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川柳的逍遥 人の世の一家言
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あやまち多き身に太陽は傾いて  森中恵美子


青海波を舞う光源氏(右)と頭中将 

もの思ふに 立ち舞うべくも あらぬ身の 袖うちふりし 心知りきや

辛い思いを抱える私は立派な舞いなどできないと考えてのですが、
それでも袖を振って舞った気持は分かってもらえたでしょうか。

「巻の7【紅葉賀】もみじのが」

桐壷帝による朱雀院への行幸は、10月の10日過ぎである。
                                 しがく
身重の藤壺女御に見せてあげるために、帝は「設楽」を清涼殿で行なった。

宮中で催す大イベントには、女性は見物できないという決まりがある。

そこで帝は、行幸のリハーサル「設楽」を行なったのである。

設楽なら、女性の観覧も許されたのである。

そして、この催しで光源氏頭中将の二人は美しい舞いを披露した。

桐壷帝や藤壺をはじめ多くの宮廷貴族たちは感激し、涙を流して見入った。

花吹雪浴びてうっとり春に溶け  須磨活恵

しかし、源氏と藤壺の胸中は、穏やかではない。

藤壺は、密通で出来た源氏の子を宿しているのである。

そして2月、藤壺が男子を出産する。

帝は一刻も早く若宮を見たいと待ち焦がれ、

源氏自身も気がかりで、
彼女の住む三条を訪れるが、藤壺は

「まだ生まれたばかりで、見苦しいから」


と、赤ん坊を見せることを頑なに拒否をする。

赤ん坊は、まさに源氏に生き写しだったのである。

「やはりそうだったのか。神は天罰をこのような形で下されたのか。

   この子は源氏との罪の子であるに違いない」

藤壺は自分の心の鬼に怯え、誰がこの子を抱こうとも、

きっと自分たちの過ちを暴き立てるに違いないと、一人苦しんでいるのだ。

あじさい闇どうにもならぬ事もある  山本昌乃

4月、参内した若宮を抱いて帝は、

「皇子たちは大勢いるが、幼いときからお前だけを抱いて見ていたから、

   自然とあの頃のお前の姿が思い出される。

   この子は実にあの頃のお前に似ている」

と述べられたことに、源氏は顔面蒼白になり、涙が零れそうになる。

藤壺はいたたまれなくなり、全身汗びっしょりになるのだった。

それには桐壺帝は何の疑いを持つわけでもなく、

わが子の誕生を喜び、
藤壺により深い愛情を深めるのだった。

阿・吽のあと2センチが埋まらない  桑原すヾ代

一方、罪悪感に戸惑う源氏は、妻・葵の上になぐさめを求めるが、

いまだ馴染まない。

その上、紫の上(若紫)を邸に迎え彼女の機嫌は、さらに悪化してる。
                   げんのないし
そんなとき、源氏は成り行きで源典侍という老女と密会することになった。

源典侍は、身分も高い才女であるが、好色な性格で、年老いても、

若い男性を相手に恋を繰り返す女性だった。

ところが、その密会の現場を、頭中将に見つけられてしまう。

源氏をからかう頭中将、戯れて2人がじゃれあう様は子供の喧嘩である。

こんな老女と付き合っているのかと囃したてる頭中将も、

実は源典侍との付き合いがあった。 とはいえ、

源氏に嫉妬するような情熱を老女に向けていたわけではないのだが。

二人には少し明るい月あかり  三村一子

老女と親友との戯れあっても、藤壺や葵のことで源氏の心は晴れない。

今、落ち込んでいる源氏の唯一の楽しみは、

性格も容姿も日々美しくなっていく若紫と過ごすことであった。

夜は火を灯して、数々の絵を一緒に見たりする。

出かけようとすると、若紫は絵を見るのを止めてその場に泣き伏してしまう。

源氏は本当にいじらしく思って、背中にかかる豊かな黒髪をなで、

「私が留守にしたら、恋しいの?」

と聞くと若紫はこっくりと頷いてみせる。


「私だって、あなたと会えないのは、一日だって辛いのです。

   でも、恨み言をいう人が多くて、そういった人の機嫌を損ねたくないので、

 仕方なく出歩くのですよ」

若紫は膝に寄りかかったまま、話を聞きつつ、やがてうとうと眠ってしまう。

この若紫の寝顔を見るだけで源氏を慰める時間になった。

一隅をあたためているシクラメン  清水英旺

そんな初秋の日、藤壺が皇后の地位である中宮になり、

源氏自身は宰相の地位に出世するというお達しを受ける。

藤壺は、第一皇子の母である弘徽殿女御をさしおいての出世である。

源氏はこれを決めた桐壷帝は、譲位の意図があるのだろうと思うのだった。

譲位後も、藤壺の子の将来を確かなものにするため、

周囲の位を上げてこの子を守ってほしいと考えているのだと。

弘徽殿女御は、歯ぎしりするばかりであった。



【辞典】 紅葉賀の巻名)
光源氏と頭中将が清涼殿の前庭で雅楽・「青梅波」の舞を披露した。
舞いながらの歌詠みや演奏などがあり、2人の舞を見た人々は、
みんな涙を流して感動した。2人の披露した青梅波では、
きらびやかな衣装に加え、頭には紅葉をかんざしを挿している。
というこことで「紅葉賀」という巻名はこの舞いからきている。

逆転はぽとり涙が落ちてから  上田 仁

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