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川柳的逍遥 人の世の一家言
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凭れずにそっと寄り添う距離にいる  佐藤 瞳











貝覆いの貝は、女性の掌中に握るのに適した大きさ(横9㎝・縦7,3㎝)の、
伊勢国二見産ハマグリを用いました。殻の内面には紙を貼り、
『源氏物語』などの絵をかき(左右一対の殻には、同じ絵を描いた)
金箔などで極彩色に仕上げ、ふっくらと盛り上がった金色の雲に囲まれて、
その華麗さは見るものの目を奪われます。
二枚貝の二枚の殻は、もともと対になっていたもの以外とは合いません。
この性質を利用した遊びが「貝合わせ」です。





ふっくらのおかめで敵をつくらない  安土理恵










遊び方は、我々がやるトランプの神経衰弱と同じで、全体を二つに分け、
その一方は伏せて出し、地貝のなかから形と表面の模様を頼りに対の貝を
みつけていきます。
二枚の貝の内側には、同じ絵が描かれていて、対かどうか確認します。
平安時代の「物合わせ」の一種から発達したこの遊びは、室町時代から
上流階級に広まり、江戸時代に女の子たちの間に広く普及しました。
少女たちは、雅やかな王朝の世界にこころ馳せたことでしょう。





君のそのいたずらっぽい目が魅力  木口雅裕





             貝 桶




稲妻文金銀梨地蒔絵に牡丹唐獅子と三つ葉葵紋を施した蒔絵で、
緋色の紐が結ばれている。
絵の貝桶は備前岡山藩の池田家伝来で、千姫の娘、本田勝子
池田光政に輿入れした時の婚礼調度のひとつといわれている。
「二夫にまみえず」という当時の道徳観と結びつき縁起のものだった。





式部ー貝合わせ








1,絵合(えあわせ)


光源氏藤壺のあいだの子である冷泉帝は、とりわけ絵を
好まれた。その妃、梅壺女御弘毅殿女御とが物語絵合わせで、
絵の優劣を争っている。





QRコードが出たら進めない  楠本晃朗







6,末摘花(っすえつみはな)


忍び会う仲の素直で優しい夕顔の死後、
「代わるような女性に巡り合いたい」ものと願っていた光源氏
そんな折に末摘花という女性のことを聞きつけて、末摘花の箏を
聞いている。





空虚へ飾る一輪の露草  森井克子








5,若紫(わかむらさき)


北山に加持僧を訪ねた狩衣姿の光源氏
ある庵室の小柴垣から覗き見をすると、そこに、憧れの藤壺にそっくりの
少女を見つけ、やがて自邸に引き取る。





時計屋へ過去を覗きに引き返す  木戸利枝








9,葵(あおい)


幼い紫の上を賀茂の祭に連れ出そうと、碁盤の上にのせて、
自ら髪を梳いてやる光源氏。心やすまらない日々の中で、
引き取って育てている少女の可愛らしさが、安らぎだった。





瞬きを忘れがちなのべっぴんは  酒井かがり








24、胡蝶(こちょう)


春三月、光源氏の正妻となった紫の上の御殿には花開き、
鳥もにぎやかにさえずり、それは美しいものがあった。
源氏はその庭の風情を人々に見せようと、船楽を催す。





薫風の森は小鳥のコンチェルト  池田みほ子








29、行幸(みゆき)


12月の雪が散るなか、桂川の西に開ける大原野に、
冷泉帝の鷹狩りの行幸が盛大にとりおこなわれる。
玉鬘(たまかずら)は行列の中に父・内大臣の姿をみつける。





まばたきの向こうで何がはじまるか  東川和子








30、藤袴(ふじばかま)


源氏の養女として育てられた玉鬘を源氏の長男夕霧が訪ねてきて
「姉弟としてではなく」と手に持っている藤袴を御簾の下から
さしだして、胸中をうち開ける。





友達以上愛人未満ケアハウス  田口和代








51、浮舟(うきふね)


情熱的で奔放な匂宮(かおる)を装い、薫の思い人である
浮舟と強引に契りを交わす。その後、再び宇治をおとずれ、
舟に浮舟を乗せて連れ出し、対岸の小島で愛を誓う。





求婚のバラ一本のコンチェルト  山本早苗





「貝合わせーその歴史」











貝合わせとは、平安貴族が蛤の形や大きさ、色合いなどを題材にして
歌を詠み、その出来栄えを競う遊びでした。
はまぐりの貝殻の左右を切り離し、片方を貝桶に入れ、もう片方を円形に
伏せて並べ、貝桶から出した1枚と対になる貝を見つける遊びは「貝覆い」
(かいおおい)と呼ばれていました。
「貝覆い」は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、子女の遊びとして
始まり、その後「貝覆い」遊びが「貝合わせ」と呼ばれるようになったと
言われています
また貝合わせに使用する貝殻を「合わせ貝」と言い、合わせ貝は全部で
180個、つまり360枚もの貝殻を1セットとして遊ばれていました。
地貝の数が減るまでは、かなり大変で難しいことが想像できますね。
模様や大きさ、形などを目印にして探していたそうです。





あこがれの君が私の前をパス  井上恵津子











貝合わせは定番の遊びとして長い間愛され続け、江戸時代になると
貝殻の内側を蒔絵や金箔で美しく装飾するようになりました。
この装飾が凝っていくにつれて、有名な和歌の上の句と下の句を、
それぞれ地貝と出貝に書き分けて貝合わせを行う「歌貝」に発展します。
この歌貝は近世になると貝の代わりに紙の札を使って遊ばれるようになり、
やがて、今でも親しまれている遊び、「百人一首」として定着しました。
また、対になる貝は、決してお互いを違えないということから、
「夫婦和合」の象徴ともされました。
貝合わせの貝を入れるための貝桶は嫁入り道具にもなっており、
現代でも人前式の結婚式において「貝合わせの儀」は残っています。





花道のほかは歩いたことがない  竹内ゆみこ

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かきむしりキンカン塗ってまた塗って  藤田武人






              紫式部  (土佐光吉筆)




「源氏物語」には、500人にも及ぶ登場人物が織りなす、人間模様が描かれ
ている。一般に、多数の人々が、それぞれの思惑のもとに入り乱れて行動する
状況を思い浮かべると、多くの場合、混沌としていてつかみどころなく、
したがって、その状況を的確に文章で表現することは、極めて困難なことだっ
ただろう。ところが「源氏物語」では、読み手は、不自然さを感じることなく、
また、矛盾を感じることもなく、人間模様を読み取っていく…。
その積み重ねの結果、紫式部は、人々の心の動きを的確に理解することが
できるようになり、さらに、それらの人々が織りなす人間模様を、明瞭に
心の中に、思い浮かべることのできる能力をも身につけた。




赤食べて黄色も食べて青食べる  東川和子





          「紫式部日記絵巻」   (蜂須賀本)
彰子に「白氏文集」の「新楽府」を進講する紫式部




式部ー紫式部が観察する人間模様



例えば、
光源氏は、幼いころに母親を亡くし、祖母とも死別して、ほとんど故事同然の
立場で、桐壺帝の手元で育てられた。
宮中の艶やかな女性たちの中にあって、軽口をたたきながら、華やかに振る舞
っておられる帝の姿だけを見て、成長した光源氏は、夫と妻の情愛や親子の情
などを感得する機会をもつことができなかった。
そのような成長過程をたどった場合、どのような人物になるであろうか?
と、紫式部は、突き詰めて考え筆をすすめていった…。
その結果、自己中心的で自分以外の者はあくまでも、他人であるとしてしか
見ることのできない、そういう人物像が浮かび上がってきたのである。




