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川柳的逍遥 人の世の一家言
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まぼろしを剥がしつづけた現在地  たむらあきこ

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    大坂城落城

「大坂城落城ーよもやま」

外堀まで埋められ、裸同然の大坂城では、籠城はできない。

大坂方の諸将たちは、外に出て奮戦した。

天王寺、岡山田の戦いでは、

家康の孫娘の婿・松本城主・小笠原秀政と嫡子・忠脩を、

討ちとり、
さらに、真田幸村が家康の本陣に迫り、

馬印を倒さざるを得ないまでに、追い込んだ。

ピーマンを刻むと獅子唐になった  井上一筒

しかし、所詮は多勢に無勢。

この戦いで、大坂方が有利だった時に、

秀頼が出陣する絶好のチャンスはあったが、

淀やその側近が、躊躇しているうちに期を逃してしまった。

淀君も、張り切って具足をつけ、

城内を駆け回り、指示を出していたが、

いざという部分で迷ったり、

決断のタイミングを逃すことが多かった。

言い訳をするうっかりが重すぎる  神野節子

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    夏の陣・模様

やがて、幸村も戦死し、

毛利勝永がなんとか兵をまとめて、城内に撤退した。

ここで、大野治長がようやく、

淀殿と秀頼の「助命嘆願」に乗り出し、

千姫を城外に脱出させた。

城内が混乱する中で、

常高院は、家来に背負われ城外へ脱出。

常高院に、淀殿とゆっくり別れを惜しむ時間などなく、

たとえ淀殿が、死ぬのを思い止まっても、

秀頼を含めて、助命を願っても、

家康が許すはずもなかった。 

どの坂を下るか夕日待っている  黒田忠昭

 

淀殿と秀頼の助命については、千姫も願った。

それに対し、家康、「将軍次第」といい、

秀忠は、 

「一度だけでなく、何度も戦いを挑んだのだから、

  仕方ないから早々に腹を切らせよ」

 

と言ったという。

秀忠としては、

父・家康が言わんとすることが分かっていたから、

仕方のない回答だった。 

見つからぬ答に黙秘しつづける  山本昌乃
 
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     秀 頼

淀殿と秀頼は、「山里丸の糒櫓」(ほしいやぐら)に入った。

ここで、井伊直孝から大野治長に、 

「助命は叶わない」

 

という最後通告があった。

最後をともにした中には、

大蔵卿局や長政の従兄弟にあたる饗庭局など、

浅井家ゆかりの者たちがいた。

見限った処へひたひたと足音  安土理恵

この隠れ場所を突き止めたのは、片桐且元だという。

浅井ゆかりの者が、

心ならずも家康の掌のうえで踊らされ、

残酷な役回りをさせられていたのだ。

そして、元和元年5月8日、「大坂城炎上」。

京都からも、大坂の方角の空が赤く染まるのが見え、

御所では清涼殿の屋根に上って、

眺める公家もいたという。

騙し絵を透かせばいくつかの伏字   山口ろっぱ

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     夏の陣・模様

大坂城が燃え上がるのを見て、

家康は、大政所の妹を母とする小出三尹(みつまさ)に、

「どうだ?」 と声をかけた。

その問いに、三尹は、 

「思し召しの程は、心得ず候えども、

  三尹は、未だかかる憂きことには逢い候ことなし」

 

と真情を吐露したので、

家康に諂って、祝いを述べていた諸大名は驚き、

三尹の勇気ある発言に、感じいって涙したという。

ひょっとして今飲み込んだのは毒か  みぎわはな

常高院は、落城の寸前にも、豊臣方の使者として、

徳川方との間の和睦交渉にあたっていた。

が、周辺の混乱が激しくなり、

常高院は、城内に一緒に入っていた従者とともに城外へ、

そして、京都をめざした。

その合戦の最中、足を負傷する。

その時の様子を、

淀殿に仕えた侍女のお菊が、証言している。

フルートが今日のできごとを話す  立蔵信子

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大坂城を脱出する常高院と菊

『おきく物語』

本丸に火の手が上がったため、

菊は、城外への脱出をはかるが、

途中、秀頼の馬印である「金の瓢箪」が、

置き捨てられているのに気付く。

敵の徳川方に奪われたならば、

豊臣家にとって、大恥辱になるため、

もうひとりの侍女とともに、馬印を壊し、

その場を立ち退いた。

歩いたら意外に長い一時間  清水一笑

その後、城外に出た菊は、

和睦の交渉に向かおうとしていた、常高院の一行に出会う。

常高院も戦いに巻き込まれて、足を負傷していたため、

自力で動けず、武士に背負われていた。

菊は、一行に加わり、

大坂城から12キロ離れた守口まで出て、

休んでいたところ、

家康側から、常高院を迎える駕篭がやって来た。

その時、常高院から菊たちに、

「城内にいた以上は、女といえども罰せられるかもしれない。

  できるだけのことはするが、覚悟はしておくように」

と諭したという。

神さまにやっと繋がる声がする  ひとり静

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   大坂城残念石               巨大石運搬模様

