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川柳的逍遥 人の世の一家言
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渦ふたつ擦れ合いながら生きている  たむらあきこ

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御陽成天皇・聚楽第行幸の屏風絵

天正16年4月(1688)、

2年の月日をかけて建てられた「聚楽第」に、

秀吉は、自らの力を誇示するかのように御陽成天皇を迎えた。

実に、このとき警備の者だけで、6千人余りが動員されたという。

しかし秀吉が一世一代をかけて建てた絢爛豪華なこの聚楽第も、

完成から10年も経ずに、秀吉自らが解体してしまう。

そこに何があったのか、興味のある謎がある。

(この謎はドラマの中で、おいおい解決されていくらしい)

順風満帆夢を見ているのだろうか  柏原夕胡

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      聚楽第跡

≪聚楽第の大きさは、東西600メートル、南北700メートルあった。

  だが、今は寂しく石碑が一本があるのみ≫

秀吉は、小谷攻めのおいて、

織田軍で中心的は役割を果たし、

父・長政の命を奪い、

腹違いの兄・万福丸を串刺しの刑に処した張本人。

北の庄攻めでは、

さらに母・お市と義父・柴田勝家の命をも奪った。

盃の数といのちの数が合う  森中惠美子

いくら憎んでも憎みきれない仇敵・秀吉に、

身を任せることになった茶々の心情は、

いかばかりであったろうか。

でも、その後の茶々の行動からすると、

彼女を単純に、

「秀吉の生け贄になった犠牲者・被害者」

ととらえるのは、

決して正しい見方とはいいきれない気がする。

のたうち回ってる確かめあってる  前中知栄

弱者であるがゆえの悲哀を、嫌というほど味わった茶々は、

「力こそが全てであり、どんな正義にも勝る」

ということを身に沁みて、
実感していたに違いない。

だとすれば、秀吉の求めを、

「茶々自身も積極的」に受け入れた可能性がある。

秀吉の側室になることは、

秀吉の持つ圧倒的な「力」を自らに手繰り寄せ、

我がものとする絶好の機会なのだ。

御手付き中臈ジオラマを掠める  井上一筒

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   北野大茶湯図

≪秀吉が天正15年(1587)10月1日、

   北野天満宮境内で、九州平定と聚楽第の竣工を祝って催した茶会≫

2度の落城という、悲惨きわまりない体験を通じて、

茶々はそれくらいの、逞しさと強かさを、

身に付けた強い女性に、成長を遂げていたように思われる。

ラップ剥がして正しい呼吸  富山やよい

天正13年(1585)7月11日に関白に就任し、

9月9日には、新たに「豊臣朝臣」という氏姓を賜った秀吉には、

糟糠の妻である、お祢がいた。

関白正室として、「北政所」と呼ばれるようになった彼女は、

天正16年4月19日には、

「豊臣吉子」の名で、従一位に叙せられ、

位の上では、夫・秀吉に並ぶ存在になっていた。

ちょうちょうはひらがなでとぶ黄でとぶ  河村啓子

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北野茶会に掘られた「太閤の井戸」

他にも、茶々にとっては、従姉にあたる京極竜子(松の丸)や、

前田利家の娘・摩阿(まあ-加賀殿)をはじめ、

秀吉には、たくさんの側室がいた。

けれど彼女たちの内で、子宝に恵まれたものは、

ひとりもなかった。

そうした中、茶々がはじめて懐妊する。

この懐妊により、茶々は、他の多くの側室から抜きん出て、

お祢に次ぐ立場となる。

絶妙の間合いを泳ぐ接続詞  中井アキ

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「大河ドラマーお江・第21回ー『豊臣の妻』 あらすじ

茶々(宮沢りえ)と結ばれたことで、

たちまち元気を取り戻した秀吉(岸谷五朗)は、

京・聚楽第に帝を迎える計画を立て、準備にまい進する。

そして、秀吉は聚楽第に迎えた帝の前で、

諸大名に
「朝廷と関白である自分への忠誠」

を誓わせ、巧妙に支配体制を強化した。

白い器に僕の野心を盛りつける  和気慶一