バランスシート山椒魚がすんでいる  西澤知子






      スズメが飛んでゆくほうを眺める紫の上





「紫の上の場合」
紫の上は、聡明ではあるが、世間のことをよく知らない純情な少女であった。
光源氏によって、二条院に連れ込まれ、いつの間にか、源氏の愛妻の立場に
置かれている。母親を亡くし、父親に頼ることができない以上、源氏を頼り
にする以外にない。だから、源氏が須磨に退去した際には、必死になって、
留守を守ったし、源氏の身の上を案じ続けた。
このような2人の関係において、何が起きるか、源氏にとって大事なことは、
わが身である。だから、須磨への退去の理由について
平気で嘘をつくし、明石で明石の君と親しくなり、子をなす間柄になっても、
さほど良心の呵責に悩むこともない。
これに対して、紫の上の側からみれば、源氏の裏切りである。
このように、二人の思いに齟齬がある以上、いずれかの時点で破局を迎える
のは、必至である。
ここに紫式部は、光源氏は「自己中」であるように描いた。




バランスを崩し芸術らしくする  加藤ゆみ子







              絵 合
光源氏と藤壺の間の子である冷泉帝は、とりわけ絵を好んだ。
その后・梅壺女御と弘徽殿女御とが物語絵合わせで、絵の優劣を競っている。





弘毅殿大后の場合
弘徽殿大后(朱雀帝の母)は、かつて桐壺帝の女御であったころ、帝が寵愛さ
れた桐壺更衣や、その子である光源氏に強い敵意を抱き、さらに藤壺をも激し
く憎悪した人である。
桐壺帝が退位されて冷泉帝(桐壺帝の第十皇子)が、帝の位につかれると、
政治権力は、右大臣の政敵であった左大臣と内大臣になった光源氏に移った。
今では、弘徽殿大后は、皇太后であるとは言うものの、かつての権勢を完全に
失った。そのころのことである。
『大后は、うきものは世なりけりと思し嘆く。
 大臣はことにふれて、いと恥ずかしげに仕まつり心寄せきこへたまふも、
 なかなかいとほしげなるを、人もやすからず聞こえけり』
(弘徽殿大后は、現在の境遇を情けないものと嘆いているが、光源氏は、
折あるごとに、大后に対して「丁重な心遣い」を示す。
かえって大后が気の毒なくらいで、世間の人々も、訝しいことだと噂している)




これからのことが黙って立っている  藤本鈴菜






     筝を手に庭で音楽を朗らかに楽しむ光源氏




光源氏は、自らに対して害意を抱いた者を許そうとしない人である。
しかし、あからさまに復讐するような、単純思考のひとでもない。
相手からも、世間の人からも、非難されない方法で、復讐することを
考える人である。
その方法とは、常識では考えられないほど、仰々しく心遣いを示すこと
そうすることによって、自分が勝ったことを相手に誇示し、相手を屈辱感で
打ちのめすことになる。




心の奥まで触れたがる土足  松浦英夫





冷泉帝が朱雀院に行幸された帰途、弘徽殿大后のところに立ち寄られた。
すでに太政大臣になっている光源氏も、同行している。
大后はすっかり年老いた感じである。
帝と源氏は、大后とお見舞いの挨拶などを交わしただけで、長居をせずに
帰っていく。
帝と源氏が帰っていく様は、威風堂々たるものである。
『のどやかならで還らせたまふ響きにも、后は、なほ胸うち騒ぎて、いかに
 思し出づらむ、世をたもちたまふべき御宿世は、消たれぬものにこそ、と
 いにしえを悔い思す』
(-----大后の胸が騒ぐ。権力者となる強運の持ち主である光源氏を、
 ついに消し去ることが出来なかった、と、大后は昔を思い返して悔いる)



金魚鉢から金庫破りを見る金魚  くんじろう



大后の騒ぐ胸とは……
『老いもておはするままに、さがなさもまさりて』
(老いが進むにつれて、意地悪さもますます高じてきて)と、されていること
などから、実は、「いくら強運の人であっても、もっと巧妙に、策を巡らせば
消し去ることができたであろうに…」と、
紫式部は、大后のこころのうちを看破する。




シーソーの向かいに乗ったはずの女  真鍋心平太





紫式部は、まわりの人々の挙措動作を常に注意深く見つめている。
それらの中に、紫式部の心のセンサーが敏感に反応するものがある。
その瞬間、紫式部の頭脳は、急速に回り始める。この頭脳の動きは、
紫式部の知的遊戯に始り、長年にわたってこれを繰返すことによって、
記憶の内容は充実したものとなり、推理のレベルは高められるようだ。





北風が腕を回して来るのです  合田瑠美子






     紫式部の物語ー執筆にむかうまなざし




「道長の正妻・倫子をみつめた式部のまなざし」
敦成親王の五十日の祝いの席…有頂天になって喜んでいる道長が、
「倫子もよい男を夫にしてよかったと思っているでしょう」
などというのを聞いて、倫子は席を外そうとした。
倫子の態度を見て、紫式部は、信頼に足りる人だと確信したらしい。
何気なく見ていると、そのまま見過ごしてしまいそうな場面である。
このような場面で、紫式部の心のセンサーは、敏感に反応する。





派手な尾行はやめておくれよお月さん  酒井かがり





「中宮彰子について」
『あかぬところなく、らうらうじく(気が利いていて)心にくくおはします
 ものを、あまりものづつみせさせ給える御心に』
(何の不足もなく、上品で奥ゆかしい性格だが、あまりに遠慮しすぎる嫌い
がある)と思われる、女房に対しても、それがブレーキとなり、
『「何とも言ひ出でじ」「言ひ出たらむも、後やすく恥なき人は世に
 難いもの」と、思しならひたり』
(「何も言うまい」と自分を止めたり「頼りになる女房など稀なのだから、
 言っても仕方がない」)と、諦めたりすることが常になっていると、彰子を、
紫式部は見ている。




トラウマのウですしっかり覚えてる  山本昌乃





引き続き紫式部は、こう記す。
『げに、ものの折など、なかなかなることし出たる、おくれたるには劣りたる
 わざなりかし。ことに深き用意なき人の、所につけてわれは顔なるが、
 なまひがひがししきことども(ひがみっぽいことなど)、物の折に言ひだし
 たりける、をまだいと幼きほどにおはしまして、「世になうかたはなり」と、
 聞こしめし、おぼほししみにければ、ただことなる咎なくて過ぐすを、ただ、
 めやすきことにおぼしたる御けしきに、うち児めいたる人の、むすめどもは、
 みないとようかなひ、聞こえさせたるほどに、かくならひにけるとぞ、心得
 て侍る』
(かつて、深い思慮もなく職場で我が物顔に振る舞っている女房がいて、
「どうも見当違いの数々をある特別の折に口にした」「なかなかなることを
し出でたる」失態である。
幼い彰子はこれを聞き、「世になうかたは」(世の中に滅多とないこと)と
感じて、それが心に染みついたという。)
この体験が彼女を、いわば積極性拒否症にしたと、紫式部は、考えた。



流れない川が私の胸にある  野田和美




一人の女房の失敗が何ほどのものだろうか。
彰子はそこで、彼女の失態を女房のみならず、自らへの教示として、
「おぼほししみ」て受け止めてしまったという。
(世の中をたいそう辛いものだ、と心にしみて、感じること)
その強い感受性、人にも我にも人前での過ちを許せない完全主義が、翻って
積極的に振舞って失敗することへの怯えとなり、彼女を委縮させた。
消極性の殻に閉じこもり安息を得る、そうした少女期の繊細な心理が、
そのままに、彰子の性格の殻を作ってしまったものと、紫式部は推察した。
 このような鋭い「人間観察力」こそが、人々の心の動きを的確に理解し、
人々が織りなす人間模様を明確に心の中に思い浮かべることのできる紫式部
の能力の源泉であり、天才作家たる所以だろう。




