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川柳的逍遥 人の世の一家言
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確実な歩幅を男には見せぬ  森中惠美子

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大奥の襖絵下書き(国立公文書館所蔵)

大奥新御殿休息伺下絵 新御殿下段・「春の景」

「福(春日局)の教育」

「竹千代様を秀忠公の跡継ぎにする」

という信念を抱いて、

乳母・お福の「竹千代・養育計画」は、

かなり本格的なものだった。

まず、福の教育のはじめは、 

「おじいさまに学びなさい」

 

家康に学び、 

「お父さまに学びなさい」

 

とは、決して言わなかった。

お江への反抗心がそうさせたのだろう、


秀忠には、「学ぶものは、何もない」 

と言い切るのである
  

教育委員会って何するところですか  仁賀俊雄          

  

とにかく、 推測のすs

「絶対に秀忠様や大御台さまの真似は、なりませぬ」

 

と、言うのである。

お江は、自分に懐かない竹千代を、

可愛いとは思えず

また、竹千代は、そんなことで、

母・お江を敬遠するようになった。

福の思惑通りである。

次にお福は、 

「竹千代君が将軍になったときに、

  そのブレーンとなる側近を、
子供の時から教育する」

 

という方針をたてた。 

音楽ききますブルジョアの犬  鶴 彬

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   春日局化粧の間

≪埼玉・喜多院に移築されている。意外と質素な部屋だ≫

 

将来性のある武士の子を、竹千代の、

学友、遊び相手として、

竹千代と一緒に育て、躾けるということである。

選ばれたのは、

一族の堀田正盛松平信綱、阿部忠秋たち。

折々、福は、彼らを自分の部屋に招き、

菓子などを与えながら、

竹千代と遊ばせ、マインド教育に徹した。 

ゆっくりとやがて夕日に皆塗られ  小西カツヱ

 

福が求めたのは、  

「竹千代への絶対的な忠誠心」 
  
であった。

少年たちは、福の情熱的な調育によって、

この精神を体得していく。

そして、少年たちは、

徳川政権を支える、有力な閣僚になっていく。 

各停の駅に彼らの思いあり  筒井祥文

 

家康が、福に絶大な信頼を寄せていた事実がある。

家康は、 

「大名は自分の治める居城以外は持ってはならぬ」
 
という、「一国一城」のお布令を出した。

ところが、彼らだけは、例外扱いをされているのだ。

武蔵野国(埼玉)にはすでに、

一国である江戸城があるのだから、

そこに、他の城があってはならない。

だが、同じ埼玉に、彼らが城主となる忍城・川越城という、

城だけは、許されている。

家康の大いなる矛盾である。 

五つ目の信号までが全部青  河村啓子

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大権現・家康の図

≪上に、江戸城の縄張りを担当した藤堂高虎と、天海が描かれている≫

 

天下のご意見番・大久保彦左衛門が、 

「いまの幕府を動かしているのは、坊さんと女性だ」

 

と言ったことがある。

坊さんというのは、家康以来のブレーンで、

僧の天海のことであり、

女性とは、福(春日局)のことである。

将軍を育て上げることで、

福は、それだけの権力を、手にしていたのである。 

一錠をいのちの側に置いてある  たむらあきこ

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    千代田の大奥

 

「大奥」

世界史上、類をみないほどの

" 巨大なハーレム " として、知られる「大奥」。

江戸城の最奥部に位置する、この伏魔殿の

礎を築いたのは、
2代将軍・秀忠だった。

元和4年(1618)、秀忠が、

『大奥法度』を制定したことで、

江戸城の「表」が、幕府の政庁、

「中奥」が、将軍の執務場所、

「大奥」が、将軍の私邸という、明確な境界が生まれ、

この体制は、江戸城開城までの約300年続いた。 

真っ青なカンバス裂いてくる羽音  谷垣郁郎  

 

しかし、将軍だけに許されたこの " 梨園の花園  " も、

恐妻家・秀忠の時代には、

秀忠たった一度の大奥女中・との浮気を除いては、

名ばかりのものであった。

大奥が、ハーレムとして,本格的に機能するのは、

3代将軍・家光の時代になってからである。 

どの夢も獏がかじった痕がある  佐藤美はる

 

その立役者となったのが、春日局である。

彼女は、最高取締役・「お年寄り」として大奥に君臨し、

なかなか、世継ぎに恵まれない家光のために、

大奥を組織的に整備した。

そして、女性のスカウトから、

彼女たちのしつけ直し、采配にいたるまで、

大奥にまつわるあらゆることを、取り仕切り、

現在知られている大奥のシステムを、

つくり上げたのだ。 




影が姦しい女たちの晴着  板野美子

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    家光誕生の間

 

「余談-1」

竹千代は、母・お江に愛されなかったことが、

トラウマにあったのか、女性恐怖症があり、

吃音があったとも言われる。

また、春日局の教育の後遺症もあるのだろう、

女性の好みが、とても難しい人であった。

そんな環境の中に、

家光になかなか、世継ぎが出来なかった理由のひとつに、

女嫌い、イコール「男色の気」がある青年に、

育っていった裏事情もある。 

濁音が出ない熱中症のとき  井上一筒

 

強いての女性といえば、

家光は、尼僧を好んだ。

尼さんを、わざわざ還俗させて側室にしている。

家光も、「女の匂い」 がしない尼さんはだけは許せたようだ。

彼が好きになったのは、伊勢・慶光院の住職

千姫が秀頼の短冊を納めた尼寺の、

若く美しい人で、

同腹の弟のために、女嫌いの弟を心配し、

弟の尼さん好きを聞いた千姫が、

一肌脱いだということである。

この尼さんの優しさに触れて、家光は、

一丁の男になっていく。 

メール着いたかと二階へ呼んでみる  美馬りゅうこ

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    春日局

 

「余談ー2」

江戸時代初期においては、大抵の場合、

御台所は、形式上の主宰者であった。

たとえば、家光正室・鷹司孝子は、

夫との仲が極めて険悪で、

正式に「御台所」と称することのないまま、

結婚後、程なくして、

その居所を本丸から中丸に移され、  

大奥の実権は、もっぱら、「春日局」が握っていた。 

  

岸壁は笛吹く人の立見席  富山 悠

 

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