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川柳的逍遥 人の世の一家言
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巻き舌で脅かすルート66  酒井かがり




  大賀政談・天一坊事件



「江戸の風景」 治安ー②


「奉行」
江戸市中には、「南町奉行所」「北町奉行所」があります。
といっても二つ奉行所があったわけではない。
江戸八百八町という広大なテリトリーの安全を守る激務だったため、
南町、北町に分け、月交代制で仕事をこなす役所である。
今に云いかえれば、警視庁、裁判所、消防庁、都庁を兼ねた役所で。
月番に当たった場合、「町奉行」は、午前10時頃には江戸城に出仕して
老中と打ち合わせ、午後1時に奉行所に戻り、その日の訴訟についての検
討、処理を始めるという過密なスケージュールがありました。
しかも町奉行には(追放や死罪などの重罪を下す権限はなく)、重大事件
については、寺社奉行や勘定奉行を加えて吟味したり、また目付、大目付
を加えた「上級審議の場」に出席しなければならない。
さらに、江戸の全町における民事訴訟から消防、土木などの行政まで引き
受けるわけだから、体がいくつあっても足りず、時間がいくらあっても間
に合わない職務であった。さてここで有名な町奉行を紹介いたしましょう。



たそがれを紫色で締め括る  岸井ふさゑ





  大岡忠相



「大岡忠相」
大岡忠相(ただすけ)は、八代将軍吉宗に重用され、「享保の改革」を
町奉行として支えた歴史上の実在人物です。
「町火消の創設」「小石川養生所の設立」「サツマイモの栽培普及」
など江戸庶民の生活に深く関わる政を行い、白洲のお裁きの中では、
「遠島や追放刑を制限」「囚人の待遇改善」に取り組み、咎人への残酷
な拷問を取り止め、「時効の制度」を設け、「連座制を廃止」したりと、
当時、画期的な様々な改革を推進しました。


木蓮の白に迷いが吹っ切れる 北川ヤギエ

これらの改革に庶民は拍手喝采。
それまでは名奉行といえば板倉勝重でしたが、庶民の味方、人情深いお
奉行様、ニューヒーロー大岡越前登場!と尊敬と人気を集め、現代まで
名奉行として語り継がれることになりました。
その庶民感覚重視の活躍ぶりを描く『大岡政談』は歌舞伎、講談、人情噺
浪花節など、あらゆるジャンルの大衆娯楽で取り上げられていることは、
承知のところです。特に落語に登場するお裁きは、越前大岡裁として定着
しました。が、ほとんどは外国の故事や古い逸話から脚色されたものです。
『三方一両損』は、板倉裁きだったものがいつのまにか人気の大岡裁きに
なって伝わっています。



人生のロスタイムからファンファーレ  斉藤和子


「三方一両損」 落語から
左官の金太郎は、三両の金が入った財布を拾い、一緒にあった書付を見
て持ち主に返そうとする。財布の持ち主はすぐに大工の吉五郎だと分か
るが、江戸っ子の吉五郎は、もはや諦めていたものだから「金は受け取
らない」と言い張る。しかし、金太郎もまた江戸っ子です、「是が非で
も吉五郎に返す」と言って聞かない。
互いに大金を押し付け合うという奇妙な争いは、ついに奉行所に持ち込
まれ、名高い大岡越前が裁くこととなった。 



好きなのにイエ好きだから目をそらす 雨森茂喜

双方の言い分を聞いた越前は、どちらの言い分にも一理あると認める。
その上で、自らの1両を加えて4両とし、2両ずつ金太郎と吉五郎に分け
与える裁定を下す。金太郎は3両拾ったのに2両しかもらえず1両損、
吉五郎は3両落としたのに2両しか返ってこず1両損、そして大岡越前
は、裁定のため1両失ったので三方一両損として双方を納得させる。 
そして場が収まったところで越前の計らいでお膳が出てくる。
普段は食べれないご馳走に舌鼓を打つ二人を見て越前は、「いかに空腹
だと言っても大食いは身体に悪い」と注意する。すると、二人は答えた。 
「多くは(多かあ、大岡)食わねえ。たった一膳(越前)」 



