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川柳的逍遥 人の世の一家言
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流れゆく雲に問いたいことばかり  山口ヨシエ

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「初見三献の礼(しょけんさんこんのれい)」というのが、

坂本龍馬の率いる”海援隊”では、慣習となっていた。

”これはどういう慣わしか” と言えば、

入隊した新人とか初対面の者に、まず、酒を3杯飲ませて、

座が白けないようにしたのである。

また、酒席に遅れてきた者にも、三杯飲ませた。

≪「駆けつけ三杯」の慣わしはここから始まった。

 すなわち、”かけつけ三杯”の元祖は、海援隊ということになる≫

これが人気で、ブームを引き起こし、

初見三献の礼は、酒席に加わる一般の儀式として、全国に広まった。

笑う癖泣く癖酒はおもしろい  倉益一瑤

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   料亭・花月

幕末の志士たちには、たいてい行きつけの料亭があった。

飲食の代金を、藩に回すためであったが、

密談にも、そのほうが良かったからである。

というわけで、「まあまあ三杯」とやる酒宴が、

どこの料亭でも、見受けられるようになった。

海援隊が酒席を開くには、もうひとうの慣習があって、

それを「論決饗宴」と言い、

議論を戦わせて、”一仕事終えた後”に飲んだのだ。

決して飲みながら、仕事の話を持ち出したのではなかった。

≪しらふで仕事をしてからの一杯は、さぞ旨かっただろう≫

ありのまま素顔を見せる芸もある  大前安子

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       芸妓たち

そして、「酒宴は盛大にやるのがいい」、とされた。

芸妓、太鼓持ちを左右にはべらせ、その数50人ほどを集め、

大判振る舞いをする。

威勢のよい酒宴を開くことで、

龍馬ら海援隊の一団は、勢いを誇示したのである。

”女を遠ざけ、鮎の塩焼きで閑酌する” ような藩などは、

しょせん維新に用をなさない、弱小の藩とみられていた。

海援隊は、藩の組織ではないが、

長崎・丸山の料亭・「花月」をなじみとし、

なかでも、陸奥宗光の遊蕩ぶりは、箔がつくほどであったらしい。

幸せはあいつと呼べる友がいる  撰 喜子

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   丸山界隈

『長崎・丸山』

江戸時代、幕府公認の遊郭は、全国で四ヶ所あった。

「江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町、そして長崎の丸山」 である。

塀と土塀に囲まれ、少なくない遊女が、

その内部で一生を終えた、吉原や島原とは異なり、

丸山遊郭には、比較的解放的な雰囲気が漂っていたという。

その理由は、当時の長崎がもつ、特殊な環境にあった、といえるだろう。

龍馬伝土佐は鰹とニンニクと  奥山晴生

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「丸山遊郭」の成立は、寛永16年(1639)頃のことで、

江戸幕府が、鎖国を実施する直前の時期にあたる。

鎖国によって、長崎市内のオランダ人や唐人は、一ヶ所に集められ、

丸山の遊女たちは、日本人に加えて、

外国人の遊び相手をも、務めるようになった。

外国人たちは、出島や唐人屋敷から出られないため、

必然的に、遊女たちは外出して、彼らの元へ出向くことになる。

流れにはもう逆らえぬわたしの艪  飛永ふりこ

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おもと

遊女たちは、

「日本人対象、オランダ人対象、中国人対象」、にそれぞれ分けられており、

多いときには数百人の遊女が、丸山に在籍していたという。

≪ちなみに、幕末の日本の医学・自然科学に大きな影響を与えた。

 ドイツ医師・シーボルトの日本妻も、丸山の遊女(お滝)である≫

アイライン猫に好かれるように描く  井上一筒

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開放的な”丸山遊郭”は、幕末の志士からも愛された。

長州の高杉晋作などは、三千両もの藩費を渡されて、

洋行に出発する前に、遊郭で遊び続け、

井上聞多が調達した渡航費用をすべて、遣いきったといわれている。

この時の高杉は、下関と丸山の花街をはしごして、遊んでおり、

彼の豪快さが想像できる。

富士山を担保に何を借りようか  青木公輔

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    花月のなかの様子

いっぽう、亀山社中を組織して、長崎に拠点をおいた龍馬と、

丸山遊郭の縁も浅くなかった。

龍馬は、遊女をあまり好まなかったらしいが、

当時の習慣として、花街に遊んでいた。

丸山の料亭「花月」には、

龍馬が酔って、斬りつけたとされる刀傷が残っている。

≪ちなみに、花月のあった場所にはかって「引田屋」という一流の妓楼があり、

 シーボルトの妻も、この店で働いていた≫

一癖も二癖もある人間味  山岡冨美子

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『龍馬伝』・第31回-「西郷はまだか」 あらすじ

龍馬(福山雅治)、西郷吉之助(高橋克実)から、

「長州と手を結んでもよい」 

という答えを引き出す。

龍馬は、高杉晋作(伊勢谷友介)に会うために、

陸奥陽之助(平岡祐太)とともに、太宰府に向け旅立つ。

太宰府には、都を追われた三条実美(池内万作)ら攘夷(じょうい)派の、

公家たちが、幽閉されていた。

雨降りはあしたのための骨休め  河田みどり

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龍馬らが太宰府に着くと、すでに高杉は去ったあとだった。

三条たちを警護していたのは、

かつて、土佐勤王党にいた中岡慎太郎(上川隆也)だった。

龍馬は、薩摩と長州を結びつけ、

「新しい世の中の仕組みを作りたい」 

ということを、三条と中岡に話す。

中岡もまた、龍馬と同じように、長州と薩摩が手を組めば、

幕府を上回る勢力になると考えていた。

中岡は、「下関に西郷を連れていく」

と約束して薩摩に向かう。

ちゃんと話せば分かってくれたお月さま 太田芙美代

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一方、龍馬と陸奥は、下関に向かい、桂小五郎(谷原章介)に再会。

龍馬は、桂に、

「長州と薩摩が手を結ぶことが、長州藩そして、日本を異国から守る最善の方法だ」

と説く。

龍馬の必死の説得により、

桂は、下関で西郷が来るのを待つことにする。

一方、中岡もようやく、西郷を連れて下関へと出発するが、

二人を乗せた船には、幕府の隠密が潜んでいた・・・。

≪ラストシーンで、中岡慎太郎を演じる上川隆也のお芝居が必見とか!

 中岡慎太郎の熱血ぶりが、さく裂するそーです≫

この国の未来を憂うドライアイ  木下草風

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