川柳的逍遥 人の世の一家言
酒蒸しのアサリ開かぬ奴がいる くんじろう
紫 式 部 檜 扇 17世紀、江戸時代初期の作、紫式部を描いた金箔をはった扇子
通説によると、紫式部は、藤原道長の推薦で1005年(寛弘2)12月
29日に中宮・藤原彰子のもとに初出仕するが、ほどなくして自宅に引き篭 もってしまう。 紫式部が宮仕えにあまり気もすすまず、思い悩んでいるときに人が、
「ずいぶんと高貴な人ぶってる」「教養をひけらかす女」と、陰口を言って
いるのを耳にしたからである…。 後ろからひやりと肩を叩かれる 宮井いずみ
"うきことを思ひみだれて青柳の いとひさしくもなりにけるかな "
(嫌なことを思い悩まれて、里下がりが青柳のように長くなりましたね)
宮の弁のおもとが、いつ参内なさるのですか、と歌を贈ってきた。
それに答え、紫式部はおもとへ返歌を送った。
" つれづれとながめふる日は青柳の いとど憂き世に乱れてぞふる "
(長雨が降る日は、ますます嫌な世の中に悩まされ、柳の枝のように思い乱れ
て過ごしています)
人嫌いを憂鬱にする花便り 藤本秋声
中宮彰子び教育担当になった紫式部
紫式部だって、もともとはそんなに身分は低くなく、地元では蝶よ花よと育て られた身。 いやいや仕事をする必要はない。
ところが突如不幸が訪れる。
紫式部が夫(藤原宣孝)と結婚し、一児の母になったと思いきや、夫が急死し
てしまうのだ。 突然未亡人になる。 そんな時、「宮中で働かない?」とスカウトされた。
女房として働き始めた彼女にとって、宮中での生活は、苦労も多い場所だった
らしい。
" わりなしや人こそ人といはざらめ みづから身をや思ひ捨つべき "
(しかたないとはいえ。人は私を人並みとは言わないだろうが、
自ら自分を捨てることなどできるのだろうか)
そして5か月ほど引き篭もって再び出仕すると…、教養のない女を演じ始めた
のである。
ヘタ切り落とすと大人しくなった 竹内ゆみこ
思 い 悩 む 紫 式 部 乱れた男女関係に苦悩する紫式部も苦悩
宮中に仕える「女房」は必ずしも名誉ある仕事ではなかった。
式部ー紫式部の女房生活------愚痴と文句と悪口と
「寒い、寒い、もうこんな仕事いやだ」
中宮彰子が、私邸から内裏へ帰ってきた日のこと。
里帰りに一緒に着いていった紫式部は、中宮が、内裏へ戻るタイミングで一緒
に帰って来る。
しかし、帰ってきたらもう夜も更けていた。
京都の冬の夜、そのへんの部屋でとりあえず寝ようとするにも、寒い。
紫式部は同僚と一緒に「寒い、寒い、もうこんな仕事いやだ!」
と愚痴を言い合っている。
感情を製氷皿に注ぐ夜 渡邊真由美
【原文】
『細殿の三の口に入りて臥したれば、小少将の君もおはして、なほかかるあり
さまの憂きことを語らひつつ、すくみたる衣ども押しやり、厚ごえたる着重 ねて、火取に火をかき入れて、身も冷えにける、もののはしたなさを言ふに、 侍従の宰相、左の宰相の中将、公信の中将など次々に寄り来つつとぶらふも、 いとなかなかなり。 今宵はなきものと、思はれてやみなばやと思ふを、人に問ひ聞きたまへるな
るべし』 なるようになるさと月が笑いかけ 掛川徹明
二人の宰相が紫式部ら女房の部屋を覗きにくる、奥には仲間の女房がいる
帝の土御門邸行幸翌日の10月17日、中宮権亮藤原実成と中宮大夫藤原斉信が、
紫式部のいる「宮の大夫の局」を訪れる。
呼び掛ける実成と斉信(ただのぶ)、蔀戸越しに顔をのぞかせる紫式部。
直衣姿の男性が藤原実成(右)と直衣姿の男性が藤原斉信(ただのぶ)【訳】 局で私が横になっていると、同僚の小少将の君もやってきた。
「宮仕えの仕事って、きついし、つらいよねえー」
そこで女同士の愚痴やら、とりとめもない文句や世間話が始まった。
紫式部は、寒くてしょうがないので、とうとう私たちは、寒すぎて硬くなった
衣を脱いで、横に置き、綿入りの分厚い衣を重ね着することにした。
そして香炉に火をつけてあったまる。
「しょうがないんだけど、こんなみっともない恰好しちゃって恥ずかしいわ」
と2人で嘆き合うのだった。
そんなところへ間も悪く、侍従の宰相、左の宰相の中将、公信の中将など
たくさんの男性たちが挨拶をしに来た。
同じ愚痴持ち寄り午後のカフェテラス 吉川幸子
「何でこんな恰好してる日に限って来るわけ! もう今夜は、いないものだと思
われたいんですが!」 と、口には出せないものの、心はぶちぎれた。
「たぶん誰かが、今日はあの子たちがここにいるよ、って言ったんでしょう!」
「明日朝早く出勤しますね~。今日は寒すぎて、ゆっくりお話もできませんし」
と、言いつつ、そそくさと帰る男性陣の後ろ姿を見つめ。
「あんなに早く帰りたがるなんて…家で素敵な奥様が待っていらっしゃるのね」
(心の声は)…「いや、これは私が未亡人だから言ってるんじゃなくて…」
と言っている。
なんだったんだろう さっきに嵐は 清水すみれ
【原文】
『「いと朝に参りはべらむ。今宵は耐へがたく、身もすくみてはべり」
など、ことなしびつつ、こなたの陣のかたより出づ。
おのがじし家路と急ぐも、何ばかりの里人ぞはと、思ひ送らる。
わが身に寄せてははべらず』
忍耐もここまで眉が描けない 靏田寿子
「紫式部の本音」
寒いなか、なんとか同僚と身を寄せ合って寝ようとしているのに、
仕事場の男性たちが来て、相手をしなければいけないことに、内心腹立たしく
