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川柳的逍遥 人の世の一家言
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二枚重ねの下から顔を出す  酒井かがり



         この人は誰でしょう? 

  もはや原形が行方不明!  この名優を百歳の婆にしたのは、
特殊メイクでハリウッドでも大活躍をする江川悦子さんです。
  
 
 「鎌倉殿の13人」 大竹しのぶをもう一度
 

「鎌倉殿の13人」第35話のリピートです。

鎌倉幕府の3代将軍・源実朝は、京から妻を迎えた。
妻は、公卿の坊門信清の娘。名前は不明だがドラマでは千世と呼ばれる。
(実朝が暗殺されて出家後は、西八条禅尼と称した)
姉は高倉天皇の妃であり、信清は後鳥羽上皇の親族(外叔父)に当たる。
折角、京から美しい妻を娶った実朝だったが、このところ暗く沈んで何
か悩みがある様子で顔色も冴えない。


気がつけば一人ぼっちの舟を漕ぐ  高浜広川
 
 

実朝を前に囲炉裏を囲む義盛・巴御前の夫婦


そんな実朝を訝った和田義盛巴御前の夫婦は、孤独で気落ちしている
「鎌倉殿の心を癒そう」と自分たちの邸へ誘った。
実朝は、もっとも気楽な話し相手である泰時鶴丸を伴って和田邸を訪
れることにした。
<豪快で陽気な義盛と過ごすとリフレッシュできそうだ>
細かなことにこだわり、悩んでいる自分を一時でも忘れることができる、
のだろう。何もかも忘れて一緒に酒を飲んだり遊んだりする相手に、
義盛はピッタリの人である。
思い通り実朝は、リラックスして平和な時間を楽しんだ。


一番楽しかったのは小指ボンドでつけた時 くんじろう



            歩き巫女

歩き巫女は流浪の女占い師で、行く先々で町民や村民の吉凶を占ったり、
歌謡を聞かせたりしながら各地の情報を収集した。


そして思いついたように義盛実朝「占いの館」へ連れて行く。
占いの館には、白髪頭のお婆がでんと構えていた。
「歩き巫女」である。
歩き巫女とは、全国各地を渡り歩きながら、巫女として吉凶を占うなど
様々な人と接して、情報を集め、有用な情報を主君に伝える「くノ一」
の集団である。
歩き巫女が活動するのは戦国時代で、武田信玄が育成した女忍びたちだ。
そこへ時代設定も年齢も飛躍させて、使い古しの巫女を三谷幸喜は持っ
てきた。
これが幸喜ならではの魅せる忍術であろう。
(因みに、戦国時代多くの大名は、諜報機関として「影」を組織した。
「伊達の黒はばき」「北条の風魔」「上杉の軒猿」「薩摩の山くぐり」
「柳生の根来衆」などがある)


どう見ても喜寿そこそこのミドリガメ  森 茂俊


占いの館の奥に座すお婆巫女は、何やら水の入った皿に、葉のついた枝
を浸して、水をまき散らしながら、ブツブツ呟いている。
めちゃくちゃ怪しい。めちゃめちゃ不気味である。
巫女の下から舐めて廻してくる目線に、すべてが見透かされていそうで、
実朝たちは、リアルにたじろぐばかり。
こんな闇へ引き込むうな迫真にせまる演技をする、オカルトな女優は…、
「一体、誰なんだ!」
<何となく、見たことはある…が…、誰だか分からない>
テレビの前の視聴者も番組が終わる頃まで、誰か分からなかったようだ。


幽霊もゾンビもこ・こ・こ怖くない  蟹口和枝



     博打に興じる鎌倉武士


このお婆巫女の占いは、「よく当たる」と、義盛が言う。
巫女は、泰時を見据えると開口一番「双六、苦手だろ」と言い放つ。
泰時は、実朝からその真偽を尋ねられ
「苦手というか、子供の頃から、双六をすると、どういうわけか具合が
 悪くなってしまうんです」
と答えた。
これは泰時の真面目な性格を表現した場面である。


幸よりも不幸来ぬこと祈ってる  雨森茂樹





次にお婆巫女は、実朝に目線を移して、
「雪の日には気を付けるべし」と、暗示のような言葉を呟いた。
やがて実朝にせまる闇の予告である。
<おばば巫女は、こんなことを言っていたな…>
しっかりと記憶にとどめねばならない、忠告だったのだが……、
実朝は、何のことか意味が解らず、聞き流してしまった。
そして実朝が悩める気持ちをうちあけると、
「自分だけの悩みではない」
という巫女の言葉に涙してしまう。


