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川柳的逍遥 人の世の一家言
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土地土地に十種十味の味噌がある 河原章久

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幕末の面影を残す料亭「迎陽亭」の茶室

京都文化博物館の『特別・龍馬伝』で、

龍馬の原板や、写真を見てきたオバちゃんたちが交わしていた、龍馬の感想。

おばちゃんポツリと、

「もうちょっと、いまやってる人に似てたら、よかったのになァー」

面白い!・・・が、

「違うやろー、ソレを言うなら逆やがなァ」

しかしそう考えれば、大河ドラマに主役で登場した、数々の歴史上の人物は、

たいてい本人より男前である・・・多分・・・。

並べてみると、

近藤勇ー香取慎吾直江兼続ー妻夫木聡、山本勘助ー内野聖陽

徳川慶喜ー本木雅弘、山内一豊ー上川隆也、小松帯刀-瑛太、義経ー滝沢秀明、

伊達政宗ーハリウッドスター・渡辺謙 しかりである。

大阪のおばちゃんだったら許される  本多洋子

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   坂本家の食事風景

いよいよ、4部作の「龍馬伝」も第3部に入る。

舞台は長崎。

戦国時代に、西洋と出会い。

鎖国時代もオランダ船や唐船が、やってきた港町である。

そして、長崎といえば、龍馬も食したであろう「卓袱料理」がある。

”しっぽく”と読む料理は、なにかと、外来との調和の響きがある。

今回は、龍馬の時代の食卓として、「卓袱料理」を紹介。

伝統の味を守っている重石  石田隆彦

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代々伝わる卓袱料理の食器も和洋中折衷

海の道をやってきた南蛮船や唐船が、

異国の食文化や流儀を長崎に伝えたのは、400年以上も前のこと。

龍馬の時代の長崎人は、

西洋風料理や中国風料理を、家庭で楽しんでいた。

そんな文化的風土に育まれたのが、

幕末の料亭で出されていた”卓袱(しっぽく)料理”である。

今も、”和洋中折衷”の料理が、朱塗りの円卓に華やかに並ぶ・・。

「卓袱とは食卓のこと。

 いうなれば”ちゃぶ台”です。

 卓袱料理は、もともと食卓を囲んで食べる料理という、意味なんですよ」 

玉葱を毎日食べて血を洗う  松尾美智代

料理より、食卓で食べるという行為に、注目が集まっていた。 

「当時、日本では武士も庶民も、一人用の食膳を使っていました。

 ことに武家は、食事作法に厳しく、

 身分によって座る席も、使う食膳も決められていたのです。 

 長崎の人たちがひとつ円卓を囲んで食事をするのを見て、

 龍馬も驚いたことでしょう」 

と、長崎食文化の生き字引、歴史研究家の越中哲也さん。

串カツへシャキッとキャベツ控えおり  伊藤礎由

「卓袱料理は江戸時代から、江戸でも知られていました。

しかし、将軍家のお膝元で、普及することはありませんでした。

そんなわけで”ちゃぶ台”も、

長崎以外の土地では、明治時代になってからも、

なかなか暮らしに、取り入れられませんでした」

骨も煮えたかと山姥蓋を取る  井上一筒 

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当時のままの座敷に掲げられた「迎陽亭」の額

江戸期文化9年(1812)に創業した長崎の格式高い料亭・迎陽亭の文書によると、

慶応年間(1865~1868)に、卓袱料理が出されている。

迎陽亭は、龍馬が”いろは丸事件”の賠償交渉に赴いた玉園町”聖福寺”の、

ほぼ真向かいにある、長崎屈指の料亭である。

龍馬もここで、卓袱料理に舌鼓を打ったのでしょうか?

そのへんの事はどの記録にもない。

けれど、グルメを気取り、新種の気風を愛した龍馬なら、

多分面白がって、円卓の食事を楽しんだに違いない。

≪龍馬伝でも、1人一膳格式どおり並んで食事をとっている通り、

 当時の武士にとって、ひとつの食卓を囲むということは、

 封建的身分制度をひっくり返すのと同じくらい、画期的なことだった≫

朗らかな顔が大きな輪をつくる  遠山唯教

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座敷に緋毛氈を敷き、朱塗りの円卓を置いた宴席

長崎では卓袱料理は、おかあさんがこしらえる家庭料理。

ちゃぶ台を囲む一家団欒の食事風景が、その始まりだったようだ。

長崎で270年、砂糖卸業を営む脇山壽子さんの家に伝わる献立には、

”ヒカド、ソボロ、ゴーレン”といったカタカナの料理名が並んでいる。

今も手作りされる料理の写真を見ると、

華やかな料理というより、素朴で温もりのあるおかず。

≪ヒカドは、1cm角に切った根菜を煮て、

 仕上げにサツマイモをすりおろして、とろみをつけたもの。

 寒い日に食べる、具沢山の汁物。

 ソボロは、細切り人参、たけのこ、ごぼう、こんにゃく、豚肉などを炒めて、

 濃いめに味付けするきんぴら風の一品。

 ゴーレンは、いまでいう竜田揚げ≫

梅干して母の秘伝で染める壷  池部龍一

飛龍頭(ひりゅうず)も、ポルトガル語・「フィロウス」に由来するカタカナ料理。

豆腐をすりつぶし、野菜を混ぜ、丸めて揚げたもので、

手間をかけて作る”もてなし料理”である。

南蛮渡来の料理は、

おかずになってこなれ、

お客料理になって磨かれ、

料亭の宴席を飾る料理にと、洗練されていきます。

すき焼きがにおう駅裏ぼくを呼ぶ  濱田良知

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 長崎漆の見事な鶴蒔絵椀

≪卓袱のはじまりに出される汁お椀≫

さて、料亭でいただく卓袱の宴席は、

「おひれをどうぞ」と言う、おかっちゃま女将さんの、あいさつで始まる。

卓には、小菜の皿が並んでいるが、それまではおあずけ。

お鰭(ひれ)は、本膳の流れを汲む汁椀。

かつては、「尾頭付き鯛を一尾使いました」と言う、

”もてなし”の気持ちを込めて、

お鰭(ひれ)を椀にそえたそうである。

今は、鯛の切り身が入る。

温かい汁物で一息ついたところで、宴席のごあいさつが始まる。

それからは和気あいあい。

赤のれん腹から笑うバカ話  平紀美子

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ワイングラスとプレスガラスの取り皿

「注がれたのはワインか、それとも日本酒か」

小菜の冷菜4品、大鉢の煮物、中鉢の揚げ物、煮物と、

ひとつ皿の料理を分け合い、酒を酌みかわしつつ、

打ち解けた宴が進む。

当時は、ひとつ器から食べるなど、「武士」にあるまじきことだった。

しかし幕末は、武士が自らの手で、

「武士の世を終わらせよう」 とした時代でもあり。

幕府の直轄地だった長崎に城はなく、藩主もいない。

幸せの原点だった腹いっぱい  森田美代子

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迎陽亭の庭先から、

龍馬が紀州藩との談判にやってきた聖福
の甍がみえる

自由で、したたかに生き抜く商人の町で、

龍馬は、「総合商社・亀山社中」を立ち上げ、

坂本龍馬という名の、新しい一歩を踏み出す・・・ことになる。

円卓に華やぐご馳走が、

まだ見ぬ世界へ、はばたこうとする龍馬の背中を、

そっと押してくれたかもしれません。

”木曜日に続きます”

名曲にワインの樽も酔いしれる  徳山みつこ

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