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川柳的逍遥 人の世の一家言
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世の中の仕組みをみたり髑髏  前中知栄


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秀次はこよなく書物を愛した。 日本紀と河内本・源氏物語

「武功夜話」

武功夜話とは、蜂須賀小六などと一緒に、

早くから秀吉に仕え、

秀次のお目付け役だった前野長康の一族が、

子孫から子孫へ、語り継いできたものが、史書として、

土蔵から伊勢湾台風の風が、めくったものである。

そしてここに書かれている、「秀次事件」の経緯は、

秀次に近い立場の人たちの、子孫から出てきたものでありながら、

秀次に厳しいものになっている。

かみ合わぬ話がレール走り出す  中川隆充

それによると、前野長康は、

「秀吉の実子で、織田家の血をも引く若君(拾君)に、

 天下が返るのは、仕方がないのでありますまいか」

と秀次に進言した。

ところが、長康の子・景定など若い側近たちが、

秀次を守ろうとして、妥協を阻止し、

また、軍事教練まがいのことをしたとある。

男の椅子の座り心地は聞かぬもの  森中惠美子

断罪の直接の引き金は、

朝鮮遠征費用の捻出に困った毛利輝元が、

秀次に借金の申し出をしたところ、

「忠誠を求める書き付け」

を要求されたことが不安になって、太閤殿下に提出したことにある。

現に、太閤の年齢を考えれば、

秀次に近づいておく方が、将来、有利だと考える大名たちは、

(伊達政宗、最上義光、浅野幸長、細川
忠興ら)

秀次に取り入ったりもしていた。

呑むために生きると決めて恙無い  山本芳男

石田三成前野長康

「豊臣政権安泰のためには、

 なんとか殿下と関白には、仲良くあって欲しいのだが、

 どちらの側にも、へつらうものがいる。

 殿下は弱きになって、

 徳川家康前田利家の屋敷に、足繁く通うなどしているが、

 両者はいずれも野心家で、朝鮮遠征でも渡海を免れた。

 一方、西国の大名たちに恩賞を与えるために、

 全国で検地を行って、財源を探しているのだが、簡単でない」

という趣旨のことを武功夜話言っている。 

味方だと言うが斜めに構えてる  籠島恵子   

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       水争い裁きの像

≪天正14年(1586)、農業用水・生活用水を日野川の恵みに依存していた

    日野川下流側の郷と上流側郷の両村で、渇水による「水争い」が起こった。

    その事態を憂慮した秀次が、家老の田中吉政を伴って自ら現地を視察し、

    双方の言い分に耳を傾け、お互いが納得できる裁定を下したという。

同年7月24日のことである≫

ともかく、秀次に近い者たちからすると、

秀次さえあわてて

「将来はお捨君に譲る」

などと約束せずに、時間を稼げば、

いずれは、太閤の寿命も尽きるという思案があった。

未来図は黒一色で事足りる  井丸昌紀 

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羽柴秀次の像(八幡公園)

≪商都・近江八幡の礎を築いた秀次は、地元で名君として慕われる≫

茶々やお捨君に近い立場からすると、だからこそ、

「秀次を早々に、処分して欲しい」

ということになる。

もしも、秀次の弟であり、お江の夫である秀勝が生きていたら、

茶々たちの立場も、少し違ったのかも知れないが、

今となっては、秀次と茶々たちを繋ぐ絆は、細くなっていた。

絶滅を危惧するあまりビニールの傘  酒井かがり

お捨君がまだ幼少なので、将来を危惧した太閤は、

同年代の徳川家康前田利家の二方を、

信頼して力を持たせ、

しかも、いずれか突出しないようにと考えた。

利家はもともと、織田家のなかでの序列はあまり

高くなかったが、

柴田、丹羽、明智、滝川、佐々、堀秀政らが亡くなったために、

織田家の家臣の中で、最長老になっていた。

茶々や江ら織田家に連なる者は、

信雄も失脚してしまった以上、

利家がもっとも、頼るべき存在だった。

カジキマグロの嘴は仕込み杖  井上一筒

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人柄が見える日野川桐原新橋の秀勝像


こうして、太閤による関白の包囲網は狭まっていく。

それでも、太閤が聚楽第を訪ねたり、

秀次が伏見で能を上演して、太閤を招待したりしたしているのだ。

いくらでも修復のチャンスはあったが。

秀次に欲が出てしまった、のか、

秀吉の心配を払いのけるような、思い切った行動がとれなかった。

その間にも、太閤のもとには、

秀次周辺の不穏な動きが報告される。

胸の底図太い鬼に居座られ  牧浦完次       

茶々やその周辺の者が、

「お捨君の将来への不安を取り除いてください」

と太閤に迫った。

これに対し秀吉は、家康と利家に、秀次のことを密かに言う。

「太閤殿下の好きにされれば、

  あとは、我々がお捨君をお守り致します」

と2人は答えている。

そして家康が、江戸に帰国するとき、

京都に残る秀忠に、

「秀吉と秀次の争いになったら、秀吉につくように」

とも言い残している。

悲劇だな影まで人間だったとは  谷垣郁郎 

もともと、身分の低い階層の出である秀吉は、

上流の権力者とは違って、家族に対しての愛着は、

現代の人間と似たものを持っている。

また秀吉一族の人たちの心にも、

権力者になった太閤に対して

「まさか、自分に悪いようにはしないだろう」

という甘えがあった。

当然、秀次にもそうした気持ちが多分にはたらいたのだろう。

頷いただけでひまわり枯れてゆく  森田律子

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       八幡堀

≪八幡城主・羽柴秀次(豊臣秀次)が、城を防衛するために築いた≫

しかし、それぞれの家来たちは違う。

自分たちの浮沈は、

それぞれが仕えている主の運命にかかっている。

主人がいったん失脚すれば、身内でもないだけに、

命も危ないということになるのだ。

しかも、むかしからの武将たちには、

若いころから豊臣家興隆のために、頑張ってきた恩情もあるが、

第二世代には、若者らしいドライさに加えて、

親密だったころの思い出がないから、

どうしても、極端に走ることになる。

体内を夜明けの貨車が過ぎていく  嶋澤喜八郎

いよいよ7月3日、

石田三成増田長盛が、秀次に行状を詰問した。

それを受けて、秀次は朝廷に銀五千疋を献上して、

救援を求めたが、

これは、悪あがきであった。

「関白を辞める」

とでも太閤に申し出ればよかったのだろうが、

秀次の若い側近達は、それを許さなかった。

まだまだの端がほつれてきた誤算  山本早苗

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   秀次一族の墓

こうして関白が、無為に時間を過ごすうちに、

太閤は一計を案じた。

いまでいう女性秘書として重宝していた孝蔵主を、

聚楽第へ派遣して、言葉巧みに、

「単身で伏見に来れば、太閤殿下も納得する」

といって、関白を連れ出した。

そして、このまま高野山から切腹へとつながっていく。

住みにくくなった話も聞くあの世   中村幸彦            

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