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川柳的逍遥 人の世の一家言
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切れ味の悪いジョークにけつまずく  合田瑠美子

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「秀吉迂闊」

豊臣秀吉自慢の大坂城は、

三重の堀と運河で囲まれた、高い防御機能を持つ名城で、

建設中に城を訪れた大友宗麟に、

「三国無双」 と讃えられたほどだった。

 横顔を回転ドアにほめられる  山本早苗

築城が開始されたのは、天正11年(1583)8月、

本能寺の変の翌年で、

三姉妹が、秀吉に保護されたあと、

北ノ庄城落城、柴田勝家とおの方が自刃、

秀吉は、「天下統一」に向けて奔走していた時期にあたる。

存在を知らしめるナメクジの軌跡  下谷憲子

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   黄金の天守閣

これだけ大きい城となると、

完成まで10-15年は要するが、

完成時には、当主交代も考えられる歳である。

実際、完成したのは慶長3年(1598)、

秀吉が没した後であった。

本丸、二の丸、三の丸、総構えを擁する堅城で、

また天守閣は、外観五層で、

秀吉好みに、
金箔をふんだんに使った、

華美な城であった。  

≪家光の時代になって100万都市の江戸城は、大坂城の5倍の大きさに≫

  

塀の上少し胸張る贅沢微糖  酒井かがり

大阪城は、秀吉自身の居城とするためだけに、

建てたのではなかった。

そんな日本随一の堅城として、建てられた大坂城だが、

作った秀吉だからこそ思いついた、

「大坂城攻略法」 があった。

自慢したがりの秀吉は、大坂城に家康ら諸将を招いて、

酒宴を開いたときに、その攻略法を披瀝した。

警戒心まるでないから人だろう  河津寅次郎

その時、酔いも助けて秀吉は、家康らに、 

「この城を攻めるなら、どう攻める」

 

と問答をしかけた。

答えがすぐに出せない一同に対し、

秀吉は、得意気に攻略法を語った。

それは、 

「外堀を埋めるという条件で、和議を申し込み、

そのまま内堀を埋めてしまい、本丸を裸同然にしてしまうこと」

 

だと。

石垣のところどころに湿布薬  平井美智子

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秀吉は、感心する一同を見て、

大層にご機嫌だった。

家康は、この笑談を、しっかり覚えていた。

家康は、秀吉直伝の作戦のまんま、

「大坂・冬の陣」後の和議に利用したのである。

もし、その酒宴で、秀吉の真横にいた淀殿が、

この戯れ言を、真剣に聴き、覚えていれば、

家康の術中に、嵌ることもなかっただろう。

記憶とは近づき遠ざかるものだ  杉本克子

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  秀吉の墓・「豊国廟」

阿弥陀ヶ峰中腹にある秀吉の墓・大五輪塔に着くまで、

「秀吉らしさ」に、たっぷり汗をかかされる。

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豊国廟参道ー

「女坂」から「太閤坦(たいこうだいら)」

中央にある拝殿に一礼し、

そこから石段があり、それを登り詰めると、

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さらに、急な485段の石段が待っている。

それを登っていかなければ、

秀吉に会えない「遺言の墓」である。

マテ貝は泣きだすぼくは手を合わす  湊 圭史

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