聞き洩らし言い洩らしして黄昏れる  宮原せつ


 SNSに届いた視聴者の声ー①

特殊メークを施し、歩き巫女役で気味悪い婆を演じたのは、
演技派女優・大竹しのぶさん だった。
番組が終わっても、大竹しのぶと気付かなかった視聴者も少なくなかっ
たようだ。あとで正体がわかると、
「大竹しのぶ凄い」「すごい存在感」「すごっ!別人」「これ大竹しの
ぶさん?」「大竹しのぶ怪演!」「なんちゅう女優さんなん…すごいわ」
「すごいな、大竹しのぶさん」「まったく分からない」「すごすぎる」
「うまいな~」「北林谷栄さんテイスト」「まじですごい」と、驚きと
絶賛の声がSNSにあふれた、という。


爪紅く染めて楽しい姥盛り  木本朱夏
 
 

                                      大竹しのぶ 七変化

  
  歩き巫女役について、大竹しのぶさんが語っているー①

「いかようにもやれるというか、おかしくもできるし、怖くもできるし。
 ちょっとおかしなセリフの言い回しとかもあるんですけれども、
 ただ一つだけ三谷幸喜さん作品によくある、そこに隠されている真実
 のようなもの、それはちゃんと伝えなければいけないと思いました。
 でも、面白いところもないとつまらないし、面白さ7、深み1、あと
 2は勢い、みたいな感じですかね」 と。


さりげなく本音をもらす丸括弧  宮井いずみ
 

 
            大竹しのぶ 七変化  
 

  さらに、大竹しのぶさんが語っているー②

「ちょっと不思議な感じはあってもいいかなと思ったんですけど、
 本当だったら100歳くらいの方がやれれば一番いいような役なので、
  <私でいいのかな>というのはありますけれども。
 でも、特殊メーク担当の江川悦子さんもすごく凝ってくださって、
 それがすごく自然にできていたので楽しかったです」
と、小悪魔的な笑顔を浮べ、ご満悦のコメントを聞かせてくれた。
また、歩き巫女が実朝の悩みを聞くシーンについては、
「勇気をあげたいというか、真実を伝えることで、<それが実朝の生
 きる勇気になればいいな>というのは思いましたね」
と、ドラマの世界から乖離する大竹さんであり、続いて、
「それが世の常なんだよね」と、<シナリオにない言葉が脳を掠めた>
と、役柄にのめり込む女優・大竹しのぶだった。


魂は歳をとらずにいるらしい  まつもともとこ


SNSに届いた視聴者の声ー②

「大竹しのぶさんの歩き巫女のおばば、実朝に救いの助言、よいなぁ」
「大竹しのぶ女史が全く本人に見えなくて震えた」「巫女を演じる大竹
 しのぶさんが、あまりにもハマっていて笑ってしまった」
など、大竹しのぶ、 のまさかの登場に、SNSも賑やかだった。
まさに大竹しのぶ「こにあり」であったー第35回ドラマであった。
「何!あなたはこの場面を見なかった?」
「それは残念!」


いちゃもんを付けたドラマをまた録画  靏田寿子
 


「ついでですから忍者について蘊蓄を」


忍者の始まりは一説によると、聖徳太子が、自身に仕えた「大伴細入
(おおとものほそひと)に「志能便」(しのび)という称号を与えた
ことが発端だという。
戦国時代に入り、忍者は各地の戦国大名に召し抱えられ、敵の本拠地に
侵入し「変装して情報を集める」「夜討ちをかける」時には「破壊工作
なども行う」とされてれる。
しかし、忍者にとって最も重要な仕事は、「敵方の状況を主君に伝える」
ことであったことから極力戦闘を避け、生き延びて主君のもとに戻るこ
とを最優先の任務とした。
基本的に忍者は戦いを避け、百姓などをして人々の生活にまぎれて諜報
活動をし、情報を集めて主君にそれを伝えるのが仕事だった。


