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川柳的逍遥 人の世の一家言
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圏外の方へまがっていくキュウリ  みつ木もも花



            鎌 倉 武 士 の 館


建仁3年(1202)~元久2年(1205)の3年間鎌倉が揺れた。
揺れは、頼家が征夷大将軍になった建仁3年の5月、頼朝の弟で叔父に
あたる阿野全成が謀反の疑いで討たれた事にはじまった。
7月には、頼家が重病に一時重態となる。
8月、その病いにより頼家は、若狭局との間にもうけた一幡と弟千幡
権限を委譲する。
9月、頼家の命を受け北条氏打倒を企てた比企能員が、誅殺される。
(この能員誅殺の知らせを聞いた比企一族は、一幡を擁して、小御所に
 立てこもり抵抗を試みたが、圧倒的な軍勢の前に脆くも破れ、
 一族のほとんどは若宮一幡と共に自決した)
 
 
どうなるのだろう裏表紙のけむり  大島都嗣子


頼家は武士たちの領地を勝手に奪い、他の者に与えたり、土地をめぐる
武士同士の争いを、不正に裁くという行いが絶えなかった。
ー領地は武士の命。
土地を疎かにする者は、武家の棟梁にふさわしくない。
「頼家追放事件」は、そうした武士たちの怒りが爆発したクーデターだ
ったのである。
頼家追放から8日後の9月15日、第三代将軍が誕生した。
頼朝の血を引く12歳の実朝は、武士たちの結束の象徴として三代将軍
に据えられたのである。
その29日、病の回復した頼家だが、伊豆修善寺に流され幽閉される。


こだわりを捨ててふぬけになったトゲ  上西延子



    政所別当・大江広元


翌月8日、3代将軍・実朝の元服式が執り行われた。
政子にとって、頼朝以来の偉業を継続することのほうが大切であった。
征夷大将軍になった実時は、まだ12歳。当然、実際に政務を司るわけ
もなく、後見人として祖父である北条時政がその役割を得た。
それも大江広元と共に政所別当という地位で堂々と行えるのである。
実朝の元服の儀では時政、広元それぞれの嫡男である義時、親広が雑具
持参の役を受けもっている。
この特別な役割を得たことは、北条・大江両氏の権力の象徴ともいえた。


穏やかな時間に灯す青ランプ  中野六助


しかし、元久2年7月、ふたたび事件が起った。
時政が刺客を放ち、伊豆に幽閉されていた頼家を暗殺したのである。
さらに時政は、こともあろうに、自分の館に住まわせている実の孫・
実朝の命を狙いはじめた。
幼い将軍・実朝を補佐するはずの時政の乱心。
その裏には、時政の若い妻・牧の方の思惑があった。
牧の方は溺愛する娘婿を将軍に据えるよう、時政を唆したのである。
それには源氏直系の血を引く二代将軍・頼家、三代将軍・実朝を亡き
者にする必要があった。


菜箸を削って削って爪楊枝  笠嶋恵美子


密告によってこれを知った実朝の母・政子は愕然とした。
<なんということを>
父時政は我が子・頼家を殺し、その上実朝まで手にかけようとしている。
この源氏への裏切りを、武士たちが許すはずもない。
政子はすぐに行動を起こした。
同年7月19日、政子は父時政の館から実朝を救い出し、
弟・義時の館に匿い住まわせた。
この知らせを聞くと、鎌倉中の武士が実朝のいる館に結集し、
源氏への忠誠を示した。
一方、執権でありながら私利私欲に走り、源氏を裏切ろうとした時政
従う者はなかった。
観念し、出家を余儀なくされた時政は、妻・牧の方とともに伊豆に追放
される。
祖父・時政に命を狙われ、その時政の娘である政子に命を救われた実朝
は、骨肉相争う修羅場の中から、将軍として歩み始めたのである。
(これが建仁元久の鎌倉が揺れた事変である)

 
黄昏色のドアに待ったをかけておく  前岡由美子



       鎌倉の棟梁となった北条義時


「鎌倉殿の13人」 いよいよ義時の時代へ


こうなれば、いよいよ義時「ナンバー1」というわけである、
が…ふしぎなことに、彼はわざとその座に顔をそむけた。
父に代って、執権になったのだからナンバー1であるはずなのに…である。
義時は、姉の政子をその座に据えた。
父親は、後妻に甘い顔を見せたりするから油断がならないが、
政子は母を同じくする姉だし、三十数年、それこそ緊密な連帯感をもって
行動してきた。