思っている紫式部。 「今宵はなきものと思はれてやみなばや」なんて、
「今夜はもういないもんだと思ってくれ~」
という本音がかなり出ている。
潮時ですからとソーダー水の泡 みつ木もも花
【原文】
『かうまで立ち出でむとは、思ひかけきやは。
されど、目にみすみすあさましきものは、人の心なりければ、今より後の おもなさは、ただなれになれすぎ、ひたおもてにならむやすしかしと、 身のありさまの夢のやうに思ひ続けられて、あるまじきことにさへ思ひかか
りて、ゆゆしくおぼゆれば、目とまることも例のなかりけり』 バランスを立て直すとき歎異抄 星井五郎
「そんなことより仕事が嫌だ」
「私も昔は、こんなふうに人前に出て働くことになるなんて、想像もしてなか
った。でも人間って慣れるもんだから、私もいつかは仕事に慣れて、図々しく 人前に出て、顔をさらしてもなんとも思わなくなるんでしょう…ううっ、
想像しただけでそんな自分、絶対に嫌~!」
女房仕事文化に染まった将来の自分を想像した私は、「ほんとうに無理」
と、ゾッとしてきて、華やかな儀式も目に入ってこなかった。
潮時ですからとソーダー水の泡 みつ木もも花
嫌な宮仕えも読書・執筆が…一番落ちつくときである 「顔をさらす」ことに抵抗感がある」 とにかく女房の文化に慣れなかった、いや慣れたくなかった紫式部。
「顔をさらす」必要のある仕事に、かなり抵抗があったらしい。
しかし、彼女が仕事に対して、無気力だったかといえば、そうでもない。
実は、紫式部日記には、職場の同僚たちの仕事っぷりに対する批判もきっちり
記録されている。 とある貴族の男性がやって来て、女房たちに仕事を頼んだ日の日記。
その時の対応があんまりだった…と紫式部は嘆いているのだ。
風向きに尻尾を振った身の不覚 石田すがこ
先日、中宮の大夫がいらして、女房に、中宮様への伝言を頼む、という機会が
あったのだけど、身分の高い女房たちは、恥ずかしがって、来客者に顔も合わ せず、そのうえ誰もはっきりしゃべらない。 ちょっと声を出したとしても、小さい声だけ。
みんな言葉を間違えるのを、怖がって恥ずかしがっているのでしょうけれど……
それにしたって、対応する女房が一言もしゃべらないし、姿も見せないなんて
こと、ある!? ほかのところの女房たちは、そんな仕事の仕方、してないはず。
もともとの身分がどんなに高い方でも、いちど女房として、仕事を始めたから
には、郷に入っては郷に従えなのに! こちらの皆様はお姫様気分のままみたい」 いつも逃げる用意をしてる心太 赤松蛍子
【原文】
『まづは、宮の大夫参りたまひて、啓せさせたまふべきことありける折に、
いとあえかに児めいたまふ上臈たちは、対面したまふことかたし。
また会ひても、何ごとをか、はかばかしくのたまふべくも見えず。
言葉の足るまじきにもあらず、心の及ぶまじきにも、はべらねど、
つつまし、恥づかしと思ふに、ひがごともせらるるを、あいなし、 すべて聞かれじと、ほのかなるけはひをも見えじ。
ほかの人は、さぞはべらざなる。
かかるまじらひなりぬれば、こよなきあて人も、みな世にしたがふなるを、 ただ姫君ながらのもてなしにぞ、みなものしたまふ』 あたふたと逃げ出したのは洗面器 木口雅裕
「紫式部 反省と妥協」
職場の同僚に、「ただ姫君ながらのもてなしにぞ、みなものしたまふ」
(みんなお姫様気分でいるみたい)と書くなんて! なんて切れ味の鋭い批判
なんだ!と苦笑してしまう。 キレキレの悪口である。 しかも、もともとが、身分の高かった人に限って、女房仕事をするとなると
お姫様気分でうまくいかない…なんて、職場の人物描写として意地は悪いが、 気持ちはわかる。
私ではなくなる前に懺悔録 遠藤哲平 PR 近頃は塩をまきたい事多し 中野 稔
紫式部に歌を所望する道長
私は世間では取るに足らない存在だとわかっているけれど、
それでも物語によって人と関わっているとき、恥ずかしいことやつらいこと
から逃れられた。
でも、宮中で働き始めて、恥ずかしさやつらさを、
1つ残らずすべて思い知っている。 なんてつらい人生なんだ。 落ち込んだ心いまだに薄曇り 靏田寿子
式部ーちょっと語り
「道長と紫式部の怪しい関係」
中宮の彰子さまのもとに出仕する以前より、源氏の物語の一部が貴顕の方々の
お目に触れておりましたため、宮仕えの間、ことあるごとに物語を引き合いに
出して、お話なさる方が多うございました。 とりわけ、なにかにつけて、私をからかわれたのが左大臣・道長殿でした。
” すきものと名にし立てれば見る人の 折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ "
(あなたは色好みだと評判だから、あなたに会って、何もしないで
済ますひとはいないだろう)
現在ならばセクハラ・パワハラとも言うところでしょうか。
ぞっこんと昔は書いたラブレター 原 洋志
藤 原 道 長 ある時など、かの「源氏」を書いたほどの女性だから、
「さぞや色好みに違いない」といった意味の歌を書いてお寄越しになられまし たので、少々腹立たしく思いながらも、
" 人にまだをられぬものを誰かこの 好きものぞとは口ならしけむ " (私は、まだどなたともよい仲になったことなどありませんのに、
誰が色好みなどという評判を立てたのでしょう。
びっくりいたします)