茶々と秀吉の間で、何があったのかを知らない江(上野樹里)は、

帝の行幸の話を聞き、

「まず先に茶々の縁談を進めるべきだ」

と不満顔。

秀吉をせっついてほしいと頼んで、

事情を知っていたサキ(伊佐山ひろ子)を困らせる。

妹の左手どこかへ行ったまま  桑原鈴代

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やり取りを見ていた茶々は、供の者たちを下がらせて、

江に言う。   

「そなたに話がある」

意を決し、すべてを打ち明けた茶々。

姉の告白に衝撃を受けた江の胸は、

怒りと悲しみでいっぱいになり、

秀吉に対する憎しみを、さらに強くするのだった。

吐き出してごらん心が晴れるから  菱木 誠

そんな折、秀吉が大坂城にやってくる。

すぐさま彼の居場所を突き止め、激しく食ってかかる江。

だが、怒る彼女を止めに入ったのは、ほかならぬ茶々だった。

見れば、茶々と秀吉は、心通じ合っている様子。

江は深く傷つき、以降、茶々と口もきかなくなってしまう。

しあわせが製造ラインからポトリ  清水すみれ

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しばらくしたある日、初(水川あさみ)が大坂城にやってきた。

茶々からの文で、事態を知った彼女は、

2人を仲直りさせるのは、

「自分しかいない」と、使命感に燃えていて、

再会するやいなや江の説得にかかる。

そして最後には、半ば強引に江を連れ出し、

茶々の前へと座らせた。

いもうとの影に咲いてる吾亦紅  八上桐子

実はこのとき、江はもう、茶々を許していい気持ちになっていた。

不条理に思える彼女の心変わりも、

竜子(鈴木砂羽)や初といった年上の女性たちは、

穏やかに受け止めている。

本当は姉を慕っている自分が、いつまでもこだわるのはよくない。

そう思い始めてていた。

俯瞰してみれば些細なことばかり  早泉早人

行幸のあと、秀吉は、家康(北大路欣也)を茶室に招く。

そこで秀吉は、茶々のことを嬉々として語り、

一転して、天下人とは思えないほどの無邪気さを見せる。

家康の際どい嫌みも、気にせずにのろける、

浮かれぶりであった。

いけない人ねいつも尻尾を振っている  酒井かがり

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そんな調子の秀吉から最初に、茶々とのいきさつを聞いたのは、

正妻である北政所(大竹しのぶ)だ。

夫の茶々に対する気持ちを知っていた彼女は、

苦々しく思いながらも、2人の関係を受け入れる。

だがやがて、心の広い北政所ですら、心乱されるときが訪れ・・・。

そして、久しぶりに対面した茶々とお江が、

ようやく和解に至るかと思われたそのとき、

茶々の口から、衝撃的な事実が明かされる・・・。

アレンジが乱れたままの春の音符  北原照子

「茶々の本心」

京極高次に嫁いでまもなく、茶々秀吉の側室になった。

拍手[4回]

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三歩ほど後れる美しい誤解  山本早苗

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  淀君錦絵

≪明治時代、坪内逍遥の戯曲・「桐一葉」が、今日一般に思われている、

淀君の、強く雄雄しいイメージおを作り上げている≫

「淀殿悪女説」

淀は、天下人を産んだ女性として、

人々の注目を一身に浴びたが、

その一方でさまざまな噂が囁かれた。

その多くは、

豊臣家を滅亡に至らしめた「悪女」としてのイメージが強い。

その最たるものは、『淀殿淫乱説』である。

針金をぐいと曲げてる嫉妬心  山本昌乃

どれも、江戸時代の書物に記されたもので、

「大阪夏の陣」で、自らの切腹と引き換えに、

淀・秀頼の助命を懇願した大野治長や、

歌舞伎役者・名古屋山三郎との密通が、

まるで現代の週刊誌を見るかのように、

面白おかしく伝えられている。

凶暴な言葉ひしめく裏サイト  浜田さつき

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 上田秋成

『雨月物語』の著者・上田秋成は、

文化6年(1809)随筆・「胆大小心録(たんだいしょうしんろく)」で、

”よどの君もかほよきのみならず 色好むさがありて” 

