忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[60] [59] [58] [57] [56] [55] [54] [53] [52] [51] [50]

傷ついた桃ならさっき食べました  森田律子

taisei-2.jpg

  長幕開戦図(龍馬使用)

慶応2年6月の「四境戦争」とも呼ばれる、幕府による”第二次長州征伐。

幕府の軍勢は、長州の4つの口、芸州口、小倉口、石見口、上関口から、

攻め込もうとした。

ところがすでに長州は、

2年前に幕府に戦わずして、屈服した”長州藩”ではなかった。

和睦後、高杉晋作らがクーデターを起こして、藩の実権を握り、

帰藩した桂小五郎大村益次郎を起用して、

軍事装備を一新させていたのだ。

高杉や大村らに指揮された長州軍は、最新の兵器で幕府軍を迎撃。

幕府方をさんざんに破った。

バーベルで鍛え大ジョッキは軽い  伊藤博仁

この戦争に、長州の海軍総督・高杉から参戦を求められ、

龍馬は、亀山社中を率いて長州側に加勢した。

龍馬の”乙丑丸(ユニオン号)”と、高杉の”丙辰丸”は、

門司と田ノ浦の敵陣めがけて、砲撃を開始、

敵側の砲台を沈黙させた。

完全に倒れ完成するドミノ  平尾正人

taisei-4.jpg

双方が生き残りをかけた、第2ラウンドではあったが、

この戦争の最中に、別のステージでは、

戦況に影響する重要な変化が起きている。

慶応2年(1866)12月、のことである。

大坂城で病死した将軍・家茂のあと、

第15代将軍に、慶喜が擁立されたこと、

そして同じ月、攘夷論者でありながら、

佐幕的立場をとっていた孝明天皇が突然死んだこと。

冬のことあなたはどこで知りました  南野耕平

孝明天皇の死は、毒殺の疑いがかけられているが、

可能性は非常に高い。

たしかな証拠があるわけではないが、

佐幕的立場をとる孝明天皇では、

長州藩、薩摩藩にしても、

倒幕を唱える急進的公家たちにしても、

やりにくかったはずだからだ。

幼少の新天皇を擁立し、それを「玉(ぎょく)」として使いながら、

自分たちの思う方向へ進ませようと、考えたのではなかろうか。

こうして新しい将軍・慶喜、新しい天皇(明治天皇)へ、

と幕府も朝廷も、代替わりしたのである。

塩化水素ひとりでは死ねないのです  山口ろっぱ

taisei-5.jpg

家茂が死んだため、長幕戦争は中止となったが、

幕府の威信をかけた軍事行動を、中止したことにより、

威信は、大きく低下することになった。

もはや幕府は、倒壊寸前のところまできていたのである。

事実、慶喜は京都で将軍になったが、

そのまま京都にとどまり、

江戸へ戻ることができないでいた。

例外をひとつ許してから雪崩  片岡加代

taissei-1.jpg

京都を離れれば、

その隙をついて薩長が、朝廷と幕府の間を割くことが考えられ、

朝廷が、

「幕府に政治を委任するのはやめる」 

と言い出せば、

それで幕府は終ってしまうからだ。

そこで考え出されたのが”大政奉還”という手であった。

≪この大政奉還には、龍馬がからんでいた。

 というよりは、この発想そのものは龍馬から出てきたものである≫

悪口を言わせぬように立たぬ席  下田幸子

e7e9a7c5.jpeg 
        

さて、社中の同志とともに、下関へ参戦した龍馬であるが、

大きな心配事が一つあった。

「師の勝海舟が幕府海軍の司令官として、参戦すること」

そうなれば、海舟は幕府海軍を率いて、必ず、”関門海峡”を封鎖する。

海舟の優秀な弟子である龍馬は、

師がその立場に立ったら、

「当然そうするであろう」

と予想していた。

そして龍馬のこの予想は、半分当たっていた。

ふんどしがずれた2分の1気圧  井上一筒

というのは、それまで謹慎させられていた海舟は、

5月28日に突然、江戸城に呼び出され、

「もとのとおり軍艦奉行を命ずる」

と言われていたのである。

「このたびは、どんな仕事をするのか」 

と驚きつつ海舟が聞くと、

「薩摩藩が、第二次長州征伐への出兵を拒否した。

 会津藩(京都守護職)が怒っている。

 両者の間で戦闘が起こるかも知れない。これを調停して来い」

というものだった。

「またそんなクダラナイ仕事をさせるのか」

と、海舟の胸のうち。

ケモノの血薄れ草食系男子  新家完司

taisei-3.jpg

    関門海峡(現在)

あきれながらも海舟は、京都にいって調停にはいった。

ところで、元治元年(1864)の9月11日に、

海舟は、薩摩藩との会談で、

「幕府を見限って、西南雄藩が連合して新しい共和政府をつくりなさい」

と助言している。

それを聞いた西郷隆盛大久保利通は、

「勝先生、冗談キツイですよ」

と一笑に臥しましたが、このときの海舟の心のなかには、

「幕府艦隊をまかせてくれれば、必ず関門海峡を封鎖する」

と考えていたといいます。

すなわち、龍馬の考えは、半分あたっていたのである。

勝海舟が、長伐戦争に加わらなかったことは、

龍馬にとって幸いした。

替え芯を下さい夕陽見たあとで  立蔵信子

拍手[7回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開