庭にいる石灯籠はお爺さん 新家完司 「北斎娘・応為(お栄)」 美人画 上「新聞記事」 江戸時代の天才浮世絵師・葛飾北斎の三女・お栄が画いたと思われる美 人絵の「下絵」がこのほど、小布施町伊勢町の旧家で見つかった。 下絵は、北斎の日課獅子図などと共に、貼りまぜの屏風に貼られている。 卓越した技量で、北斎の代作者との説もあるお栄が、小布施と関わった ことを示す資料として注目される。 お栄作とされる根拠として、お栄の手紙2通が同じ旧家にあり、そのう ち1通には「一緒に美人画の下絵を送る」と綴られている。北斎・お栄 に詳しい久保田一洋さんは「下絵は、衣や髪型、かんざしの描き方まで お栄の特徴が出ている。また指先を細く、足の爪を細かく描く繊細さ、 ほつれ髪を出す部分はお栄と思われる」と話す。 お互いの隙間に入れる接続詞 みつ木もも花 お栄は、北斎から「美人画はお栄にかなわない」と評され助手を務めた という。屏風には、北斎が描いたと思われる日課獅子図もある。北斎は 日課獅子を83歳から描き始めたとされるが、久保田さんは「この獅子 図は、北斎が江戸から信州に向かった86歳の作品と考えられ、小布施 で描いたのでは」と推測する。 またもう一つの屏風には、お栄作と思われる「百合図」もある。 久保田さんは「これらの資料は、お栄の人物像や業績、小布施での交友 関係などを探るきっかけになる」と期待する。 新聞の奥から氷河割れる音 下谷憲子 朝 顔 美 人 図 「朝顔美人図」 肉筆で朝顔をめづる美女の図がある。「北斎娘辰女」と落款が入ってい る。団扇を片手に半ば物恥じらう顔を傾げた風情。えもいわれぬ云われ ぬ艶美な匂いが漂うている。衣紋も北斎ほど癖が露骨でなく、なかなか 技巧がしっかりした点がみられ、傍らの皿鉢に盛られた数輪の朝顔は、 この美女に話しかけているかのように、よく融合っている。 吹き出しには、長高亭雲道が「垣根より取りゑしままの朝顔に露もたる かと思ふたをやめ」と書き、負けず嫌いの北斎も「美人画だけはお栄に かなわない」と折り紙をつけているほど、お栄の「美人画」はうまい。 床の間に置くと黙ってしまう壺 桑原伸吉 夜桜美人図 「夜桜美人図」-「眩」(くらら)ものがたり お栄は木枠にピンと張った絹布の前で大きく息を吸い、吐いた。滲み止 めの礬水(どうさ)はもうひいてある。左膝の脇に置いた下絵を目の前 に掲げ、もう一度見直した。善次郎(渓斎英泉)が訪れてから五日とい うもの、納期が急く仕事をこなしてから、一日に五枚、六枚と違う設定 の下絵を描き続けてきた。井戸の釣瓶に朝顔を這わせてみようかと思っ たが、桜と季節が合わない。井戸をやめて軒先にしてもみたが、すると 善次郎から教えられた句がたちまち蘇る。 「井のはたの 桜あぶなし 酒の酔い」いったん知ってしまうと、その 響きはどんどん大きくなる。お栄はさんざん迷い、惑った。三十枚ほど 描き上げて、今日は朝からそれを並べてみた。違うと思うものを外して いく。すると残ったのは、やはり夜桜の景だったのだ。 トナリから攻め寄るたとえばの話 山口ろっぱ 何日も費やして回り道をして、結局、元の案が手許に残った。この娘が 歌人の秋色を想起させようがさせまいが、今はどうでもいいような気が している。観る人が、思い思いに捉えてくれたら、それでいい。むしろ 夜の座敷の床の間にこの夜桜の絵があることで、その場の興趣を誘いた い。百組の酔客のうち、たった一組でいい。