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川柳的逍遥 人の世の一家言
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春はあけぼのくらくらしてはおれませぬ  山本昌乃






「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」の一文を踏まえ庭の雪を見るために
 御簾をまく清少納言。





9世紀後半の宮廷では、歌合わせや管絃といった遊芸が盛んになり、
後宮の妃たちにも、和歌や琴などの教養が必須となった。
10世紀の摂関時代には、こうした傾向が高まり、妃を中心に
「文化サロン」が生まれた。
そのため女房には世話係のみならず、中宮の教育係としての役割も
求められ、藤原定子清少納言に、藤原彰子紫式部にと、高い教養
を持つ女性が抜擢された。 例えば、藤原定子は、女房の清少納言に
「香炉峰の雪はどんなであろうか」という問いをした際、
清少納言は漢詩の知識を生かして、『白氏文集』白居易)にある
「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」という一文を踏まえ、
簾をかかげて庭の雪を見せられたという。





彩りに笑顔挟んでおきました  川畑まゆみ





式部ー藤原定子





           儀 同 三 司 母

定子は才媛の母高階貴子の娘として生まれた。






藤原定子は、976年(貞元元)父・藤原道隆・母・高階貴子の間に
長女として誕生した。
父・道隆は、藤原道長の兄で、高い身分にもかかわらず冗談好きの
気さくな人柄で、美男子としても評判の人だった。
母・高階貴子は、高才と謳われた学者・高階成忠の娘である。
貴子自身も漢詩文に造詣の深い才媛であり、円融天皇に仕えた。
(赤染衛門の『栄花物語』・「さまざまのよろこび」には、高階貴子を
『女性ではあるが、漢字などを実に見事に書いたので、内侍に任命され、
 高内侍と呼ばれた』と、記されている)
また、儀同三司母(ぎどうさんしのはは)の名で、小倉百人一首でもし
られる。
”  忘れじの行く末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな "
(「いつまでも忘れはしない」と、おっしゃるあなたのお言葉が、将来
 いつまでも期待できるものとは、思えませんから、今日を最後の命と
 したいと思います)
この母から高度な教育と優れた血を受け継いだのが藤原定子である。




まだ誰も見たことのない色で咲く  河村啓子





989年(永祚元年)10月に着裳(成人式)をすませた翌年、一条天
皇へ入内する。この時、定子は15歳であった。
一条天皇は、円融天皇藤原詮子を両親に980年(天元3)6月に生
まれ、花山天皇を継嗣して7歳で即位している。
990年(正暦元年)、14歳で3歳年下の一条天皇に入内。
因みに一条天皇の生母・詮子は、藤原兼家の長女であり、
定子の父である道隆は、兼家の長男である。
いわゆる一条天皇と定子は、従姉弟の関係になる。





レシピからはみ出す朝の作り方  中野六助






       仲睦まじい一条天皇と中宮定子





990年(正暦元年)正月5日一条天皇が、11歳で元服すると25日
定子は、15歳歳で入内、翌月11日に女御の宣旨を受ける。
同年、藤原兼家は、定子の入内から4ヶ月後に、関白となったが、
病のため出家し、7月2日に62歳で没した。
兼家のあとを継いだ兼家の長子・藤原道隆は、権力基盤を固めるため、
父の喪中にもかかわらず、娘の定子の立后を急いだ。
当時「中宮」とは皇后の別称であり、円融の中宮・藤原遵子(じゅんし)
がいたが、道隆は遵子を皇后とし、定子を中宮とするという、前代未聞
の手段を強行した。(「一帝二后」のルールが突如としてできあがる)





斜めから吹く風斜めから躱す  岸井ふさゑ






          定 子 サ ロ ン





強引な立后であったが、一条天皇中宮定子を厚く寵愛された。
二人の睦まじい様子は、清少納言「枕草子」の中で、うるさく証明
している。
姉さん女房であり、才女が好きな天皇は、定子の下に清少納言以下才女
を集め、文化的な「定子サロン」を開かせた。
また道隆は、嫡男・藤原伊周(定子の兄)を内大臣に任じるなど、
定子を取り巻く環境は、まさに絶頂期を迎えた。





神様が総出と思う日本晴  山口文生






           藤原道隆  (前賢故実)

摂関家の定例行事賀茂詣のときの事、土器に注がれた御神酒を三杯
飲むのが通例のところ、酒好きの道隆は7,8空けたという。
この酒が道隆の命を縮める原因となった。





ところが、その5年後の長徳元年4月10日、糖尿病という病の悪化に
よって死没する。道隆が没すると4月27日、道隆の弟・藤原道兼
関白を継いだ。が、その道兼も関白就任から間もない5月8日流行り
病に倒れ、あえなく没してしまう。
突如、高貴な後ろ盾の父を失った定子の周辺は、一条天皇の威光を
頼むことなく、揺るぎ始める。
その間に。定子の叔父・藤原道長「内覧」に任じられ、政権の中心に
躍り出る。 道長の姉で一条天皇の母・藤原詮子の意向だった。





