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川柳的逍遥 人の世の一家言
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骨壺を振ってときどき会話する  三村一子


八百屋お七と佐兵衛
「江戸の風景」 治安③ 残酷刑罰




         穴 晒 箱



戦国の時代は、決まった形はなくさまざまな「残酷刑罰」が存在した。
江戸時代は、人心の安定のため社会のあり方にも、少しづつ変化が見え、
17世紀の終わり頃には、五代将軍・綱吉が「生類憐れみの令」を制定し、
「捨て子の禁止」「行き倒れの病人の看護」を命じる時代になると、
人道的な感覚も出てきた。
例えば、土の中に体を埋めて頭だけを外に出し鋸で少しづつ首を切る
「鋸引仕置」という残酷な刑罰がある。
戦国時代は、実際に首を切っていたといわれているが、江戸時代には
形式的なものになった。
穴晒箱(あなさらしばこ)という箱を土中に埋め、罪人を座らせ首だけ
を外に出す。側に鋸を立てるが、罪人の肩を傷つけて刃に血液をつける
だけで、実際に首を切ることはなかった。

月の出を待って介錯いたします  笠島恵美子


  鋸引仕置の図
「鋸引仕置」 (レベル5)反逆罪など
50センチ四方の木箱に罪人を入れ、首だけ外に出して土中に埋める。



鋸仕置は主殺しなどの重罪人に適用される刑だが、この儘では死なない。
二晩三日晒した後、市中を引き廻し最後に磔にするという流れだ。
江戸時代の死刑にも罪の重さによって殺し方があり、斬首、磔(槍で刺
し殺す)火炙りにするの3パターンがある。
ここに付加刑として「鋸仕置」「獄門」「引き廻し」がある。
当時は、罪人の自白が重要視された。
証拠や証言などで罪状間違いなしという場合でも、自白が求められ、
口を割らなければ、「拷問」にかける。
最初は「笞(むち)打ち」それで駄目なら「石抱」(山型に組んだ木の
上に正座させ、重い石を膝に載せるというもの)になる。
自白がなくても、結果的にはお上の裁きで刑罰が下るので、意味のない
ことのように思えるが、当時は、自白の目的は改心させることにあった。

菜の花の一つがうしろ向いたまま 嶋沢喜八郎



   磔 刑 の 図
「磔刑」(レベル4)  殺人など
女は足台のついた十字の罪木に縛る。男は複十字型の罪木に縛る。
処刑の際は槍を脇腹から肩先まで貫き、ひとひねりして抜く。



仏像を間近に罪を数えてる  松本としこ


        火 刑 の 図
「火刑」(レベル4) 放火
死刑のなかでも、火炙りは極刑である。
生きたままの罪人を柱に縛り、体が見えなくなるほど薪を積み上げ、
風上から点火し、生き地獄のすえ絶命した死刑囚の鼻を止め焼き殺した。
焼死体は二夜三日晒して見せしめにした後、捨札は30日間立て捨てた。




「放火犯の報復刑」と呼ばれ「火付けには火あぶり」というのが、江戸
の刑罰の原則で、火つけの罪は火あぶりと決まっていた。 
放火が厳罰に処せられるのは、江戸の町が木造建築の密集地帯のためで、
江戸はたびたび大火に見舞われたが、その原因としては放火が多かった。
女や子供でも、火つけの場合は、容赦なく火あぶりが待っていた。
ただ江戸時代、この刑になった女性は「八百屋お七」ただ一人である。



躓いたところへ飾る余命表  桜 風子
        


   獄 門 の 図
「獄門」(レベル3) 窃盗など
死刑のなかで獄門は一番の重罪。斬首のあと、首を獄門台にのせ、三日
二晩刑場に晒す。台には長い釘が突き出て、首を刺すようになっている。



