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川柳的逍遥 人の世の一家言
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いつものことながら妖精と間違われ  酒井かがり





              任国への旅
因幡国守となり、任国へ下向する橘行平一行の様子





藤原伊周(これちか)らの「花山法王襲撃事件」(長徳2年)からほど
なく、10年あまりも仕事難民の生活を余儀なくされていた紫式部の父
為時は、為時の申し文に感銘した道長によって、越前守に任じられた。
北陸道は、中国大陸に面し、早くから菅原道真(加賀守)源順(能登守)
ら、文章道出身者が居留した土地である。
紫式部は、為時とともに都を離れ、越前に下向することになった。
友と別れ、故郷を離れたのは、6月のことだっただろうか。
長徳の変が巻き起こり、定子が髪を切ったのは5月である。
昨日の中宮が今日は、孤独な尼に堕ちる人生の無常を、紫式部は人の娘と
して感じていたことだろう。




ふり仰ぐ胸に悲の字を縫いつけて  太田のりこ




式部ー恋、結婚、別れ、それから……






彩絵檜扇  背景に流水や波を描く「扇流し図」

水流と結びつく扇の、漂い流れて変化する形と、やがて失われていく姿に、
趣や無常観が描かれる。「流れつく扇から愛する人の居場所を知り、再会
する」というエピソードのように、檜扇は男女や、離れた人と人をつなぎ
合わせる、運命を司る道具として用いられた。




紫式部には、下向先の越前まで恋文を送ってくる男がいた。
花山天皇時代、六位蔵人として為時と同僚だった、藤原宣孝である。
彼は紫式部の曾祖父である右大臣藤原定方の直系の曽孫で、紫式部とは
又従兄弟の関係にあたる。
信孝の父・為輔は公卿で、寛和2年(986)に権中納言にまで至って
亡くなった。母は参議・藤原守義女、宣孝とその兄弟たちは受領だった
が、姉妹は参議・佐理(すけまさ)に嫁いでいる。
また彼の妻の一人は中納言朝成女で、彼女と宣孝の間の子である隆佐も、
のちに後冷泉天皇の康平2年(1059)、75歳で従三位に叙せられ
公卿の一員になった。





返信のメール誠意の見せ所  加藤佳子





          藤 原 宣 孝





このように宣孝の周辺には、過去・現在、未来にわたって公卿が多い。
為時とは違い、彼の一族は、処世に長けていたのである。
宣孝自身は、正五位下右衛門佐兼山城守が極位極官だったが、
それは壮年で亡くなったためであろう。
彼は目端の利く男で行動力もあった。



積み上げたものに支えられている  吉岡 民










「episode」 『枕草子』しみじみと感じられる話。


『衛門佐宣孝は紫と白と山吹色、その息子は青と紅とまだら模様の派手
な服を着て連れだって参拝していた。 みんな珍しがって
「この山でこんな奇妙な格好をした人は見たことがない」と驚き呆れた…』
この話は全然 <しみじみと感じられる話>とは関係ないが、
清少納言は、紫式部の夫が亡くなった後で、ついでに書いたのだった。
紫式部はこれを読んで激怒し、清少納言を攻撃する日記を残している。
亡くなった夫の悪口を言われたら、それはもう悔しかったのだろう。
清少納言は、紫式部が宮廷に出仕する10年前に宮廷を退いており、
2人は顔を合わせたことがない。だから争いようもないのだが、
「清少納言が夫の悪口を書いた一件」に根をもって…、
紫式部は、しつこく清少納言をこき下ろすようになったようである。




目には目を遠い耳には悪口を  中村幸彦




道長も参詣した吉野山金峰山は、誰もが浄衣姿で行くとと決まっている。
だが宣孝「人と同じ浄衣姿では大した御利益もあるまい」また
「神様は質素な装いで詣でよとはおっしゃっていない」と、言って、
自らは紫の指貫に山吹の衣、同行の長男・隆光にも、摺り模様の水干
などを着させて参詣し、人々を驚かせた。
ところが、その甲斐あってか2ヵ月後には筑前守に任官できたという。
宣孝が筑前守になったのは事実で正暦元年(990)のことである。
参詣に同行した長男・隆光は、『枕草子』勘物に「長保元年(999)
6月蔵人、年29」と記される。




俺流を貫き通し冬木立  村杉正史




実際に彼が蔵人になったのは、長保3年(1001)6月20日だが、
いずれにせよ彼は、970年代初めの生まれとなり、紫式部と同年代、
或いは年上である可能性もある。
つまり宣孝は、紫式部の父といってもよいほどの年配だったのだ。
恋が進展した長徳3年、紫式部は20代半ば、宣孝は40代半ばか50
がらみで、十分に大人の恋と言えた。
『紫式部述懐ー①」
夫・藤原宣孝との結婚は30歳近くになってからで、晩婚でした。
しかも彼は、もう50歳近くになっていて、すでに妻もあり、わたしと
同じくらいの子供もいました。
年齢は離れていましたが、恋愛中や、わずか3年の結婚生活の間に男と
女の愛の機微を教えてくれたと思います。




