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川柳的逍遥 人の世の一家言
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逢えぬとや同じハガキが二枚くる  森中惠美子

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平時子が夢とあこがれる源氏の君の物語

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小柴垣のもとに立ち寄り庵の様子を垣間見た

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子どもたちが遊んでいる

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その中にいる十歳くらいと見える少女

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ほかの子どもたちとはくらべものにならず

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さてぞ美しいおとなになるであろう容貌をしている

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どうしたのですか けんかでもなさったのですか

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雀の子を大君が逃がしてしまったの

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伏篭の中に閉じ込めておいたのに・・・ 

私にとっても甘いわたしです  河村啓子

 

「光源氏ー秘話」

光源氏は、天皇の子で血統は最高。

しかもその名のように、まばゆいばかりの光彩を放つ、

この世に二人といない美男子。

だから連日、山のようなラブレターが届いたという、

「又文か、そこらへ置け」 と光君。

しかし、もてまくる光君も数のうち、たまには、

フラれることもある。 

危ない男の近くでうろうろしなさんな  中山おさむ

 

光君は、人妻の「空蝉」と深い関係に陥っていたが、

空蝉は夫にすまない気持ちから、光君を避けるようになる。

光君は意を決し、ある夜、空蝉の寝所に忍び込んだが、

彼女は察して逃げ去った後。

肩透かしを食らった光君、

やむなく、その場に寝ていた空蝉の養女の、

「軒端萩」(のきはたのはぎ)と一夜をすごした。 

かかわらぬ事に決めます寒椿  新川弘子

 

貴族崩壊の道へと導いた平安末期の「保元の乱」は、

"不倫" が原因といわれる。  

≪いわゆる平安時代は、源氏が物語るように、自由な文化を謳歌していた≫ 

 

しばらく、光が連絡を取らないでいると、

そのうち空蝉の方から、寄りを戻してきて、

また、心踊る不倫の日々となる。 

そしてまたドット・コムから元気かい  山本昌乃

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源氏物語屏風

 

「平安の女流文学時代」

清盛誕生の110年ほど前、

平安中期、女流文学の花が咲き誇る。

権力者たちは、

后にした自分の娘などに、教養をつけさせるために、

文学に秀でた女官を集め「サロン」を形成。

いわば、カルチャースクールの開講である。

これにより、教師の女官たちは、

切磋琢磨して高質な作品を作り上げた。

有名なところでは、百人一首にも選抜されている 

清少納言、紫式部、和泉式部、赤染衛門。

 

清女は早起き 紫女は宵っ張り  江戸川柳

清女は清少納言、紫女は紫式部のこと。

『枕草子』「春はあけぼの」から始まり、

紫式部は、琵琶湖畔の月の名所の石山寺で、

不朽の名作・『源氏物語』を書いたとされる。 

つややかに恋を走ってきた炎  たむらあきこ

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「紫式部」一条天皇の第三夫人・”彰子サロン"の一員。

ドラマ「清盛」の鳥羽天皇の正室・彰子は、

「たまこ」と読むが、こちらは、「しょうこ」と読ませる。

源氏物語が評判を呼び、

紫式部は、彰子の父・御堂関白・藤原道長から、

求められサロンに就職することになった。

寛弘2年(1005)の暮れのころのことである。

そこから約7年、宮仕え中に日記・『紫式部日記』を著し、

ついで、60帖にもわたる長編・「源氏物語」がうまれる。 









 

一篇の詩に魅せられてきた迷子  能津幸子

 

石山寺での式部の執筆を詠んだ江戸川柳は数々ある。 

紫の硯にかかる秋の月

「いしいし」と食べて明石に書きかかり

一割は雲隠れし物語  

 

≪7帖目・「明石」の帖から書き始めたと伝わっていることから、

   60帖ではなく、実際は54帖≫

百人一首・第57番 紫式部の"雲隠れ"にかかっている。

"めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな"

(久しぶりにめぐり合って、見たのがそれかどうかもわからないうちに、

  雲に隠れてしまった月のように、偶然に会った昔からの親しい人は、

  あわただしくお帰りになったことです)

いつだってあなとを追っている視線  勝又恭子

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「清少納言」は、

一条天皇の皇后・「定子(ていし)サロン」の一員。

彼女が書いた『枕草子』に、

有名な「香爐峰の雪」のエピソードがある。

雪が降ってきたので、皇后の定子が、

「香爐峰の雪は?」 と謎めいたことをいうと、

漢詩に詳しい清少納言は、

唐の白楽天の詩の「香爐峰の雪は簾をかかげて看る」

を知っていて、
黙って簾をあげたという。 

雪の謎解けて御簾を巻き上げる  江戸川柳

 

「自由の木」だったこめかみの本質  山口ろっぱ

枕草子は、機知に富んだ330段の長編エッセイ集。

”夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関は許さじ”