と、ご返歌申し上げて、やんわり殿をかわしたこともございました。
言い勝ってどこか寂しい萩の花 柴辻踈星
その程度のことでしたらまだしも、我慢のしようがございますが、その歌の
やりとりの後、ある晩、私が渡殿に寝ておりましたら、夜更けに戸をしきり と叩く音がするではありませんか。 あまりの恐ろしさに、声をあげることもできず、眠ることなどかなわず、
じっと身を硬くして一晩を明かしました。 " 夜もすがら水鶏よりけになくなくぞ まきの戸口にたたきわびつる "
(一晩中、水鶏(くひな)よりも熱心に槙の戸口を叩いたけれども
戸口を開けてくれないので、がっかりした)
言い負けてちょっと嬉しい胸のうち 津田照子
紫式部の部屋を訪う道長
犯人は、誰あろう道長殿、翌朝になって、 「戸を開けないとは、ひどいではないか」と、 恨みごとのお歌を寄越されましたが、いったい何が面白くて、このような おからかいなさったのでしょう。 " ただならじとばかりたたく水鶏ゆゑ あけてはいかにくやしからまし "
(ただごとではないほどに戸口を叩く水鶏でしたから、戸口を開け
たらどんなにか悔しい思いをすることになったでしょう)
「戸を開けていたら、さぞや後悔なさったことでしょう」と、
しっかりお返事を差上げました。
もちろん、色恋のほのめかしを上手に歌に詠みこんで贈答し合うことは、 雅な方々の社交の一種でもあったのですが、どうやら「源氏」の作者ならと、 私は必要以上に色事の達人とみなされていたようです。 (道長と紫式部の怪しい関係は、大河ドラマ「光る君へ」の内容とちがって
いるようです)
もう朝というのに月は帰らない くんじろう
紫 式 部 と 倫 子 「道長は恐妻家だった」 【原文】
『宮の御前、きこしめすや。仕うまつれりと、われぼめし給ひて、
「宮の御ててにてまろ悪ろからず、まろが娘にて、宮わろくおはしまさず、
母もまた幸ひありと思ひて、笑ひ給ふめり。
「よい男は、持たりかし思ひたんめり」
と、戯ぶれ聞こえ給ふも、こよなき御酔ひの紛れなりと見ゆ、さること
もなければ、騒がしき心地はしながら、めでたくのみ聞きゐさせ給ふ。 殿のうへ聞きにくしとおぼすにや、渡らせ給ひ
ぬるけしきなれば、「送りせずとて、母うらみ給はむものぞ」とて、
急ぎて御帳の内を通らせ給ふ』
よろけるとコントのようと娘が笑う 小川 道子
【訳】 (「あなたの父さまとして、俺は悪くない男ですし、俺の娘としても、あなた
は悪くはない。そして、きっとお母さまも、 『私はこんな人の妻になれて幸運だわ』と、思ってほほえんでいるのです。 「いい夫をもったわ~と思ってらっしゃるのだ」
道長さまはそう冗談をおっしゃっていた。
たぶん、すごく酔っている。私は大丈夫かいなと思ったが、中宮様は、
楽しげに聞かれているみたいだった。
が、奥様は「こんな発言聞いてらんないわ」と思ったらしい。
自分の部屋にお戻りになってしまった)
おみくじは凶「酒に注意!」と書いてある 新家完司
襖の陰で何おか囁き合いクスクス笑っている女房たち 「ああ、お母上を部屋まで送らないと。後で機嫌が悪くなっても困るし」と、
道長さまはおっしゃって、急いで御帳台をくぐる。
奥様の後を追うのだろう。
続けて道長さまは、「中宮、あなたより母上を優先するのは失礼だと思われ
るかもしれませんが、親があるからこそ子もちゃんとしてられるものですよ」 とつぶやかれる。
女房たちはくすくす笑いながら、道長さまをお送りした。
触ったら叱られそうな言葉尻 ふじのひろし
道長の妻・倫子は、当時においては珍しく夫に対等な姿勢をとる女性だった
らしい。それもそのはず、倫子からすれば、道長に土御門邸を「あげた」の は自分なのだし、そもそも倫子が父母から譲り受けた邸だ。 身分だって、倫子の父の地位が高かったからこそ、道長は今の権力まで手に
できたのだ。 倫子という妻がいて、幸運なのは道長のほうなのである。
(これじゃ、さすがの道長も頭があがりませんわなー)
滑稽に語れば楽になる昨日 清水すみれ 凭れずにそっと寄り添う距離にいる 佐藤 瞳
貝覆いの貝は、女性の掌中に握るのに適した大きさ(横9㎝・縦7,3㎝)の、
伊勢国二見産ハマグリを用いました。殻の内面には紙を貼り、
『源氏物語』などの絵をかき(左右一対の殻には、同じ絵を描いた)
金箔などで極彩色に仕上げ、ふっくらと盛り上がった金色の雲に囲まれて、
その華麗さは見るものの目を奪われます。
二枚貝の二枚の殻は、もともと対になっていたもの以外とは合いません。
この性質を利用した遊びが「貝合わせ」です。
ふっくらのおかめで敵をつくらない 安土理恵
遊び方は、我々がやるトランプの神経衰弱と同じで、全体を二つに分け、 その一方は伏せて出し、地貝のなかから形と表面の模様を頼りに対の貝を
みつけていきます。
二枚の貝の内側には、同じ絵が描かれていて、対かどうか確認します。
平安時代の「物合わせ」の一種から発達したこの遊びは、室町時代から
上流階級に広まり、江戸時代に女の子たちの間に広く普及しました。
少女たちは、雅やかな王朝の世界にこころ馳せたことでしょう。
君のそのいたずらっぽい目が魅力 木口雅裕
貝 桶
稲妻文金銀梨地蒔絵に牡丹唐獅子と三つ葉葵紋を施した蒔絵で、
緋色の紐が結ばれている。
絵の貝桶は備前岡山藩の池田家伝来で、千姫の娘、本田勝子が
池田光政に輿入れした時の婚礼調度のひとつといわれている。