遠島出船の図
「遠島」(レベル2)  賭博など
刑罰の一つである「流刑」「遠島」(島流し)ともいった。





追放より重く、死罪より軽いが、「誤って人を殺してしまった者」、
「賭博の常習者」、「女犯の僧」などがこの刑に科せられた。
江戸時代の主な流刑地は、江戸からは、伊豆七島や佐渡島へ送られ、
大阪以西からは、壱岐、隠岐、天草諸島だった。
時代が下ると、八丈、三宅、新島の三島と壱岐に限られる。
島での生活では、労役はない。
しかし生活は保障されず、自分で生きるのである。だから流人には、
貧しい生活の者と楽な暮らしの者の二通りが存在するようになった。
職人は腕を活かし、学識のある者は手習いを教え、僧侶などは、
島民に布施をもらって比較的楽に暮らせたという。
島から脱走して捕まると、再度、島に戻され処刑に処された。

散骨にしてくれ閉所恐怖症  播本充子






敲(たたき)仕置の図
敲仕置 (レベル1) 窃盗
古来以来の刑罰「笞」「杖」の系譜に繋がるもので「敲仕置」がある。
「軽敲」は鞭で50回、「重敲」は100回以上打つ。
裸にして背後から押さえつけ肩、背中、を敲く。

         
江戸の小伝馬町牢屋敷では「笞(むち)打ち」「石抱き」「海老攻め」
などの拷問が行なわれた。笞打ちは、上半身を裸にし、左右の肩の背後
まで締め上げ、背中の筋肉を肩先まで押し上げてから縛る。
ムチが骨を砕かないようにするためである。
最初は打ち役は一人。
竹で囚人の肩を力をこめて敲き、与力が尋問する。
自白しなければ打ち役二人が左右から打ち、牢役人が水を浴びせて皮膚
の破れを防ぐが、肌はもはや真っ赤で湯気が立つ。
やがて皮膚が裂けて血が走るので、砂をかけて血止めする。
100回ほど打っても自白しなければ、殺さず、その日は牢へ戻す。
こうして、数日に渡って厳しい攻めが続く。
無住寺へバキュームカーを置き忘れ  井上一筒





 石抱きの図
笞打ちで自白しない者には第二段階として「石抱き」をさせる。
さらに第三段階は「海老攻め」が待っている。
石抱きとは、座った膝の上に13貫目(49k)の石を置く拷問。
それでも口を割らないと、石がもう一つ重ねられる。
海老攻めは、下着だけにした囚人を、脱いだ着物の上で胡坐をかかせ、
足首を左右重ねて細引きで縛る。
両手を背に回させ、二の腕を四方形にして左右両手首を縛り固める。
さらに細引き二本を肩から前に回して両脛一回りさせ、上に強く引いて
両足を顎が密着するまで締めつけ、その先を両手に固定する。
形が海老に似ているのでこの名がついたが、このまま1,2時間かけ、
笞で敲きながら尋問を続ける、というから酷い。

パンドラの箱から乾いた唇  森田律子

  三段切りの図
三段切り (レベル4)  姦通・背任など
各藩も厳しく罰していたが、金沢藩ではとくに残酷な「生吊るし胴」
通称「三段切り」が行なわれていた。



「生吊るし胴」と呼ばれるこの刑は、受刑者にとっては残酷な仕打ち
であるが、刑を執り行う者には相当な技量が要求される。
半端な腕しか持たない者であれば、不安定に吊られた人間の胴体を、
ひと太刀で切り落とすことは難しい。
ことに、この刑は町衆の見守る中で行われるから、失敗すれば、処刑
人の家名に後々あとまで傷が残ってしまうのである。
受刑者はもとより、処刑人にとっても実に残酷な刑だった。
「吊し胴」とは、両手を頭上にして吊るし、腋腹を横に一直線に斬り放し
「放し斬」は、両手を後頭部に縛り目隠しをして罪人を歩かせながら後ろ
から胴体を横一文字に斬り放すのだから凄まじい