人間を塩と砂糖に分ける癖  ふじのひろし

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フィボナッチ数列に正される目鼻  山本早苗





             長恨歌絵巻  (狩野山雪筆)
白楽天の漢詩「長恨歌」をもとに描かれた日本の絵巻物。



玄宗は、道士に命じて楊貴妃の魂を求めさせた。
道士は、海上の仙山で楊貴妃に会い、しるしの「箱と簪」を持ちかえる。
源氏物語では、靫負(ゆげ)の命婦がその役目を果たしている。
命婦は、更衣の里を訪ねて、更衣が残して逝った「装束」のところに
持ち帰るのである。
しかしそれは簪ではなかったし、更衣の魂のあり所もわからないままである。
帝の心は晴れない。
『尋ねても行く幻もがな、つてにても魂(たま)のありかをそこと知るべし』
(更衣の魂のありかを、人づてでもいいから聞くことが出来たら)
とため息を漏らすばかりである。



お別れの際は細く息を吐く  酒井かがり






                輦 車
更衣は病をこじらせ、若宮を残して里へ帰ることに…。
歩くこともままならない更衣のために手配された輦車(れんしゃ)




式部ー光源氏入門 ④ー桐壺の巻




その年の夏、御息所、はかなき心地にわずらひて、まかでなんとしたもふを、
暇(いとま)さらにゆるさせたまはず。
年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目慣れて「なほしばしこころみよ」
とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ、五六日のほどにいと弱う
なれば、母君泣く泣く奏してまかでさせたてまつりたまふ。
かかれをりにも、あるまじき恥もこそと、心づかひして、皇子をばとどめたて
まつりて、忍びてぞ出でたまふ。




その年=若宮が3歳で袴着の儀式を行った年。
御息所=帝との間に子どもをもうけた女御・更衣の敬称(桐壺更衣)。
まかでなんとしたもふ=病気療養に里へ帰りこと。
常のあつしさに=いつも病気がちでいたために
なほしばしこころみよ=このまま宮中で療養せよ。



帰ろかな何処から見てもお月さん  津田照子




限りあれば、さのみもえ、とどめさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつか
 なさを言ふ方なく思ほさる。いとにほいやかにうつくしげなる人の、いたう
 面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、
 あるかなきかに消え入りつつものしたまふを、御覧ずるに、来し方行く末思
 しめされず、よろずのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御答へも聞こえ
 たまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、われかの気色に
 臥したれば、いかさまにと思しめしまどはる。
 輦車 (れんしゃ)の宣旨などのたまわせても、また入らせたまひて、さらにえ
 ゆるさせたまはず。




※ コトバの解釈
限り=しきたり、掟のこと。神聖な宮中を死の穢れで汚すことは、
許されなかった。宮中で死ねるのは帝だけである。
御覧じ=帝が 退出する更衣の見送りをすること。
消え入り=絶え入りそうな様子。
来し方行く末思しめされず=過去を振り返る分別も、未来を見据える分別も
なくなって。
われかの気色にて=自分のことが分からないような有様。
輦車 (れんしゃ)=手で引く屋形車。もはや更衣は歩けない状態だった。




ありがとうさえも素直に言えなくて  下谷憲子




限りあらむ道にも後れ先立たじと契らせたまひけるを。
 さりともうち棄ててはえ行きやらじ」
 とのたまはするを、女も、いといみじと見たてまつりて、
「かぎりとて別るる道の悲しきに いかまほしきはいのちなりけり 
 いとかく思ひたまへましかばと、息も絶えつつ、聞こへまほしげなること
 はありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもなら
 むを御覧じはてむと思しめすに、
 「今日はじむべき祈祷ども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」と、
 聞こえ急がせば、わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。




※ コトバの解釈
限りあらむ道=前世から決まっている寿命。
 帝と更衣はそれすらも一緒にしよう、と誓い合っていた。
いかまほしき=「いか」は「行く と 生く」を掛けている。
祈祷=病気を治すための加持祈祷。当時は医術よりは祈祷だった。
思ひたまへましかば=「…ましかば…まし」→「…だったら…だったのに」にの
意味になります。もう更衣には「…まし」という力は、残っていませんでしたが、
自身の死の近いことを嘆き、
「こんなことになるのだったら、帝の寵愛をいただかないほうがよかったのに…」
と伝えたかったのでしょう。




触ったら冬ごもりする御所人形  赤松蛍子




御胸のみつとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。
御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを
「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」
とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて、帰り参りぬ。
聞こしめす御心まどひ、何ごとも思しましわかれず、籠りおはします。
 
 
 皇子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ
例なきことなれば、まかでたまひなむとす。
何ごとかあらむとも思したらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、上も御涙の
隙なく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを、よろしきことに
だにかかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。





※ コトバの解釈
つと=ずっと。
いぶせき=心がうつうつとして、晴れない様子。
例なき=桐壺帝の時代は母親の喪に服すため宮中から下がるのが慣例。
 「例」とはそれに従わない前例のこと。
を=間投助詞。語調を強めたり感動の意味を表す。




夕刊と一緒に届く喪の葉書  中野六助





     ここにはじまった桐壺帝と更衣の恋に物語

いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに 
いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ ありけり





それでは今様に訳してよみすすめてまいりましょう。







              輦 車

輦車は音読みで「れんしゃ」と呼ぶ。輦車はその名の通り人の手で引く車。
屋根は唐破風の入母屋で、四方に御簾を垂らした輿に車輪をつけたもの。
なお、輦車に乗れるのは、皇太子や大臣など身分の高いものに限られ、
帝の許しを得た者だけ。 だが、いくら病とはいえ、
桐壺更衣の身分で輦車を使えるとは大変な特別待遇です。
しかし桐壺更衣の病状が相当悪化していることを知った帝にすれば、
これでも足りない気持ちだったでしょう。




その年の夏、更衣は病をこじらせ、静養のため里下がりを申し出ます。
が、は首を縦に振りません。
「いつもの病だろう。宮中で養生しなさい」
ところが、日に日に悪くなる一方なので、更衣の母が懇願し、やっと里帰り
することに。
こんな折も、「自分と一緒にいることで悪いことが起きてはいけない」と、
かわいい若宮を気遣い、更衣は、ひっそりと、ひとりででていくのです。




砂時計どこへも行けぬ時刻む  山口美千代




宮中のしきたりで病気の更衣をいつまでも引き留めることもできず、見送りも
ままならない帝。お別れの挨拶でよくよく見れば、あの花のように可憐だった
最愛の女は、すっかり頬もこけ落ち、しゃべるどころか、意識すら薄れがちな
様子。あまりのことに、の心は千々に乱れ、涙ながらにあらん限りのことを
伝え必死に力づけます。けれど更衣の眼差しはうつろで、もはや返事もできぬ
有様。途方にくれた帝は、歩けない更衣を門まで送るよう特別に輦車を手配さ
せますが、やはりまた更衣を部屋に戻します。
どうしてもどうしても、離れられないのです。




