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川柳的逍遥 人の世の一家言
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前略とサヨナラの隙間の重要案件  山口ろっぱ
 

 
      町方役人の夜回り


奉行所に属した同心と密接な関係を持ちながら、自治組織による町方役
人も町廻りを行った。中央の少し右ー提灯を提げている町方役人、右上ー
男を誘う夜鷹、左下ー蕎麦屋が描かれている。(近世職人尽絵詞     鍬形蕙斎画)


隠し立てできぬ闇夜のホタルイカ  銭谷まさひろ
 



 江戸の捕物に描かれた同心ー①
石川五右衛門を捕えようとする芝居絵に描かれた同心で、文久元年頃の
風俗を伝える。同心は十手を咥えて捕り縄を持つ。(歌川国明『増補双級巴』)




「江戸の定町廻り同心」



江戸の町奉行所は今日の裁判所であり、警視庁・東京消防庁を含む東京

都庁に相当する。吟味筋(刑事)双方の事件を南北奉行所月番制で扱っ
ている。奉行所の廻り方(外勤)同心は与力の下役で、禄米三十俵二人
扶持の待遇の低い待遇のもと、定町廻り、隠密廻り、臨時廻りの三廻り
に配属されていた。与力・同心は、拝領地八丁堀に住んでいたことから、
「八丁堀の旦那」と呼ばれた。
町廻りは、町奉行支配地である江戸御府内を、芝筋、本郷筋、麹町筋を
中心に定員12人(南北で24人)の少数同心が、昼夜に分かれて巡回
した。寛文2年(1667)5月、新開地の本所・深川筋が町奉行の管轄に加
えられて以来、それを「定町廻り」と呼ぶようになった。


心音を数えて一日が終わる  合田留美子




 
江戸の捕物に描かれた捕り方ー②

 五右衛門に与力が刀の鍔に手をかけ捕り手が投げ飛ばされている


 
その役目は、当初は浪人の辻斬りへの警戒、明暦3年(1657/1月18日~
20日)の明暦大火後には、火気取締りに重点が置かれるようになったが、
享保6年(1721)からは博奕・市中風聞虚説や奢侈風俗取締りに重点が移
されている。ともかく、江戸100万人と言われた大都市をたった24
人で犯罪防止に務めるのである。


お互いが入れた切り取り線でした  有海静枝


「定町廻り」と改称されたように、同心たちは昼は四ツ(朝ー10時)夜
は暮六ツ(夜ー6時)の定刻より、自身番屋伝いに巡回して、事件の有無
を問うたり、留置のと科人については、事犯によって大番屋送りの指示
をおこなったりした。定廻りは、夫々の町奉行の下で、担当地区を巡回
し、お上が出した法令が守られているか、如何わしいことはないかなど
を監視し、犯罪が発生すれば取り締まる。犯罪捜査よりもパトロールの
意味が強かった。


青空を破いてグイと鼻をかむ  菊池 京



江戸の捕物に描かれた捕り手と五右衛門ー③

五右衛門は食らいつく捕り手たちを千切っては投げ千切っては投げる。

 
廻る地域は広域であるため「足早に背中にひびを切らして歩いた」と言
い伝えられ「竜文の裏の付いた三ツ紋付の黒羽織(夏には紗か絽)暑い
時分には「菅の一文字菅」「背に十手を差す」という。髪型は「八丁堀
銀杏」という独特のスタイル。通常、腰に木刀を差す供(小者)を一人
連れ、さらに後に二人の岡っ引きを付けている。この姿が、力士や役者
と並んで「八丁堀の旦那」と町方からもてはやされたものである。


罪と罰烈しく掻き混ぜてパフェ  酒井かがり


因みに、与力と同心とでは、十手の差し方が違う。
刀と揃えて腹の前に刺すのが与力で、腰の後ろに隠して差すのが同心。
その根拠は定かではないが、現場を動き回る同心としては、町に溶け、
身分を悟られるのがまずかったのかも知れない。また与力には、訴訟
を処理する権限があり、ほとんどの事件は、与力の処理を町奉行が白
洲で追認していたが、同心の職務は捜査、逮捕、取り調べまでだった。


二者択一に割り込む粒あんトースト  山本早苗


いわゆる与力は検察・裁判官。同心は、大岡越前守や必殺仕事人のドラ
マを見ての通り、定廻りがメインの仕事で、現場検証をし岡っ引きを情
報屋に雇い、下手人を捕縛し、番屋で取り調べもするが、取り調べで容
疑が固まった段階で、与力に犯人を引き渡す。
そこから先は権限外となる。
与力との関係は職務上はっきりと上下の関係にあり、同心が与力に昇格
することは、極めて稀である。


