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川柳的逍遥 人の世の一家言
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耳垢は一括寄進しておいた  井上一筒



    天狗を打ちまかして天狗になった牛若丸


「永井路子さんをところどころ織り交ぜて」

鎌倉時代のナンバー2として、北条義時を挙げ、
源義経を挙げなかったことに、不審を抱く方あるかもしれない。
「義経こそは輝かしいナンバー2ではないか」
「彼が挫折したのは、頼朝に妬まれたためだ。頼朝が悪いのだ。
  そんな兄貴を持った義経が不運なのだ」
義経は単に不運だったのではない。
彼にはもともと、ナンバー2たる性格が欠如していたのである。


謎解きを始める排水溝の泡  小林満寿夫


「鎌倉殿の13人」 義経の欠点 


ーーーーーー
      義 経             義時    義経


「義経ー8」 義経の何でそうなるの


源平合戦も終わりの見えた時、義経頼朝に無断で、
朝廷から左衛門尉・検非違使丞(けびいしじょう)という官職を貰い、
後を追いかけて、従五位下に叙せられ、太夫尉と呼ばれるようになった。
大臣や納言という高級官僚ではないが、武士にとっては憧れの的ー、
頼朝を激怒させたのは、まさにこのことであった。
頼朝は、東国武士の行状は眼代(目代)に逐一報告させている。
後に公平に恩賞を与えるためだ。
 だから、頼朝は出陣に当たって
「恩賞は後でまとめて朝廷に申請する。抜け駆けで貰わないように」
と、いい含めていた。 また朝廷にも同じように、
「個別に恩賞を与えないでくれ」
と申し入れている。
これは、頼朝の心が狭いからではない。
統一して恩賞を配分しないと、苦情や仲間割れが出るからだ。
そのことを義経は理解していなかった。


約束などしてましたっけカプチーノ  山本昌乃


頼朝を怒らせてしまったことがもう一つある。
今でいうところの無頓着の義経が、ついふらふらとその気になってしま
って、朝廷から任官をご褒美としてもらっているのを見ていた東国武士
たちも、「われわれも」と官位を望みはじめ、事実、十数人が任官して
しまった。
とかく人間は、オオカミの下さる肩書には弱い、頼朝との間に取り交わ
された約束は、フイになりそうな状態が現出したのである。


閂を外せば秋がなだれ込む  嶋沢喜八郎


ーーーーーー


頼朝は鎌倉で真っ赤になって、そのとき任官した人々へ投げつけた言葉
がふるっている。
「眼ハ鼠、眼ニテ、只、候フトコロ任官稀有ナリ」
(鼠のようなきょろきょろ眼が任官などとは珍しい)
「音様シワガレテ、紅鬢(こうびん)少々で刑部ガラナシ」
(しわがれ声で、紅鬢も格好悪いあいつ、刑部烝って柄かい)
日頃物静かな頼朝、すっかり取り乱している。
そして、
「お前ら、勝手に朝廷に仕えるがいい。もう東国へ戻るな。
 本領は召上げだ。帰ってきたら断罪だぞ」
と、凄んでいる。
※ 紅鬢=後頭部の部分の髪
  刑部烝(ぎょうぶのじょう)=律令制下の省の一つ


銀河系なのか排水口なのか  くんじろう


頼朝は、折角築き上げてきたものが、根底から覆されることに危機感を
抱いたのだ。
それにしても、この雪崩現象の発端は、義経の任官にある。
このことである。
「あいつさえ任官しなかったなら…」
頼朝は煮えくり返る思いだった。
このとき怒鳴りつけられた面々は、平身低頭で謝罪し、やっと許して
もらった。

ところが義経は、自分の重大な過失に気がつかない。
というよりも過失とは思ってもいない。
「太夫尉になるのは、我が家の名誉だと思ったから頂いたんです。
 わたしのどこが悪いの?」
こういう考え方だから、鎌倉へ帰って来ても、頼朝から対面を拒否され
たのである。


言い訳をすればするほど爪が反る  笠嶋恵美子


この任官などの知らせに、鎌倉にいた頼朝が激怒したことが、
『吾妻鏡』に、次のように記されている。
「秀衡が郎党、衛府を拝任せしむること、往昔よりいまだあらず」
(秀衡の郎党の者が、高い官位を賜るなど前代未聞である)
頼朝は義経が自分に無断で、しかも敵・藤原秀衡の家臣・忠信とともに
官位を受けたことを、源氏への「裏切りである」としたのである。
兄・頼朝の怒りを知らない義経は、平氏打倒の喜びをともに祝おうと
凱旋の途についたが、義経は頼朝に鎌倉入りを拒絶された。
義経にしてみれば「兄ちゃん 何で?」なのだ。
 

 膝に埋めておこう寒い風景  山口ろっぱ
 
 
衝撃を受けた義経は、兄の怒りを解こうと一通の手紙を認めた。
「腰越状」といわれるものである。
「私は平氏を滅ぼすため、ある時は岩石に駿馬を鞭打ち、
 大海に風波を乗り越え、命を顧みず戦ってきました。
 しかし、今は、兄上に長い間にお会いすることもできず、
 悲しみと涙で血がにじむ思いです」 
しかし、義経の思いは、兄・頼朝に届かなかった。
一度も面会を果たせないまま、義経は失意のうちに京へと向かった。
義経が自刃する4年前のことである。


