檜で造られた宇治橋が、
太陽の光に照らされ眩しいばかりに光っている。(各画面は拡大してご覧下さい)
「式年遷宮」-伊勢神宮
冬至の朝、一年で最も長い夜が明ける頃、
伊勢神宮内宮の宇治橋前は大勢の人々で埋まる。
橋の大鳥居の背後から朝日が昇るのだ。
太陽の昇らない日はないのに、
なぜかこの朝日はすがすがしく、神々しい。
神宮の森から一筋の光の帯が射し込むと、
空気がすっと変わった。
『お伊勢さん』と親しく呼ばれる
伊勢神宮は、
正式にはただ「神宮」という。
8万社にのぼる日本の神社の中でも、
『本宗』という別格の位置づけで、皇祖神の
天照大神を祀る。
伊勢市南部を流れる五十鈴川の川上に鎮座して2000年。
古くから崇敬を集め、
江戸期には
伊勢参りが
『一生に一度』と、
庶民の憧れの旅となった。
そして平成の今、
年間800万人もの老若男女が参拝し、その数は右方上がりだ。
なぜならば伊勢神宮には20年に1度の
『式年遷宮』がある。
この大きな祭が衆目を集め、参拝者が増加するという、
20年周期の大きな波がある。
今度の「式年遷宮」は、
平成25年、ますます注目を浴びる。
「式年遷宮」は、社殿の破損や修理のためではなく、
あくまで祭りとして社殿を建て替え、
「神様に遷っていただく」
というもの。
この制度は
天武天皇が発案され、
妻の
持統天皇によって690年に第1回が行われて以来1300年、
中絶時期を乗り越え現代まで続いている。
その歴史を紐解くと、
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら
三英傑が遷宮資金を出したり、安定化を図っていたりする。
また、俳人の
松尾芭蕉も自らの集大成といえる
奥の細道の旅を終えると、伊勢へ向かった。
「尊さに背押しあひぬ御遷宮」
元禄2
(1689)年に詠んだ一句からは、
江戸の人々の興奮も伝わってくる。
それほどに伊勢の
「式年遷宮」にこだわったのはなぜだろうか。
実は遷宮は全国の神社でも行われるが、
伊勢神宮の場合は、
社殿を建てる2つの敷地が隣接し、20年に1度、
東から西へと遷る点、同じ社殿を新しく建て、
そして、古い方は解体される点が異なる。
同じ形の社殿を建て替え続けることで、
古代の形をした社殿が新しいままに今に伝わってきたのだ。
その
「古くて新しい」拝殿を拝し、
尊いことだと芭蕉は句にしたのではないだろうか。
「式年遷宮」には、
『常若』という神道の考えが根底にあるという。
常に若々しい、新しい社殿に神様に鎮まってもらい、
その力で私たちを守っていただこうという願いだ。
私たちは
「わびさび」という古びたものへの美意識を持つ一方、
元旦の
「若水」など、新しいものには力があると信じてきた。
「式年遷宮」はただ新しいだけでなく、
「20年ごとに新しくなる」 という意味で未来にも通じている。
閉塞感が漂う現代、
「未来を信じられる」
このことが生きる力を生むのではないだろうか。
日本人は伊勢参りで『常若』の力をいただき、
活力にしてきたに違いない。
「式年遷宮準備の写真」
写真は一コマづつ拡大してご覧下さい。(画面をクリックすればかくだいされます)
伊勢神宮は、天照大御神の鎮座するご本殿は建て替えられ、
さらにご本殿だけではなく、
60棟超える社殿、神様に奉る御装束や御神宝など
約1600点もの品も、1300年前と変わらない工法を用いて、
作り直されている。
「20年に1度、2013年に迎える式年遷宮のために」
「渡始式」は、同じく新しく架け替えられた
宇治橋に、
いわば、命を吹き込む重要な神事なのだ。
内宮の神域の外、宇治橋と真っ直ぐに向き合う森の中に
饗土橋姫神社という小さなお社がある。
御祭神を
宇治橋鎮守神といい、
その名の通り宇治橋をお守りする神様がお祀りされている。
渡始式はこの饗土橋姫神社で神職の方々が祝詞を
奏上することから始まるのだ。
擬宝珠(ぎぼうし)
続いて宇治橋にて
「万度麻」という橋の安全を願うお札が
高欄の「擬宝珠」に納められると、
いよいよ、新しい橋を渡ることになる。
最初に宇治橋を渡るのは、渡女と呼ばれる高齢の女性で。
彼女が行列の先頭に立って仮橋を渡り、
神域の方から引き返して宇治橋を渡る。
そして、神宮の大宮司を筆頭とした神職の方々、
全国から集まった三代続いた夫婦、
一般の参拝者が列を成して続く。
≪ちなみに三代続いた夫婦は、家庭の円満と健康の象徴であること。
渡女の長寿と合わせ、橋の無事を願うのだ≫
橋に一歩足を踏み入れると、心地よい檜の香りが漂う。
川岸から垂れた枝に抱え込まれる五十鈴川を渡りながら、
このとき、そこにいる誰もが、
感慨深い気持ちになるのではないだろうか、
前回の渡始式からの二十年の間に、伊勢神宮には延べにして
一億人もの参拝者が訪れたという。
そしてこれからの二十年間、また同じくらい多くの人々が
この宇治橋を通り内宮を参拝することになる。
そう思うと、清々しい檜の香りは、1300年という長い歳月の中で
常に変わらずに営まれてきた神宮の歴史を感じさせてくれる。
山口祭
式年遷宮の行事は平成17年6月、
山から御神木を伐り出すためのお赦しを神様からいただく、
「山口祭」から始まり、
平成25年の遷御まで脈々と続く。
遷宮では全ての儀式が古くから伝わるやり方、
手順で行われていく。
御杣山で御神木を伐るのも、
「三ツ尾伐り」という伝統的な手法が用いられている。
幹の三方に杣夫が集まり、それぞれが絶妙のタイミングで
斧を振るっていくのだ。
カツン、カツンという音が静まり返った山中に響き渡ると、
何とも厳かな雰囲気に包まれる。
そしてその日、町に降ろされ御神木の周りに地元の人たちが集まり、
地面に落ちた木屑を大切そうに拾う姿には心打たれる。
こうした人々の神宮への思いを連ねながら、
御神木は伊勢までの長い道のりを運ばれていく。
天照大御神のお住まいを新しくする遷宮は、
「神様に捧げる真心」 だという。
全てを造り替え、新しい社殿にお遷りいただく。
いわば、遷宮は清らかなものを、
高天原の神々の頂点に位置する天照大御神に捧げ、
「国土を御守りしてほしい」 と願う日本人の感性そのものを、
受け継いできたものだとも思える。
そして過去から現在へと継承されてきたその心のあり様が、
これからやってくる、遠い未来へも確かに受け継がれていくのだ。[2回]