純粋なこころのままで女郎花  渡邊真由美




「死ぬときも一緒だと誓ったではないか。私ひとりを置いていくのか」
のそのお気持ちに応えたくても、更衣は、
「これを限りにお別れしてしまう悲しさ。行きたいのは生きる道のほうです。
 ------こんなことになると分っていましたら」
と、息も絶え絶えに、歌を詠むのがやっと。
心乱れた帝は、この際、宮中の掟などかまうものか、このままずっと自分が
守り通すのだ、と思い詰めます。しかし更衣の母君
「一刻も早く祈祷をはじめたくて、偉い僧にお願いしました。
 早速、今夜からの手筈になっております」と、せかされます。
断腸の思いで、帝はついに更衣のか細い手を離したのです。




護摩を焚く奥歯のネギがとれるまで  きゅういち




その夜、は不安がつのるあまり、まどろむこともできません。
更衣にお見舞いの使者を遣わしてからも、どうにも落着きません。
そしてついに「夜中にお亡くなりになりました」との最悪の報せが届きます。
ショックのあまりしばし呆然とする帝。
まるで魂が抜けたようになり、ふらふらと部屋に入るとそのまま引き籠って
しまいました。


 


忘れ形見の若宮を是非ともお側に置きたい、と帝は切望したのですが、
母君の喪中に宮中に留まることは許されません。
その若宮は、人々が悲しみに泣き崩れ、父の帝もとめどなく涙しているのを
ただ不思議そうに眺めるばかり、
母の死すらわからない、その幼さがまた周囲の涙を誘うのです。




さよならの仕上げに青海苔をぱらり  中野六助






         清涼殿の長い廊下




桐壺物語ー最終話




季節はずれの雪に見舞われた春の宵。 清涼殿に向かう長い廊下。
もうずいぶん長い間、からのお声がかからない、 弘徽殿女御
頭の切れる彼女のこと、桐壺更衣を陥れる罠を練る時間など、
いくらでもあったでしょう。
長い夜を持て余しているのは、他の女御・更衣も同じこと。
その苛めの度合い、時を追うごとにひどくなりました。
戸を閉められ寒い廊下で立ち往生する更衣。
しかし誰がどんな妨害をしようとも、帝が待つのは桐壺更衣ひとりだけです。




不器用で煙に巻かれてばかりいる  細見さちこ








雪明りのなか、長廊下を歩み帝の待つ清涼殿へと向かう桐壺更衣と女房。
「ここも向うから閂が…! どなたか開けてくださいまし」
「桐壺更衣さま!こちらも閉まっています」
女房がゴトゴト押しても、開かない。
それを聞き止めた鈴鹿は、筝を弾く手をとめてたちあがった。
そこへ弘徽殿女御が来て
「鈴鹿 続けて! やめてはなりません」
一方、清涼殿のは…なかなか来ない更衣にじりじりしています。
「遅い 遅すぎる。桐壺更衣はまだ来ぬか」




我儘のジャブで確かめている愛  上坊幹子





桐壺更衣が閉じ込められた通路は、馬も使った建物の中の道なので、
馬道と呼ばれました。「馬道」とは、殿舎を貫いて通っている長い板敷きの
廊下のこと。廊下の厚板は取り外しが可能で、必要な時には廊下を外して、
馬を殿舎の奥まで引き入れることができるようになっています。









渡り廊下では、
「桐壺更衣さま戻りましょう。庭づたいなら局へ帰れます」
「帰れるということは、帝のお許にもいけるということですね」
桐壺更衣は庭の雪に素足をおろし、雪明りを頼りにの許に向かいます。
もともと脆弱な体質でナイーブな神経の更衣。 なのに、
素足で雪のなかを帝の待つ清涼殿へ向かう芯の強さを見せます。
彼女をそこまで駆り立てるのは、純粋に帝に対する気持ちだけでした。
一方、外のただならぬ気配を感じた鈴鹿
この気立てのよい女房は、弘徽殿から命じられた筝の演奏をやめ、様子を見に
行きます。 もちろん帝もすぐさま飛び出してきました。 





まだ生きるつもりの今日も薄化粧  靏田寿子











やっとの思いで清涼殿にたどり着き、の棟のなかに倒れこむ更衣
「主上さま」
「なんと冷たい!氷のように冷えきって…。」
桐壺更衣は、帝に抱きかかえられ、夜の御殿へ。
「火だ!火炉に火桶にもっと火を!替えの衣も暖めておけ!」
骨まで冷え切ったような、更衣のか細い体を抱いたとき、帝はどんなトラブル
が起こったのか、おおよその見当はついたのでしょう。
しかし更衣は、世間から楊貴妃にたとえられはしても、寵愛を利用するような
野心家ではなく、苛めにも、じっと堪え忍んでしまうタイプ。
それゆえ、帝にはますますいじらしく、愛しくてたまらないのです。




面倒はすべてパスして今日ひと日  荒井加寿










またまた弘毅殿の思惑は、はずれてしまいます。
それどころか、更衣の絆は深まるばかり。
更衣の身を案じた帝は、清涼殿のすぐ隣、後涼殿にいた古株の更衣をよそへ
移し、桐壺更衣の控えの間にすることに決めました。
これはたいへんな破格の待遇。
ずっと寵愛は続くという帝の強い意思表示ともとれます。
後涼殿に仕える鈴鹿は、それを立ち聞きしてしまいます。
「後涼殿の女たちを即刻、他の局へ移せ!桐壺更衣の淑景舎は、そのままに。
 これから後涼殿は、桐壺更衣の控えの間とする。
 私が行くにも、桐壺更衣が来るにも、淑景舎は遠すぎる、今夜のようなこと
 を二度とさせぬためにも…な」




たっぷりの毒で切り返すひと言  安土理恵






       後涼殿、深夜の中庭。




桐壺更衣に渡す機会もなく、雪の上に薬湯をこぼす鈴鹿。
「ああ嫌!嫌! 私の心に黒い、黒い汚点が拡がる。
 緑かがやく鈴鹿の山すそへ…受領の父の館へ帰りたい」



「同じ更衣という身分でありながら、桐壺更衣のために部屋を替われとは、
 なんたる侮辱でしょうか!」
部屋を奪われた更衣の煮えたぎるような憎悪は、周りの女房たちにも、
たちまちに広がります。
桐壺更衣の人柄を垣間見て、好意を感じていた鈴鹿ですら、の特別扱いには、
気持ちが波立ちます。
狭い後宮内のこと、こうした帝の真っすぐすぎる深い愛情が、桐壺更衣の立場
をどんどん追い詰めていくのです。




ときめきを振りかけているかき氷  みつ木もも花




ある夏の日のこと。内裏をひそやかに出て行く輦車あり。
更衣女房たちが、それを見て噂をしている。
「主上さまが輦車ででていかれるは」
「ちがうは 主上さまじゃない」
「桐壺更衣のお里帰りよ」
「でも病が重くても更衣の身で帝の輦車とは…」
「あの雪の夜から桐壺更衣さまは お体を損なわれ…」
これは、車を見送る鈴鹿の囁く声である。
「ここ4,5日の暑さったら 私たちでもたいへんだったものねぇ」




昼の月などと私のことですか  青木敏子










「輦車に駆けつけてきた帝と桐壺更衣」
主上「どうしても里へ帰るのか 私ひとり 残していってしまうのか」
更衣「主上様 私もおそばにいたい でも…でもこの病の重さでは…私は 
内裏を穢したくないのです…この櫛を私と思って…あと若宮をお願い……」
その夜遅く清涼殿にて、は、櫛の形をした半月を見上げている。
帝の手を離れた桐壺更衣に、もはや生きる力は残っていませんでした。
そして、桐壺更衣の容態が気にかかり、眠れぬ帝のもとに、あまりにも早い
訃報が届きます。覚悟はしていたとはいえ、激しい衝撃を受ける帝。
遺された若宮はまだ3歳。母親の死が何を意味するのかもわかりません。
そのいたいけな姿が、いっそう人々の涙を誘ったのでした。