〔夜の明ける前に、鳥を鳴かせて関守に門を開かせた計略は、

 知っているけれど、私の肉体の関所は、そう簡単に開きませんことよ〕

第62番・百人一首に採られた歌も、茶目っ気タップリで、

下心を持って訪ねてきた男友だちに、

中国の函谷関の故事を読み込み、

肘鉄をくらわしたときのことを、綴っている。

それに即座に食いついているのが江戸川柳で、 

関守は二度夜が明けて大騒ぎ

 

食いついてきたのはやはり外来魚  井上しのぶ

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「紫式部と清少納言の仲」

清少納言紫式部とのライバル関係は、

後世おもしろおかしく喧伝されているが、実際のところ、

紫式部が中宮・彰子に伺候した時期と、

清少納言が宮仕えした時期に、

2、3年のずれがあり2人に面識はない」ものと思われる。

≪長保2年(1000)に中宮定子が出産時に亡くなって、

   まもなく、清少納言は宮仕えを辞めているからだ≫

しかしなぜか紫式部は、

和泉式部赤染衛門には、好感を持っていたが、

清少納言は、あまり好きではなかったようにも伝わる。 

鏡の中の彼奴をどうにかしないと  黒田忠昭

 

清少納言は、才能が豊かで、前述のとおり、

男どもでもやり込めるような、勝気な女性。

≪枕草子の中にも、彼女の性格を如実に垣間見ることができる≫

何かというと、自分の才能を見せびらかす清少納言に対し、

紫式部は控えめで、

自分の才能を見せびらかすようなことはしない。

性格はまるで対極にある。

そんな清少納言の性格を、紫式部は、

嫌いだったのか、嫉妬したのか。 

十二単衣の下から三番目の手が  加納美津子

 

式部は日記に、 

「清少納言は。高慢な顔をして、まことにいやな女です。

利巧ぶって、いかにも学問に優れているようなことを、

言っているけれども、

よく見れば、まだまだ不充分な者です。

それなのに、なにかにつけ、

人とは違うところを表そうとばかりする。

 

そんな人は必ず、ぼろを出し、

やがては、ろくでもないことになるでしょう・・・」

と書いている。   

※ 『枕草子』=詩歌秀句、日常の観察、個人のことや人々の噂、

    記録の性質を持つ回想など、

    清少納言が平安の宮廷で過ごした頃を綴った随筆。

  

眼鏡より濁った目玉替えなさい  奥山晴生

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和泉式部紫式部と同じ「彰子サロン」の所属。

平安女流文学者中、美人度、好色度ナンバー1で、

関白・道長から大勢の前で、

「浮かれ女」とからかわれた女人。

人妻なのに複数のプリンスとのスキャンダルに始まり、

公家、僧侶から牛飼に至るまで、

言い寄る男を「もののあわれ」で、

包み込んだ肉体の天使だから、

江戸川柳の的に沢山なっていそうなものだが、

何故なのか、江戸の川柳子に人気がない。 

たんと出そうな名前和泉也  江戸川柳

 

四角四面紙風船にしてしまう  和田洋子

そんな中のエピソード、和泉の二番目の夫は、藤原保昌

保昌は、「新しい情夫はつくるなよ」と異見したものの、

和泉はどこ吹く風で男を漁りまくり。

それでも、保昌は根っからのお人好しだから、

洛内外の境の、九条あたりまで迎えにいったとか・・・。

とにかく、活発な和泉式部なのです。

≪不倫こそ文化≫と言いたげな、

平安のとんだ女丈夫であったようです。

"あらざらむこの世のほかの思い出に今ひとたびの逢うこともがな"

≪この世の思い出に、もう一度逢いたいのと、女心の未練を表白したのが

   和泉の百人一首歌≫

ここにも、ぬけぬけと・・・。 

マタタビのエキスを目薬に混ぜる  井上一筒

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赤染衛門 は、"あかぞめえもん" と読む。

藤原道長の正妻・源倫子と、その娘の上東門院・彰子に仕え、

紫式部、和泉式部とおなじサロンにいた。

紫・和泉・清少納言らと壁もなく、

また、和泉娘の小式部能因法師・喜撰法師らとも、

年の差関係なく、広く親交があり、

しとやかで、優しく、人に好かれる人であったようだ。 

生涯の今やもっとも一人静  大西泰世

 

女流歌人としては、和泉式部と並び称され、

和泉式部が情熱的な歌風なのに対して、

赤染衛門は、穏やかで典雅な歌風と評される。

百人一首・第59番 赤染衛門の歌から。

"やすらはで寝ましきものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな"

≪ためらわずに寝てしまえばよかったのに、あなた様がおいでになると、

    おっしゃったので、とうとう夜更けまでお待ちして、

  西の空に月が傾くのを一人で見てしまったことです≫

三寒四温まだ咲いていた寒椿  籠島恵子

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