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川柳的逍遥 人の世の一家言
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水曜日君は鰯の目を見たか  雨森茂樹





 中級貴族である播磨国司(受領)の館での食事を描く。



大唐櫃に入れた大きなコイや果物だろうか、食材が運び込まれるところ。
中央の播磨守の横の2段棚に雉子や見事な伊勢えび、アワビなど豪華な
食材が並べられている。




左手には厨房から膳が運ばれてくる。高杯の中央に高盛をした強飯、
その周囲に調味料などを入れた小皿が並ぶ。

             台盤所と御台所



貴族の館には、「台盤所」という部屋があった。
そこには、縁の部分が一段高くなった四つ脚の長方形の台があり、
奥に朱の台盤が見える。その上で調理が行われた。
家司や警護の随身が詰める所にも置かれたが、多くは女房の詰所だった
ため、のちには貴人の妻を御台盤所、さらに御台所というようになった。



冬トマト点す贅沢な食卓  岡谷 樹





          平安時代の食事の再現





式部=平安貴族の食卓・画像とともに




紫式部の作品は「愛の機微」「華麗な装束」「贅沢なインテリア」等々
を細かく表現しているが、食事に触れるシーンはほとんどでてこない。
では紫式部は、食に関心が薄かったのだろうか。
どうやらそれは、紫式部にかぎったことではないらしい。
平安時代には数多くの女流文学者が輩出し、随筆、紀行、日記を残した
が、一様に食のシーンを語ることは少ない。
その一因は、京に都を移した貴族たちの間では、制度や形式を重んじる
生活が営まれて、食習慣も形式にとらわれたことが挙げられる。



タコが言うのよメガネがずれるって  酒井かがり



饗応食の献立



  「年中行事や儀式の中の典礼化した饗応食の献立」


貴族の館では、行事の日々が多くなって、諸国の山海珍味を集めた宴が
催された。『和名類聚抄』によると。
広大な領地を所有し、強大な権勢を誇った皇族や有力貴族のもとへは、
諸国よりあらゆる名産物が集まった。
魚貝ではタイ、マグロ、サメ、ヒオ、カキ、アワビなど、庶民では到底
口に出来ない美味珍味の数々があげられている。
なかでも好まれたのが、カツオ、アユ、タイ、タコ、コイ、アワビなど、
仏教の教えに従い、獣肉こそ鶏肉に代わるものの、食品としてのバラエ
ティーは、今と変わらぬ豊かさである。



あんな特技もってたんだと知る宴  細見さちこ





宮中では正月20日か、21から23日の間の子の日に内宴が催された。

その宴がまさにはじまろうとする場面。
並ぶのは、次のようなもの。


        

上は高つきに飯と「おめぐり」。
下左は、掛盤のアワビ蒸し、ハマチ塩煮、藻類取り合わせ、野菜汁。
下右は、折敷の唐菓子、干し果物などをたっぷり盛り上げている。





宮中行事の饗応や、大臣家の宴ともなれば、主賓の前の膳は豪華で生物
(つくり)、干物、和え物、焼き物、煎り物、煮物、漬物、汁物、餅、
果物や唐菓子など、二十数皿もの食べきれない程の馳走が並んだそうだ。
そして飯はこんもりと盛って、膾、乾物なども盛り上がるほどに食器に
盛られた。 沢山の品数と量は、丁重さを示すものだったとか。



鹿の身になって煎餅味見する  下谷憲子





          「源氏物語子の日・若菜図屏風」


光源氏四十の賀を祝して、正月初子の日、玉鬘(たまかずら)が若菜の
膳を奉る華やかな情景。 沈香の木でできた折敷(角盆)を4つにして
春の精気が宿る若菜の膳を奉った、と記される場面が描かれている。  
(几帳の陰にいるのが玉鬘)



     「行事の折々に健康と幸せを願う食事」
正月元日から3日まで、清涼殿で「御歯固めの義」が執り行われる。



まず屠蘇、白散、度嶂散(どしょうさん)を飲み、その後で、歯にこた
えるシカとイノシシ、押しアユ、大根、ウリ等と餅を食べ、長寿を願い、
祝う。(白散=お正月にその年の健康を願ってのむ薬酒。 度嶂散=新
しい年の健康を祈って元日に飲む薬)