泣きながらヒレ振る女よ春霞  笠嶋恵美子




宣孝は楽しい男だった。
春先の恋文には「春は解くるもの」という謎々を書いてきたりした。
何が解けるのか、氷や雪、そして冷たい女の心である。
「春だもの、君は私を好きになるさ」というのが謎々の意味だ。
いっぽう女性関係も盛んで、紫式部と同時期に近江守の娘にも言い寄っ
ているとの噂があったという。
『尊卑文脈』によれば、紫式部以外に少なくとも三人の妻がいた。
紫式部はこの年、秋ごろに帰京したと考えられる。
都では定子が天皇に復縁され、批判の的になって頃である。
結婚は翌年のことだったか、紫式部は本妻ではなく、妾の一人だったので、
終始、宣孝が彼女を訪う妻同婚の形であった。
たがて娘が生れ、紫式部は妻として、母としての日々を生きた。




持ち味をふたつブレンドして夫婦    菱木 誠





           藤原宣孝墓碑
春なれど白嶺深雪いや積もり解くべき程のいつとなきかな
「年が明けたら唐人を見にそちらへ参ります」 と言っていた
宣孝が、年が明けると、
「春になれば氷さえ解けるもの。あなたの心もとけるものだと、どうにか教えてあげたい」と、言ってきたことへの返歌。
「春になりましたが、白山の雪はますます積もって解けるのはいつのことかわかりません」



「夫の死」
だが幸福は長く続かなかった。長保3年(1001)4月25日、宣孝
亡くなったのである。
彼はその2ヵ月前まで、記録に名前が見えるので、長く臥せって居た訳
ではない。
紫式部にとっては唐突な、夫との別れであったに違いない。
加えて妾という立場でもある。
死に目にあう、ということもなかっただろう。
彼女は、その後、幾つかの季節を喪失感だけを抱えて、呆然と過ごすこ
とになる。




ひとり鍋季節は通り過ぎて行く  藤本鈴奈




紫式部の和歌は、夫との死別を境に一変し、人生の深淵を見つめ、逃れ
られぬ運命を嘆くものとなる。
彼女は夫との人生を「露と争ふ世」と詠んでその儚さを悼み、自分のこ
とは、「この世を憂し厭ふ」と言い捨てた。
「世」とは、命や人生、また世間や世界を意味する言葉だが、そこに共
通するのは、<人を取り囲む、変えようのない現実>ということである。
そしてそうした「世」に束縛されるのが、人の「身」である。
人は「身」として「世」に阻まれ生きるしかない。
ただ死ぬまでの時間を過ごすだけの「消えぬ間の身」なのだ。
夫の死によって紫式部は、そのことに気づかされたのである。




雑巾になってようやく味が出る  樫村日華






   紫式部の夫宣孝は、とにかくもてたらしい





夫に死別したあと、独りぼっちで憂鬱なもの思いに沈んで暮らしながら、
季節がめぐってくるにつけても、行く末の心細さ不安になっていた。
そうした折、物語を読んでは友人と慰め合っていた…。
ところが、やがて紫式部「身」でないもう一つの自分を発見する。
それは「心」である。
ある時、気がつくと、思い通りにならない人生という「身」は、変わら
ないのに、悲嘆の程度が以前ほどではなくなっていた。
数ならぬ心に身をばまかせねど 身に従ふは心なりけり
「心」「身」という現実に従い、順応してくれるものなのだ。
だがやがて、紫式部は心というものの、現実を超えた働きにも、目を向
けるようになる。




口呼吸しながらボラの逆上がり  宮井元伸





心だにいかなる身にか適ふらむ 思ひしれども思ひしられず
自分の心は、どんな現実にも合わないものだと、何度も思い知るのである。
現実に適応しない心なら、その居場所は虚構にしかない。
こうして紫式部は、寡婦であり、母である「身」とは別の所に、自分の心
のありかを見つけるようになる。
友人を介して物語に触れ、少しずつ前向きに生き始める様は『紫式部日記』
に記される。
「紫式部述懐ー②」
彼の死後、まもなく「物語」を書きはじめ、宮中に出仕する前後に、新しい
恋もし、裏切られもしました。
そういえば娘時代に、ある貴人の方を、本当に好きになった苦い思い出もあり
ます。そして、時の支配者・関白藤原道長殿から、娘の中宮・彰子様の家庭教
師に迎えられ、皇族や最上級貴族の恋模様を、本当にたくさん見聞きするよう
になりました。



光あるうちに歩けるだけ歩く  八木幸彦

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