≪大坂城の石垣になれなかった石、そして、その石はこのように運ばれていた≫

こうして常高院は、戦場から離脱できたが、

姉・淀と再び会うことはなかった。

翌・8日、大坂城は落城寸前となり、

大坂城天守閣下の山里廓(やまざとくるわ)で、

淀殿は、秀頼とともに自害して果てたのである。

そのときの短刀は母・市の遺品だった。

風のたよりを信じてしまう彼岸花  森中惠美子

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大河ドラマ・「お江」-第43回・「淀、散る」  あらすじ

 

「大坂の陣」が終わって、しばらくすると、

家康(北大路欣也)は、淀(宮沢りえ)秀頼(太賀)に、

到底受け入れられない要求を突きつけた。

そして要求が拒否されるや、

それを理由に、再び豊臣攻めの兵を起こす。

仏滅のあっけらかんと開くドア  井上しのぶ

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秀忠(向井理)も、豊臣攻めに加わるべく上洛するが、

実は、ぎりぎりまで戦を避ける道を探っていた。

彼はまず、常高院に会い、 

「皆の無事を願う江の気持ちを淀殿に伝えてほしい」

 

と依頼。

また、東山の地に高台院(大竹しのぶ)を訪ね、

戦を避けるよう淀を説得してほしいと頼む。

だが、高台院は、今となっては、 

「淀の心を動かすことはできない」

 

と言って、秀忠の頼みを断る。 

同じとこ行ったり来たりする頭  石橋芳山
 
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家康は、そんな息子を一喝する。 

「戦なき世が欲しいなら、戦うて勝ちうる他にない。

  それもわからず、戦がいやと言うなら、

  今すぐここを去るがよい!」   

 

豊臣家を滅ぼさなければ、太平の世は築けない。

それが家康の信念だった。

家康から、一喝され戦いを決意した秀忠は、

軍議の席で、

「総大将として敵主力に当りたい」 と申し出る。

彼には、「避けられない戦」 ならば、

せめて将軍である自分の手で、

締めくくりたいという思いがあった。

何故ダメなのか推しピンで留めておく  田中博造

だが、家康は自ら、「戦の指揮を執る」 

と宣言する。

家康も、これから太平の世を築く秀忠を、

危険にさらしたくはなかった。

そして、豊臣家を滅ぼすという、血なまぐさい仕事は、

古い世代である自分の役割だと考えていたのだ。

外角に強い蛙の眼球ぞ  岩根彰子

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一方、淀と秀頼は、本丸のみの姿となり、

かつての威容は見る影もない大坂城で、

家康との決戦を覚悟していた。 

「戦はお避けくださりませ」

 

と懇願する常高院(水川あさみ)に、淀は、 

「もはや引き返すことはできぬ」 
 
と言う。 

かくして慶長20(1615)年4月

「大坂夏の陣」
が始まる。

地下道を出よう欠片になる前に  くんじろう

豊臣方の諸将は、

裸同然となった大坂城に籠るわけにもいかず、

野戦に打って出た。

武士らしい死に場所を求めるかのような、彼らの奮闘に、

徳川方は、おおいに慌てさせられる。

中でも、幸村(浜田学)率いる真田隊の士気は高く、

敵本陣に突撃をかけて、家康に肉薄した。

端っこが欠けて真ん中あわてだす  籠島恵子


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だが、豊臣方の抵抗もそこまで。

幸村をはじめ、

名のある武将はことごとく討ち取られ、

盛りかえした徳川勢は、いよいよ、

大坂城本丸に迫る。

ことここに至り、

秀吉の遺志を継いで、豊臣家の誇りを守り続けてきた淀は、

ようやく、自分の気持ちに区切りをつけるのだった。

地図にない抜け道なのに混んでいる  寺川弘一

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