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川柳的逍遥 人の世の一家言
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不器用な男が不器用に消える  くんじろう



 「加賀国安宅新関武蔵坊弁慶勧進帳読吟欺冨樫趣陸奥之図」 歌川芳虎


「義経の失敗はこういうこと」

 義経は企業でいえば、海外における大きなプロジェクトを、
まかされた現地の総責任者なのだ。
現地に行ってみれば、思いがけないハプニングが起こる。
その場で処理しなければならない場合もあるだろう。
が、大事なことは、本社と相談、その指示を仰ぐべきである。
まして、そのプラントに対する支払いが行われた場合、
現地で山分けす
るなどはもってのほか…。
が、義経は、それに近いことをやってしまった。
反省も進歩もない。人を使うどころか、反逆者にもなる無知である。
頼朝にしてみれば、「こいつはダメだ」なのである。


「鎌倉殿の13人」 「義経破滅への逃避行」
 


      木曽街道69次上松 歌川国芳

何を見ているのか、義経家来・江田源三が「松の木に上って」
遠景をのぞんでいる。



「義経ー9」 義経終焉


「義経暗殺」

「平氏打倒」の悲願を胸に立ち上がった義経は、
天才的な戦術で数々の戦に勝利し、一躍、その名を天下に轟かせた。
しかし、ある日から、義経の運命は一変、兄・頼朝は義経の功績を認め
なかったばかりか、反逆者として追放され、逃亡者の身となっていく。

文治元年10月、京の都に戻った義経は、突如、襲撃を受けた。
頼朝が、「義経暗殺」のために差し向けた軍勢の仕業である。
「兄・頼朝のため、命も顧みず平氏と戦った自分が、なぜ、
 このような仕打ちを受けるのか」
度重なる屈辱に加え、命までも狙われるに至って、
義経はついに、兄・頼朝に反旗を翻す決意をかためた。


ぼうふらのくねくね容赦ない殺意  前中知栄
 

そこで義経は、朝廷に働きかけ「頼朝追討」の宣旨を入手した。
頼朝追討の大義名分を得た義経は、ともに平氏と戦った西国の
武将たちに決起を呼びかけた。
しかし、義経に応える者はなかった。
この時、頼朝は義経に従うなという命令を西国に発していた。
頼朝の力は、すでに朝廷の権威をも凌ぐほどになっていたのである。
さらに頼朝は、朝廷にも圧力をかけている。
すると朝廷は、今度は逆に、義経の官位を剥奪し、追討を命じる宣旨を
下したのである。


突然に角封筒という出会い  山本早苗


朝敵となり、追われる身となった義経は、わずかな家臣たちとともに
京を脱出し、山伏姿に身を変え、山中に身を潜めながら、
流浪する日々が始まったのである
そこにはかつての英雄の面影はなかった。
一行は、吉野山や比叡山に身を潜めたあと、北陸へと逃れたが、
頼朝の追及の手は全国に及び、義経たちを追い詰めていった。
<最早、逃げられる場所はただ一つ、藤原秀衡のいる奥州平泉…>
義経一行は一縷の望みを胸に、平泉をめざした。
しかし、義経が平泉に向ったことが、さらなる波乱を巻き起こした。
平氏を倒した頼朝の次なる狙いは、奥州藤原氏だった。
義経が奥州に入ったことは、頼朝の奥州攻略に格好の口実を与えること
になったのである。


下り坂雲見る余裕更になし  柴本ばっは


文治2年4月、藤原秀衡のもとに、頼朝から一通の手紙が届いた。
<奥州から朝廷に献納する金や馬などの貢ぎ物を、鎌倉を経由して届け
 るよう> 命じる書状である。
藤原氏にとって、貢ぎ物は朝廷との関係を保ち、奥州の自治を黙認させ
る命綱だった。
頼朝はそれを断つことで、朝廷と奥州藤原氏の結びつきを、弱めようと
したのである。さらに頼朝は、秀衡の領土である奥州にまで、実質的な
支配の手をのばしはじめていた。


無理数を並べて今日を引きずって  森田律子


同じ年の暮れ、義経一行は奥州に辿りついた。
しかし義経は、平泉の手前で足を止めた。
<もし今、秀衡殿が自分を受け入れれば、頼朝がだまってはいまい。
 となれば、奥州、そして恩ある秀衡殿を戦に巻き込む> 
ことになる。
義経はこのまま立ち去ることも覚悟で、秀衡に使者を送った。
義経到着の知らせに、秀衡も悩んだ。
頼朝の手は、確実に奥州に迫りつつあった。
しかし、奥州の繁栄をむざむざ頼朝に奪われることは、
藤原氏にとって耐えがたい屈辱である。
そもそも奥州藤原氏の配下には「奥17万騎」という強大な兵力がある。


十指みる私のこころ問いただす  津田照子
 


     義経奥州藤原平泉館にて、秀衡親子と対面して
一段上に秀衡、その隣が義経。下段に国衡・泰衡がいる。


思い悩んだ末、藤原秀衡は罪人となった義経を、あえて平泉に受け入れ、
鎌倉軍に対抗することにした。
<優れた軍馬と刀剣で武装する17万もの奥州軍>
<そこに平氏を滅ぼした猛将、義経の戦術が加われば、強大な鎌倉軍と
 いえども、恐れることはない>
秀衡はそう確信した。
秀衡は、義経を自分の館に迎え入れ、心づくしの酒宴を開いた。
義経は、1年以上にも及ぶ流浪の旅からようやく解放された。
<昨日まで偽山伏の姿に身をやつしていた私が、ようやく還俗し、
 一人前の武士に戻ることができた>

