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岩倉具視と明治天皇
「岩倉具視を抉る」
世の中には不思議なことがいっぱいある。
孝明天皇暗殺説もそうである。
孝明天皇が急な発熱で倒れたのは、慶応3年1月16日のこと。
原因は天然痘と発表される。
すぐに24時間体制での治療措置がとられ、
それまでは、天皇としての公務をこなし
至って健康的なほうであったから、
天皇の症状は順調に回復しはじめた。
が、症状が急変。
そのまま帰らぬ人となってしまった。
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あまりに急な出来事だっただけに、天皇は何者かによって
「暗殺されたのではないか」 という暗殺説が囁かれた。
「一体だれが何のために」
「天皇が死んで一番得する人物は誰なのか」
そこで一人の男の名前が浮かび上がる。
岩倉具視である。
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岩倉具視は、かって
公武合体論者であったが、
世間が倒幕ムードになるとあっさりと
尊皇攘夷に転向、これが、
結果的に孝明天皇との関係に亀裂を招くことになってしまった。
孝明天皇が在位されている限り出世することは難しい。
そう考えた岩倉が、
「天皇暗殺を企てた」というのである。
孝明天皇から明治天皇へ変わると岩倉は一躍出世。
これは孝明天皇が存在していればありえない展開だっただけに、
さらに
"岩倉具視による暗殺説"を盛り上げることになってしまった。
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そんな天皇暗殺が囁かれる岩倉だが、
彼にはもう一つ疑いがかかっているものがある。
"天皇すり替え説"だ。
これは、睦仁親王が明治天皇となられる際、
別の者に差し替えられたというもの。
それを示すように即位前とあとで天皇はまるで違う人なのである。
たとえば、睦仁親王は天然痘を患っており、
顔面には天然痘特有の後遺症があったが、
明治天皇の顔には見られない。
また虚弱体質だったという幼少時代に対し、即位後はといえば、
側近のものを相撲で投げ飛ばしたこともあったという。
さらに
「字が下手」「政務に無関心」「乗馬の記録がない」という
睦仁親王に対し、明治天皇は真逆の要素を持っているのである。
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それだは一体誰にすり替えられたのだろうか。
その人の名は南朝の末裔である
大室寅之祐。
つまり
「北朝」系の子孫である睦仁親王に代わり、
「南朝」の大室が即位したということだ。
これにより北朝系に仕えていた徳川家や松平家は、
天皇にとって逆賊になってしまった。
これが新政府にとって、
江戸幕府勢力を一掃する口実となり
戊辰戦争が起きたのである。
岩倉は天皇をすり替えることによって、
旧体制を完全に破壊することに成功した、ということである。
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当時、人々は噂を耳にしては真相を確かめようとしてきた。
しかし、明治に入ると皇室のプライベートやスキャンダルを
公言することは、タブー化されてしまう。
こうして岩倉の疑惑は闇の中に葬られてしまったということである。
「日本史の謎」より
印画紙に浮き出しそうな罪の数 笠嶋恵美子[5回]
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