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川柳的逍遥 人の世の一家言
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真水を知らないままで育つ蓮の花  靏田寿子



                安宅の関所付近で遊ぶ子らを呼ぶ弁慶
 
 
「院宣は時代時代の旗の色」

変幻自在で狡猾な後白河
<この際、兄弟喧嘩をさせ相討ちで源氏を滅ぼそう>
という策略にはまり、「頼朝追討」の院宣を受けてしまったことに、
義経の零落が始まった。
頼朝は怒り心頭に達し、ただちに全国に義経殺害を発令。
「兄ちゃん俺にそんな心算はない」のに…言い訳も聞いてもらえず、
もとより兄と戦争などする気のなかった義経は、弁慶や家臣・静御前
らととともに逃亡生活に入った。


バーコード軽いジョークに乗せられる  美馬りゅうこ
 

 
薄墨の笛を吹く笛の名手義経 (葛飾北斎画)
 

「鎌倉殿の13人」 義経伝説
 
 
「義経ー10」 弁慶と勧進帳


逃避行の吉野山中で、女嫌いの弁慶は主の義経に、
「これから先の道中を考えると女の脚ではむりがあります。
 この辺りで、静さまと別れましょう」
切り出した。本音は、足手まといだと言うのである。
しばらく義経は躊躇ったが、
「弁慶の言うことがもっともで、危険も伴う」
と思い、それを静御前に告げると、
その美しい瞳から、止まることもない涙を零した。


つまらない顔をしないできれいだよ  市井美春


吉野で別れた静御前は、山を下る途中、義経から貰った財宝を、
家来たちに持ち逃げされ、途方に暮れているところを執行僧に捕えられ、
鎌倉の頼朝の前に送られた。
頼朝は、義経の居場所を厳しく尋問したが、答えようもなく、
元白拍子の彼女は、自ら舞いを願い出て、鎌倉・鶴岡八幡宮は頼朝の前
で、工藤祐経の鼓、畠山重忠の銅拍子に合わせ、
<吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき >
と、吉野山で別れた義経を恋い慕う歌を、堂々と歌い舞った。
吉野の白雪を踏み分けて山深くお入りになってしまった義経様が恋しい
~と、歌ったのである。


踊りますあなたとならば喜んで  前中一晃



 
鶴岡八幡宮ー頼朝の前で舞う静御前
 

静御前の舞いに、頼朝は不機嫌になった。
「関東の万歳を祝すべき祭典に当たって反逆の義経を慕い、
 その上別れの曲を謡うとは、 反抗的で奇怪千万なり!
 手討ちにいたす!」
と、激怒し、刀の柄に手をかけた。
頼朝の焼きもちに、火を焚きつけるようなことになってしまった。
 
源氏の繁栄を寿ぐ舞台は、一転、不穏な空気が漂った。
そこへ頼朝の隣に坐していた妻の政子
「女心が分からない、野暮な佐殿(すけどの)」
と、頼朝をなじり、憮然としてその場に腰をおろした。
そして続けて、
「私お気持ちは今の静御前と同じです。
 もし彼女が義経の長年の愛を忘れたように舞うならば、
 それは女の道に背く行いでしょう」
と、言って頼朝を諭した。


春はあけぼの光と遊ぶ花一輪  藤本鈴菜


政子の取りなしで、その場の騒然はおさまり、
頼朝も静の心情を解し静の舞いを賞でた。
 『吾妻鏡』には、静御前の舞いの場面について、
「誠にこれ社壇の壮観、梁塵もほとほと動きつべし」
(~梁の塵を動かすほどの見事な舞であった)
と絶賛している。
その後、静御前は、京で尼になったとも、奥州に逃れた義経を追い、
途中の武蔵の栗橋で病死したとも伝わる。


ピンからキリこの手の届くこの辺り  津田照子



見栄を切る弁慶と七つ道具 (葛飾北斎画)


「武蔵坊弁慶」 安宅の関


静御前に鎌倉でそんなことがあったころ。
陸奥国奥州平泉を目指す義経一行は、北陸路をたどり、
加賀国安宅関に近くまで来た。
離れたところから見ても、関所の厳しい警備に隙がない。
門前には、切り落とされた山伏の首が晒されている。
それには一行は驚愕した。
その近くで遊ぶ松葉かきの子どもたちのところへ来て、山伏姿の弁慶が
「この関は、山伏を通してくれるだろうか?」
と訊ねた。
「通してくれるよ」との子どもの答えに、
笑顔をみせ弁慶は、褒美に扇を与え、関所へと向かった。


