不条理を埋めるほど降る枯葉かな 田中博造
狩野山雪筆「長恨歌絵巻」
" 限りとてわかるる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり "
更衣の死後、帝は、『長恨歌』が書かれた襖絵を見ては、涙を流されるのだが、
絵ではとてもあの楊貴妃の美しさを描き切れていない。
楊貴妃の絵は『筆に限りあれば、にほひなし。
------(それに)唐めいたる装ひはうるはしうこそありけめ、
(更衣の)なつかしう、らうたげなりしを、思し出づるに、
花、鳥の色にも、音にも、よそふべき(比べる)方ぞなき』
とまたまた涙を流すのである。
ブランコよ淋しくないかまた明日 新井曉子
式部ー夢枕ー②
靫負命婦1歳の若宮を抱いて
「靫負命婦、更衣の里を訪ねて」
寝殿の南正面に降り立った靫負命婦を、桐壺更衣の母君(北の方)は招き入れ、
「帝のお使いがこんな草深い家にわざわざお訪ねくださり、お目にかかる顔も
ございません」といって、堪えきれず涙にくれます。 命婦も
「以前、典侍が『あまりに母君が不憫で胸がつぶれそうでした』と、
帝に報告しておりました。何も弁えない私ですら、お訪ねしてみると何とも
耐えがたいことで…」
なんとか気持ちを落ち着けて続けます。
「帝は『あの時は夢かと思ったが、今でも悲しみは増すばかり、この思いを打
ち明ける、話し相手もいない。ぜひ、内々に宮中に来てくれないだろうか。
若宮のことも気がかりなので、早く参内してほしい』との仰せです。
何度も涙にむせぶのを、平気そうにふるまわれるそのご様子がおいたわしくて
こちらも堪えきれず、早々に来てしまったような有様で」と、
帝の手紙を差上げます。 母君は、
「涙にくぐもって目も見えませんが、ありがたい仰せを先にして」と、
文をご覧になります。
血の通う手紙を乗せた貨物船 真島久美子
そこには、
「時がたっても、悲しみが絶えることはなく、若宮のこともいつも案じている。
あなたと一緒に育てられないのが気がかりで、私を更衣の形見と思って宮中
に来ていただきたい」
などと、帝の心づくしのことばが書かれています。
母君は涙で添えられた帝の歌
「宮中に吹き渡る風の音にも涙をもよおされ、若宮の身が案じられてならない」
(宮城野の露吹き結ぶ風の音に…宮中に吹き渡る秋のわびしい風の音にも、
帝は涙をあらたにしては、更衣の里にいる若宮(小萩)の身の上を案じている}
を終りまで読むことができません。
「長生きがこんなにつらいものかと、毎日思い悩むわたしが、宮中に伺うなど
思いもよりません。ありがたい折角のお言葉をたびたび頂きながら、どうして
も行くことだけは…ただ、若宮は、宮中へ帰りたがっているようです。
私としては、すぐ若宮を手放すのは寂しいのですが、若宮のお気持ちも存じて
いるつもりでございます。と、帝にお伝えくださいませ。
私は夫とも娘とも死に別れた不吉な身の上、若宮がそばで暮らすのは、縁起が
悪いこともよく承知していますので」
母君は揺れ動く気持ちを伝えます。
指というさみしいものを持っている 徳永政二
北の方・若宮迎えの牛車
「せつせつと胸の内を語る桐壺更衣の母君(北の方)」
桐壺更衣の母君は、靫負命婦に胸の内を語ります。
「子供を亡くした親の心の闇が、ここまでとは思いもよりませんでした。
お喋りをすると、いくらかは気が楽になるので、どうか次はごゆるりとおいで
下さいまし。それにしても、ここ数年はお使いといえば、嬉しいことばかりで
来て頂きましたのに、このような形でお迎えすることになるとは、返す返すも
ままならぬ命ではございます。
亡き娘には、生まれた時から期待をかけておりました。
主人など臨終の際まで『必ず娘の宮仕えを実現させよ』と、くり返していたほ
どです。私は、ろくな後見人もいない宮仕えなどしないほうがましだと思って
いましたが、何しろ夫の遺言でしたので、宮中では、身に余る主上様の愛情を