睡蓮の白ひしめいてレクイエム  藤本鈴菜





" たずねゆくまぼろしもがなつてにても 魂のありかをそことしるべく "


桐壺帝は、夏が過ぎ秋になっても、更衣の死という悲しみがら逃れられません。
形見である櫛を見ながら、『長恨歌』にある逸話を思い出し、幻でもいいから
もう一度逢たいと嘆き悲しみます。
雲の上も涙にくるる秋の月 いかですむらむ浅茅生の宿
(雲の上の宮中までも涙に曇って見える秋の月だ
 ましてやどうして澄んで見えようか、草深い里で…)



手に載せて夜明けの匂いするキュウリ  佐藤 瞳

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ゴキブリが飛んだあっかんべえをした  小島蘭幸






                                   「源氏香の図 桐壷」  (二代豊国)               



後涼殿は、天皇の日常の住まいである清涼殿の西側に付随する建物で、
中央の通路(馬道)ぞいに南北二部屋、周囲には廂がめぐらされていました。
おもに現在の納戸にあたる納殿として利用され、清涼殿に近い東の廂は、
女官の詰所などに使われたようです。
歴史上はここに女御、更衣が住んだ記録はありませんが「源氏物語」では、
帝が桐壺更衣の控えの間にするため、後涼殿にいた更衣を別の場所に移させる
下りがあります。
また、光源氏「御袴の儀」のために、は後涼殿に収められた道具類を、
すべて出されました。




ひと吹きで失せる机の綿ぼこり  新家完司






       清涼殿・後涼殿の平面図
清涼殿と後涼殿をつなぐ「渡殿」(廊下)には「朝餉壺」(あさがれいつぼ)
「台盤所壺」と呼ばれる前庭があった。




式部ー光源氏-入門-③ 桐壺の巻





御局は桐壺なり。あまたの御方々を過ぎさせたまひて隙なき御前渡り
 人の御心を尽くしたまふもげにことわりと見えたり。
 参上(まうのぼ)りたまふにも、あまりうちしきるをりをりは 打橋、渡殿
 のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾たへ
   がたくまさなきこともあり、またある時には、え避さらぬ馬道の戸を
 鎖(さ)しこめ、こなたかなた心を合わせては、したなめわずらわせたまふ
 時も多かり、事に触れて、数知らず苦しきことのみまされば、いたいたう思
 ひわびたるをいとどあはれと御覧じて、後涼殿に、もとよりさぶらひたまふ
 更衣の曹司をほかに移させたまひて、上局に賜るす。
 その恨みましてやらむ方なし』




嫌われていてもわたしの場所だから  安土理恵







   清涼殿西廂、台盤所付近に付けられた戸。
戸は片開きで、閂をかけることができた。馬道にもこうした戸が付いていた。




※ コトバの解釈
局=後宮のなかでしきりを隔ててある部屋の事。
桐壺=帝の住む清涼殿からは一番遠い東北隅にあった。淑景舎をさす。
  中庭に桐が植えてあったので、こう呼ばれた。
隙なき御前渡り=帝がほかの女御、更衣の部屋の前を目もくれず通り過ぎて
  しまう事。
打橋=建物と建物の間に架けられた橋。取り外しがきく。
渡殿=建物から建物へ渡る廊下で屋根がついている。
あやしきわざを=ここでは、汚物を撒き散らすことと思われる。
衣の裾たへがたく=当時の女房たちの裾は長く、それを引きずって歩いた。
馬道の戸を鎖しこめ=建物の真ん中を貫いて通っている板敷の廊下。
したなめわずらわせたまふ=閉めてしまうこと。
いとどあはれ=ますます、なおいっそう可哀想。
曹司=局と同じ。
上局=帝のもとに上がる時の控えの間。いつも住んでいる所は下局。




博識の人は活字をよく食べる  木村良三




『この皇子三つになりたまふ年、御袴着のこと、一の宮の奉りしに劣らず、
 内蔵寮(くらづかさ)、納殿の物を尽くしていみじうせさせたまふ。
 それにつけても、世のそしりのみ多かれど、この皇子の、およすけもて
 おはする御容貌心ばへありがたく、めづらしきまで見へたまふを、
 えそねみあへたまはず。
 ものの心知りたまふ人は、かかる人世に出でおはするものなりけりと、
 あさましきまで目をおどろかしたまふ』




雨音の調べ音符になる真珠  高橋レニ




※ コトバの解釈
御袴着=男の子がはじめて袴をつける儀式。
内蔵寮=宝物・献上品を管理する役所。
納殿=歴代の御物を納める場所。
ものの心知りたまふ人=ものを見る目が高い。道理をわきまえている人をさす。
あさましき=意外なことにびっくりする気持ち。
  「あさまし」は、ことのよしあしに関わらず用いられる。
およすけもておはする御容貌=第二皇子でしかも母親の身分も更衣と低いのに、
  あえて第一皇子と同じ扱いをする帝のやり方への批判をさす。



にじいろの影の持ち主いませんか  中野六助





では今様に訳して読みすすめてまいりましょう。






「春日権現験記絵」 (東京国立博物館所蔵)
下に遣り水が流れる反り渡殿。




更衣のお部屋は「桐壺」と呼ばれていました。
はこの遠い「桐壺」へわざわざ自分から、ひっきりなしに出かけていきます。
同じ妃でありながら、ほかの女御、更衣は、部屋の前を素通りされるだけ、
これでは、<やきもちも焼かず、心おだやかにゆったりと過ごせ>と、
いうほうが無理というものでしょう。




手まねきに誘われ吊り橋を渡る  清水すみれ





  掃除用の引き出しと蓋がついた便器




やはりその腹いせか、更衣に呼び寄せられることが重なると、誰かがわざ
と、打橋(うちはし)や渡殿(わたりどの)といった通り道のあちこちに、
トイレの汚物を撒き散らしたりしました。
そのため、送り迎えの女房たちの着物の裾がひどい匂いと汚れにまみれ、
目もあてられない状態になってしまうこともありました。
また、ある時には、帝のもとへ行くのに、どうしても通らねばならない馬道
いう廊下の両側の戸を、あちらこちらで、示し合わせて閉めてしまうものです
から、更衣とそのお供は閉じ込められてしまい、暗闇のなか、進むこともでき
なくなってしまいました。 このようなこともしばしばありました。





ギロチンの穴から首が抜けません  こうだひでお





こんなつらいこととが、数え切れぬほど重なるものですから、
更衣はひどく悩み患いながらも、それでもじっと耐え忍んでいます。
その姿を、はますます不憫に愛しく思うのです。
そして、後涼殿で以前から仕えていた更衣をほかへ移してしまい、
そのあいだ、部屋を自分の所へ来る時の控えの間として桐壺更衣
じきじきに与えます。
でも、部屋を追い出された局の気持ちはどうでしょう?
はらわたが煮えくり返るような思いは、結局更衣に向けられるのです。




細い月だから大事にしてあげて  藤本鈴菜







            御袴着の儀式




若宮が3歳になった年、御袴着の儀式がありました。
一の宮が、お召しになったものにも劣らぬようにと、帝は宮中の宝物を管理
する役所に働きかけ、公の品々のありたけを用いて、盛大に執り行いました。
そうした帝の心遣いも、むしろ「なぜ更衣如きの息子にそこまでするのか」
と、世間からは非難ごうごう、火に油を注ぐ結果になります。
でも、この若宮の成長していくにつれ、ますます美しく整っていく顔かたちや、
また幼くして、いろいろなことを弁えている非常に優れたご気性に触れると、
誰もが魅せられてしまい、憎らしいなどとはとても思えなくなってしまうから
不思議です。 また、世の中のことを広く知る人ですら、
「このようなお方もこの世においでになるものなのか」とまるでひとつの奇跡
を見るような心地で、ため息をついて感心されたものでした。