腹式呼吸くちなしの香を吸い込んで  山本昌乃


忍者といえば、伊賀甲賀の忍者が非常に有名だが、忍者は日本各地に
存在した。例えば、
「根来衆」は、戦国時代に紀伊国北部の根来寺を中心とする一帯に居住
した僧兵たちの集団である。
「雑賀衆」と同様に鉄砲で武装しており、傭兵集団としても活躍した。
(根来衆は、信長には好意的であるが、権力の継承者であるはずの秀吉
には、なぜか反抗的な態度をとり、雑賀衆と共に大坂を攻め豊臣秀吉の
心胆を寒からしめたのは有名)
 
 
あなたの影踏まないように前を行く  青木敏子


毛利家の忍者で有名なのが「世鬼(せき)一族」である。
毛利元就は25名の「世鬼家枝連衆」を足軽として扶持し、領内六ヶ所
にわけて住まわせた。
また毛利には「座頭衆」という忍者集団がいた。
宿敵・尼子晴久を滅ぼす切っ掛けを作ったのが、この座頭衆である。

上杉謙信「軒猿(けんえん)」という史上最強の忍者組織を作った。
謙信が関東に出兵した際、謙信暗殺をもくろんだ北条氏お康抱えの忍者・
「風魔党」波多野治右衛門、当麻平四朗を捕えている。
また川中島の戦いでは、信玄の透波(すっぱ)17名を生け捕りにした。
生きたまま忍者狩りをするとは、軒猿の腕の高さがうかがえる。


網目から月燦燦とこぼれだす  市井美春


武田信玄には、先に述べた「透波(すっぱ)」という忍者集団がいた。
透波は「歩き巫女」と同様、全国の情報集めの衆として活動した。
信玄が「足長坊主」の異名があるほど、遠国の情報に精通していたが、
それは透波選りすぐりの「三ツ者」と呼ばれる忍びたちの働きが大きか
ったといわれる。
(透波は「すっぱ抜く」の語源にもなる)


どことなく由緒正しき胡麻豆腐  新川弘子
 
 
北条を支えた忍者は、「乱波」とも呼ばれる「風魔党」である。
黄瀬川の戦いにおいて、対岸の武田の陣に毎晩のように夜討ちをかけ、
天候が悪くても、お構いなしに襲いかかり、将兵を生け捕りにしては
なぶり殺し、綱を切って馬を奪い、陣に火をかけ、武器・食糧を強奪
するなど、荒っぽいやり口に歴戦の武田勢も次第に疲弊させた。
こういう悪の集団であったため、乱波と呼ばれた。


蛸足の発火しそうな脳になる  木口雅裕



        服部半蔵

家康の「伊賀越え」に際し、出自が伊賀の半蔵は、伊賀、甲賀の土豪と
交渉し、家康を伊勢から三河の岡崎まで護衛し助けた。
この貢献がきっかけで伊賀や甲賀は、のちに馬廻、江戸城本丸・西の丸
を守る同心として徳川幕府に仕えた。


「伊賀忍者」は京都に近く、京都から流れてきた政治や情勢に精通した
人材を隠密として育成できたため、数多くの優秀な人材を輩出している。
政治の中心であった京都から流入してくる人材は、教養のある者も多く、
当時としてはまだ希少だった文字の読み書きができる者も伊賀忍者には
多かったという。
ゆえに伊賀者は、忍術や戦闘能力に秀でている者が多く、数多くの戦で
貢献をした。


そこそこに走る京都を中心に  中村幸彦


「甲賀衆」は、一国に仕えず、甲賀の里を領地とする歴代の領主達との
緩やかな主従関係を保った。
その他、伊達には「黒脛巾組」(くろはばきぐみ)
真田には「草の者」がいた。
徳川8代将軍・吉宗が紀州から連れて来た「御庭番」は。いまさら説明
をすることもないだろう。


推測ですが犬よりの猫ですね  中山奈々


薩摩・島津家では、神官や山伏に、体術・武術・霊術などを修行させて
忍者を育成した。そして組織化された集団を
「山くぐり衆」または「薩摩忍衆(さつましのびしゅう)」と呼んだ。
修験者・行者である山伏は、藩に重用され、藩から禄をもらい、藩士と
して仕事をした。領内の山伏を取りまとめ、安産、男子誕生、参勤交代
の無事、病気平癒、陣中において、戦勝祈願や呪いなどもした。


苦労性もしもばかりを考えて  荒井加寿

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