草間弥生で隠す心の破れ  合田留美子



         捕り縄の極意書


与力を長としない奉行直結の同心の掛りがあった。
「遠山の金さん」のお白州の場面などを見ても、なるほどと分る通り、
用部屋手付、隠密廻り、定町廻り、臨時廻り、下馬廻り、門前廻り、御
出座御帳掛り、定触役、引纏役、定中役、両御組姓名掛がある。
また「隠密廻り、定町廻り、臨時廻り」「三廻り」という。
同心の役格は、年寄役、増年寄役、年」寄並、書物役、物書役格、添物書
役、添物書役格、本勤、本勤並、見習、無足見習の11に分かれている。


真実を前に節穴が並ぶ  居谷真理子


「定町廻同心」
 同心の花形といわれ、法令の施行を視察し、非違を監査し、犯罪の捜査、
逮捕をする役で、現在のパトロール警官である。これが映画、小説で同
じみの「定町廻同心」であるが、その定員は一町奉行所にわずかに6名
である。南、北町奉行所で12名。臨時廻同心も同数であるから合わせ
て24名、これで江戸府内を巡回して治安に勤めたのであるから驚異的
である。この12名がそれぞれの受持区域をもって、常時廻っているが、
つい手が足りないから岡ッ引・下ッ引が動員されるようになるのである。


新しいナビには古地図古代文字  くんじろう


「臨時廻同心」
定町廻同心の予備隊のような存在であるが、その職務は全く同じであり、
定員は一組6人、両町奉行所で12人である。れは定町廻同心を永年勤
めた者がなり、定町廻同心の指導、相談に応じる先輩格であった。


チョイ悪の目つきのままで爺さんに  上田 仁


「隠密廻同心」
「江戸町奉行事蹟問答」に次のようにある。
「隠密探索は同心へ奉行より申し付けるなり。予審中主任与力より申し
含めることもあり、その方法は、同心職務につき奉行も与力も指図する
ことなし、専任するなり。何事に不依聴込たることは、善悪ともに奉行
に告げ、奉行の耳目となって働くなり。捕縛すべき罪悪と認めるものは
奉行へ告げるまでもなく時期を移さず町廻りとはかり捕縛し、忠孝美事
に至るまで奉行へ告げるなり」


ぴったりと背中合わせの幸不幸  清水英旺
 
「同心の服装」
江戸の町を巡回している南北あわせて20人の定廻りと臨時廻りは、独
特の格好をしている。御成先着流し御免といって、将軍の御成先でも着
流しを許されていて、武士なら必ず身に付けなければならない袴をはか
ない。着物の柄は派手な格子か縞。身幅は裾が割れやすいように女幅。
その上に竜紋裏三ツ紋付の黒羽織の端を巻羽織といって裾を内側にまく
りあげて帯に挟み、茶羽織のように短く着る。髷は八丁堀風といって一
を詰める。
(一とは髷の元結で結んだところから後方に突き出た部分)


もう一度やってみないかサラリーマン  中村秀夫
 


      秘伝の捕縛術
制剛流に「早縄」をはじめ当時の捕縛術は8種類あった。


「例繰方という役職」
廻り方の事務部門にあたる。「例繰方」は捕らえた下手人の状況に応じ
て断罪の擬案を行い、前例の御仕置・裁許帖に照らし合わせて書類を作
成し、奉行所に提出する役回りである。罪因の犯罪捜査、被害者の情状、
断罪の議案を擬案を蒐集記録し、他の事件捜査の参考に資し、また検討
索例を掌る。事件解明のための重要な仕事をこなし、かなり繁多な業務
だが給料は安い。(居眠り磐音というお薦めの本がある)


雑音はまとめましたと粟おこし  美馬りゅうこ
 


      秘伝の捕縛術ー②

「岡っ引き」
同心が自分の身銭で雇う町人の情報屋を「岡っ引き」という。
定廻り同心は、巡回のときに「小者」を連れている。これは正式な配下
ではないが、同心直属の部下になる。
これに対して、その区々の持ち場で手助けをする者を「岡っ引き」とい
った。岡っ引きは「御用聞き」ともいわれ、江戸以外では「目明し」
西では「手下」とも呼ばれた。小者が同心屋敷で生活している下男とす
れば、 岡っ引きは同心に個人的に仕えるだけで、保証らしいものはない。


口先だけは立派な男だったのよ  森田律子


「下っぴき」
同心の下には岡っ引きが、2、3人付いているが、その岡っ引きの下には
また4,5人の手先が付いている。岡っ引きも、一人前になると一人で7,
8人くらいの手先を使っていた。それらを「下っ引き」といい張り込みや
連絡が必要な時に、 緊急で招集をかけるときの手数である。
岡っ引き、下っ引きを合わせると千人ほどが江戸市中を廻っていた。ドラ
マなどに登場する岡っ引きは、正義の味方が多いが、実際は、その立場を
利用して強請を働くような必要悪的なものだった。しかし犯罪の捜査には、
裏の世界に精通している彼らの存在が、どうしても欠かせなかった。


小塚っ原から胴体だけ戻る  井上一筒

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