川柳的逍遥 人の世の一家言
「エピソードー清盛のやさしい一面」 清盛が若い頃の話である。 「ある人が嫌なことをしたとしても、 その人が、戯れでやったことと思い、 その人をいたわる気持ちから、 おかしくなくても笑ってあげた。 誰かが間違いをおかしたり、 ものを散らかしたりしても荒々しく声を立てることもなかった。 流れ行く一部始終を見た辛夷 山下怜依子 冬の寒い頃には、
若い奉公人たちを、 彼らが寝坊したら、 そっと寝床から抜け出して思う存分寝かせてあげた。 善人の面そおっと置いていく疲れ 山本昌乃 身分の低い召使であっても、 その者の、家族や知り合いの見ている前では 一人前の人物としてあつかったので、 その者は、大変名誉に感じて心から喜んだ。 うどんの神様 コタツの佛さま 壷内半酔 このような情けをかけたので、 ありとあらゆる人が清盛に心を寄せたのだった。 人の心を感動させるというのは、 こういうことをいうのである」 『平家物語』で知られる横暴な清盛像とは、 だいぶかけ離れている。 清盛の若かった頃の話ということだから、
「保元・平治の乱」前か、 大つぶの涙ファイルの中の染み オカダキキ 明治以降の「国定教科書」」では、 「皇室への反逆者」 として、 その「横暴ぶり」が強調された清盛だが、 平家全盛の時代から、 さほど遠くない鎌倉時代の「少年向け教訓書」の中で、 「理想の上司」として、描かれているのはおもしろい。 『十訓抄』が成立した鎌倉中期は、 平家に対する懐古の雰囲気が、 色濃い時代であったといわれる。 平家の全盛時代を懐古した『平家公達草紙』が、 編まれるのも、鎌倉初期のことである。 筆太に書いて信号青にする 谷垣郁郎 『平家物語』による、 「悪者」のイメージが定着していない時代でもあり、 平家の世を、正当に評価しようという機運が、 このような逸話を掘り起こさせたのかもしれない。 では、「この逸話の信憑性やいかに」 ということになるわけだが、 晩年の清盛は、「福原遷都」や「南都焼き打ち」など、
その活動はお世辞にも、 オーロラは強く掴むと消えてゆく 井上一筒
その一方、権力を握る前の若かりしころは、 「アナタコナタ」する「気配りができる人」だった。
「十訓抄」が、
かえって、真実味が感じられるのだが・・・ 「十訓抄の内容」
第一 人に恵を施すべき事
第二 傲慢を離るべき事
第三 人倫を侮らざる事
第四 人の上を誡むべき事
第五 朋友を選ぶべき事
第六 忠直を存ずべき事
第七 思慮を専らにすべき事
第八 諸事を堪忍すべき事
第九 懇望を停むべき事
第十 才芸を庶幾すべき事 欲張らず等身大で生きてゆく 田中荘介 PR |
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