四拍子ハミングしつつ杖をつく  岸田万彩





996年(長徳2)正月、定子の兄・藤原伊周が弟の隆家に命じて、
花山院に射かけたことにはじまる「長徳事件」が勃発する。
事件は関白の座を巡って伊周と叔父の藤原道長との対立に端を発した
ものだったが、定子は、内裏を出て「二条北宮」と称される、定子が
里邸としていた邸宅に退出した。
兄と弟が不祥事を起こしたことによる、自主的な謹慎であった。
事件を重くみた一条天皇は、伊周と隆家は、二条北宮の定子のもとに
身を寄せていた為、同年5月1日、懐妊中であった定子を牛車に移した
うえで、検非違使を二条北宮に突入させた。
隆家は捕らえられ、伊周もいったんは逃げたものの、やがて捕まり、
(伊周を)太宰権帥に、(隆家を)出雲権守として左遷し、事実上の
流罪とすることを裁決した。





兄ちゃんがティッシュ抱えて泣いている  宮井いずみ





         吾 子 を 抱 く 中 宮 定 子





このとき、定子は自ら髪を切り落とし出家をした。
『小右記』は定子が出家したことを記している。
『栄花物語』にも「浦々の別れ」として綴られている。
長徳事件の年には、定子は懐妊しており、一条天皇が見放すわけもなく、
その12月16日、定子は、一条天皇の第一皇女となる
脩子内親王を出産している。
その後も一条天皇は、出家しても定子を愛し続け。
999年(長保元年)11月7日、定子は一条天皇の第一皇子となる
敦康親王を出産している。





居心地のよい椅子一つあればよい  佐藤 瞳





このとき、何を思ったか道長は、同じ長保元年11月1日に娘の彰子
入内させ、1000年(長保2)彰子の立后を決行し、定子を皇后に、
彰子を中宮とする、『一帝二后』(一人の天皇に正妻が二人)を現出さ
せた。ところが、それでも一条天皇の定子への寵愛は変わらなかった。
まもなく、定子は、第三子を懐妊する。
だが12月15日朝、定子は子内親王を出産する、も、後産が下りず、
この世を去ってしまう。25歳の若さだった。





水平線が傾く神は死んだのか  上島幸雀





定子はいつごろのことか自分の死を悟り、寝室の御帳台の紐に、天皇
思いを寄せた辞世の句・3句結びつけてあった。
" 夜もすがら契りしことを忘れずは 恋いむ涙の色ぞゆかしき "
(―夜通し愛を誓ったことを忘れていなければ、恋しいと血の涙を流し
 てくれるでしょうか。 あなたの涙の色が知りたいのです)
                       (『後拾遺和歌集』)
定子の葬儀は、親しかった人々の姿すらない、寂しいものだったという。
一条天皇は身分の高さゆえに、葬儀に参列することができなかった…、
そこで天皇は葬送の時刻に喪服を纏い、返歌を詠んだと伝えられている。
" 野辺までに心ひとつは通へども 我が行幸とは知らずやあるらん "
(あなたが葬られる野辺まで付き添うことはできないけれど、心だけは
 雪のなかを一緒に歩いてゆきます。けれどあなたはもう、私が一緒に
 いると知ることすらないのでしょう)
                       (『後拾遺和歌集』)





人生を迷い続ける春霞  靏田寿子






 




「定子辞世 2句」
” 知る人もなき別れ路に今はとて  心細くも急ぎたつかな "
(誰も知る人のない死出の旅路に今はこれまでと、心細くも急ぎ出で
 立つことです)
" 煙とも雲ともならぬ身なりとも  草葉の露をそれとながめよ "
(煙や煙となって空に漂う身ではなくても、草葉の露を私と思って、
 眺めてください)
これらすべて一条天皇に手向けたうたである。





雲間から別離の序曲合わせ貝  通利一遍





       笑いの絶えない中宮定子のサロン





枕草子
清少納言定子に仕えた約7年間の出来事などが綴られている。
「笑ひ給ふ」という言葉が頻繁に出てくるのは、定子が主催する宮廷
サロンが、いつも「笑顔にあふれていたこと」を物語っている。
実は、清少納言が枕草子が書いたのは、藤原道長が台頭し、藤原定子が、
宮廷で孤立しはじめてからのこと。
だが枕草子には、定子の苦境や実家の没落については一切触れていない。
それどころか、定子を賛美する言葉があふれ、明るく楽しかった思い出
だけが書き連ねられているのである。
定子が亡くなるその日まで。





にっこりとできるあなたがいるだけで  掛川徹明

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