「二夫にまみえず」という当時の道徳観と結びつき縁起のものだった。
式部ー貝合わせ
1,絵合(えあわせ)
光源氏と藤壺のあいだの子である冷泉帝は、とりわけ絵を
好まれた。その妃、梅壺女御と弘毅殿女御とが物語絵合わせで、
絵の優劣を争っている。
QRコードが出たら進めない 楠本晃朗
6,末摘花(っすえつみはな)
忍び会う仲の素直で優しい夕顔の死後、
「代わるような女性に巡り合いたい」ものと願っていた光源氏、
そんな折に末摘花という女性のことを聞きつけて、末摘花の箏を
聞いている。
空虚へ飾る一輪の露草 森井克子
5,若紫(わかむらさき)
北山に加持僧を訪ねた狩衣姿の光源氏。
ある庵室の小柴垣から覗き見をすると、そこに、憧れの藤壺にそっくりの
少女を見つけ、やがて自邸に引き取る。
時計屋へ過去を覗きに引き返す 木戸利枝
9,葵(あおい)
幼い紫の上を賀茂の祭に連れ出そうと、碁盤の上にのせて、
自ら髪を梳いてやる光源氏。心やすまらない日々の中で、
引き取って育てている少女の可愛らしさが、安らぎだった。
瞬きを忘れがちなのべっぴんは 酒井かがり
24、胡蝶(こちょう)
春三月、光源氏の正妻となった紫の上の御殿には花開き、
鳥もにぎやかにさえずり、それは美しいものがあった。
源氏はその庭の風情を人々に見せようと、船楽を催す。
薫風の森は小鳥のコンチェルト 池田みほ子
29、行幸(みゆき)
12月の雪が散るなか、桂川の西に開ける大原野に、
冷泉帝の鷹狩りの行幸が盛大にとりおこなわれる。
玉鬘(たまかずら)は行列の中に父・内大臣の姿をみつける。
まばたきの向こうで何がはじまるか 東川和子
30、藤袴(ふじばかま)
源氏の養女として育てられた玉鬘を源氏の長男夕霧が訪ねてきて
「姉弟としてではなく」と手に持っている藤袴を御簾の下から
さしだして、胸中をうち開ける。
友達以上愛人未満ケアハウス 田口和代
51、浮舟(うきふね)
情熱的で奔放な匂宮は薫(かおる)を装い、薫の思い人である
浮舟と強引に契りを交わす。その後、再び宇治をおとずれ、
舟に浮舟を乗せて連れ出し、対岸の小島で愛を誓う。
求婚のバラ一本のコンチェルト 山本早苗
「貝合わせーその歴史」
貝合わせとは、平安貴族が蛤の形や大きさ、色合いなどを題材にして
歌を詠み、その出来栄えを競う遊びでした。
はまぐりの貝殻の左右を切り離し、片方を貝桶に入れ、もう片方を円形に
伏せて並べ、貝桶から出した1枚と対になる貝を見つける遊びは「貝覆い」
(かいおおい)と呼ばれていました。
「貝覆い」は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、子女の遊びとして
始まり、その後「貝覆い」遊びが「貝合わせ」と呼ばれるようになったと
言われています
また貝合わせに使用する貝殻を「合わせ貝」と言い、合わせ貝は全部で
180個、つまり360枚もの貝殻を1セットとして遊ばれていました。
地貝の数が減るまでは、かなり大変で難しいことが想像できますね。
模様や大きさ、形などを目印にして探していたそうです。
あこがれの君が私の前をパス 井上恵津子
貝合わせは定番の遊びとして長い間愛され続け、江戸時代になると
貝殻の内側を蒔絵や金箔で美しく装飾するようになりました。
この装飾が凝っていくにつれて、有名な和歌の上の句と下の句を、
それぞれ地貝と出貝に書き分けて貝合わせを行う「歌貝」に発展します。
この歌貝は近世になると貝の代わりに紙の札を使って遊ばれるようになり、
やがて、今でも親しまれている遊び、「百人一首」として定着しました。
また、対になる貝は、決してお互いを違えないということから、
「夫婦和合」の象徴ともされました。
貝合わせの貝を入れるための貝桶は嫁入り道具にもなっており、
現代でも人前式の結婚式において「貝合わせの儀」は残っています。
花道のほかは歩いたことがない 竹内ゆみこ かきむしりキンカン塗ってまた塗って 藤田武人
紫式部 (土佐光吉筆) 「源氏物語」には、500人にも及ぶ登場人物が織りなす、人間模様が描かれ
ている。一般に、多数の人々が、それぞれの思惑のもとに入り乱れて行動する
状況を思い浮かべると、多くの場合、混沌としていてつかみどころなく、
したがって、その状況を的確に文章で表現することは、極めて困難なことだっ
ただろう。ところが「源氏物語」では、読み手は、不自然さを感じることなく、
また、矛盾を感じることもなく、人間模様を読み取っていく…。
その積み重ねの結果、紫式部は、人々の心の動きを的確に理解することが
できるようになり、さらに、それらの人々が織りなす人間模様を、明瞭に
心の中に、思い浮かべることのできる能力をも身につけた。
赤食べて黄色も食べて青食べる 東川和子
「紫式部日記絵巻」 (蜂須賀本)
彰子に「白氏文集」の「新楽府」を進講する紫式部
式部ー紫式部が観察する人間模様
例えば、
光源氏は、幼いころに母親を亡くし、祖母とも死別して、ほとんど故事同然の
立場で、桐壺帝の手元で育てられた。
宮中の艶やかな女性たちの中にあって、軽口をたたきながら、華やかに振る舞
っておられる帝の姿だけを見て、成長した光源氏は、夫と妻の情愛や親子の情
などを感得する機会をもつことができなかった。
そのような成長過程をたどった場合、どのような人物になるであろうか?