と記し、

色に乱れて、国を滅ぼした典型という、

とりわけ、女性にとっては屈辱的な姿を伝えている。

スキマの風はおおよそをなぞる  山口ろっぱ

だが、「大坂の夏の陣」では、自ら甲冑をつけて、

「男勝りの活躍をしていた」

と記録する書物もあり、

淀という人物は、

虚実とりまぜて、実にさまざまに語られてきた。

美しい絵と被害者にすぐなれる  森中惠美子

こうした俗説の数々は、

秀吉の寵愛を一身に集めていた嫉妬や、

憎悪から生まれたのか。

多くの側室を抑え、正室・お祢に次ぐ地位を、

確固たるものにした淀は、

幾多の嫉妬や憎悪を生み、

「悪女説」を増幅させていったのだろう。

悪いのは私美しすぎるから  武内美佐子

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「淀殿」「淀君」と呼ぶのも、

路傍にたつ娼婦を指す、「辻君」になぞらえてのことだ。

しかし、「悪女」にしろ、

豊臣の存続を一身に願った、「聖母」にしろ、

その実像は、いまや推測するしかないが、

織田・豊臣という、天下人の系譜に君臨する淀は、

”戦国時代のスーパーヒロインであることは間違いない。”

疑問符が前頭葉に姦しい  喜多川やとみ

拍手[6回]

踏み込めぬ線があるから戻られる  森 廣子

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      聚 楽 第

「現代の京都の町の骨格を、創りあげたのは秀吉である」

秀吉は「聚楽第」を、かっての平安京大内裏の跡に築き、

そして、町全体を「御土居」という”土塁と塀”で囲み、

正方形だった区画を、南北に細い短冊形にして、

土地の高度利用を実現し、寺院を寺町などに集中させた。

コンチキチンええ若衆にならはった  美馬りゅうこ

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     聚楽第行幸図

≪天正16年(1588)4月14日、後陽成天皇が聚楽第に行幸。

  建物の一部が「西本願寺の飛雲閣」である≫

この「お土居」は、

古代中国の都を囲んでいた”羅城(らじょう)”を参考にしている。

中国の羅城は、敵の攻撃を防ぐために、主として石で作られた城壁だが、

秀吉は、予算を考えたのか、土でつくった。

東は、加茂川、西は紙屋川、南は九条、北は鷹の峰におよび、

広域なものであった。

割箸は只今課外授業中  岩根彰子

「秀吉のゴージャスと茶々らの大坂城暮らし」

お江や茶々の気持ちを留め置くため、秀吉は贅の限りを尽くしている。

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   復元・黄金の茶室

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    黄金の茶道具

大坂城にあった「黄金の茶室」は、

茶器や茶道具、天井、柱など、いたるところすべてが、

金で仕立てられていた。

秀吉は、この解体できる茶室を京都御所に運び、天皇に茶を献上した。

合わせ鏡の中ですこうし跳ねてみる  田中博造

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最古の天正カルタと天正カルタ版木重箱

南蛮貿易とともに、日本に伝わったカルタ。

秀吉は、三姉妹に退屈させまいと南蛮の珍しい物をいろいろ準備した。

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     淀殿所用扇子

扇の面に書かれた和歌は、

源実朝・『金槐和歌集』から採られた一首、

”武士の 矢なみつくろふ こてのうえ 霰たハレる 那須の御狩場”

淀殿の自筆と伝えられている。

毎日がこんな贅沢いいかしら  小林歌風

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   茶々の部屋の背景

「ドラマ・お江を見る楽しみにー三姉妹の部屋」

三姉妹の部屋は、ひとりひとりの個性に沿ったデザインで、

造られているそうだ。

例えば、三人のキャラクターに合わせて、

江には春、初には夏、茶々には秋のイメージを重ね、

床の間の絵に、各季節の花が描かれている。

(ちなみに、江は桜、初は撫子、茶々は竜胆(りんどう)だとか)

青い空どんな夢でも描けそうだ  河村啓子

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茶々の部屋

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筆まめな茶々の文机、書の道具。 香道の道具。

君だけの笑顔コピーは作れない  中 博志

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「初の部屋」

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初といえばお菓子。

部屋に菓子箱や、菓子を盛る高つきが常備されている。

初と江の部屋を挟んで庭がある。

明日抜く歯で花見団子を食べる  井上一筒

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「江の部屋」

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             動物をモチーフにした置物

黄金の猿もある・・・何の意味だ!秀吉を皮肉ったものか。

夢かたると輝きが増す少女の目  山本昌乃

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「奥御殿の大広間」

床の間の絵やふすま絵は、狩野派の絵を参考に描かれているとか。

ドラマお江の後ろの凝った諸道具を、見るのも一興ですよ。

トンネルを抜けると好きになっていた  中前棋人


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「大河ドラマ・お江-第20回・『茶々の恋』  あらすじ」