私の路シャッフルすればラルリララ  赤松蛍子






 若宮3歳。御袴着の儀着衣
袴をはじめて着せるこの日には吉日を選び、また、子供を吉方に向かわせて
行う。この成長を祝う行事は、やがて現在の七五三に受け継がれていった。




桐壺の巻ー③







   3歳になった若宮





若宮の乳母の大弐命婦は、悩んだ末、弘徽殿女御の命令に背くことを決意。
若宮を失明させるために渡された秘薬を、池に捨て去り、ずっと若宮を守
っていこうと心に誓った。 そして、光源氏は3歳になった。
帝の第二皇子として生まれた若宮。
光り輝く玉のようといわれた乳飲み子も、すくすくと育ち、ちょこちょこ
と動き回る、目の離せない年齢になりました。
3歳で迎える御袴着の儀式ももうすぐ、その愛らしさは、ますます宮中の
話題の的となります。
秋の野で花を摘む後涼殿の女房、鈴鹿も、偶然出会った若宮のかわいらしさ、
美しさに目を見張ります。




古典的ですが流し目には弱い  竹内ゆみこ






       若宮と鈴鹿の出会い





若い女房の鈴鹿は、ふとした機会に秋の野に遊ぶ若宮と出会います。
「まあ かわいい子。でもまだあんなに小さいのにたった一人で…?」
若宮と鈴鹿は顔をあわせて微笑み返します。
「痛っ」
鈴鹿は、花の刺にささって小さく叫びます。
その声を耳にした若宮は、
「血!血が出てる。いたい  いたい?」
若宮は口で鈴鹿の傷口へ「ふうふう」といたわりの息をかけてから、
何処かへかけ出していきます。
「なんてかわいいの、どなたの御子なのかしら?」
しばらくして若宮が母の桐壺更衣をつれて帰ってくる。
「お怪我は大丈夫ですか? この子が知らせにきましたの」




しっかりと言葉の奥を聴いてやる  柏原夕胡






    母・更衣と若宮





若宮の母、桐壺更衣のお召しが頻繁にあるうえに病弱でしたから、
若宮とはどれだけ一緒にいられたでしょうか、おそらく、親子で過す
時間は貴重なものだったでしょう。
口さがない噂がとびかう宮中を抜け出て、野でのびのびと過ごす、
短いけれど幸福なひととき、この時期の母の面影が------その後の光源氏
の女性感に大きく影響していきます。





飛ぶための力を溜めている蕾   平尾正人





そのころ淑景舎では、乳母の大弐や女房たちが若宮探しに大わらわ。
子どもも3歳位になると歩けることが嬉しくて、ふらふらと、遠出をして
しまいます。
大弐 「若宮はどこですか?」
左衛門 「これは大弐乳母」
大弐 「あなたも若宮の乳母でしょう。しっかりして!」
左衛門 「大変! さっきまでここで…」
「若宮さまぁー! 「若宮さまぁー」
と、かたわらにいた女房たちも慌てて若宮探しに加わります。
そして淑景舎の庭に下りる階(きざはし)に大弐が目をやると…。
大弐 「こんな所に野菊が!…まさか あんな遠くの裏の野へ…」
その足で裏の野へ出た大弐は、ひとりの女性をみかけます。
大弐 「あのう もし…このあたりで小さい御子をお見かけでは?
    私は若宮の乳母の大弐です」




答えなら出ていますよとやまぼうし  太田のりこ






鈴鹿の指には更衣の衣の包帯が





秋の野に佇む乳母の大弐、言いようのない胸騒ぎが通り過ぎて行く。
鈴鹿 「ええ たぶんそのお方なら…」
鈴鹿の指には、桐壺更衣の単衣の裂いた布が巻かれていた。
<では あのお方は桐壺更衣さまと…二の皇子!まるで天のお使いのような…
お心も優しくて…>
鈴鹿 「私は後涼殿の女房のひとり鈴鹿と申します」
大弐 「よかった! 若宮が母君とご一緒ならば一安心」
<わが子一の皇子を東宮にたてたい>------------.。
弘徽殿の女御のことばが、大弐の心配が脳裡をかけめぐっている。
<若宮に万一のことがあれば…いいえ、桐壺更衣さまとても同じ>
弘徽殿の女御だけではない。
内裏にはの桐壺更衣さまへの寵を妬むてきばかり。




鳩尾の奥でごろごろする小骨  栗田忠士





高貴な身分であれば、乳母も複数つけられました。
(原作でも源氏には大弐命婦左衛門とふたりの乳母の記述が見えます)
そのうちの大弐の夫は大宰府の次官という実力者で家庭も裕福でした。
乳母というと、つい授乳のイメージをもってしまいがちですが、授乳が終わ
って、ずっと養育係のような形で、その子のそばで暮らしていきます。
また大弐の息子で、源氏と乳兄弟の惟光源氏のよき従者として活躍します。
もともと桐壺更衣は、気品のある、奥ゆかしい、心優しい女性だったのです。
の愛を争う必要のない女房たちのなかには、更衣の人間性をしっかり理解
している人もいました。鈴鹿はそういったひとりです。
一方、乳母の大弐命婦は、弘徽殿女御の思惑をよく知っているだけに、
どこかしら不安な毎日です。




引っ張ると痛いぶらぶらの心  みつ木もも花




初冠の元服は12・3歳の御年頃のはず、その日まで若宮は私の雛鳥。
「この翼でしかとお守りせねば」大弐は思う。
後涼殿。御袴着の儀も終って、女房たちの噂話がかしましい。
「二の皇子のお袴着姿 まるでお人形みたいでしたって」
「拝見したかったわねえ」
「帝が着袴親をなさったなんて、はじめてですね」
「弘徽殿の女御さまの一の皇子の着袴親は、祖父さまの右大臣がなさった
 けれど、桐壺更衣さまには後見の方はないんですもの、仕方がないわ」
「だから帝としては、いっそう肩入れなさったのね」
「そうね めったなことには使わないこの後涼殿の、お道具を全部お出し
 になるくらいですもの」




ハンマーは愚痴向け 釘は寝言向け  中野六助






   「鳳凰円文螺細唐櫃」 (東京国立博物館所蔵)
平安時代のクローゼットです。



幼少時代の大きな儀式といえば御袴着の儀です。
若宮3歳の年に盛大に行われました。
帝は第一皇子に負けないようにと、後涼殿の公の宝物のありたけを出し、
じきじきに袴の腰を結びます。
しかし、この心配りこそが、人々を疑心暗鬼に巻き込むことを、
帝は、知っていたでしょうか。
<あそこまでするのだから、次の皇太子は若宮ではないのか…>
第一皇子の母・弘徽殿だけでなく、誰もがそう感じていました。



切れるほど螺子巻いてみる淋しい日  平井美智子




局では、女房たちのおしゃべりは止まることを知らないようで。
「弘徽殿の女御さまとしては、ますますもめるわね」
「一族の浮沈の問題だもの」
そこへ上位の女房が入ってきて
「余計な口はきかないで仕事をしなさい!」
鈴鹿もそこに加わって
「見たかった-------どんなに可愛いお姿だったことか…どうかお幸せに…」
「鈴鹿!今宵は亥の刻(午後10時ころ)まで筝を弾き続けなさい」
「はい」
「何があっても、やめてはなりません。弘徽殿の女御さまのお達しです」
「弘徽殿の------------?」
時は春、しかし宮廷にも季節はずれの雪が落ちてくる。
鈴鹿 「まあ雪よ!もう春なのに…なんてはかない…見定める間もなく 
 消えてしまう…」






