。
因みに、大坂から京へは京街道、京から大坂へは大坂街道を通行した。
が、何のことはない名称は違うが、同じ道なのである。
さて足の疲れはなんのその、いよいよ旅は大坂・堺へと入る。
旅は道連れ世は情け。各地からの旅人が京都で出会って、一夜の友と、
話も故事来歴にひっかけて、小話が弾んだりもする。

 

頭肩膝小僧みんなヨシヨシしてあげる  酒井かがり


 

小咄ー8
「京都ほど諸品安い所はない。東山で名代の八坂の塔が五十(五重)
   じゃが」

「そういいないな、大坂にも安いもんと言うたら、仏法最初のお寺、
 聖徳太子ご建立天王寺が3文(山門)じゃ」

「わしは西国者じゃが、それよりも安いは、平家の大将・清盛、重森、
 宗盛、知盛、維盛、敦盛、経盛これを合せて一文(一門)じゃ。

「これこれ西国のお方、その平家は安うても、いまはない人や、
 やくたいじゃ、当時ご繁盛の源氏の御代、わしが国というたら津の国
 じゃ、初めて源氏の名を賜りし六孫王・経基さまのご嫡男、これより
 安いものはござりません」

「一文より安いは、なんじゃ」
「多田の満仲じゃ」
これを、「ただの饅頭」と読んで落ちになっている。

 

沢庵も人のうわさもまだ噛める  美馬りゅうこ

 

さて大坂は、商業の町だから商売に関する小咄が多い。
小咄ー9
 通町の鏡屋に、天下一は漢字にして鏡屋は「かかみや」と仮名で書き、
看板いだせし家あり、いたずらな男、店先へ来たり、
「なぜ内儀さんを出しておかぬ」
というと亭主、
「それは何のことでござる」という。
「あれほど看板に、天下一のかか(嚊々)見や と書いて、
 何とて女房を出しておかぬ」
「まことにそれは誤りました。さりながら、これほどにかがみますれば、
 堪忍あれ」とやり返した。

 

伝えようアザミ程度の微笑みで  真島久美子


 

まだまだ小咄はありますが、一端はここまで。
小咄ー10
 とある箱屋の親父、風が吹くを喜び、
「かか、商売が流行るぞ、酒買うてこい」
と言えば、
「それはどうして忙しいぞ」
と女房が問う、
「はてこの風で人の目に埃が入ると、目を患うので、三味線を習うに
 よって、三味線の箱が大分売れる」
これは明和5年(1768)の関西の『絵本軽口福笑』である。
これが後の「風が吹けば桶屋が儲かる」の話に作り変えられていく。


 

ちょっとだけ味噌が足りない僕の脳 大塚のぶよし





  平知盛と弁慶

 

詠史川柳


 

≪平清盛≫

 

清盛の医者は裸で脈を取り
清盛も時疫だろうと初手はいい
汲み立てがよいと宗盛下知をなし
ゆでだこのように清盛苦しがり
入道は真水を飲んで先へ死に


 

平清盛は大変な高熱を発する病気で死んだと言われている。
『平家物語』には、病室の中は耐え難い暑さだったとある。
結局、清盛は1181年に死亡、この4年後に平家は壇ノ浦で滅亡。
平家一門は、潮水を飲んで死んだが、清盛は真水を飲んで死んだ幸せ者
である、と川柳子。

 

八月の空は終身禁固刑  上嶋幸雀         


 

≪平重盛≫


 

異国から納豆もらう小松殿
育王山和尚押し込み案じられ
案の定日本で跡の訪い人なし
潮風にもまれぬ先に小松枯れ


 

平重盛は清盛の長男。
重盛は、六波羅小松第に住んでいたので「小松殿」と呼ばれた。
平家物語には、重盛は日本では後世を弔ってもらえるかどうか心配で、
宋の育王山寺へ千両寄進し、また宋朝へ寄進して、育王山へ田畑を与えて
もらうよう依頼したと書かれている。
小松殿はお返しに育王山の名産である納豆をもらっただろう と川柳子。


 

ポケットに軽い本音を押し込める  靍田寿子


 

≪平知盛≫


 

そもそもこれはおっかない土左衛門
ことわらずといいのに幽霊なあり
反吐を踏み踏み弁慶は祈るなり
引き潮でないと幽霊まだ消えず

 

平知盛は、清盛の四男。
武勇に優れた人物だが、謡曲「舟弁慶」に出てくる幽霊として有名。
謡曲の中では、義経が西国へ逃れようと摂州大物の浦から知盛の幽霊
(土左衛門)が現れる。大嵐で全員船酔いで苦しんでいる中、弁慶が
「数珠さらさらと揉み」祈ると幽霊は次第に遠ざかって行き、やがて
「また引く塩に揺られ流れて、跡白波になりにける」と消えたという。


 

君が代を歌いつづける海の底  大森一甲             


 

≪平敦盛≫


 

熊谷は不承不承の手柄なり
敦盛は討たるる頃は声変わり
花は散り青葉は残る一ノ谷
その後は衣で通る一ノ谷


 

一ノ谷の戦に敗れた平家軍が我先に船へ逃げる中、源氏の熊谷直実
敵方の武者を発見、組み打ちし押さえつけて、首を掻こうとしたら、
まだ17歳ほどの少年だった。直美は可哀そうに思い見逃してやろう
としたが、味方の軍勢が迫ってきたので、泣く泣く首を掻いた。
少年は平経盛の子・敦盛であった。


 

錠剤の割る音ひびく夜半の月  河村啓子


 

≪平家滅亡≫

 

幽霊のみな横に行く平家方
豆蟹も一匹まじる壇ノ浦
緋の袴ふんどしに縫う下関
平飯盛ともいいそうな下関


 

平家蟹は壇ノ浦で海中に沈んだ平家の怨霊だという伝説がある。
現代の人は、そんなことお構いなしに平家をむしゃむしゃ食っている。


 

勝因は潮の変化さ壇之浦  松下和三郎

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