川柳的逍遥 人の世の一家言
惟盛供養塔 "生まれてはついに死にてふ事のみぞ 定なき世の定ありけり" 「平家の道ー②」 平忠盛は、父・正盛の英才教育をうけ、 和歌・舞など宮廷的教養を身につけ、 舞によって、院昇殿を許されている。 それは、平氏一族の特性となった。 源氏には、見られなかった現象であり、
それは武門にとって、 8時にはこむらがえりになる予定 井上一筒 "行き暮れて木の下蔭を宿とせば 花や今宵のあるじならまし" 『平家物語』巻第九ー「忠度最後」 名乗らぬまま一の谷で散った忠度の箙(えびら)に結びつけられた歌 忠盛の末子・忠度(ただのり)も、 やはり父の教えに従い、藤原俊成に師事して和歌を学んだが、 源平争乱の際は、武人として活躍したものの、 平家都落ちとなった際、武人としてよりは、
歌人・平忠度の名を高からしめた逸話を、 一コマを掴みそこねて倦む座敷 富山やよい 途中、ひとり都へ引き返した忠度は、 夜半、師・俊成邸の門を叩き、 自詠の和歌一首を、勅撰和歌集に採録を依頼したのである。 俊成は、「よみ人知らず」として、 "さざ波や志賀の都はあれにしお むかしながらの山さくらかな " の一首を載せたのである。 捨てるもの捨てると軽くなる取っ手 合田瑠美子
その名を高からしめたのは、 その賀宴には、維盛の父・重盛はじめ、 宗盛や知盛ら平家一門の人々が列座していた。 その華やかな席上で、髪に桜を挿した維盛が、 右袖を肩ぬぎ、 桜萌黄の夜に、山吹の下襲(したがさね)という華麗な装束で、 「青海波」を舞ったのだ。 振り向けば風はいつもと違う風 河村啓子 維盛、時に弱冠17歳。 若々しい美貌の彼が、笛の調べにつれ、 折から春の夕明かりの中に舞う姿は、 「この世のものとは思われぬ」 あでやかさであった。 芸がないので手拍子はちゃんと打つ 徳山みつ子 さすがの権謀術策の人・後白河法皇も、 われを忘れて見惚れたが、建礼門院にいたっては、 うっとりとした眼差しで、維盛を光源氏になぞらえ、 父親・重盛をして、感涙にむせばせたという。 約束のように桜が咲いている たむらあきこ
たしかに清盛の父・忠盛は、 昇殿の栄誉を掴みとり、それをきっかけとして、 平家一門台頭の道を招きはしたが、 その忠盛にしても、我が子孫の中から、
維盛のような若者が現れるとは、 維盛入水の図
やがて、この維盛は、源氏と平氏一門が、
敵前逃亡ともいうべき、 しかも奇怪なる生存伝説すら、生んでいるのである。
忽然と生れて忽然と消える 大海幸生 PR |
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