と、紫式部は、突き詰めて考え筆をすすめていった…。
その結果、自己中心的で自分以外の者はあくまでも、他人であるとしてしか
見ることのできない、そういう人物像が浮かび上がってきたのである。
バランスシート山椒魚がすんでいる 西澤知子
スズメが飛んでゆくほうを眺める紫の上 「紫の上の場合」 紫の上は、聡明ではあるが、世間のことをよく知らない純情な少女であった。
光源氏によって、二条院に連れ込まれ、いつの間にか、源氏の愛妻の立場に
置かれている。母親を亡くし、父親に頼ることができない以上、源氏を頼り
にする以外にない。だから、源氏が須磨に退去した際には、必死になって、
留守を守ったし、源氏の身の上を案じ続けた。
このような2人の関係において、何が起きるか、源氏にとって大事なことは、
わが身である。だから、須磨への退去の理由について
平気で嘘をつくし、明石で明石の君と親しくなり、子をなす間柄になっても、
さほど良心の呵責に悩むこともない。
これに対して、紫の上の側からみれば、源氏の裏切りである。
このように、二人の思いに齟齬がある以上、いずれかの時点で破局を迎える
のは、必至である。
ここに紫式部は、光源氏は「自己中」であるように描いた。
バランスを崩し芸術らしくする 加藤ゆみ子
絵 合 光源氏と藤壺の間の子である冷泉帝は、とりわけ絵を好んだ。 その后・梅壺女御と弘徽殿女御とが物語絵合わせで、絵の優劣を競っている。 弘毅殿大后の場合 弘徽殿大后(朱雀帝の母)は、かつて桐壺帝の女御であったころ、帝が寵愛さ
れた桐壺更衣や、その子である光源氏に強い敵意を抱き、さらに藤壺をも激し く憎悪した人である。 桐壺帝が退位されて冷泉帝(桐壺帝の第十皇子)が、帝の位につかれると、
政治権力は、右大臣の政敵であった左大臣と内大臣になった光源氏に移った。 今では、弘徽殿大后は、皇太后であるとは言うものの、かつての権勢を完全に
失った。そのころのことである。 『大后は、うきものは世なりけりと思し嘆く。
大臣はことにふれて、いと恥ずかしげに仕まつり心寄せきこへたまふも、 なかなかいとほしげなるを、人もやすからず聞こえけり』 (弘徽殿大后は、現在の境遇を情けないものと嘆いているが、光源氏は、
折あるごとに、大后に対して「丁重な心遣い」を示す。
かえって大后が気の毒なくらいで、世間の人々も、訝しいことだと噂している)
これからのことが黙って立っている 藤本鈴菜
筝を手に庭で音楽を朗らかに楽しむ光源氏 光源氏は、自らに対して害意を抱いた者を許そうとしない人である。
しかし、あからさまに復讐するような、単純思考のひとでもない。
相手からも、世間の人からも、非難されない方法で、復讐することを
考える人である。
その方法とは、常識では考えられないほど、仰々しく心遣いを示すこと。
そうすることによって、自分が勝ったことを相手に誇示し、相手を屈辱感で
打ちのめすことになる。
心の奥まで触れたがる土足 松浦英夫
冷泉帝が朱雀院に行幸された帰途、弘徽殿大后のところに立ち寄られた。
すでに太政大臣になっている光源氏も、同行している。
大后はすっかり年老いた感じである。
帝と源氏は、大后とお見舞いの挨拶などを交わしただけで、長居をせずに
帰っていく。
帝と源氏が帰っていく様は、威風堂々たるものである。
『のどやかならで還らせたまふ響きにも、后は、なほ胸うち騒ぎて、いかに
思し出づらむ、世をたもちたまふべき御宿世は、消たれぬものにこそ、と いにしえを悔い思す』
(-----大后の胸が騒ぐ。権力者となる強運の持ち主である光源氏を、
ついに消し去ることが出来なかった、と、大后は昔を思い返して悔いる)
金魚鉢から金庫破りを見る金魚 くんじろう
大后の騒ぐ胸とは……
『老いもておはするままに、さがなさもまさりて』
(老いが進むにつれて、意地悪さもますます高じてきて)と、されていること
などから、実は、「いくら強運の人であっても、もっと巧妙に、策を巡らせば 消し去ることができたであろうに…」と、 紫式部は、大后のこころのうちを看破する。
シーソーの向かいに乗ったはずの女 真鍋心平太
紫式部は、まわりの人々の挙措動作を常に注意深く見つめている。
それらの中に、紫式部の心のセンサーが敏感に反応するものがある。
その瞬間、紫式部の頭脳は、急速に回り始める。この頭脳の動きは、
紫式部の知的遊戯に始り、長年にわたってこれを繰返すことによって、
記憶の内容は充実したものとなり、推理のレベルは高められるようだ。
北風が腕を回して来るのです 合田瑠美子
紫式部の物語ー執筆にむかうまなざし 「道長の正妻・倫子をみつめた式部のまなざし」
敦成親王の五十日の祝いの席…有頂天になって喜んでいる道長が、
「倫子もよい男を夫にしてよかったと思っているでしょう」
などというのを聞いて、倫子は席を外そうとした。
倫子の態度を見て、紫式部は、信頼に足りる人だと確信したらしい。
何気なく見ていると、そのまま見過ごしてしまいそうな場面である。
このような場面で、紫式部の心のセンサーは、敏感に反応する。
派手な尾行はやめておくれよお月さん 酒井かがり
「中宮彰子について」
『あかぬところなく、らうらうじく(気が利いていて)心にくくおはします
ものを、あまりものづつみせさせ給える御心に』 (何の不足もなく、上品で奥ゆかしい性格だが、あまりに遠慮しすぎる嫌い
がある)と思われる、女房に対しても、それがブレーキとなり、
『「何とも言ひ出でじ」「言ひ出たらむも、後やすく恥なき人は世に
難いもの」と、思しならひたり』
(「何も言うまい」と自分を止めたり「頼りになる女房など稀なのだから、
言っても仕方がない」)と、諦めたりすることが常になっていると、彰子を、
紫式部は見ている。
トラウマのウですしっかり覚えてる 山本昌乃
引き続き紫式部は、こう記す。
『げに、ものの折など、なかなかなることし出たる、おくれたるには劣りたる
わざなりかし。ことに深き用意なき人の、所につけてわれは顔なるが、