惨劇の一部始終を見た金魚  油谷克己



  斬罪仕置きの図 
下手人(レベル2) 詐欺、盗賊、博打など
刑場に土を盛って「土段場(土壇場)」というものを作り、そこに目隠
しをした罪人をうつぶせに横たえて、2名の斬手が同時に頸と胴を斬り
放すものである。

逃げるよりいっそ無様に斬られよう  桑原伸吉

不義密通の罪(曽根崎心中)       
(レベル3) 不義密通は死罪
「密通の妻と密通の男」は死罪と決められていた。



武家や商家では「不義はお家のご法度」で妻に寝取られた夫は、
密通の妻と間男を殺しても無罪になった。
「心中」が美化されるようになったのは、近松門左衛門『心中天網島』
あたりから。
近松はほかにも『曽根崎心中』など、心中ものに名作を残している。



天国は死ぬ心配がありません  寺川弘一



江戸時代、男と女の仲は、厳しい決まりで縛られていた。
許されない恋では、あの世で添い遂げようと、お互いに手と手をとって
死出の旅にでるほかはなかったのである。
まず、結婚には親の許可がなくてはならない。身分違いの恋も駄目。
不倫はご法度となれば、二人の気持ちは心中に向かうのも止むをえない。
では、片方が生き残ったらどうするか?
男が死んで女の方が生き残った場合には、女は低い身分にされる。
反対に女が死んで男が生き残った場合には、男は下手人(死罪)になる。
心中は「片相手は死罪」と決まっていたのだが、
女の命は助けられていたのである。
もう一度生きても多分この程度  徳島一郎





「詠史川柳」 八百屋お七




 火刑(報復の図)


天和の大火(1683)の放火の犯人は「八百屋お七」でした。
これより3年前、本郷丸山町のお七の家は類焼を受け、
近くの小石川の円乗寺に仮住まいをしていました。
ここでお七は寺小姓の佐兵衛吉三郎)と深い関係に陥りましたが、
やがて丸山町に八百屋が再建されたので、一家は引っ越しました。
お七は佐兵衛のことが忘れられず、


芝居よりお七楽しむ寺参り




デートも重ねましたが、やがてお七の父親の久兵衛の知るところとなり、
監視の目が厳しく、外出をすることもままになりません。
会えないと思うと、そこは恋する乙女です。


火のついたようにお七は会いたがり
引っ越した晩からお七ヤケになり



ほんとうの恋に絵文字は使わない  阪本こみち
実は父親の久兵衛は、釜屋の武兵衛から二百両の大金を借金しており、
「返すまで担保として娘を寄こせ」と迫られておりました。


「黒物屋に行くのはイヤ」とお七いい


(黒物とは釜や鍋のこと)
お七は強く拒否をしましたが、いつの時代も貸した方が強く、結局、
お七は質草に取られることになり、



御無体な証文武兵衛殿久兵衛



ヤケになったお七は恋人の佐兵衛に仔細をしたためた手紙を送って



「こちゃ釜やせぬ」と小姓にお七云い



とは言ったものの、釜屋の慰み者になる前に、愛しい佐兵衛に一目なり
とも会いたくなり、また火事になれば会えると、一途な乙女心から放火
を考え付いたのでした。
無理ですよ昨日はやって来ないから  太下和子



お七は16歳と数か月。(当時16歳までなら死罪を免れましたから)
お白州で奉行の中山勘解由「16にはなっていないであろう。よくよく
数えて答よ」と謎を掛けました。そこは正直者のお七のこと



「十六」とすってんぺんから申し上げ
(すってんぺんからとはー最初からの意味)
「そんなはずはないと思うが、よいか、こうやって指を折って数えてみよ。
拙者の指は十五で止まるが」と奉行は減刑を暗に教えるのですが、
駆け引きが分からないお七には、伝わりません。
結局、法に従い、江戸・鈴ヶ森の刑場で火あぶりの刑に処せられました。


こしょうにはむせぬがお七煙にむせ
八百屋町むごかった御成敗
八百七の時分は恋も律儀也




都合よく人間やめる花菖蒲   小川一子

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