花まるを大きく描いて自画自賛  津田照子


以来、政子は幼い将軍の母親として、幕政に隠然たる発言力を持つよう
になる。世間には政子像が誤り伝えられており、最初から権力を振るっ
たように思われがちだが、政子の公的活動はむしろこれからなのである。
いわば政子は、義時によって作られた、幕府のシンボルなのである。
ではなぜ義時は、ナンバー1になることを避けたか。
「ほんとうに権力を弄ぶのには、ナンバー2でいるのにかぎる」
43年の人生を経てきた男の、これが結論だった。
そしてもう一つ、
「親父は本気で、俺の代りに朝雅を推すつもりかもしれぬ」
との考え方も脳裡にあった。
<朝雅が鎌倉の棟梁に…なんてことがあってはならない> のだ。


影武者に日光浴をさせている  月波余生

 
朝雅の家、平賀氏はたしかに源氏の血はひいているが、頼朝一族とは
格が違う。父親の義信は、とっくに頼朝に臣下の礼をとっているし、
まかりまちがっても将軍になれる毛並みではない。
ただ、「将軍の座を狙った」といえば誅殺しやすいから、これを口実に
したにすぎないのだ。
が、執権の座なれば話は別だ。
時政が先妻の息子・義時をさしおいて後妻の娘婿を後継者にする可能性
は大いにある。
それを見ぬいた義時は、本命は朝雅打倒にありながら、
その前段階として、父を引退させ、朝雅の基盤にゆさぶりをかけた。
<謀叛が事実だったかどうか> などは問題外だ。
義時は、牧の方畠山父子を陥れた手をそっくり使い、
平賀朝雅を誅殺してしまったのである。


雲梯の二段抜かしよ喫水線  蟹口和枝
 




「牧の方が畠山父子を陥れた手とは」


元久元年10月14日に、3代将軍源実朝の妻となる坊門信清の息女を
迎えるため、北条政範・結城朝光・千葉常秀・畠山重保らを上洛させ、
牧の方は鎌倉で嫁取りの総指揮官として、腕をふるっていた。
牧の方の娘婿である平賀朝雅は、京都に駐在し鎌倉側の窓口にある。
「都の姫君をお迎えするのですからね、こちらからも、目鼻立ちの整っ
 た若武者をさしむけねば…ごつい田舎者ばかり行ったのでは、笑いも
 のにされます」
という意向で選ばれた若者の中には、もちろん、牧の方が時政との間に
もうけた自慢の息子16歳の政範も入っていた。
政範と朝雅を都で会わせ、<姫君の側近第一号>にしようという魂胆が
見えすいている。


親バカのどこかに支障ありますか  清水すみれ


ところが、はりきって京都へ向った政範が、なんと京で病に侵され、
あっけなく死んでしまう。
涙をこらえて嫁迎えだけは、順調に済ませたものの、牧の方の胸ははれ
ない。怒りの矛先に彼女は、はけ口を探した。
狙われたのは、政範とともに嫁迎えに行った畠山重忠の嫡子・重保である。
この畠山一族と朝雅とは、以前から仲がよくなかった。
都についた重保は、些細な事から朝雅と喧嘩し、あわや大乱闘という
ところまでいってしまった。
その時は周囲の人々に止められて無事におさまったものの、
この噂はたちまち鎌倉に伝えられた。


てのひらの川が氾濫しています  通利一遍


「あの重保めが、婿の朝雅と揉めている…?」
<重保め、政範が死んだのもきっとあいつのせいに違いない>
牧の方は怒りを増幅させ、遂に夫の時政をそそのかし、重保に謀叛の
汚名を着せて虐殺してしまうことを計画する。
――そして、<この際親父の重忠もやっつけてしまったら……>
牧の方はさらに時政を煽りたてた。


この線は君がなんとかしなくっちゃ  宮井いずみ



        馬上の北条時房(時連)


時政としても、強大な畠山がいなくなることは望むところである。
「じゃ、重忠親子が謀叛を企んだということにするか」
そこで時政は、義時とその弟・時房に、秘密の計画をうちあけた。
 時政・牧の方の謀略にはまり、畠山重忠・重保父子は無抵抗のまま
義時・時房に討たれる。元久2年6月22日のことであった。
 
 
移ろいの季節に棒杭をたてる  高橋 蘭

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