なまひがひがししきことども(ひがみっぽいことなど)、物の折に言ひだし
たりける、をまだいと幼きほどにおはしまして、「世になうかたはなり」と、 聞こしめし、おぼほししみにければ、ただことなる咎なくて過ぐすを、ただ、
めやすきことにおぼしたる御けしきに、うち児めいたる人の、むすめどもは、 みないとようかなひ、聞こえさせたるほどに、かくならひにけるとぞ、心得 て侍る』 (かつて、深い思慮もなく職場で我が物顔に振る舞っている女房がいて、
「どうも見当違いの数々をある特別の折に口にした」「なかなかなることを し出でたる」失態である。 幼い彰子はこれを聞き、「世になうかたは」(世の中に滅多とないこと)と
感じて、それが心に染みついたという。) この体験が彼女を、いわば積極性拒否症にしたと、紫式部は、考えた。
流れない川が私の胸にある 野田和美
一人の女房の失敗が何ほどのものだろうか。
彰子はそこで、彼女の失態を女房のみならず、自らへの教示として、
「おぼほししみ」て受け止めてしまったという。 (世の中をたいそう辛いものだ、と心にしみて、感じること)
その強い感受性、人にも我にも人前での過ちを許せない完全主義が、翻って
積極的に振舞って失敗することへの怯えとなり、彼女を委縮させた。
消極性の殻に閉じこもり安息を得る、そうした少女期の繊細な心理が、
そのままに、彰子の性格の殻を作ってしまったものと、紫式部は推察した。 このような鋭い「人間観察力」こそが、人々の心の動きを的確に理解し、
人々が織りなす人間模様を明確に心の中に思い浮かべることのできる紫式部 の能力の源泉であり、天才作家たる所以だろう。 人間を塩と砂糖に分ける癖 ふじのひろし フィボナッチ数列に正される目鼻 山本早苗
長恨歌絵巻 (狩野山雪筆)
白楽天の漢詩「長恨歌」をもとに描かれた日本の絵巻物。
玄宗は、道士に命じて楊貴妃の魂を求めさせた。
道士は、海上の仙山で楊貴妃に会い、しるしの「箱と簪」を持ちかえる。
源氏物語では、靫負(ゆげ)の命婦がその役目を果たしている。
命婦は、更衣の里を訪ねて、更衣が残して逝った「装束」を帝のところに
持ち帰るのである。
しかしそれは簪ではなかったし、更衣の魂のあり所もわからないままである。
帝の心は晴れない。
『尋ねても行く幻もがな、つてにても魂(たま)のありかをそこと知るべし』
(更衣の魂のありかを、人づてでもいいから聞くことが出来たら)
とため息を漏らすばかりである。
お別れの際は細く息を吐く 酒井かがり
輦 車 更衣は病をこじらせ、若宮を残して里へ帰ることに…。 歩くこともままならない更衣のために手配された輦車(れんしゃ)
式部ー光源氏入門 ④ー桐壺の巻
①
その年の夏、御息所、はかなき心地にわずらひて、まかでなんとしたもふを、
暇(いとま)さらにゆるさせたまはず。
年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目慣れて「なほしばしこころみよ」
とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ、五六日のほどにいと弱う なれば、母君泣く泣く奏してまかでさせたてまつりたまふ。 かかれをりにも、あるまじき恥もこそと、心づかひして、皇子をばとどめたて まつりて、忍びてぞ出でたまふ。 その年=若宮が3歳で袴着の儀式を行った年。
御息所=帝との間に子どもをもうけた女御・更衣の敬称(桐壺更衣)。
まかでなんとしたもふ=病気療養に里へ帰りこと。
常のあつしさに=いつも病気がちでいたために
なほしばしこころみよ=このまま宮中で療養せよ。
帰ろかな何処から見てもお月さん 津田照子
②
『限りあれば、さのみもえ、とどめさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつか
なさを言ふ方なく思ほさる。いとにほいやかにうつくしげなる人の、いたう 面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、 あるかなきかに消え入りつつものしたまふを、御覧ずるに、来し方行く末思 しめされず、よろずのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御答へも聞こえ たまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、われかの気色に て臥したれば、いかさまにと思しめしまどはる。 輦車 (れんしゃ)の宣旨などのたまわせても、また入らせたまひて、さらにえ ゆるさせたまはず。 ※ コトバの解釈
限り=しきたり、掟のこと。神聖な宮中を死の穢れで汚すことは、
許されなかった。宮中で死ねるのは帝だけである。
御覧じ=帝が 退出する更衣の見送りをすること。
消え入り=絶え入りそうな様子。
来し方行く末思しめされず=過去を振り返る分別も、未来を見据える分別も
なくなって。
われかの気色にて=自分のことが分からないような有様。
輦車 (れんしゃ)=手で引く屋形車。もはや更衣は歩けない状態だった。
ありがとうさえも素直に言えなくて 下谷憲子
③
「限りあらむ道にも後れ先立たじと契らせたまひけるを。
さりともうち棄ててはえ行きやらじ」 とのたまはするを、女も、いといみじと見たてまつりて、 「かぎりとて別るる道の悲しきに いかまほしきはいのちなりけり
いとかく思ひたまへましかば」と、息も絶えつつ、聞こへまほしげなること はありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもなら むを御覧じはてむと思しめすに、 「今日はじむべき祈祷ども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」と、 聞こえ急がせば、わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。 ※ コトバの解釈
