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川柳的逍遥 人の世の一家言
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正直に生きたいと言う磨りガラス  宮井いずみ





      「春光結実」 (松岡映丘筆 山種美術館蔵)

色鮮やかな十二単をまとった女性が、春の花と美しさを競う、艶やかな
王朝の春を描いた作品である。
清少納言の鋭い感性は、宮廷生活を通して一層研ぎ澄まされ「枕草子」
という文学作品に結実した。




『枕草子』は、996年頃~1008年頃にかけて成立したもので、
日記風に回想した章段。「自然や人生への随想を綴った章段」
「もんはづけ」による「類想的章段」から成る。
「もおはづけ」とは、枕となる題を提示してそこから連想する事柄を
列挙するもの。  例えば
遠くて近きもの=娯楽。舟の道。。男女の中
かわいらしいもの=ウリに書いた子どもの顔、赤ちゃんが抱きついて
寝たところ、何もかも小さなものは、とてもかわいい。
うんざりするもの=昼吠える犬。
よくできたと思う和歌を人に出したのに返事がこないときなど。
いらいらするもの=急ぐことがあるときに来て、長居をする客。
眠い時に顔のまわりを飛びまわる蚊など。
あわれなもの=親孝行な他人の子ども。ニワトリが卵を抱いて寝ている
ところ、…など。




好奇心生命線が少し伸び  日下部徳子




式部ー枕草子 ものはづけ <興ざめなもの>





              「絵師草子」 酒を飲み乱舞する人々 (宮内庁三の丸尚蔵)

絵は、元主人の任官を期待して集まり、食べたり飲んだりして、
大騒ぎしている人々を彷彿させる。
この任官は春の県召で、正月半ばに行われた。国司は中間管理職で、
位としてはそれほど高くないが、任官されるかどうかで、
生活が大きく違ってくる。




「興ざめなもの」

何だかしっくりせず興ざめなもの。
昼間に吠える犬。時期ではない春にしかけてある網代。
冬から春先ときまったものなのに、初夏のころ着ている紅梅襲の衣。
乳呑子の産屋。火おこさぬ火鉢。牛が死んだ牛飼。
「博士」は、学問を以って代々仕える官吏であるが、これは男子のみの
世襲である。
しかるに、その家でうちつづき女の子を生ませているのなども。
方違えに行っているのに、もてなしてくれないところ。
節分の日の方違えは、まして興ざめ。
地方からこちらへはるばるよこした手紙に、贈りもののついてないもの。
京からの手紙も、そう思うかもしれないけど、何て言ったってこちらは、
都の面白いニュースや噂を書いてやるのだもの。
田舎の便りとは、一緒にならない。




可も不可もなくてのっぺらぼうである  柴田桂子




人のもとへわざわざ美しく書きあげて遣った手紙の、返事を今か今かと
待って、いやに、遅いなと思っていると、待たせた手紙を汚らしくして、
そのままに持って帰ってくる。
紙をけばたたせ、結び目の上に引いてあった墨まで消えていて、
「いらっしゃいませんでした」とか「物忌みで受け取られませんでした」
などというのは、まことに興ざめである。
また、必ず来るはずの人のもとへ牛車を迎えにやって待っていると、
入ってくる音がするから、「いらしたわよ」人々が出てみると、
何ということ、車庫に牛車を入れ轅(ながえ)をぽんとおろしている。
「どうしたの」というと、「今日はいらっしゃいません、こちらへこら
れません」と、さっさと牛だけを引き出していってしまう。
これも興ざめ。
また、家中大騒ぎして迎えた婿の、通ってこなくなったのも、つまらぬ
ことだ。





耳だってたまには歩きたいのです  藤井寿代





                                               乳母 (東京国立博物館蔵)


