忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[233] [231] [230] [229] [228] [227] [225] [224] [223] [222] [221]

曲尺で測る鯨の鼻の下  藤井孝作

nisso-8.jpg

              日宋船

平安時代末期は仏教でいう、

仏の教えが行われない「末法」の世とされ、

世の中は、乱れる一方と考えられていた。

そんな人々が、先行きに希望の持てない時代にあって、

清盛は確かな希望を見据えていた。

その視線の先にあったのは、「海」 

少し待てば五段活用いたします  山口ろっぱ

nisso-7.jpg

 

      日宋貿易

備前守であった父・忠盛に従い、

若き日の清盛は、西国の「海賊討伐」に力を尽くした。

当時の海賊たちは、

普段は、「海上運輸」に従事する者たちであった。

その中で、朝廷の意のままにならない武装した者が、

「海賊」として、討伐の対象となったのである。 

対極の悲哀に天の林とも  きゅういち

 

忠盛・清盛親子は、彼らを平定するとともに、

主従関係を結ぶことによって、

西国で勢力を拡げていく。

やがて西国で清盛は、

生涯の志を託すに足る事業を見出す。

「日宋貿易」である。 

揺らす風ならば揺られてもみようか  下谷憲子

nisso-9.jpg

 

  日宋貿易の出土品

当時中国との交易は、

大宰府で朝廷の貴族のためにのみ、行われていた。

中国の珍しい宝物を、収集するための交易であった。

これに注目した忠盛・清盛父子は、

大宰府以外の地で、この貿易に乗り出し、

次第に大きな富を築いていった。 

たてよこななめ桃源の風通し  山本早苗

nisso-5.jpg

nissso-4.jpg

 

      陶磁器

ここで平安貴族たちであれば、

富を元手に「権門」に取り入るか、

奢侈に流れた生活を謳歌したことだろう。

しかし、武士である平氏は、

武家の棟梁としての、地位を固める道を選んだ。

そのことは皇室・摂関家・源平両氏が入り乱れて争った、

「保元・平治の乱」での清盛の存在感を見れば、

明らかである。 

※ 権門=権力・勢力のある家

 

うわずみの灰汁に命をためされる  皆本 雅

nisso-1.jpg

nisso-2.jpg

nisso-3.jpg

       宋 銭

源氏より大きな武力を持った清盛は、

二つの大乱において、

勝敗の行方を左右するキャッチング・ボードを握った。

平家の武力が、

そこまで大きなものとなったのは、

「日宋貿易」による富があったからである。

宝石箱になるハコフグの系図  井上一筒

拍手[2回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開