娘が短冊に何を記そうとし ているのか、思いを馳せてくれる人らもいてくれるのではないか。そん な夢想を始めると、躰の中から沸々と湧くものがある。 にじいろの影の持ち主いませんか 中野六助 彩色を初めて三日目の夕暮れに、十八屋の小僧が訪ねてきた。信州に滞 在中の父・北斎からの手紙と味噌や粕漬けと共に、折り畳んだ半紙が、 油紙に包まれていた。父のことに思いを馳せつつ、お栄は善次郎が届け たという包みを解いた。やはり厚みのある紙が入っていて、けれど何も 記されていない。と、上の紙がずれて奇麗な朱色が見えた。絵だ。中央 に描いてあるのは、髷簪の形からして上級の遊女で、鳳凰の羽を描いた 朱色の襠(うちかけ)を纏っている。画面の右上には、桜が何本もの枝 を伸ばし、遊女の足許には大きな塗り提灯が置いてあるので、この絵も 夜桜のつもりであるらしい。 僭越な箸でゲテモノをまさぐる 美馬りゅうこ 手許に注目 「俺ならこう描くって腕自慢だ、これは。ほんと、負けず嫌いだねぇ」 呆れて文句をつけた。お栄は絵を手にしたまま立ち上がり、己の下絵の 前で腰を下ろした。二枚の絵を並べてみる。ああやっぱりそうだ。お栄 の描いた娘は筆を持ち、燈籠の灯を頼りに今、何かを書こうとしている 図だ。そして善次郎の描いた遊女は、提灯の灯を求めて身を屈め、文を 読んでいる図である。「お栄、お前ぇが描いたものを、こうして受けと める者がいるってことさ」善次郎の絵は、そんなふうに告げているよう な気がした。 他人からもらう時間はあかね色 清水すみれ とんだ独りよがりかもしれないけれど、こんな返し方をしてきてくれた、 そのことが嬉しかった。「嬉しいってことは、いいもんだな、善さん」 そう呼びかけながら、善次郎の絵を文机の上に置いて、お栄は胡粉を溶 いた皿を指をもう一度混ぜた。極細の面相筆の穂先をほんの少し浸して 皿の縁でしごいてから、夜空に星を描き入れる。一つ、二つと小さな瞬 きを増やしていく。この白の上に、青や赤を挿していこうと思いついた。 光にはいろんな色がある。身を起こして立ち上がり、数歩退がって絵の 全体を見返した。「うん、やっぱりあたしの方が巧いわ。断然」また独 り言がでた。 「女子栄女 画ヲ善ス、父ニ随テ今専画師ヲナス 名手ナリ」 と渓斎英泉が天保四年『无名翁随筆』に記している。 振り向くとみんな大きな愛でした 牧渕富喜子 女重宝記・習い事 「女重宝記」 「お栄は美人画に長じ、筆意或は、父に優れる所あり、かの高井蘭山作 の『女重宝記』の画のごとき、よく当時の風俗を写して、妙なりといふ べし。弘化4年出版の「女重宝記」応為栄女筆と記され、15、6図の 挿絵を描いている」(葛飾北斎伝) (拡大してご覧ください) 女重宝記・習い事 女重宝記とは、江戸中期に婦女子の啓蒙教化、実用日益を主として刊 行された。この書物は、世の推移につれ、流行を追い、補足訂正されて いったものでー、『絵入日用女重宝記』には、一之巻に、女風俗の評判、 言葉遣い、化粧、衣服のこと、二之巻には、祝言に関すること、三之巻 は懐妊中の心得、四之巻には、女の学ぶべき諸芸(手習い、和歌、箏、 かるた、聞香(ぶんこう)等)、五之巻には、女節用字尽くし、女用器財、 衣服、絹布、染色の諸名、などが載せられている。 清流で洗うこころのかすり傷 三井良子
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