限りあらむ道=前世から決まっている寿命。
帝と更衣はそれすらも一緒にしよう、と誓い合っていた。
いかまほしき=「いか」は「行く と 生く」を掛けている。
祈祷=病気を治すための加持祈祷。当時は医術よりは祈祷だった。
思ひたまへましかば=「…ましかば…まし」→「…だったら…だったのに」にの
意味になります。もう更衣には「…まし」という力は、残っていませんでしたが、 自身の死の近いことを嘆き、 「こんなことになるのだったら、帝の寵愛をいただかないほうがよかったのに…」 と伝えたかったのでしょう。 触ったら冬ごもりする御所人形 赤松蛍子
④
御胸のみつとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。
御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを
「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」
とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて、帰り参りぬ。 聞こしめす御心まどひ、何ごとも思しましわかれず、籠りおはします。
皇子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ 例なきことなれば、まかでたまひなむとす。 何ごとかあらむとも思したらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、上も御涙の
隙なく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを、よろしきことに だにかかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。 ※ コトバの解釈 つと=ずっと。
いぶせき=心がうつうつとして、晴れない様子。
例なき=桐壺帝の時代は母親の喪に服すため宮中から下がるのが慣例。
「例」とはそれに従わない前例のこと。
を=間投助詞。語調を強めたり感動の意味を表す。
夕刊と一緒に届く喪の葉書 中野六助
ここにはじまった桐壺帝と更衣の恋に物語
いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ ありけり それでは今様に訳してよみすすめてまいりましょう。 輦 車
輦車は音読みで「れんしゃ」と呼ぶ。輦車はその名の通り人の手で引く車。 屋根は唐破風の入母屋で、四方に御簾を垂らした輿に車輪をつけたもの。
なお、輦車に乗れるのは、皇太子や大臣など身分の高いものに限られ、
帝の許しを得た者だけ。 だが、いくら病とはいえ、
桐壺更衣の身分で輦車を使えるとは大変な特別待遇です。
しかし桐壺更衣の病状が相当悪化していることを知った帝にすれば、
これでも足りない気持ちだったでしょう。
①
その年の夏、更衣は病をこじらせ、静養のため里下がりを申し出ます。
が、帝は首を縦に振りません。
「いつもの病だろう。宮中で養生しなさい」
ところが、日に日に悪くなる一方なので、更衣の母が懇願し、やっと里帰り
することに。
こんな折も、「自分と一緒にいることで悪いことが起きてはいけない」と、
かわいい若宮を気遣い、更衣は、ひっそりと、ひとりででていくのです。
砂時計どこへも行けぬ時刻む 山口美千代
②
宮中のしきたりで病気の更衣をいつまでも引き留めることもできず、見送りも
ままならない帝。お別れの挨拶でよくよく見れば、あの花のように可憐だった
最愛の女は、すっかり頬もこけ落ち、しゃべるどころか、意識すら薄れがちな
様子。あまりのことに、帝の心は千々に乱れ、涙ながらにあらん限りのことを
伝え必死に力づけます。けれど更衣の眼差しはうつろで、もはや返事もできぬ
有様。途方にくれた帝は、歩けない更衣を門まで送るよう特別に輦車を手配さ
せますが、やはりまた更衣を部屋に戻します。 どうしてもどうしても、離れられないのです。
純粋なこころのままで女郎花 渡邊真由美
③
「死ぬときも一緒だと誓ったではないか。私ひとりを置いていくのか」
帝のそのお気持ちに応えたくても、更衣は、
「これを限りにお別れしてしまう悲しさ。行きたいのは生きる道のほうです。 ------こんなことになると分っていましたら」 と、息も絶え絶えに、歌を詠むのがやっと。 心乱れた帝は、この際、宮中の掟などかまうものか、このままずっと自分が
守り通すのだ、と思い詰めます。しかし更衣の母君に
「一刻も早く祈祷をはじめたくて、偉い僧にお願いしました。
早速、今夜からの手筈になっております」と、せかされます。 断腸の思いで、帝はついに更衣のか細い手を離したのです。
護摩を焚く奥歯のネギがとれるまで きゅういち
④
その夜、帝は不安がつのるあまり、まどろむこともできません。
更衣にお見舞いの使者を遣わしてからも、どうにも落着きません。 そしてついに「夜中にお亡くなりになりました」との最悪の報せが届きます。
ショックのあまりしばし呆然とする帝。
まるで魂が抜けたようになり、ふらふらと部屋に入るとそのまま引き籠って しまいました。 忘れ形見の若宮を是非ともお側に置きたい、と帝は切望したのですが、 母君の喪中に宮中に留まることは許されません。
その若宮は、人々が悲しみに泣き崩れ、父の帝もとめどなく涙しているのを
ただ不思議そうに眺めるばかり、
母の死すらわからない、その幼さがまた周囲の涙を誘うのです。
さよならの仕上げに青海苔をぱらり 中野六助
清涼殿の長い廊下 桐壺物語ー最終話
季節はずれの雪に見舞われた春の宵。 清涼殿に向かう長い廊下。
もうずいぶん長い間、帝からのお声がかからない、 弘徽殿女御。
頭の切れる彼女のこと、桐壺更衣を陥れる罠を練る時間など、