子を置いて帰ってこない乳母は興ざめなだけでなく、「憎らしくさえ

思われる」清少納言はいう。
古来貴族は、赤ん坊のために授乳する女性を置くのが普通で、初めて
乳を含ませる乳付けも、乳母が行い、幼児はほとんど乳母の手で養育
されていた。




乳呑子の乳母が、「ちょっと出てきます」といって出たのを、赤ん坊が
泣いてさがすので何かとあやしながら、「早く帰って」といいやると、
「今晩は帰れそうにありません」と返事をよこすなど、
興ざめなだけでなく、憎らしくさえ思われる。
待つ人のある女、夜更けにほとほと門を叩く者があるので、胸をどきど
きさせ、召し使いに尋ねさせると、つまらぬほかの人間が名のりをあげ
たりする、これも興ざめの中の興ざめ。
修験者を、物の怪を調伏するのに頼んだが、ちょっとも効き目がなく、
「だめだなあ、さっぱり」などといい、頭をかきあげて、欠伸をして
やがて眠ってしまったりする、これも白けたものである。
待っている人がいる女の家で、夜が少し更けてから、そっと門を叩く
ので、胸が少しどきりとして、人をやって尋ねさせると、別のつまら
ない男が名乗って来たというのは、まったく興ざめなどという言葉では
とても言い尽くせない。




大声よりささやき声の好きな耳  山田順啓





                         「申文を書く橘直幹」 橘直幹申文絵巻 出光美術館蔵

申文は、希望する官職を得るための上申書。
任官の儀式のことを除目というが、人々は除目の前に申文を持って
任官運動に明け暮れたようである。





除目に官職を得ぬ人の家。
「今年はきっと任官する」というので、以前に仕えていた人たちで、
散っていたのや、田舎に帰っていた者など、みんな集まり、出入りする
訪問客の車のひまなく、食べたり、飲んだり、大さわぎして前祝いして
いるのに、除目が済んでしまった翌朝まで、門を叩く音もしない。
「おかしいな」と、耳をすましていると、前駆おう声がして除目に列席
された公卿がみな、退出されてゆく様子である。
様子を聞くため、前夜から、役所の前で、寒さに震えながら控えていた
下男などが、しょんぼり歩いてくるのを見ただけで、邸の人間はもう、
聞く気もしない。
よそから来た人々が「殿は何におなりになったか」と聞く、そんな時の
答えはきまって、「もと何々の守ですよ」などという。
主人の任官を心から宛にしていたものは、ほんとうにがっかりしている。




前世で何をしたのかまた転ぶ  筒井祥文





    薬玉図

薬玉は香袋に菖蒲などの造花をつけ五色の糸を垂らしたもので、
魔除け
とされる。5月5日の端午の節句に用いられる。
清少納言は、薬玉や卯槌など、ちょっとしたものを持ってくる使いにも、
相応の心づけはするものだという。




翌朝になると、びっしり詰めていた人々も、しだいに一人二人と去って
行く。古くから仕えているもので、そうはいっても出ていけないという
ような人々は、来年次官になる予定の国々を、もう今から指を折って数
えたりして、うろうろしている。
そんな様は、哀れで、さむざむしたながめである。
出産の祝宴や、旅立ちの餞別などの使いに、ご祝儀を与えないの。
ちょっとした薬玉や卯槌などを持って歩く者などにも、やはり必ず与える
べきである。思いもしなかったのにもらったのは、
<使いのしがいがあった>と、思うにちがいない。
必ずご祝儀がもらえるはずだ、と胸とどろかせてきたのに、何も呉れない
のは、がっかりして、白けはてる思いであろう。




タケノコの御礼を言うとまた呉れる  酒井かがり





まあまあ良く詠めたなと思う歌を、ある人に送ったのに、返歌をしないの。
恋をしている人なら、返歌が来なくても仕方がないが。
でもそれだって、季節の風情がある時に贈った手紙に返歌をしないのは、
思っていたより劣った人と、思ってしまう。




少しだけ笑ってくれた梅の花  靏田寿子

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