撃たれないように進もうジグザグに  新家完司


一行が関所に入ると、鹿爪らしく坐す関所奉行の富樫泰家が、
一行の先導をする武蔵坊弁慶に、
「どこから来たのか?」
厳しい口調で訊いてくる。弁慶はすかさず
「加賀です」と、答えた。
「我々は、頼朝殿の命令で検問を強化している。
 少しでも怪し気ば者は、通してはならぬと厳命されておる」
と、脅すように言う。
「で…、その方らそこへ何をしに行くか」
「自分たちは東大寺再建のために、諸国を巡り勧進をしております」
と、弁慶が応えると、富樫は義経を睨んで、
「本物の山伏というなら、勧進帳を持っていよう。
 そこの若いの読んでみよ」
「勧進帳」は所持しているものの、中身は白紙で義経は読めない。
頭の中が真っ白になりオロオロしていると、機転を利かせた弁慶が
「お前が字を読めないから疑われる」
と言うと、巻物を広げると、白紙の勧進帳を朗々と読み上げた。


初蝶は何色と問う無人駅  前中知栄



     弁慶、主人義経を打つ (三代歌川豊国)


あまりに堂々と読み上げたので、富樫は納得して通行を許可した。
だが、一難去ってまた一難。
富樫は弁慶の迫力におされて通行を許したが、強力に変装した義経
真近に見て、違和感を抱いた関の従者が、奉行の富樫に進言してきた。
「一行は、もはやここまでか」
と、覚悟を決め、戦闘態勢に入ろうとしたとき
弁慶は、寸瞬、機転を利かして
「礼を失する態度をとったは、また、お前か!」
と叱って、義経を杖で打ちはじめた。
それを見た富樫は、流石に
「主人に手をあげるような家来はいるまい」
と弁慶たちに詫び、通行を許した。


わたくしの鬼門へたっぷりの万両  山本昌乃



      蒙古兵を迎えうつ北条宗時


「伝説」 チンギス・ハーン


「義経は奥州藤原氏に討たれたのではなくて、
 秋田や青森を通って、北海道まで行ったそうですね」
「いやそれどころか、大陸に渡って、ジンギスカンになったというじゃ
 ありませんか」
人の生死は、その場にいた人でなければ、確認できない。
もしかしたら、彼は生き延びたかもしれず、
秋田や青森さらに北海道に渡ったかもしれない。
渡らなかったという証拠がない以上、完全に否定することはできない。
これが「伝説」というものである。


取り急ぎウサギの耳に化けておく  くんじろう


だが、この伝説は全くの作り話だ。
たまたま生存時代が重なることと、源義経「ゲンギケイ」とよめば、
ジンギスカンに似てくることから、冗談好きの学者のこじつけである。
が、この珍説が面白いから、一時、話題を呼んだ。
この珍説をうんだ背景を考えてみると、
ちょうど日本が、大陸侵攻を試みる少し前に起こった。
鎌倉幕府8代執権・北条宗時の時代である。
いわゆる「蒙古襲来」である。
文永11年10月(1274)と弘安5年の5月(1281)の2度
来ている。


手の内をすこしあかして立ち向かう  佐藤正昭


義経が生きているとすれば、114歳になっている。
すなわち義経のジンギスカーン伝説はありえないこととなる。
が、強いてこじつけて考える学者がいるかも知れない。
ハーンが義経の息子か孫と考えると、ハーンの戦好きと執拗さを思うと、
「義経爺ちゃんの恨み、果たさでおかりょうか」
なのである。
神風に押し返されても、また攻めてきた執念をみても、そう思えてしまう。


夕日がきれいあなた戻ってこないけど  佐藤 瞳
 

 



 「義経ー合縁奇縁」 金売吉次
 
 
首途八幡神社、金売吉次(かねうりきちじ)の京都邸宅跡にある。
首途は、「かどで」と読む。
元服前の牛若丸と呼ばれていた義経が、
吉次とともに奥州へ旅立った場所である。

吉次は、鞍馬寺へ参詣のおりに牛若丸と出会った。
その時、黄金に繁栄する奥州平泉の話がでた。
義経が、平泉に興味を抱いたことは間違いないが
義経から、奥州へ行ってみたいと吉次が頼まれたのか。『平治物語』
吉次から、義経へ話を持ちかけたのか。『義経記』
やがて、2人は奥州へ旅立つことになった。
今は石畳になっているが、義経はこの道を本堂へ歩いたのだろう。
2人は旅の途中、下総国で義経と行動を別にするが、陸奥国で再会して、
平泉につくと吉次は、藤原秀衡を紹介し、義経は初対面を果した。


