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川柳的逍遥 人の世の一家言
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わが死後の植物図鑑きっと雨  大西泰世

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  大坂・夏の陣図屏風         

 

「大坂の陣の悲劇」

         

徳川家康が豊臣家を滅ぼし、

天下統一を完成させた戦いとして知られる「大坂の陣」。

自らも大坂の役に参戦した黒田長政が、

絵師を集めて描かせたとされる「大坂・夏の陣図屏風」に、

その合戦の様子が、克明に描かれている。 

絶えることなきゲルニカの野辺送り   井上一筒
 
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  大坂の陣切り取りー1

屏風絵に描かれた通り、

「大坂の陣」は、戦乱の世においても、

非常に珍しい " 市街戦 ” であり、

多くの非戦闘員が、巻き込まれた戦いであった。

まず、屏風絵の「右側」には、

徳川家康真田幸村など、

武将たちによる戦闘の様子が、描かれている。

原爆の図がいつまでも乾かない  河村啓子

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            大坂の陣の切り取りー2・3

そして、屏風絵の「左側」には 

徳川方の雑兵達が、大坂城下の民衆に襲い掛かり 

偽首を取る様子、

略奪を働き身包みを剥がすところ。   

さらには、

川を渡って逃げる民衆に銃口を向ける光景 

女性を手篭めにする様子、

雑兵に襲われる女性、

首を斬られる農民、

奴隷狩りに遭う人々。 

  

などが 生々しく描かれている。  

ポップコーンの底一面に焼け野原  岩田多佳子
 
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  奴隷狩りに会う民衆

記録によれば 一万数千の首の内、

偽首を取られるなど、殺害された民衆が数多くおり 

生き残ったものの、奴隷狩りに遭った者の数は 

大人から年端の行かぬ子供まで、

数千人に達したとされる。

かなしみの言葉ばかりが地に溜まる  森中惠美子

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        道々で争いが絶えなく繰り返される

これら非戦闘員への被害が拡大した背景には、

徳川・豊臣両家の思惑や、

政治的、軍事的要因が、大きな影響を及ぼしていたことが、

近年の研究によって明らかになった。

さらに、最近発見された史料から、

この戦いは大坂の民衆を分裂させ、

一族同士でさえも、殺し合うという、

最悪の事態を引き起こしていたことが、分かってきた 

もう雲になったか風に聞いている  笠嶋恵美子
 
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       川を逃げる市民・中には、女を守る男もいる

まだ水になれぬ悲しみ抱いている  湯澤冬扇坊     

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           川を逃げていく市民も動物も  

肋骨は木魚じゃないよ渡し船  増田えんじぇる

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            雑兵が婦女子を襲う-1

生命線今年あたりで切れている  森 廣子

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            雑兵が婦女子を襲う-2

空碧く救命胴衣あとふたつ  小嶋くまひこ

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          雑兵に身包みを剥がされる市民

入っています入っていますこの世です  時実新子

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          生きて行く為にひたすら逃げる

命でしょうか秋雨の香りして  前中知栄

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         にせ首にするために狙われる首

人間に生まれて楽しかったかい  笠原道子

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         首をもって逃げる雑兵とその首の妻

ロバの死にロバの貌した神が来る  小川しんじ

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         中には、市民を助ける兵もいる
 
諦めたとき美しくなるこの世  新家完司   
 

「その後」

 

大坂の陣の1年後の元和2年(1616)5月7日、

淀殿が父・浅井長政の菩提寺として建立した養源院で、

仏事が執り行われた。

施主は、だった。

将軍の御台所である以上、夫と義父によって、

自害させられた姉・淀を弔う仏事など、

執り行えるはずもなかった。

だが江は、この日にせめて、仏事を執り行うことで、

姉を救えなかった自分への、

慰めにしたのかもしれない。

ぎゅうぎゅうに詰めた袋の後日談  山本早苗

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そして、豊臣氏が滅んだ大坂の陣で大坂の町は、

一時的に荒廃したが、

江戸幕府は、大坂を天領とし、大坂城を再建する一方、

河川の改修や堀の開削を行い、

諸藩も蔵屋敷を置いた。

蔵屋敷へは、水路で年貢米が運ばれたため、

「八百八橋」と言われるほど、橋と水路の多い町となった。

こうして、「水の都」として復興した大坂は、

日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地となり、

「天下の台所」と呼ばれて繁栄した。 

チンすると溶けてしまった蟠り  岩根彰子

 

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