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川柳的逍遥 人の世の一家言
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いつか来る別れと割箸は思う  杉浦多津子



                                    源平八島長門国赤間関合戦の図


「梶原景時の讒言癖」

景時頼朝の出会いは、石橋山敗戦直後のことである。
平氏軍に属していた景時は、敗れた頼朝が山中に身を潜めていることを
知りながら、平氏方の目を欺き窮地を救った。
以後、頼朝の側近となり、幕府草創の功労者である「上総広常の暗殺」
という汚れ役も進んで引き受けた。
行政官としても、優れた手腕を持っていた。
一方で景時には「讒言癖」がある。
「頼朝と義経が対立」する原因をつくったのも、景時の讒言である。


七並べから始まったいけずの芽  オカダキキ


「義経と景時の大喧嘩」

屋島の戦いの直前、渡辺津を出航するにあたり義経は、戦奉行の景時
と軍議を開いた。このとき景時は、
「船の進退を自由にする逆櫓(さかろ)を付けましょう」と、
提案した。 それを聞いた義経は、
「戦う前から逃げ支度をするのか」
と、景時を小馬鹿にした苦笑を零し、さらに義経は
「そのようなものを付ければ、兵は退きたがり、不利になる」
と、にべもなくその意見を一蹴した。 景時は、
「進むのみを知って、退くことを知らぬは、猪武者である」
と言い放つと、義経は、
「初めから逃げ支度をして勝てるものか、私は、猪武者で結構である」
と言い返した。
お互いゆずらない丁々発止の喧嘩を始めた。否、「逆櫓論争」である。
この時、景時は義経に深く遺恨を持ち、のち頼朝へ讒言した。


ルート3覚えてからのひがみ癖  雨森茂樹
 


            源平八島合戦図

 
「鎌倉殿の13人」 平家最後の決戦・壇ノ浦


「義経ー6」 義経のやったこと


義経は一ノ谷攻撃のあと、屋島でも騎兵の集団運用を行い、疾風が木の
葉を巻き上げるように平家を海上に追いやった。
平家は、勝利しかない状況で、合戦の場を屋島~壇ノ浦に移した。
平家としては、もともと海の戦いを得意とする。
このため、少しでも有利な海戦に持ち込もうと、彦島を出て、一丁ほど
離れた波の癖を知る壇ノ浦に向かったのである。
 一方、源氏は、勝利を重ねるにつれ水軍も充実し、壇ノ浦開戦時には、
平家の想像を超える水軍力を有するまでになっていた。
だが平家は、元々、西国を拠点としており、海の戦いは慣れたもの。
勢いの源氏か、海を熟知する平氏か…の最終決戦となった。
3月24日、攻め寄せる義経軍水軍に対して、知盛率いる平家軍が彦島
を出撃して、午の刻(正午)に、壇ノ浦にて両軍の合戦が始まった。


片耳を残して船は出ていった  笠嶋恵美子


関門海峡は潮の流れの変化が激しく、これを熟知する知盛軍は早い潮の
流れに乗って、フルに矢を射かけて、海戦に慣れない義経軍を圧倒した。
やはり海上戦ということで、知盛軍有利に進み、満珠島・干珠島のあた
りにまで、義経軍を追いやっていく。
そして、勢いに乗った知盛軍は、義経を討ち取るところまで攻め寄せた。
ところが、戦の神はあらぬところを向く。
やがて潮の流れが、源氏有利に向きを変えたのである。
同時に、田口成良率いる水軍3百艘が平氏から源氏に寝返ったのである。


夜の海主語も述語もいりません  柴本ばっは


 
             「長門国赤間の浦にて源平大合戦平家亡びる図」歌川国芳


 
右・敗戦を伝える知盛、泣き崩れる女官


敗戦に敗戦を重ねる平家には、戦いを持続する兵力がない。
さらに対岸の九州地区には、源範頼の勢力範囲でもあり退路もない。
<もはやこれまで>と、知盛は、建礼門院二位尼らの乗る女船に乗り
移ると「見苦しいものを取り清め給え」と、みずから掃除をしてまわる。
口々に形勢を聞く女官達には、
「これから珍しい東男をごろうじられますぞ」と笑った。
これを聞いた二位尼は死を決意して、幼い安徳天皇を抱き寄せ、宝剣を
腰にさし、神璽を抱えた安徳天皇が<どこへ連れてゆくの>という表情
で仰ぎ見れば、二位尼は、
「弥陀の浄土へ参りましょう。波の下にも都がございますよ」と答えて、
ともに海に身を投じた…。
(『吾妻鏡』によると二位尼が宝剣と神璽を持って入水、按察の局が安徳
 天皇を抱いて入水したとある。)
かくして元暦2年(1185)3月、長門国赤間の浦にて平家は滅びたの
である。