頂きましたが、それを支えにどんな意地悪にも、とにかく耐え忍んで…、とこ
ろが、それが激しくなる一方で、とにかく気苦労がつのって、結局はあの若さ
で-------今はあの子のことを想うばかり、何も目に入らない親でございます。
あの、帝のご寵愛がもしなかったら、と。かえって恨めしく感じられて」
と、涙にむせぶうち、夜も更けます。
AIには出せぬビミョウーな空気感 高橋謡々
若 宮 2 歳
若宮はもうおやすみでした。
「お目にかかって若宮のご様子もお伝えしたいのですが、帝もお待ちかねです
し、それでは夜も更けてしまいましょう」と、命婦は帰参を急ぎます。
「それは主上とて同じこと。『あんなにも愛したのも、長く添えない縁だった
からかと思うと、何とも切ない。この愛のために、他の妃たちからも恨みを
多く受け、あげくは、たった一人残されてしまった。気を鎮める術も知らず、
世間からは愚か者と思われる。
この理不尽さは何なのだ。これはいったい、どんな前世の因縁によるものか』
と、何度も申されて涙が止まらないのです」と、命婦の話も尽きません。
泣く泣く「今夜のうちに帝に返事を持ち帰らねば」と、帰参を急ぎます。
造花ならいつも笑顔でいてくれる 藤本秋声
" 鈴虫の 声の限りを 尽くしても 長き夜飽かず 降る涙かな "
桐壺 誕生50日の若宮を抱いて帝の前へ
月は山に沈みかけ、空は澄み、風も涼やかです。
草深い更衣の里で、鳴く虫たちの声は、一緒に泣けといっているように、心に
染みてきます。立ち去りがたく、命婦は、
「あの鈴虫のように、声をかぎりに泣いたとしても、わたしの涙は尽きること
はない」と、歌を詠みます。
" 鈴虫の 声の限りを 尽くしても 長き夜飽かず 降る涙かな "
母君は女房を介して、
「涙にくれている私にまた涙を流させるあなた様に、お恨みごとさえ申し上げ
そうでございます」と、伝えます。
帝に贈り物をする余裕もなく、せめてもと更衣の形見の装束一揃い、髪を結う
道具を命婦に托します。
更衣に仕えていた若い女房たちは、悲しみにくれながらも、華やかな宮中暮ら
しを思い出しては、若宮を連れて、早く参内することを勧めます。
でも母君は、不吉な身の上の自分が付き添うのもはばかられ、かといって若宮
のお世話が出来なくなるのも、気がかりと心は揺れ、すぐには決められません。
しあわせな人は静かにしてほしい 新家完司
源氏物語・花散里の帖 (土佐光則画)
花散里を訪れた源氏。待花の香りのもとで麗景殿女御と語り合う。
右上・花散里 手前は女房
「一方、宮廷では------。」
帝の寵愛を一身に受けたがため、妬まれ続けた桐壺更衣は、ついに、亡くなり
ました。その2年後。帝は悲しみに暮れていますが、皇子たちは成長し、特に、
二の皇子(後の光源氏)の生まれついての才能に世間は目を見張ります。
一の皇子の祖父・右大臣と母の弘徽殿女御は、「二の皇子が皇太子か?」と、
気が気ではありません。
桐壺帝の最初の妃で、一の皇子の母でもある弘徽殿女御には、実家に栄華をも
たらすという右大臣家の娘としての役目がありました。
そのために、是が非でも、わが子を皇太子にと知恵をめぐらせます。
桐壺更衣が亡くなってからも、帝のお召しにかからない弘徽殿ですが、その強
い性格で、宮廷にあって政治力を発揮していきます。
ひたすら耐え、精神的な重圧で命を縮めた桐壺更衣とは対照的です。
残されて孤独の夜をかみしめる 靏田寿子
古今集に「心づくしの秋」という表現がありますが、秋は物思いの季節。
まして最愛の女性を失って間もない帝は、いつになっても秋風や虫の音がいつ
になく心に染み入り感傷的になりがちです。
それを知りながら、月見の宴で賑やかな琴を掻き鳴らさせる。
弘徽殿の無神経さ、帝の心はますます離れていくばかりです。
弘徽殿にいわれるまでもなく、帝は誰を皇太子にするか頭を悩ませていました。
港の見つからないシャガールの船 赤松蛍子
帝の後継問題の本心は?