        筝を弾く鈴鹿




天井裏ショパンの名曲流れてる  松島巳女




雅やかな筝の音の中、女たちの策謀が蠢く
女房の鈴鹿の弾く筝の音が、流れるなか、今宵もまた更衣に召されて
いきます。一見優雅に見えるこの光景の裏には、陰々たる女たちの憎悪が
見え隠れします。若宮が生まれる前からもう何年も続いているご寵愛。
もはや他の女性たちは、我慢の限界でした。
もちろんその筆頭は弘徽殿女御。気性が激しく聡明で策略家の彼女は、
ますます激しい苛めを画策します。
「帝の愛を一人占めしたい、そういう方がたのお局の前を毎夜召されて
 ゆく女がいるとしたら」
「そりゃあ腹がたつわ!女ですものわかります」



蒼いピアスあふれるものをもてあまし  太田のりこ




雪明りの中、長廊下を歩み、の待つ清涼殿へと向かう桐壺更衣と女房が
打橋にかかると…。更衣はさまざまな苛めを受けました。
当時は、現在のトイレにあたる厠はなく、部屋にある小さな箱で用を足し
ていました。これを捨てにいく係の者もいましたから、更衣が行く先の
廊下に汚物をこぼしておくことなど簡単でした。
女たちの着物の裾は大変長かったので、考えただけでもぞっとするような
状況になったでしょう。




デスノートに僕の名前が書いてある  福尾圭司

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突破口それは針先ほどの穴  山口美千代






  出産後、光り輝く皇子を伴い宮中へ参上する桐壺更衣




「桐壺の父・大納言の遺言を北の方が大弐命婦へ語るくだり」
『故大納言、いまはとなるまで、ただ、「この人の宮仕の本意、かならず遂げ
 させたてまつれ。我れ亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな」と、
 かへすがへす、諌めおかれはべりしかば、はかばかしう、後見思ふ人もなき
 まじらひは、なかなかなるべきことと思ひたまへながら、ただ、かの遺言を
 違へじとばかりに出だし立てはべりしを、身に余るまでの御心ざしのよろづ
 にかたじけなきに、人げなき恥を隠しつつ、交じらひたまふめりつるを、
 人の嫉み深く積もり、安からぬこと、多くなり添ひはべりつるに、横様なる
 やうにて、つひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなむ』




雨を編む何か信じていなければ  赤石ゆう




「コトバの解釈」
「あの子の父大納言は、死ぬ間際まで『娘の後宮に入りたいという願いを必ず
 叶えてやってくれ。私が死んでも、彼女の夢を諦めさせないように』
 と、繰り返し言っていました。だからこそ、後ろ盾もない宮仕えはしんどい
 だろうと思いながらも、父の遺言を叶えようと、宮仕えさせていました……
 が、過分なまでの主上のご寵愛は、かえって娘を辛い目に遭わせていたよう
 ですね。人々の妬みは深く積もり、気苦労は多かったようです。




あの日からブルーシートを乗せたまま  掛川徹明






           天徳内裏歌合図  (京都博物館蔵)
図は「源氏物語」の「絵合」の帖のモデルになった天徳内裏歌合を描いたもの。
奥が清涼殿。御簾の中の人物は村上天皇。
坪庭を挟んで手前が「後涼殿」となっている。




式部ー光源氏入門 ② ~桐壺の巻 




『はじめよりおしなべての上宮仕したまうべき際にはあらざりき。
 おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふ
 あまりにさるべき御遊びのをりをり、なにごとにもゆゑあることのふしぶし
 には、まづ参上(まいのぼ)らせたまふ、ある時には、大殿籠りすぐして、
 やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前さらず、もてなさせたまひし
 ほどに、おのづから軽き方にもみえしを、この息子、生まれたまひて後は、
 いと心ことに思ほしおきてたれば、坊にも、ようせずは、この息子の
 ゐたまうべきなめりと、一の息子の女御は思し疑えり。




※ コトバの解釈
上宮仕帝のお側近くに仕え、奏上や宣下を伝え身の廻りのことを、細々と
お世話すること。典侍(ないしのすけ)や掌侍(ないしのじょう)と呼ばれ、
尚侍は女官長にあたる。
おぼえ世の中の信望。
上衆身分の高い人
御遊び=音楽を演奏すること。管絃の遊び。
ゆゑあることのふしぶし大変すぐれた趣きや風情をさす。
やがてさぶらはせたまひなど現代では「やがて」は「まもなく」とかそのうち
にという意味で使われるが、ここでは「そのまま」の意味になる。
あながちに=むりやりに
この皇子=光源氏の事。
いと心ことに思ほしおきて=格別に大切に扱った。
坊に=皇太子の事。(東宮坊から)
ゐたまうべきなめりと=お立ちなさるかもしれないと。
一の皇子の女御= 弘徽殿女御の事。




青なのに踏み出す足のまた迷う  石橋能里子




人よりさきに参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たち
 などもおはしませば、この御方の御諫めをのみぞ、なほわづらわしう、心苦
 しう思ひきこえさせたまひける。
 かしこき御蔭をば頼みきこえながら、おとしめ疵を求めたまふ人は多く、
 わが身は、か弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞ
 したまふ』



※ コトバの解釈
人よりさきに参りたまひて=どなたよりも先に入内する事。
皇女= 弘徽殿の女御には、男の子は第一皇子だけでなく、何人か女子がいた。
おとしめ疵をもとめたまふ=あら探しをなさる人たち。
そのご寵愛ゆえに、かえって感じる気苦労。
(帝の)かしこき御蔭=もったいない庇護だが、こうした気苦労をもたらす。




心の奥まで触れたがる土足  松浦英夫




それでは今様に訳して読み進めていきましょう。





      女房たちの羨望の的になる光る君





桐壺更衣は、帝の世話をする女官などではありません。
れっきとしたお妃ひとりです。そして、もともとは誰からも敬われ愛される、
品のよい素敵な女性だったのです。
ところがは、側に置きたいがあまり、時と場合などお構いなしで、すぐに
更衣を呼び寄せてしまいます。
優雅な管弦を楽しむ宴、由緒ある方々と催し物の際など、いつも帝の傍らに
更衣の姿がありました。
ある時などは、一夜を共にした後も、しきたりを無視して部屋へ下がらせず、
昼間もずっとお側にとどめておく、というような異例のこともありました。
とにかく何事につけても「更衣 更衣」と手放したがらないので、
「あれではまるで、お妃というより、身の回りをお世話する身分の低い女房
のよう」などと、陰口を言われてしまうのです。




少し悪意 いいえ悪意 きっと悪意  山口ろっぱ




しかし、更衣との間に息子が生まれて、さすがにも考えました。
このままでは母君だけでなく、その若宮まで軽く扱われてしまう……。
帝はかわいい若宮の将来を案じ、また、更衣もれっきとした帝の息子を産んだ
身なのだからと、もっと相応しい扱いをするように取り計らいました。
でもこれはこれで、人々の新たな憶測を呼びます。
「そんなに大切にするということは、もしや帝は、あちらの若君を自分の世継ぎ
 として、東宮に立てるつもりなのでは……」
特に、一の息子の母、弘徽殿女御の心は、疑いと不安でどろどろと渦巻きます。