       正月の行事から若菜摘む女房や子ら

その他、正月10日には餅粥の節句。
最初の子日には、春の精気に満ちた若葉を摘んで食膳に供し、野外に遊
んで常緑から長寿の木とされる小松を根ごと引いて飾り千歳の齢を願う。



素うどんが旨いおせちの三が日   柴辻踈星   





      「源氏物語色紙絵 初音」

明石姫君の前に置かれた、正月「お歯固め」の豪華な祝膳が描かれる。
姫君の傍に坐るのは光源氏。


宮中の儀式と年中行事を核とした饗応食の数々は、貴族の行事食の規範
となり、多くは「長寿招福」を願う縁起物として食べ物が使われた。
極端に運動不足で、不健康であった王朝人の何よりの願いは、おそらく
長寿繁栄だったのだろう。それが後世には「御歯固め」「屠蘇と雑煮」
となったように、民間にも伝統として伝えられることになる。



青空へするりと抜いた玉結び  上坊幹子


        ①                ②
 汁で湯通しした魚(今回はスズキ)→串焼きサザエの切り身・魚の
 切り身を竹串に刺して焼いたもの(今回はサケ)→スズキ膾・鯉膾→
 タイ膾→鯉の煮凝り
 中央・蓮の実→スモモ→まがり、唐菓子(和式ドーナツ)→ぶと
 (和式ドーナツ)→クリ→モモ→ミカン→マクワウリ(時計回りで)





           貴族の食事





「量はたっぷり、味は二の次」
何よりも形式や儀礼を重んじた王朝貴族。
食卓も慣習通りに整っていることが第一で、味は二の次であった。
ご飯は蒸した強飯でこんもりと高盛にして、品数と量がたっぷりの副菜
を食膳に出した。それが儀式の時だけでなく、ふだんの日もそうした食
事になった。
酒菜や総菜の調理法としては、揚げ物こそ見られないが、塩茹で、蒸し、
煎り、炙り、焼き、包み焼、和え、煮、羹、吸い物、鮨、塩漬け、醤漬
けなどさまざまに変化をつけて用いられた。
もっとも遠方から運ばれて来るため、身を細く切って乾燥させるなど、
食材に干物が多くなる制限がつきまとった。




転生は魔界むらさき食ったから  太田のりこ




調味料の基本は、醤、酒、酢、塩の4種。
醤は今でいう「もろみ」のようなもの。
菜や瓜、魚肉などにつけたり漬け込んで用いる。
これら調味料を「おめぐり」とも言い、ほかには味噌胡麻油、干魚など
の煎り汁、甘酒などの甘味料、香辛料も使われた。



夢を食むあなたも一ついかがです  田口和代





庶民の食事





枕草子よりー大工が昼ご飯を健康的に食べる様子

1,庶民の食事
2,庶民の食事



清少納言『枕草子』のなかで、大工が昼ご飯を健康的に食べる様子を
記している。朝夕2度の貴族の食事に対し、庶民が3度の食事をとって
いたことを示すものである。
また平安京の東西の市には、さまざまな食品が並び、食料品店ができて
いたことが他の資料からわかる。
殺生禁断の仏教の思想も庶民にはまだゆきわたらず、獣肉も食し、自由
な食生活をしていたらしい。京の貴族にくらべ、地方の貴族や自給自足
のできる土着の豪族も、豊かな食事をしていた。




午後からの意気込みすするちじれ麺  竹内幸子





         復元された蘇




牛や羊の乳は古代の人々にとって、当初は滋養強壮の薬として重用された。
しだいに酪、蘇、醍醐など乳製品として加工されるにつれ、食料として、
好まれ、宮中や大臣家で行われた宴席にもなくてはならない品になった。
牛や羊の乳を温めて「酪」とし、それを煮詰めたものを「蘇」、蘇をさら
に精製して作られる品を「醍醐」と呼んだようで、今のバターオイルよう
なもの。最高の美味を指す「醍醐味」は、ここからうまれた。




餃子のハネにも文化的スタイル  赤松蛍子

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