失った時を求めて旅に出る  菱木 誠


金売吉次とは、義経がまだ元服をしていない牛若丸時代、平泉の藤原秀
に引き合わせた人物であり、義経が奥州藤原氏を頼って平泉に下るの
を手助けした人物である。
そして、「奥州平泉藤原氏三代の栄華を担った」人物である。
吉次は「橘次」とも表記され、
『平治物語』では「奥州の金商人吉次」であり、
『平家物語』では、「三条の橘次と云し金商人」である。
『源平盛衰記』では、「五条の橘次末春と云金商人」となり、
『義経記』では、「三条の大福長者・吉次信高」として登場してくる。
いわゆる、実在の人物なのだ。


天秤に愛とお金をぶら下げる  山田恭正


 
      金売吉次を説明する金売神社


吉次は、自邸のあった「首途八幡神社」を起点として、
奥州から金やその他の貴重な物産を運び、逆に京都の物資を奥州に運ん
でいたー商人である。
当時、奥州藤原氏は、金や奥州の特産物・絹やアザラシの皮や馬などを
京に運び、逆に、仏像や教典、常滑焼きなどを、奥州に輸入することを
頻繁に行っていた。
そのためにも京都には、彼らが滞在する屋敷や厩、倉庫などが絶対に不
可欠であった。


B面に思いがけない人の味  五十嵐定幸


吉次の邸は、平安宮の背後に位置しており、外交的な面で地勢的にも、
まさに絶好の地であった。
藤原氏の京都拠点である平泉第(大使館)である。
そこへ人物を配置し、連日、京都の情報を探り、ある時には、朝廷や力
のある公家には、それ相応の進物などをしながら、奥州の平和維持の為
に、努力していたに違いない。
そうなると、深読みをして、吉次は、単なる金商人という人物ではなく、
平泉の外務省高官のような、役割を負っていた可能性も考えられるので
ある。


朧夜や吉次を泊めし椀の音  成美義家



  鬼の前で笛を吹く義経


「伝説」 無敵の巻物


義経が平泉で修行しているときのことである。
義経は「大日の法」という「巻物」の話を、藤原秀衡から聞いた。
「日本の国は思いのまま」になるという巻物である。
それは「千島」の喜見城の都にあるという。
島には、牛頭・馬頭・阿防羅刹・夜叉鬼などの鬼が住んでいるが、
義経は、巻物を手に入れるために島へ渡ることにした。
島へ渡り、笛の名手の義経が「名笛・薄墨」を吹き始めると、
鬼の大王が、大層に気に入り、意外にも義経は歓待された。
宴席を持ち、友好的な会話ができた。
そこで義経は「大日の法」の伝授を願った。
しかし大王は、「それについては ダメダメ」と、頑なになる。


信号がすべて赤だったとしても  蟹口和枝
 
 
大王には、あさひという美しい愛娘がいて、
義経はその娘のために「想夫恋」という曲を奏でてやった。
甘い笛の音に酔った姫は、「巻物を持ち出して欲しい」と、
義経に頼まれ、それをそっと持ち出し、渡すのだった。
そして義経は、三日三晩かけて「巻物」を書き写した。
移し終えると、巻物の文字は、消えてなくなってしまった。
娘は「これは不吉なことが…」と恐れ、
「このまま逃げてください」と、言った。
義経は、逃げた。
それを知った大王は、真っ赤になって怒り、義経を追撃するが、
巻物の力で、逃げ切ることが出来た。
しかし、娘は殺されてしまった。


キャベツ畑で育つ次の十年   山口ろっぱ


あとで知るところによれば、娘は江ノ島弁財天の化身で、正当な日本を
築く武者のために、大王に近づき、義経のような人が千島に渡ってくる
のを待っていたのだった。
ある夜、天女は義経の枕元に現れ、自分の死を告げた。
天女の死を知った義経は、丁重に菩提を弔った。
その後、義経は「大日の法」を自在に操り、平家を滅ぼし、
源氏の御代としたのだ、という。 


補助線を引いても謎は謎のまま  合田瑠美子



      義経の悲劇ー北国落ち絵巻


「司馬遼太郎 義経を〆めくくる」


義経の困った点は、というより「日本人の判官びいき」の困った問題は、
われわれ日本人が、頼朝の鎌倉政権が確立したおかげで、ちょっと
人間らしい生活を持つことができた、という点をみないことでず。

頼朝のやったことは、「日本市場革命」かもしれません。
頼朝こそ、律令社会の矛盾から当時の日本を救ってくれた革命の恩人
なんです。
このことを見ずに、その邪魔者であった義経にだけ同情の涙をそそぐ。
あれだけの武功をたてた義経が没落していく…。
これがどうにも悲しい…。
ここに日本人のメロディーが始まるわけで、
それではやはり困るんじゃないかと思うのです。


オニバスの上で思案中のカエル  荻野浩子

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