いくらでもあったでしょう。 長い夜を持て余しているのは、他の女御・更衣も同じこと。
その苛めの度合い、時を追うごとにひどくなりました。
戸を閉められ寒い廊下で立ち往生する更衣。
しかし誰がどんな妨害をしようとも、帝が待つのは桐壺更衣ひとりだけです。
不器用で煙に巻かれてばかりいる 細見さちこ
雪明りのなか、長廊下を歩み帝の待つ清涼殿へと向かう桐壺更衣と女房。
「ここも向うから閂が…! どなたか開けてくださいまし」
「桐壺更衣さま!こちらも閉まっています」
女房がゴトゴト押しても、開かない。
それを聞き止めた鈴鹿は、筝を弾く手をとめてたちあがった。
そこへ弘徽殿女御が来て
「鈴鹿 続けて! やめてはなりません」
一方、清涼殿の帝は…なかなか来ない更衣にじりじりしています。
「遅い 遅すぎる。桐壺更衣はまだ来ぬか」
我儘のジャブで確かめている愛 上坊幹子
桐壺更衣が閉じ込められた通路は、馬も使った建物の中の道なので、
馬道と呼ばれました。「馬道」とは、殿舎を貫いて通っている長い板敷きの 廊下のこと。廊下の厚板は取り外しが可能で、必要な時には廊下を外して、 馬を殿舎の奥まで引き入れることができるようになっています。
渡り廊下では、
「桐壺更衣さま戻りましょう。庭づたいなら局へ帰れます」
「帰れるということは、帝のお許にもいけるということですね」
桐壺更衣は庭の雪に素足をおろし、雪明りを頼りに帝の許に向かいます。
もともと脆弱な体質でナイーブな神経の更衣。 なのに、
素足で雪のなかを帝の待つ清涼殿へ向かう芯の強さを見せます。
彼女をそこまで駆り立てるのは、純粋に帝に対する気持ちだけでした。
一方、外のただならぬ気配を感じた鈴鹿。
この気立てのよい女房は、弘徽殿から命じられた筝の演奏をやめ、様子を見に
行きます。 もちろん帝もすぐさま飛び出してきました。
まだ生きるつもりの今日も薄化粧 靏田寿子
やっとの思いで清涼殿にたどり着き、帝の棟のなかに倒れこむ更衣。 「主上さま」
「なんと冷たい!氷のように冷えきって…。」
桐壺更衣は、帝に抱きかかえられ、夜の御殿へ。
「火だ!火炉に火桶にもっと火を!替えの衣も暖めておけ!」
骨まで冷え切ったような、更衣のか細い体を抱いたとき、帝はどんなトラブル
が起こったのか、おおよその見当はついたのでしょう。 しかし更衣は、世間から楊貴妃にたとえられはしても、寵愛を利用するような
野心家ではなく、苛めにも、じっと堪え忍んでしまうタイプ。
それゆえ、帝にはますますいじらしく、愛しくてたまらないのです。
面倒はすべてパスして今日ひと日 荒井加寿
またまた弘毅殿の思惑は、はずれてしまいます。 それどころか、帝と更衣の絆は深まるばかり。
更衣の身を案じた帝は、清涼殿のすぐ隣、後涼殿にいた古株の更衣をよそへ 移し、桐壺更衣の控えの間にすることに決めました。 これはたいへんな破格の待遇。
ずっと寵愛は続くという帝の強い意思表示ともとれます。
後涼殿に仕える鈴鹿は、それを立ち聞きしてしまいます。
「後涼殿の女たちを即刻、他の局へ移せ!桐壺更衣の淑景舎は、そのままに。
これから後涼殿は、桐壺更衣の控えの間とする。
私が行くにも、桐壺更衣が来るにも、淑景舎は遠すぎる、今夜のようなこと
を二度とさせぬためにも…な」 たっぷりの毒で切り返すひと言 安土理恵
後涼殿、深夜の中庭。 桐壺更衣に渡す機会もなく、雪の上に薬湯をこぼす鈴鹿。
「ああ嫌!嫌! 私の心に黒い、黒い汚点が拡がる。
緑かがやく鈴鹿の山すそへ…受領の父の館へ帰りたい」
「同じ更衣という身分でありながら、桐壺更衣のために部屋を替われとは、
なんたる侮辱でしょうか!」
部屋を奪われた更衣の煮えたぎるような憎悪は、周りの女房たちにも、
たちまちに広がります。 桐壺更衣の人柄を垣間見て、好意を感じていた鈴鹿ですら、帝の特別扱いには、
気持ちが波立ちます。 狭い後宮内のこと、こうした帝の真っすぐすぎる深い愛情が、桐壺更衣の立場
をどんどん追い詰めていくのです。 ときめきを振りかけているかき氷 みつ木もも花
ある夏の日のこと。内裏をひそやかに出て行く輦車あり。
更衣や女房たちが、それを見て噂をしている。
「主上さまが輦車ででていかれるは」
「ちがうは 主上さまじゃない」
「桐壺更衣のお里帰りよ」
「でも病が重くても更衣の身で帝の輦車とは…」
「あの雪の夜から桐壺更衣さまは お体を損なわれ…」
これは、車を見送る鈴鹿の囁く声である。
「ここ4,5日の暑さったら 私たちでもたいへんだったものねぇ」
昼の月などと私のことですか 青木敏子
「輦車に駆けつけてきた帝と桐壺更衣」 主上「どうしても里へ帰るのか 私ひとり 残していってしまうのか」
更衣「主上様 私もおそばにいたい でも…でもこの病の重さでは…私は
内裏を穢したくないのです…この櫛を私と思って…あと若宮をお願い……」
その夜遅く清涼殿にて、帝は、櫛の形をした半月を見上げている。
帝の手を離れた桐壺更衣に、もはや生きる力は残っていませんでした。
そして、桐壺更衣の容態が気にかかり、眠れぬ帝のもとに、あまりにも早い
訃報が届きます。覚悟はしていたとはいえ、激しい衝撃を受ける帝。
遺された若宮はまだ3歳。母親の死が何を意味するのかもわかりません。
そのいたいけな姿が、いっそう人々の涙を誘ったのでした。
睡蓮の白ひしめいてレクイエム 藤本鈴菜
" たずねゆくまぼろしもがなつてにても 魂のありかをそことしるべく "
桐壺帝は、夏が過ぎ秋になっても、更衣の死という悲しみがら逃れられません。
形見である櫛を見ながら、『長恨歌』にある逸話を思い出し、幻でもいいから
もう一度逢たいと嘆き悲しみます。 雲の上も涙にくるる秋の月 いかですむらむ浅茅生の宿
(雲の上の宮中までも涙に曇って見える秋の月だ
ましてやどうして澄んで見えようか、草深い里で…)
手に載せて夜明けの匂いするキュウリ 佐藤 瞳 |
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