川柳的逍遥 人の世の一家言
日宋船 平安時代末期は仏教でいう、 仏の教えが行われない「末法」の世とされ、 世の中は、乱れる一方と考えられていた。 そんな人々が、先行きに希望の持てない時代にあって、 清盛は確かな希望を見据えていた。 その視線の先にあったのは、「海」。 日宋貿易 備前守であった父・忠盛に従い、 若き日の清盛は、西国の「海賊討伐」に力を尽くした。 当時の海賊たちは、 普段は、「海上運輸」に従事する者たちであった。 その中で、朝廷の意のままにならない武装した者が、 「海賊」として、討伐の対象となったのである。 対極の悲哀に天の林とも きゅういち 忠盛・清盛親子は、彼らを平定するとともに、 主従関係を結ぶことによって、 西国で勢力を拡げていく。
やがて西国で清盛は、 「日宋貿易」である。 日宋貿易の出土品 当時中国との交易は、 大宰府で朝廷の貴族のためにのみ、行われていた。 中国の珍しい宝物を、収集するための交易であった。 これに注目した忠盛・清盛父子は、 大宰府以外の地で、この貿易に乗り出し、 次第に大きな富を築いていった。 陶磁器
ここで平安貴族たちであれば、 奢侈に流れた生活を謳歌したことだろう。 しかし、武士である平氏は、 武家の棟梁としての、地位を固める道を選んだ。 そのことは皇室・摂関家・源平両氏が入り乱れて争った、 「保元・平治の乱」での清盛の存在感を見れば、 明らかである。 ※ 権門=権力・勢力のある家 宋 銭 源氏より大きな武力を持った清盛は、 二つの大乱において、 勝敗の行方を左右するキャッチング・ボードを握った。 平家の武力が、 そこまで大きなものとなったのは、 「日宋貿易」による富があったからである。 宝石箱になるハコフグの系図 井上一筒 PR |
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