忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[36] [35] [34] [33] [32] [31] [30] [29] [28] [27] [26]

耳奥をポンポン船が通る夜  井上一筒

b5d089f7.jpeg

『国の為め 君の為めに 命を捨てることは 武士の真の道』

これは武市半平太(瑞山)が、切腹の直前に、親類に出した手紙の一文である。

切腹というのは、短刀の切っ先を腹にあてた瞬間に、

首を切り落とすのが従来の作法であった・・・が、

武市の場合は、腹を十文字に捌いてから、首を落とさせた。

これが、武市の純粋性の貫徹であった。

武市は、仇名で「顎」と言われ、「窮屈」と言われた。

突き出た顎と、何事にも堅苦しい理論で、話してくる半平太を、

幼友達の龍馬が、つけたあだ名だ。

この仇名が示すように、

後半生の彼の不幸な生涯は、この頑なさが、起因していたともいえる。

せせらぎに預けておこう花の首  山口ろっぱ

f63e2030.jpeg

   獄中の自画像ー1

「武士の忠義とは?」

武士には、忠義の精神が必要とされた。

忠義がもっとも重みを帯びるのは、”武士の名誉”において、である。

たとえ落ちぶれた藩主であっても、

お仕えして、苦難を共にするのが忠義の骨子である。

ところが、である。

主君の気まぐれとか、酔狂、思い上がりによる部下の犠牲に対しては、

武士の評価は、極めて厳しかった。

”馬鹿殿”には、お仕えするわけには、いかなかった”のである。

真白になって明日を追ってみる  谷垣郁郎

それでも、奴隷のように仕えようとする者は、

無節操なへつらいをもって、主君の”ご機嫌を伺う者”であり、

おのれの良心を曲げ、筋を通せない者として、

軽蔑され、武士の不名誉とされたのである。

したがって武士は、

「忠義という徳目を、果たすべき主君かどうか」 

を考え、その是非を自分の心に、問うて見るしかなかった。

言い訳の知恵を絞っている歩幅   藤井正雄           

忠義は日本に特殊な、直線的な徳目である。

主君に誠を尽くし、命運を同じくするのだから、

部下たる武士には、命がかかっている。

それを考えると、馬鹿殿のために、

「死ねるか?」 

と問えば、

「左様なことは出来かねる」 となったのだ。

梅田たそがれ人の流れも様変わり  廣岡志女

幕末になると、封建体制も緩んできたから、

藩の枠に縛られるよりも、

脱藩することにより、自分の筋を通していく若き浪人も増えたのである。

龍馬などは、

「朝から酔って候」 の土佐藩主・山内容堂に、サッサと見切りをつけ、

長州の久坂玄瑞には、

「藩など潰れてしもうてもかまわんではないか」

と諭されたこともあり、土佐を脱藩したのだった。

≪優柔不断で腰抜けの、最後の将軍・徳川慶喜も、

 幕末の混乱に部下たちの人心を集められず、徳川幕府を崩壊させる、

 一因になっている≫

しかし、半平太の忠義に対する考え方は、少し違った。

風向きがどう変わろうと受けた恩  吉村久仁雄

1479dfad.jpeg       

    獄中自画像ー2

武市半平太の”土佐勤皇党の主張”の一つに、

「藩の階級制の廃止と、能力に応じた人材の登用」 

というのがある。

容堂は、徳川家には恩があり、

”タテの規律”を大事にと、考えていた人物である。

いわゆる武市が考える、

「すこし、ヨコにしませんか」という、考え方とはちがっている。

結社をつくり、規律を壊そうとする勤皇党の主張は、

容堂にとって、絶対許せないものであったのだ。

≪容堂は、酔っ払いではあるが、馬鹿殿ではない。

 むしろ飲むほどに、頭が研ぎすまされ、鋭く切り替えの早い、藩主であった≫

政治家が擦り減らしてる削除キイ  八木 勲

c2b03c5c.jpeg

   獄中自画像ー3   

本当は、「タテ社会を、ヨコ社会にする」 と考えていたのは、

脱藩をした龍馬であり、幕府側で言えば、勝海舟である。

その意味で言えば、藩を飛び出さなかった半平太は、

「藩のこと、藩士のこと」

を真摯に考えていた、今で言う愛社精神いっぱいの優秀な武士であった。

容堂は、半平太のそんな真意を汲むことができず、

半平太も、純粋なまでの一途さが、藩との誤解を生じさせてしまった。

水平思考の利かない半平太の弱点である。

ドラマ・「龍馬伝」で半平太が叫んだ言葉が、耳奥に残る。