諦めという悲しみの置きどころ  伊達郁夫


 天才的な戦術を駆使して戦った義経は、ついに幼いころから夢見た平氏
打倒の悲願を達成した。
が、しかし、これは頼朝が望むところではなかった。
頼朝は朝廷から合戦に当たって、
「平家一門に奉じられて都落ちした安徳天皇と三種の神器を無事にとり
もどすこと」
を条件として申し入れられている。
が、結果はどうか。
安徳天皇は入水し、宝剣は行方知れず、取り戻したのは、
鏡と玉璽(ぎょくじ)のみ。
これでは頼朝としては素直に喜べない。


守れない約束もある今日の風  靏田寿子



     源義経


一方、義経とすれば、
「勝ちちゃいいんだろう。文句言うな。合戦の現場に立ってみろ。
 そんな器用な真似ができるかってんだ」
現場と首脳部の間にいつも起こりがちなトラブルである。
しかし、この戦の意義が何だったか、全体的な把握ができていれば、
義経はそんなことは言えなかったはずだ。
治承4年(1180)の頼朝による東国の旗揚げは、
これまで西国の支配に喘いできた彼らの独立運動のようなものである。


派手に砕けたのは豆腐かわたくしか  桑原伸吉


「永井路子さんの語る義経」

義経は東国育ちではない。
だから東国武士が肌で伝え、感得してきたこのヒエラルキー(三角形)
の組織への理解が不十分だった。
かれの悲劇はそこにある。
「木曽攻め、平家攻め」はいわば三角形の大移動だ。
このとき東国武士団は、歴史始まって以来ともいうべき大実験をやって
いる。というのは、
トップの頼朝は鎌倉を動かず、この三角形をリモートコントロールする
という方式だ。


糸が揺れて鳥になる魚になる  酒井かがり


はたして頼朝が動かずに、東国武士団という三角形は、崩れずにその姿
を保てるだろうか。
出陣にあたって、だから東国武士団は、これに備えた方式を編み出した。
すなわち、総大将は頼朝の「身代わり」である範頼義経
ただし、これはあくまでも、頼朝の身代わりをつとめる象徴的存在で、
独断専行を許さない。
その行動をチェックするのが「眼代」または「軍監」という存在で、
彼らは総元締めとして人々の行動を統括する。
部署の配置、出陣の順序を申し渡し、すべてを取り仕切り全軍がこれに
従う。
また、その戦闘の経過、功績の有無を記録し、頼朝に報告する。
これが後日の、恩賞の基本台帳になるから、あくまで客観的でなければ
ならない。


自分史を留める画鋲がみつからぬ  百々寿子



     梶原景時


功績は本人の申し出によるが、それには確実な保証(敵の首、味方の証
言など)が必要だ。もちろん失敗、落度も洩れなく報告する。
総大将も、この眼代に相談せずに陣を進めることは許されない。
今ならさしずめコンピューターの役である。
すべての情報を叩きこんで頼朝へ送るから、頼朝は誤りない指示を与え
ることができるのだ。
ミスター・コンピューターともいうべき役が、義経における梶原景時
範頼における土肥実平だったのである。
範頼は、よくコンピューターを使いこなした。
彼の分担した中国筋での戦は、苦しかったが、結局、大過なく務められ
たのは、土肥実平と相談して対処したお蔭である。


天使にも配分がある昼と夜  有田一央


義経はコンピューターと喧嘩してしまった。
思う通りの答えが引き出せないと、義経は
<こいつは役にたたない!><合戦にコンピューターなどいるものか>
と、どんどん戦をすすめてしまった。
また景時コンピューターは、意地が悪いほど正確で、
そうした義経の行状を逐一記録してしまったので、頼朝は
「義経は、俺にも相談なしに勝手なまねばかりしよる」
と怒ったのである。
確かに合戦は理詰めではいかない。勘が必要だ。
が、それは局地戦のことであって、総合戦略を考えるときは、
軍隊内の融和が必要であろう。 景時が、義経を評して、
「所詮この殿は、大将の器ではない」
と言ったのは、このことを指すのである。


右向けと言われ小首かしげとく  三村一子


さらに義経は重大なミスを犯しいている。
この合戦の終わらないうちに、彼は頼朝に無断で、朝廷から左衛門尉
検非違使(けびいし)という官職を貰ってしまったのだ。
後を追いかけて、従五位下に叙せられ、太夫尉と呼ばれるようになる。
大臣や納言という高級官僚ではないが、武士にとっては憧れの的、
頼朝を激怒させたのは、まさにこのことであった。
頼朝は東国武士の行状は、眼代(目代)に逐一報告させている。
後に公平に恩賞を与えるためだ。  だから頼朝は出陣に当たって
「恩賞は後でまとめて朝廷に申請する。抜け駆けで貰わないように」
といい含めている。 また朝廷にも、同じように
「個別に恩賞を与えないでくれ」と、申し入れている。
これは、頼朝の心が狭いからではない。
統一して恩賞を配分しないと、苦情や仲間割れが出るからだ。
そのことを義経は理解していなかった。


がっちゃんは自爆する音生きる音  合田瑠美子

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