若い側室とじゃれあう秀吉(岸谷五朗)の姿を見て、

頭に血が上り、思わず彼の頬を張ってしまった茶々(宮沢りえ)

女好きで知られる秀吉だが、女性の心の動きには存外疎く、

「なぜ茶々が、自分の頬を張ったのか」

さっぱり分からない。

読みきりにしておく二人のその後  清水すみれ

一方、茶々のその姿を目撃した江(上野樹里)は、不安にかられる。

「まさか、姉上の心が秀吉に向いている?」

以来、それとなく、茶々の様子を観察するようになったが、

やはり江には、姉が秀吉を意識しているように感じられる。

だが、自分の疑念が事実と分かるのが恐ろしく、

とても茶々に、本心を聞くことはできなかった。

女の影はいつか狐になるだろう  森中惠美子

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そんなある日秀吉は、城内で見かけた茶々を呼び止め、

直接、自分を平手打ちした理由を尋ねた。

聞かれた茶々は、

「まさかやきもちを焼いた」

とも言えず、苦し紛れに、とにかく、

「秀吉が嫌い」なのだと答える。

その言葉を真に受け、すっかり落ち込んだ秀吉は、

茶々のそばにいることすらつらくなり、

京・聚楽第に移ろうと決意するのだった。

アッハアッハと数値ばかりが跳ねている  酒井かがり

だが、秀吉の茶々への思いは募る一方。

彼は、もう一度だけきちんと思いを伝えようと、

京へ去る日の前夜、彼女を庭の東屋へ呼び出す。

うどんでも捏ねてみようか雨だから  西山春日子

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江は、不安の元凶である秀吉が、「いなくなる」と聞き大喜び。

一方の茶々は、どことなく寂しげな様子だ。

気になった江が、

「もしやお寂しいのでは」

と聞くと、彼女は明るく答えた。

「相手は秀吉ぞ。誰よりも憎き敵ではないか」

しかし、言葉とは裏腹に秀吉が去った後の茶々は、

浮かない顔で、物思いにふけることが多くなる。

瞳はいつも遠くのほうを眺めてる  立蔵信子

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そうて、ひと月ほどたったある日、

秀吉が再び大坂城にやってきた。

会いたいと呼び出された茶々は、うれしさを隠し切れず、

いそいそと秀吉のもとへ向かう。

だが、久しぶりに顔を合わせた秀吉は、

茶々に好意を寄せているとは思えないような、

意外な提案を切り出す・・・・・。

あなたの視野の中でジャンプを繰り返す  前田咲二

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「大坂城暮らしに所用した華麗な着物」

刺繍の隙間に摺り詰められた金箔や銀箔。

唐突に替わる刺繍糸の色。

どこからみても豪華な繍箔小袖。

そっとから恋が始まることもある  小山紀乃

「茶々(宮沢りえ)の着た着物一覧」

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流行が白ならわたし黒にする  西美和子

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改札を通ると今日の顔になる  一階八斗醁

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いざ出陣百面相をしつらえる  山口ろっぱ

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わけあって風一輪の花となる  前中知栄

拍手[8回]

女とはかなしい腹を持っている  森中惠美子

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     醍醐の花見

秀吉(右手)を追うように、先頭に北の政所、その後からつづく

左手前に赤と茶の幟を持つ「淀と竜子」が秀吉に迫っている。

「秀吉の側室」

秀吉は、関白になったころから、

沢山の名門出身の女性を「側室」として置いた。

その第一号は、三姉妹の従姉妹になる京極竜子である。

もっとも正室と側室との間に

「継室」
といった存在も認められており、

≪継室とは、本来、正室が亡くなったあとや、

  離縁したあとに後添えになることで、

普通の側室より格の高い女性のことを言う≫

「第二夫人」と呼ばれる。

あの人の何に惹かれている動悸  たむらあきこ

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遠く平安の昔から、桜の名所として親しまれる醍醐寺の桜

醍醐寺の桜は、秀吉が、死の晩年、

絢爛豪華な「醍醐の花見」を催したことでも知られている。

この第二夫人の地位をめざし、

家系存続のための後継者を産むことで、

側室となった女性たちの間で、

熾烈な争いがあったといわれる。

渓谷も胸の谷間も気いつけや  中野六助

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「醍醐の花見」

慶長3年(1598)3月15日、”京都醍醐寺”において、

秀吉は、豊臣秀頼、北政所、淀殿ら近親の者を初め、

諸大名から、その配下の者など、約1300名を集め、

花見の会を催した。

その日の輿入りの順は、次の通り、記録に残されている。

1番・北政所、2番・淀殿、3番・松の丸殿

4番・三の丸殿、5番・加賀殿、そのあとに、

北の政所(ねね)が若いころからの親友、

(まつとねねは若い頃、隣同士の付き合いだった)