1ミリの隙間埋めれぬまま別れ  上田 仁


 
       前9年合戦 後3年合戦


頼朝義経との仲違いの原因というのが、頼朝に断りなしに義経が朝廷
から褒美をもらったことが、「甚だけしからん」ということで、頼朝が
怒ったと思われがちだが、
それとは別に、頼朝にとって、奥州藤原氏という存在が、ものすごく気
がかりだった。
奥州は、源氏にとってゆかりの地というか、怨念の地というべき所で、
先祖の鎮守府将軍・源頼義、あるいは八幡太郎義家の時「前九年合戦」
「後三年合戦」
という戦争があって、本当は源氏は、その時に奥州を手
にいれたかった。
しかし、結局それは叶わず、かわりに平泉藤原氏が奥州を掌握したから、
頼朝としては、何としても先祖以来の宿願を果たして、奥州を手に入れ
たいという気持ちがあった。
 

膝に埋めておこう寒い風景  山口ろっぱ
 
 
話を少し戻す。
頼朝義経の富士川での初対面に、義経が佐藤兄弟を同行してきたこと
について…。
佐藤氏というのは実は、平泉藤原氏の先祖伝来の代々の家来である。
佐藤氏があるから、藤原氏があるというぐらい。
藤原秀衡の最初の奥さんは、佐藤氏出身の女性だった。
義経が初めに平泉で貰った奥さんも、佐藤氏ではないかという説もある。
秀衡の名代として義経が「頼朝の動きをずっと牽制している意図がある」
ということで、頼朝にとっては、非常に気味の悪い事だった。


瘡蓋の下は炎が立っている  和田洋子


「義経が兄に嫌われた原因、又、失敗を総ざらいすると」
1, 失敗の第一は、現状認識の欠如である。
 このときの頼朝の目指した戦は、単に平家への仇討ではなく、
 歴史的転換点にたった戦だった。
 そのことがよく呑み込めなかった義経は、平家を倒して、平家の様に
 出世することしか考えていなかったのだ。
大体、彼の行動は華やかすぎた。
 ナンバー2にスタンドプレーは禁物である。
 少なくとも、彼の名声のお蔭でナンバー1が、
 霞んでしまうようなことがあってはならない。
 たとえナンバー1がロボット的存在でも、それを表面に押し出して、
 自分は黒子に徹するべきなのである。


内臓にドンキホーテがもうひとり  通 一遍


2, 
組織の中の自分の位置づけができていなかった。
 義経は有能だがあくまでも組織の一員である。
 チームワークを無視して一人突出してはいけないのだ。
 ワンマンの独断は許されえないのに、
 才能にまかせてやりすぎてしまったのことである。


片意地の納めどころを見失う  津田照子


 
                            静御前


3,個人生活にも難点があった。
 1つは、都きっての名白拍子、静御前を恋人としたこと。
 白拍子というのは、男装の舞姫で、今ならさしずめ宝塚の男役スター
 といったところである。
 兄貴の頼朝が、田舎女の北条政子を妻にしているのに、天下のスター
 と浮名をながしては、反感を買うのに決まっている。


人間の心は足して二で割れぬ  但見石花菜


文治11年(1186)4月4日のこと。
 鶴岡八幡宮に召され、若宮回廊で頼朝を前に、静御前が舞を舞い歌っ
 たときの歌が残る。
”しずやしず 賤(しづ)のをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな”
静よ静よと繰り返し、私の名を呼んでくださったあの昔のように
   懐かしい判官様の時めく世に、今一度したいものよ」
「この場で、赤面もなく、何という意味の歌を歌うのだ!」
頼朝の肚は煮えくり返ったに違いない。


不幸より感度が鈍い幸福度  ふじのひろし


4,さらに義経は、大納言・平時忠からも娘をあてがわれた。
 時忠は、清盛の妻の弟で大変な策士である。
 家の繁栄を築き上げた功労者で、壇ノ浦で捕えられたものの、
 どこでどうたらしこんだのか、都に戻ると、自分の娘を義経に娶めあ
 わせてしまった。
 蕨姫(わらぶひめ)というこれまた美女であった。
 時忠は平家の大物だから、都へ帰ると、能登に配流されることに決ま
 ったが、ふてぶてしく居直って、なかなか配流先にいかない。
 これは娘婿になった義経が「蔭で工作していたのではないだろうか」
 である。 
これが頼朝憤慨の一因になった。
 

ポンと背を押されて一線を越えた  桑原伸吉
 

「義経の-面を書き連ねたあとは、一寸+な源平エピソード」



                                            義経八艘飛び
 

 
剛の者である平教経(たいらののりつね)は、鬼神の如く戦い坂東武者
を多数討つが、知盛が、

「既に勝敗は、決したから罪作りなことはするな」
と、命じた。
教経は、ならば敵の大将の義経を道連れにせんと欲し、義経のいる船を
見つけてこれへ乗り移った。

教経は、小長刀を持って組みかからんと挑むが、
義経は、ゆらりと飛び上がると、船から船へと飛び移り、
八艘彼方へ飛び去ってしまった。
義経の「八艘飛び」である。

義経を取り逃がした教経に、大力で知られる安芸太郎が、討ち取って手柄
にしようと同じく、大力の者二人と組みかかった。

教経は、一人を海に蹴り落とすと、二人を組み抱えたまま海に飛び込んだ。


歯車を脱けてクラゲで生き延びる  原 洋志

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