裸一貫惜しいものは何もない 前中知栄
平正盛の墓
平家興隆の基礎を作ったのは、あくまで清盛の曾祖父正盛である。
「平家の躍進は祖父正盛から」
平清盛は、永久6年(1118)1月18日に生まれた。
平家が日の出の勢いで、力を伸ばしていたときだ。
祖父・正盛は、白河法皇の北面の武士として、
武力で法皇に仕えるとともに、数カ国の受領(国守)を歴任し、
当時は西国の大国のひとつ、
「備前守(びぜんのかみ)」を務めていた。
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受領は、国内の税の徴収を行うため、
やり方によっては、莫大な収入をあげることができる。
ということは、清盛は富裕な貴族の跡取りとして、
恵まれた環境の中で育ったといえる。
* 北面の武士=法王の身辺を守る武士。
院御所の北側の部屋に詰めたためこのように呼ばれた。
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平家がこれほど豊かになったのは、
実はそれほど古いことではない。
清盛が生まれる20年ほど前、
正盛は、実入りの小さな小国・隠岐の国守に過ぎなかった。
つま先は今夜 踵は明後日 井上一筒
承徳元年(1097)、
白河法皇の愛娘である六条院の菩提寺に、
伊賀国の所領を寄進したことで法皇の目にとまり、
若狭守、因幡守など、
徐々に豊かな国の受領に任じられるようになった。
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大河ドラマ・正盛役の中村敦夫
やがて九州や山陰で謀反を働いた源義親を討伐して、
武名をあげ、京都で1、2を争う武士に成長した。
正盛こそ、
平家隆盛の礎を築いた立志伝中の人物だったわけである。
* 源義親=源義家の嫡男、源の為義の子。
* 武士=軍事を家職とする源氏や平氏などを「軍事貴族」と呼んだ。
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父・忠盛も正盛同様、白河法皇の信頼を得て、
「検非違使」や「国守」を歴任した。
正盛・忠盛のような武士が、地位と収入を高める近道は、
法皇や摂関家などの上流貴族に奉仕することであった。
強盗や海賊の討伐、強訴の鎮圧など武力で、
治安維持に貢献する一方、
法皇のために、寺院の造営や所領の寄進をさかんに行い、
その見返りとして見入りの多い国守への転任や重任を得て、
さらに富を蓄え、のし上がっていったのである。
※ 検非違使=京の警察や裁判などを管轄する武官。
※ 強訴=大寺社の衆徒や神木や神輿を押し立てて朝廷に要求すること。
※ 重任=任期満了後も同国の守に続けて任じられること。
新人類です原色を食べている 前田咲二
[川柳瓦版 誌上競詠・『咲くやこの花賞』 のお知らせ]
皆様へ、「誌上競詠」へのご参加を心よりお待ちしております。
内容は下記の通り、ハガキにて投句してください。
2月のお題 「始まる」 選者 森中惠美子
3月のお題 「食」 選者 井上一筒
4月のお題 「衣」 選者 赤松ますみ
参加料/1年間ー(24年2月~25年1月) 2000円 (切手可)
(同人、誌友は 1000円)
締切 毎月20日
表彰 毎年3月句会で発表。(一位に優勝杯 二位~十位に瓦版特製記念品贈呈)
投句先 (572-0844)
寝屋川区太秦緑が丘11-8 川柳瓦版の会宛
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