前田利家正室・まつが続いた。

偶然を積み重ねつつ現在地  平尾正人

この花見の会の日の出来事として、

宴会の席で正室である北政所の次に、

秀吉から、杯を受ける順を、淀殿と松の丸殿が争った。

≪足利の時代、京極氏は北近江の守護であり、

 浅井氏の主人筋にあったが、臣下である浅井氏の下克上にあい、

 地位の位置づけが、換わってしまったという、経緯がある≫

淀殿が秀吉の子の懐妊を得て、

側室の2位という自負があったものの、

階級的には、もともとは、竜子のほうが上位。

だから竜子もここでは、負けていられなかったのだ。

嫉妬するガラスの欠片踏むように  杉野恭子

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そこへ割って入ったのが、まつ(芳春院)、

「私は客人だから私が二番目に戴きます」

と言って杯をとった。

このまつの機転によって、

和やかな場が、戻ったという話が伝わっている。

(芳春院が、いかに腹の据わった人であったかは、数々のエピソードが語る)

シュレッダーに任せるややこしい話  合田瑠美子

確かな秀吉の側室をあげれば、下記の通り・・・となる。

「淀殿(茶々)」

天正17年(1589)5月、茶々は淀城で男児を出産した。

秀吉は、大喜びで、捨て子はよく育つとの俗信から、

「棄」(すて)(のち鶴松)と名付け、まもなく大坂城に入る。

側室としての順位としては下位だったが、

これにより、側室トップの地位を得る。

含み笑いに耐えきれなくなったアケビ  赤松ますみ

「松の丸殿(京極竜子)」

初の夫となる京極高次の姉弟。

本能寺の変で、竜子の夫・元明は秀吉軍に討たれ、

高次は追われ、

彼女自身は捕らえられる。

この後、秀吉の側室となり、寵愛を受けた。

秀吉の妻妾の中で、一番の美人だったことから、

淀殿が子供を生む以前は、北政所の次に重んじられていた。

伏見城・松の丸に住んだことから、「松の丸殿」と称され。

”醍醐の花見”では、淀殿の次・三番目の輿に乗る。

のみ込んだ言葉燃やしている暖炉  岡谷 樹

「三の丸殿」

織田信長の四女。

信長没後に姉の夫・蒲生氏郷の養女となり、

のち秀吉の側室となる。

伏見城三の丸に住んだので、「三の丸殿」と称され、

”醍醐の花見”には四番目の輿に乗る。

何はともあれあなたの横にいようかな  山本明美

「加賀殿」

前田利家の三女。

柴田勝家の家臣・佐久間十蔵と婚約、

人質として北ノ庄城に入る。

落城に際し、秀吉と両親の計らいで城外に逃れ、

のち秀吉の側室となる。

”醍醐の花見”では、五番目の輿に乗る。

さまざまな坂乗り越えてきた笑顔  石見敏江

「三条局」

蒲生氏郷の妹。

柴田勝家を滅ぼした凱旋途中に、近江国日野城を訪ね、

氏郷より、妹のを側室として貰いうけた。

京都屋敷に住み、「三条局」と呼ばれた。

振り向いて欲しくてそっと泣いてみる  馬杉とし子

「姫路殿」

織田信包の娘。

信長の姪で、ここでも、

信長の血筋を重視していたことがうかがえる。

姫路城に住んでいたため、「姫路殿」と呼ばれた。

秀吉は、行くところ行くところに側室をおいていたようだ。

毒入りと書いてあるので手が伸びる  井丸昌紀

「南殿」

秀吉が長浜時代の側室。

初代、秀勝(石松丸)の母親。

琵琶湖上の竹生島にある宝厳寺に、

古書・「竹生島奉加帳」という文書があり、

その中に、秀吉が「弁財天に金品を納めた」ことが記されている。
 
同時にそこに「南殿」「石松丸」という名が、

見られると伝わる。

網棚の上の忍者と目が合った  井上一筒

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     醍醐の桜

”ともなひて眺めにあかし深雪山
           かへるさ惜しき花の面影”  ねね

”花もまた君のためにと咲き出でて
          世にならびなき春にあふらし”  茶々

”打群れてみる人からの山櫻
         よろづ代までと色にみえつつ”  松の丸

”山櫻袖に匂ひをうつしつつ
           かへるさ惜しきけふの暮かな” 三の丸


”あかず見む幾春ごとに咲きそふる
            深雪の山の花のさかりを”  加賀

 
女というこの偶然が心地よい  三村一子

拍手[7回]