と、義経の伝記・『義経記』に記されている。


神様の決めたフロアで踊り切る  鶴見美佐子


「義経自刃の1年7ヶ月前」

頼朝との戦いの準備を進めていた秀衡の身に、思いがけない不幸が、
ふりかかった。
秀衡が突然、病の床に伏してしまったのである。
容態は日に日に悪化していった。
死を覚悟した秀衡は、
義経と2人の息子・泰衡・国衡を枕元に呼び寄せ、遺言を伝えた。
「3人一味して、頼朝を襲うべきの籌策をを廻らすべし」
<お前たち3人で頼朝を倒す計略を考えろ>
というのだ。
3人は死を目前にした秀衡の目の前で、起請文を書き、火にくべた。
そしてその灰を飲み干し、力を合わせて、頼朝と戦う強い意志をしめし
たのである。


転んだらデコに移動の力こぶ  ふじのひろし


文治3年10月、秀衡はこの世を去った。
<いかに親の嘆きや子の思いといっても、秀衡殿との別れに勝るものは
 ございません>
こう言うと義経は、人目をはばからず、号泣したと伝えられている。
義経は、反逆者として追われる自分を、只一人受け入れてくれた秀衡の
恩に報いるためにも、頼朝と戦う決意を新たにした。
この決意を伝え聞いた頼朝の家臣は、頼朝の、
「一挙に踏みつぶしてくれん」
と逸る気持ちを押しとどめている。
「戦上手の義経の指揮に従って、平泉の兵が戦えば、奥州を手に入れる
 ことは百年経っても、二百年経っても、不可能でしょう」
義経率いる奥17万騎に、義経を支援する西国の武将たちが加われば
鎌倉が危うくなるという事態に、頼朝は方針を変え、奥州藤原氏の内部
分裂を謀る作戦に出た。


天辺と底辺少し違うだけ  新家完司


頼朝は朝廷に、「奥州藤原氏の当主・泰衡が義経を匿う罪は重い」とし、
「泰衡追討」の宣旨を願い出たのである。
これには泰衡も、衝撃を受けた。
<朝廷に反逆者とみなされれば、奥州自治の根拠をうしなうばかりか、
 全国の武装たちを敵に回すことになる>
家臣の間からも、
「義経を引き渡すべきだ」
という意見が上がり始めた。
<義経を差し出すべきか、あくまで父・秀衡の遺言を守り、
 義経とともに戦うべきか>
泰衡の心は揺れ動いたが、朝敵になることを恐れた泰衡は、
朝廷に書状を送った。
「義経を尋ね進ず」 と。
<義経の居場所を探し出し、身柄を引き渡します> という意味である。


私の根っこにも少しあるマグマ  古田祐子


これは時間を稼ぐための苦肉の策だった。
しかしこれを知った頼朝は、さらに朝廷に圧力をかけた。
「泰衡が請文、いささかも御許容の限りにあらず。
 速やかに、追討の宣旨を下さるべし」
(泰衡の手紙を信じてはいけません。どうか速やかに、
 泰衡追討の宣旨を、お下しください)と、言い
さらに頼朝は、奥州出兵の期日を朝廷につきつけた。
泰衡は、追い詰められた。
<義経殿を大将にして、頼朝と戦うことは、亡き父の悲願である。
 しかし、このまま義経殿を匿えば、我が藤原氏は朝敵とされる>
泰衡は、最後の決断を迫られた。
このころ義経が何を考え、どう動いたのかという記述はない。
頼朝の朝廷工作によって、
「奥州藤原氏が追い詰められ、自らの身にも危険が迫っている」
ことを知りつつも、義経は平泉を離れようとはしなかった。


雲海がそっと言い訳包み込む  靏田寿子



        奥州17万騎もむなしく


文治5年(1189)閏4月30日、
義経の館を泰衡の軍勢数百騎が取り囲み、矢を射かけた。
すべてを知った義経は、残った家臣に館に火をかけるように命じ、
一人、そのなかに籠った。
父とも慕った秀衡の恩に報いるべく、兄・頼朝との対決を決意した義経
 だったが、その志は、恩人秀衡の息子・泰衡によって絶たれたのである。
燃えさかる炎のなか、義経は自刃した。31歳だった。


牛の眼が濡れていたならそれは海   竹村紀の治


【終焉】

義経の死から一ヵ月後。
頼朝は、泰衡が送った「義経の首」を鎌倉に入れることを拒絶している。
そして、大軍を率いて奥州へ出陣した。
それは義経が討たれた今、
「奥州追討はすべきでない」
という朝廷の制止を押し切っての出兵だった。
激しい抵抗もむなしく、義経なき奥州軍は敗北し、
泰衡は敗走の途中に家臣に討たれた。
文治5年9月3日、平泉は陥落した。
ここに百年にわたり、繁栄を誇った奥州藤原氏は滅んだ。


カーテンコールなしで天寿は閉じました  美馬りゅうこ

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