方向音痴だったのかブーメラン  森井克子




 晩年の金さん

「遠山景元 」
遠山景元、通称・金四郎は江戸時代の旗本で、天保年間に江戸北町奉行、
大目付、後に南町奉行を務めた歴史上の実在する人物です。
老中水野忠邦がすすめる「天保の改革」の実施に当たっては、町人達を
奉行所に呼び集め「贅沢と奢侈の禁止」「風俗取締り」「寄席の削減」
の命令を出しますが、町人の生活と利益を脅かすような、極端な法令の
実施には反対しました。やはり金四郎は庶民の味方でした。
そのため南町奉行矢部定謙や目付の鳥居耀蔵や水野忠邦と敵対します。
その後の悪を許さない金四郎の活躍は、ドラマで見る通り、正義の味方
でした。しかし、二年程の奉行勤務の後、ずる賢い鳥居の策略によって
北町奉行を罷免され、大目付の役に回されます。見た目では、栄転で地
位は上がりましたが、諸大名への伝達役に過ぎず、実質的に閑職でした。
その後、水野が退陣すると次の老中阿部正弘にその人柄と実行力を買われ、
復帰すことになります。



機械です歪な丸が描けません  郷田みや


遠山の金さんの胸から肩への「桜吹雪の彫り物」が気になります。
明治26年に発行された雑誌の伝聞記事によると、金さんの彫り物の絵柄
は桜吹雪ではなく、口に絵巻物をくわえて、髪を振り乱した女の首だっと
あります。金さんが彫り物をしていたという確証はありませんが、時代考
証家の稲垣史生氏は、若年のころ侠気の徒と交わりその際いたずらをした
ものだろうと、推論を転回されています。
彫物をしてたのは間違いないが、これも講談・歌舞伎がある程度、大きく
脚色したものです。ところで本業のお裁きでは金四郎は、越前のような
名裁きをした記録はほとんど伝わっておりません。



ひと巡りして真実になる噂  橋倉久美子





  長谷川平蔵



「火付盗賊改とは」
鬼平でお馴染みの「火付盗賊改」は火付けや盗賊の探索が主な任務ですが、
恐喝や詐欺なども含まれていたようで、その活動は江戸市中にとどまらず、
関東,東海、北陸、東北へも、与力や同心を派遣しています。
犯罪を撲滅するのが目的なので、旗本、御家人、町人の区別なく検挙する。
旗本や御家人を検挙したら、それぞれの監督の目付に引き渡す。
そのほかの者に対しては、どんな拷問もいとわなかったようです。
しかし町奉行とはどうしても持ち場が重なることから、お互いにライバル
視して、諍いが絶えなかったようです。
縁のないボナンザ爪だけは伸びる  森 廣子

「長谷川平蔵」
長谷川平蔵は、池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」で一躍有名になりました
が歴史上の実在人物です。父の宜雄(のぶお)も火付け盗賊改役だったこ
とがあり、京都西町奉行になり、京都で亡くなりました。
平蔵は30歳で家督を継ぎ、時の老中田沼意次へ届けられた進物の係など
を経て、火付け盗賊改役のなったのは、松平定信の寛政の改革が始まった
天明7年(1787)42歳の時です。寛政7年(1795)までの8年間勤めあげ、
お役御免を申し出て認められた3ヵ月後に死去しています。



月の出を待って介錯いたします  笠島恵美子

平蔵の若いころの「放蕩ぶり」「石川島人足寄場の設立」「盗賊の捕縛
や処刑」
は史実ですが、元盗賊の密偵を使うという発想や、「急ぎ働き」
「嘗役(なめやく)」
などの用語は作者が創作したものです。
小説の鬼平は「寛政重修諸家譜」をタネに生みだされました。
この本は、江戸幕府が編修した系譜集で、当時の各大名家・旗本・お目見
以上の幕臣の事跡が記されています。



参道に玉砂利たちの私語を聴く  田崎義秋

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