まず生きてほしいと思う血の絆  たむらあきこ

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 常高院像(常高寺所蔵)

「初(常高院)の生涯」

亡母の遺志を継ぎ、妹たちを守ることに必死になる姉・茶々

秀吉の政の道具とされながらも、

たくましく生きる妹・江にはさまれて、

多感な時期を過ごした

次女という立場は、後年、

初に思いもよらない役回りを、担わせることになる。

この初が嫁ぐのは、18歳、天正16年(1588)のことである。

少女から女へ雪解けが始まる  板野美子

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     京極高次

初が嫁いでいく相手は、”蛍大名”と揶揄され、

”戦国一のブレ大名”といわれ
京極高次

初よりも7つ年上で、永禄6年(1563)生まれ。

”本能寺の変”に於いて、高次は明智方の味方をし、

秀吉の長浜城を攻めた。

そのため、秀吉方の追及を受け、

姉・竜子の嫁ぎ先若狭・武田元明を頼り、逃れるも、

頼りとした元明は、秀吉に滅ばされる。

ところが、竜子が秀吉の側室であったことから、

その口添えで、高次は秀吉に帰参が叶い。

その後、九州征伐、小田原征伐の功で、

近江・大津城主6万石を得ていた。

枕辺にピンクの獏を呼びつける  中野六助

慶長5年(1600)、石田三成と家康の対立のとき、

淀と徳川家に嫁いだ江との溝が、深まるなかで、

初は、懊悩していた。

夫の高次はどちらにつくのか?

高次もまた、徳川と豊臣の対決の前に、苦悩を深めていた。

そして、一度は、三成に協力を約し、高次は北国に出陣した。

が、何があったか、高次は、突如進軍をとりやめ、

大津城に引き返してしまった。

私を突如横切る冬の雷  笠嶋恵美子

なんと高次は、家康率いる東軍に、寝返ったのだ。

しかし、大津城で西軍1万5千の兵に取り囲まれ、

初も夫とともに、12日間の籠城戦を耐え抜いたものの、

ついに開城する。

高次は降伏した責めを負い、剃髪して高野山に入った。

ひらり来てひらりと去った冬螢  合田瑠美子

大津城開城の翌日、家康と三成は関が原で激突し、

天下分け目の戦の軍配は、家康に上がる。

大津城は、西軍に明け渡したが、

「関が原の合戦の前日まで西軍を引き留めた」

という功績が認められ、

高次は、その後、

若狭・小浜城主8万5千石を、家康から与えられた。

くしゃみした弾みにプライドが消える  谷口 義

その後、勝利に酔う間もなく家康の怜悧な目は、

豊臣秀頼を睨んでいた。

関が原の戦いの9年後、夫を亡くし、剃髪して、

”常高院”となっていた初は、

関が原での心痛を胸に、

徳川・豊臣両家の和睦の使者となるべく、懸命に奔走した。

淀と江の絆をつなぐのは、

「自分しかいない・・・」 

常高院は、
その一心で女の身でありながら、

両家の間を行き来する。

木枯しの昨日をクリップでとめる  本多洋子

しかし、その願いも空しく、

徳川・豊臣の最後の決戦となった”大坂夏の陣”で、

姉・淀は、母・市の運命をなぞるかのように、

炎の中で果てた。

飛行機のネジが大小落ちてきた  井上一筒

天下人・秀吉の継嗣、秀頼を産んだ淀、

二男五女をもうけた江とは異なり、

常高院は、生涯ただひとりの子どもも、産むことはなかった。

しかし、まるで実の子どもを慈しむかのように、

常高院は、
養女とした江の娘をはじめ、

高次の側室の子どもや、

侍女・小姓にいたるまで、深い愛情を注いだ。

あなたから真綿に包まれた善意  宇治田志津子

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   小浜市・常高寺

≪生前に仕えた侍女7人の墓と、向かい合うようにして常高院の墓がある≫

姉妹を引き裂いた悲しい記憶こそが、

平穏な暮らしを求める祈りにも似た想いを、

抱かせたのかもしれない。

そして、1633(寛永10)年、常高院は静かに逝く。

享年64。

もっとも長命だった常高院の死をもって、

「浅井三姉妹の波乱の物語」も幕を下した。

大名の由来は、姉・竜子や妻・初の七光りで、生き延び、

  出世していったことから言われ、また風見鶏的性格でもあったようだ≫

誰がために泣くのか月の小面よ  森中惠美子

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「大河ドラマ・お江ー第19回-『初の縁談』  みどころ」