『土佐勤王等は、ただ土佐藩の為、藩主豊範様のため、

そして大殿・山内容堂様をお支えするために、働いてきたがでございます』

水ばかり飲んで蛍を待っている  山本早苗

d48eab84.jpeg

獄中自画像ー4

最後にやっと容堂と面会できた、半平太は、

「大殿さまは、天下一の名君でございます」 

という。

≪頭脳明晰といわれた半平太は、一直線の馬鹿正直な人間だった・・・!≫

そしてそこで、「切腹しいや」 と容堂に言われたとき、

半平太は、その言葉に感激するのである。

「切腹が許された」・・・と。

武市が、獄中で自画像とともに、書いた言葉がある。

”花は清い香りによって愛され、人は仁義によって栄える”

武市は、最後の最後まで、自分を信じた。

即ち、大殿・容堂を信じたのだ。

武市は、真の忠義の侍だったのである。

十文字の切腹の仕方が、

半平太の”武士としての一途さ” を物語っている。

あまりにも、悲しい最期です! ( iдi )

消しゴムでそっとあなたを泣きながら  北原照子

半平太の一途さをあらわす、龍馬伝でのセリフを回顧する。

愛する妻・冨に言った言葉。

『もし来世ゆうもんがあるがやったら、

 わしはまたおまんと出会うて、夫婦になりたいがじゃき。

 そのときはずっと・・・おまんと一緒におるがじゃき』

くたびれた翼よ終電は行った  壷内半酔

9e146d36.jpeg

「龍馬伝で武市半平太役・大森南朋の、”半平太最期”の感想」

”今週は、いよいよ半平太が切腹という、最期を迎えます。

 これまでドラマでは、半平太の迷いや劣等感といった、

 人間としての弱い部分が、重点的に描かれてきました。

 でも僕は最期は、

 『この人はやっぱり侍だった』 と、示して終わりたかったんです。

 切腹を前に、半平太が牢番に告げた言葉が、実際記録に残っています。

 彼は牢番に対して、敬意を表したそうなんですが・・・、

 それを知ったとき僕はすごく感動して、

 半平太は、死を前にしながらも、

 自分の姿勢を崩さず、真に侍であり続けたのだと・・・。

土壇場の涙が情に絡みつく  浜田嘉穂          

 演出の方に「ぜひやらせてください」と、お願いして、

 牢番への言葉をセリフとして、追加してもらいました。

 罪状を後藤象二郎に読み上げられた後にも、二言くらい加えてもらって。

 凛とした様をより具体的に示すことで、

 「半平太は、最期まで侍としての意地をみせたんだ」 

 ということを、視聴者の皆さんに感じてほしいと、思ったんです。

ロスタイム如何に飾るか思案中  前田紀雄

4a9ca05b.jpeg

「山内容堂役・近藤正臣的おすすめ」

大殿様である容堂が、

わざわざ牢屋にいる武市半平太(大森南朋)のところへ出向くシーンがあります。

そこで半平太に、「腹を切りや」 と言う。

これは、すごいプレゼントなんだよね。

武士に、腹を切る名誉を与えるということは。

そのとき僕は、脚本には書いてないし、

監督からも言われていないこと、

つまりアドリブであることをやるんです。

とにかく2部の最終回、二人のヒントを楽しみにして、ともに泣きましょう。

雑談でアイデア一つ持ち帰り   哀川加枝子

519b7f25.jpeg

『龍馬伝』・第28話-「武市の夢」 あらすじ

龍馬(福山雅治)が土佐に現れ、

「自分が東洋殺しの下手人だ」

と認めたことを聞いた山内容堂(近藤正臣)は、

武市半平太(大森南朋)の牢を訪れる。

容堂は、尊王運動と土佐藩との板挟みになりながらも、

土佐藩に、忠義を尽くそうとした武市と、

「徳川家のやり方に納得せずとも、徳川家に忠義を尽くさなくてはならない」

容堂自身が似ていると半平太に話す。

容堂の予期せぬ優しい言葉に、武市は感激するのだった。

いいニュースを拡大できる耳である  立蔵信子

01391d91.jpeg

『これは奇跡じゃ、これはおまんが起こしてくれた奇跡ぜよ』

その夜、龍馬と弥太郎(香川照之)は半平太の牢に忍び込む。

龍馬は自分が罪をかぶり、武市を助けようとしたことを話す。

しかし、武市は自ら罪を認め、切腹する決意を語り、

龍馬には日本を変え、異国から日本を守ってほしいと話す。

以蔵(佐藤健)はざん首、武市は切腹と刑が決まる。

人の世を底なし沼と言うらしい  浜田さつき

拍手[5回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開