帝の本心は二の皇子(若宮)を皇太子に指名し、自分の世継ぎにすることです。
学問の才能も人望も、若宮のほうが断然優れていました。
しかし、それでは、一の皇子の祖父である右大臣も母の弘徽殿女御も、黙って
いるはずがありません。
若宮を皇太子にさせても、人々の恨みを買えば、桐壺更衣の二の舞に…。
愛する更衣の忘れ形見、若宮の幸福を探って、帝は頭を悩ませ、心が千々に乱
れる日々が続きます。
頬杖の肘は執行猶予中 森田律子
歌川国芳の連作錦絵 (早稲田大学演劇博物館蔵)
天武天皇は持統天皇の生んだ草壁皇子を皇太子に定めて亡くなったが…。
【歴史の蘊蓄-①】
兄より弟が優れていたための悲劇として知られているのが、天武天皇の二人の
皇子。兄の草壁と弟の大津の対立です。
皇位継承の最有力ながら、体が弱く、凡庸だった兄の草壁皇子に対し、文武に
秀でた弟の大津皇子。
周囲の思惑もからんで、大津皇子は、草壁皇子に対する謀反のかどで捕えられ、
自殺へと追い込まれます。長男の相続が必ずしも絶対的でなかった時代。
こうした例は何度かあったようです。
一切れのパンが僕らの法だった 栃尾奏子
女 房 た ち
桐壺更衣を亡くした今、帝のよき相談相手は、女房たちでした。
女房は家柄もよく、教養も容貌も、人並み以上の女性が選ばれたので、
失意の日々を送る帝の心を和ませるのには、格好の相手だったのです。
ただ、なかには、スパイになり、仕えている主人の足元を掬う女房もいました
から、帝とはいえ、気心の知れる女房を選んで側に置きました。
源氏物語原作に、帝が靫負命婦を更衣の里へ使いを出すシーンがあります。
荒れ果てた屋敷で、更衣の母君は涙ながらに更衣の形見である装束や簪などを
命婦に托します。
そのころ若宮は、更衣の里で暮らしていたのですが、結局は、帝のもとで育て
られることになります。 当然、住まいは宮中です。
そこで、普通は、男たちが入ることができない女性の御簾のなかまで、出入り
自由という、特殊な幼少時代を過ごします。
選ばれて危ない人になってゆく 杉本光代
帝の女御のひとりが住まう麗景殿にて若宮は、幼い少女に出会います。
「花散里」と呼ばれるこの少女は、やがて成人した若宮の恋人のひとりになり
ます。花散里は、容貌こそ人並みですが、奥ゆかしく家庭的な女性で、紫式部
自身がモデルになっているといわれています。
光源氏をやさしく温かな愛情で支え続けます。
(原作には二人の出会いの経緯は描かれていませんが)花散里が女御であった
姉の麗景殿のもとに出入りしているうちに、親しくなったそうです。
何だろう暗いけれど明るい絵 徳永政二
【歴史の蘊蓄-②】
男と女の恋愛作法や心の機微を、平安女性はどのようにして学んだのだろう。
平安時代の少女は、乳母や女房が語る物語から、恋愛を学んだようです。
内容は、ホラーやラブロマンス、継母が子をいじめる物語が人気で…。
主人公の少女が母親を亡くし、やって来た継母にいじめられ、その後、素敵な
男性が現われて結婚する…。まるでシンデレラのような物語が、千年前の女性
たちにも人気だったというのだから、今も昔も恋愛事情はかわらないようです。
さて私も朝のコーヒー生きかえろ 森光カナエ
若宮は、父親である帝のもとで育ったために、帝の妃たちが住む後宮を自由に
歩き回ることができました。高貴な女性が男性に顔をみせることなどめったに
なかった当時、幼年とはいえ、たくさんの、しかもよりすぐりの女性と当たり
前のように接することなど、ふつうには考えられないことでした。
後の光源氏の、女性に対する態度や考え方に、この環境がかなり影響していく
ことになります。
しがらみを背負って舵を取っている 山本昌乃
橘 の 花
橘の花は過去をしのぶよすが。
初夏に白い花を咲かせ、秋には柚子ににた香りの小さな果実をつけます。
後に、華やかで激しい女性関係をくり広げる光源氏ですが、花散里との恋愛は
すこし違います。どこまでも、ほのぼのとした安らぎのある関係を、培ってい
きます。花散里とのその穏やかな愛は、光源氏が波乱の人生の幕を閉じるまで
続くことになります。この花散里と縁の深い橘はミカン科の常緑低木。
古くから「追憶」や「回想」といったニュアンスに結びつけて語られることが
多い樹木です。
初デート満月たまに雲隠れ 下林正夫
【歴史の蘊蓄-③】
花散里は、桐壺帝のお妃のひとり麗景殿女御の妹です。
源氏物語では、二人の間に恋愛関係が、それとなく描かれているだけで熱愛の
相手とはいえないものの、そのつつましく、上品で控え目な性格から、
源氏は、花散里に厚い信頼を寄せていました。
地味な存在ながらも、後には源氏の邸宅、六条院の夏の風情を表した館「東北
の町」の女主人として迎えられます。
(因みに、花散里と麗景殿女御の里邸があったと思われる中川のあたりは、
紫式部の生まれた場所ともいわれています)
熱情に左脳が水を差してくる 上坊幹子
[5回]