ニクロム線の焦げる臭いのする枯野  くんじろう




弘徽殿女御は、ほかの誰よりも早く入内し、の妃となっています。
なにしろ勢力のある右大臣家の姫でしたから、帝も大切に扱い、第一皇子の
ほかに皇女たちももうけていました。
帝にとって、第一夫人の立場にあり後ろ盾や育ちに高いプライドを持つこの
女御のいうことはやはり煙たくはあったのですが、かといってないがしろにも
できず、どのように扱っていいのか、困り果てているというところでした。
 若宮を産んだ更衣は、帝のもったいない寵愛を受けながらも、その深すぎる
愛ゆえに今まで以上の敵をつくることになりました。
蔑んだりあら捜しをしたりする人はさらに多くなり、病弱で世間の逆風を
はね返すような体力も気力もある方ではなかったので、これならば、
いっそご寵愛などなかったほうが、どれほど平和で落ち着いた心安らかな
日々が送れたかと気が塞ぐ日々でした。




正しいを生きて 偏頭痛の発作  太田のりこ






 
        里で母北の方と寛ぐ桐壺更衣





桐壺物語ー②




の寵愛をうけたばかりに、宮中でひどい誹謗中傷をうけ、周囲は敵だらけの
桐壺更衣。帝はといえば、こちらも強力な後ろ盾をもたないため、妻の実家、
右大臣家に政治の実権を握られ、意外と立場は不安定でした。
孤立したふたりが、心から安らげるのは、お互いを見つめ合っている時だけだっ
たのでしょう。若宮誕生の後も、ふたりは離れられず、あらためて深い縁の結び
つきを確認し合う日々でした。
 帝も更衣も、この寝屋から一歩外に出れば、階級社会の呪縛、女性社会特有の
妬みそしりの嵐のなかにさらされる……。位階など関係なく、このひととき、
お互いの温もりのなかにこそ、「生きている」という歓びの実感があり、心から
安らげる場所があったのでしょう。
それゆえ、さらに深い因縁を信じ、「死ぬときも同じ、生まれ変わっても一緒に
なろう」と、何度も誓い合ったはずです。




正さと幸せの距離計っている  高橋レニ




-------皇子誕生の後、初めての内裏に上がった日の夜。
主上「桐壺 私はもうひとりではいきてはゆけないよ」
桐壺「主上さま 私も……」
主上「…母の里は どうだったか」」
桐壺 「恐ろしい目も いじわるな声も聞こえてこない里では、心も体ものび
    のびすることができました。でも、もう一つの心と体が、主上さまに
    お会いしたいと…」
主上 「前世から私たちは結びついているんだよ」
桐壺 「あっ!」
主上 「どうしたのです」
桐壺 「今、若宮の泣き声が…」
主上 「乳母の大弐がついている、左衛門もつけてある。心配はない」
    若宮とそなたは私が守る!今は私の腕の中…なにもかも忘れなさい」
という主上であった。




見つめないで下さい私の裏表  柳本恵子






 乳母として光る君と惟光に乳をやる大弐





当時、身分の高い人々の子供は、実母ではなく、乳母のお乳で育てられるのが
通例でした。のお召しが多く病弱な更衣に代わって、神々しいまでに清らか
で美しい赤ちゃん(若宮)のお世話をしていたわけですから、乳母の大弐の母
性は大いに刺激されたことでしょう。
弘徽殿の女御に、若宮を失明させる秘薬を渡されていながら、無心に乳を含む
若宮の姿に、大弐は若宮を傷つけることなどできないと悟ります。







         浄土ヶ池
帝と更衣が寝所で過ごす同じ頃、浄土ヶ池の深い闇に佇む乳母の大弐。
それでも弘徽殿の顔を思い浮かべては、心は乱れていた。

<できない! 私にはできない。この身が裂かれ一族すべてが滅せられても
…この皇子の光は、私には奪えない>
決意した大弐は、弘徽殿から渡された秘薬の入った壺を池の中へ投げ入れます。
<これでいい>




悲しみを知る人だから裏切れぬ  靏田寿子




当時、病気や不吉なことが起こるのは物の怪の仕業だと考えられていました。
物の怪は人間の恨みつらみが生霊、死霊となあってとり憑き、祟るものです。
大弐の捨てた秘薬によって、大量の魚が息絶えたのも、もとは弘徽殿の激しい
憎悪が原因。
考えようによっては、物の怪が憑いたといえるのかもしれません。
その翌朝、宮廷へ出仕してきた公卿たち。挨拶代わりの愚痴話。
「帝は今朝もまだ、ですか。困りますなあ、帝には、もうお起き願わぬと
 毎日の政事が滞っております」
「帝の、前にも増してその桐壺更衣へのご寵愛…身の程をわきまえぬ桐壺更衣
 も更衣!」
「そうですとも! 唐土の楊貴妃のように国の乱れの因になります」
更衣への傾倒ぶりは、後宮の女性たちだけの話題ではなく、貴族の男性社
会でも関心事です。世間からは、唐の玄宗皇帝楊貴妃を寵愛するあまり、
「暗史の乱」が起きたことが引き合いにだされ、政情不安が危惧されます。




何ですか口の周りの赤いのは  雨森茂樹





  秘薬を飲んでプカリと息絶える池の鯉





そんなところへ、ご注進がとびこんでくる。
「たっ…大変ですっ! 浄土ヶ池の鯉が…全部」
その大変に、何事かと浄土ヶ池のぞき込めば…。
浄土ヶ池を取り囲み民の人々が、「不吉だ」「何かの前兆だ」「物の怪じゃ」
祈祷をしなければと騒いでいます。
一方、秘薬を池に投げ入れた大弐は、淑景舎で若宮惟光を両腕に包み乳を
与えている。
<惟光、お前は若宮の乳母子です。いいですか生涯命をかけて若宮をお守り
 するのですよ>
大弐の子供惟光若宮は乳兄弟。同じ血で育った惟光は、後に光源氏の忠実
な従者として活躍し、特に女性関係で源氏が表だって動けない時など、きめ
細かく立ち回ります。
一方、桐壺更衣の、寵愛ゆえにますます憎まれ、悪い噂ばかりですが、
もとは心優しい高貴な姫君。乳母の大弐やおつきの女房たちは、その本当の
姿を知っていたはずです。




右ひとえ左ふたえで恙なし  吉川幸子





弘徽殿は、帝のおわす清涼殿に近く、桐壺更衣の局の淑景舎は一番遠い。
身分が低かったからでしょうか。桐壺更衣の局は、清涼殿から遠く離れていま
したが、からは毎夜のようにお召しがあります。
他の女御・更衣たちは、部屋の前を通り過ぎていく、桐壺更衣の衣擦れの音を
聞かされるだけ。女御・更衣たちは実家の繁栄を託され入内しているので、
帝に愛されなくては…というプレッシャーは相当なものだったはず。
こうして彼女たちの更衣に対する恨みは夜ごと蓄積されていくのです。
 しかし、更衣との間に皇子が生れて、さすがに帝も考えました。
このままでは母君だけでなく、その若宮までが軽く扱われてしまう。
帝はかわいい若宮の将来を案じ、また、更衣もれっきとした帝の皇子を産んだ
身なのだからと、もっと相応しい扱いをするように取り計らいました。
でもこれはこれで人々の新たな憶測を呼びます。
「そんなに大切にするということは、もしや帝は、あちらの若君を自分の世継ぎ
 として東宮に立てるつもりなのでは……」
特に、一の皇子の母弘毅殿女御の心は、疑いと不安でどろどろと渦巻ます。




寝る前につらいつらい呼吸はやっておく  福尾圭司

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