初は、京極高次(斉藤工)と話してから、

尚更、恋心が募っていった。

あれほど大好物だった菓子も、高次が嫌いだと

言うので、手を出さなくなっていた。

だが、ひとつ懸念があった。

とらわれの身である自分達は、

自由に好きな相手に、嫁ぐわけにはいかなかったのだ。

特に織田信長の姪という立場から、

秀吉の政の道具として使われる運命にある。

生き様は弦の弛んだバイオリン  高島啓子

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初(水川あさみ)は、そのことを茶々(宮沢りえ)に話し、

なんとか秀吉(岸谷吾朗)に話して貰えないかと頼む。

だが、それは無理な話だった。

先日、茶々は秀吉の「側室に」という申し出を、

断ったばかりだったからだ。

枠外の素描はいつも涙顔  岡谷 樹

ある日初は、偶然に高次と会った。

初の悩み事など知らない高次は、親しげに語りかけて来る。

それがまた、初を悩ませ、また苛立たせた。

そして、その感情は言葉として現れた。

「私が嫌いなのは、あなたのような男です!

 仕官の道を得るため、

 おのれの姉を側室に差し出すような男です!」

高次に嫌いなものを聞かれ、心にもないことを言ってしまった。

初だった。

片意地を張ってしまったとうがらし  山口美千代

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何故、そんなことを言ってしまったのか」

と、初は後悔した。

その初の思いや言葉が、茶々の心に深く突き刺さる。

そして、夜遅く、茶々は密かに秀吉と会うことにした。

秀吉と会った茶々は、

「初の純情な思いを、遂げさせてやりたい」と言う。

やおら秀吉は、言葉をきりだした。

「縁談をまとめる代わりに、わしに何かくださるのか?」

「・・・私を・・・側室になさりたいということですか?」

「そう申したら、どうなさる?」

「妹の・・・初の縁談が決まったら、お話申し上げたいと存じます」

一直線この強いもの折れるもの  ふじのひろし

数日後、秀吉は三姉妹をある部屋に呼ぶ。

三姉妹が怪訝な顔で部屋に入ると、まもなく高次が入ってくる。

高次は初を前に

「妻に迎えたい」
と言う。

突然の話に驚いた初だったが、何やら逡巡しているようだった。

初には、「高次が自分の姉・竜子を秀吉の側室に出した」

という事実に、こだわりがあった・・・。

だから、そんな男の言葉を素直には信じられなかった。

ホッチキスでガチッ口裏合わしとく  山本昌乃

そんな初のこだわりに対し、高次の姉・竜子(鈴木砂羽)は、

「それは根も葉もない噂話で、高次が明智の家来だった頃から、

 秀吉の側室だった」

と言い、高次の純粋に、初を思う心を代弁した。

その言葉を受けて、初の心の澱も取れ、

高次の申し入れを受けることにした。

あの角を曲がると歩幅甘くなる  皆本 雅

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やがて、初は近江の京極家に嫁ぐ為に、大坂城を発った。

その夜、茶々は密かに秀吉と会う。

「私を・・・私の身を、お好きになさってくださりませ。

  ただ、ひとつだけ・・・側室にはなりたくないのです。

             ・・・それだけはご容赦いただきとう存じまする」

茶々は、覚悟を決め、すべてを秀吉に投げ出すつもりだった。

泣き終えた敵が敵がとっても美しい  森 廣子

だが、秀吉は、

「お茶々様を力ずくで、手に入れるつもりはありませぬ。

  ただ、それがしは、今宵こうして来てくださっただけで、

 幸せにございます・・」

と言って、茶々の考えを断つと、

月を見上げ、貧乏な子供の頃、

月を餅に見立てていたことなどを、話しはじめるのだった・・・。

通りがかりの隕石と話し込む  山本早苗

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