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川柳的逍遥 人の世の一家言
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道形に歩く自然体のわたし  荻野浩子


           


「顔」
「一万円札の顔」はどのようにして選ばれるのだろうか。
選考基準を一般人の我々が知るものではないが、なぜ「その人なのか」の
理由はあるはず。当時の世相事情から推測することぐらいはできる。
1958年12月1日、初代の一万円札の「顔」「聖徳太子」だった。
「岩戸景気と呼ばれるものが始まった年」で以降、18年間、日本は高度
経済成長期の波に乗り、五輪、万博などを成功させ、世界の主要国の仲間
入りを果たした。いわば「聖徳太子」推古天皇の摂政として政治・法律
の整備をし、隋など他国との交流と文化導入にも努め、当時の日本文化を
大きく発展させた人であった。


日本の男のかたち田に力  伊藤のぶよし 


1984年11月1日、一万円札の「顔」聖徳太子から「福沢諭吉」
交代する。高度成長を成し遂げたので、次は「文化立国」を目指したのか。
残念ながら福沢時代は「バブル崩壊や数々の大きな災害」に直面し、その
復興にみるように、日本の経済は低迷期に入ってしまった。文化国家を目
指すためには、経済的にも豊かでないとどうにもならない。しかし、低成
長のお蔭で、日本は、世界の成長から取り残されつつあることは否めない。
「このままではいけない。文化国家よりは、やはり経済国家だ」と考えた
政府は、一万円札の顔を福沢諭吉から「日本資本主義の父」と尊称される
渋沢栄一に代える結論をだした。
 
 
軽い財布には動かない自動ドア 高野末次


「渋沢栄一」「近代日本経済」の礎を築いた大実業家で、第一国立銀行、
東京海上日動火災保険、東京電力、東京ガス、J R 東海、日本郵船、キリ
ンビールなど約500社もの企業の設立・育成に携わった。約六百の社会
公共事業に携わったといわれる。また実績だけではなく、経営理念でも高
く評価されている。1916年に書籍化された著書・「論語と算盤」では
一見かけ離れた道徳(論語)と経済(算盤)は、表裏一体だとする「道徳
経済合一説」
を唱え、これは「現代に通じる考え」とされる。こうしたこ
とから2014年を目途に刷新される新一万円札の「顔」に選ばれた。
そして今「青天を衝け」の題もよろしくドラマで日本のあるべき道を指す。


自分史の余白は風の通り道  嶋沢喜八郎


「渋沢山脈」 ①-渋沢家人物相関図


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渋沢栄一
渋沢栄一は21年度の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公。
栄一を吉沢亮が演じる。「亮は ワシによう似とる美男子だからな。
頑張って
ほしい」と、渋沢栄一が言ったかどうかは、知らない。
実際に栄一が言った言葉には、次のようなものがある。
「さあ、クヨクヨしよう。クヨクヨすることをバネにしよう。今、クヨ
クヨすることは将来のためなら大丈夫」(栄一・一言集)。渋沢栄一は
身長150cmと躰は小さいがやることはでっかい人だった。栄一の好物は、
深谷の名物「煮ぼうとう」で栄一が詰まっているような料理である。


鉛筆を倒して聞いた天の声  近藤北舟
  
 
 
  
渋沢市郎右衛門(元助) 厳格な栄一の実父 (小林薫)
武蔵野国榛沢郡地洗島村の豪農・渋沢家の分家「東の家」の出。分家の
一つ「中の家」のゑいと結婚し、婿養子となった。骨身を惜しまず働く
勤勉家で、家業の研究に余念がなく、家業の藍作りや藍玉の製造販売な
どで財を成し、没落気味の同家の再興に尽くした。
世話好きで学問を好み、風流をよく解したという。四角四面で厳格な父
だが、破天荒な栄一の生き方を、誰よりも支援した。
 
 
世渡りのこつをラップの芯に聞く  宮いいずみ
 

 
 
渋沢ゑい 慈悲深い栄一の母。 (和久井映見)
渋沢家の分家「中の家」の娘。慈悲深い女性で数々の逸話が遺されている。
後年、栄一が社会福祉や医療事業に尽くすことになるのも、そんな母の影
響を受けたのだろう。お人よしで、情け深く「みんながうれしいのが一番」
の精神を幼い栄一に教えた。
「ゑいの慈愛のエピソード」
栄一の母・ゑいは、栄一と千代の結婚式に出席していない。近くに眼病を
病むりんという貧しい中年女が居り、そちらへ様子を見に行っていたため
という。恐い伝染病なので誰も近寄らなかったが、ゑいは気にせず、親し
く付き合い、いつもりんを気にかけていたのである。


抜け道は猫が教えてくれました  中岡千代美


 

渋沢なか 栄一の姉。 (村川絵梨)
優しい母・ゑいとは打って変わり、歯に衣着せぬ物言いで、栄一にとっ
てはおっかない姉だ。


 
  
渋沢てい 栄一の妹。 (藤野涼子)
年の離れているだけ栄一ていが可愛くて、かわいがった。天真爛漫に
育ち、栄一の生涯においても気のおけない家族であり、やがて栄一の妻
となる千代の心の友にもなる。

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渋沢千代 栄一の最初の妻。 (橋本愛)
尾高惇忠の妹。18歳で従兄にあたる栄一と結婚。長男の篤二など二男
三女をもうけた。口数は少ないが芯は強い。コレラに罹患し早世する。


チコちゃんを連れて娘が里帰り  岸田万彩

         

 尾高篤二 廃嫡された長男。
  栄一千代の長男。幼少期に母を亡くしたため、姉の歌子夫婦のもとで
養育された。やがて渋沢倉庫社長などを務めるが、趣味人ゆえ実業界に
なじまず、不行跡もあって廃嫡された。もう一人の姉は渋沢琴子


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渋沢兼子 鹿鳴館の華と謳われた後妻。 (未定)
貸金業で儲けた江戸の豪商・伊藤八兵衛の次女。美人姉妹と謳われた四
人姉妹の一人で第一銀行頭取・栄一の後妻になる。栄一との間に五男一
女をもうけるが、前妻の産んだ子どもと分け隔てなく育て栄一を支えた。


語尾に付く笑いはきっと護身術  下谷憲子
 
 
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 渋沢喜作 栄一の従兄。若き日の栄一の相棒。 (高良健吾)
父の文左衛門は、栄一の父・市郎右衛門の実兄。従弟の栄一と行動をと
もにし、一橋家に出仕し、以降慶喜のもとで活動したとされる。やがて
彰義隊を結成して頭取となり、戊辰戦争では幕府方として戦った。
維新後は大蔵省入りし、のちに実業家へ転身するも、度々投機に失敗し
て大損害を出し、その都度、栄一の後援を受けた。


幸せにきっとなれると鬼笑う  岡谷 樹




渋沢よし 喜作の妻。 (成海璃子)
情熱的な喜作にひと目惚れし、自らアプローチ。結婚後は、喜作をしっ
かり尻に敷く。栄一と喜作が京へ旅立ってからは、千代のよき相談相手
となって、共に夫の留守を支える。


 
 
渋沢宗助 栄一の伯父。 (平泉成)
「東の家」の当主。血洗島村の名主として、栄一の父・市郎右衛門と共
に村をまとめる顔役のような存在。甥である栄一には、時に口うるさく
小言を言う。


 
 
渋沢まさ 宗助の妻・栄一の伯母。 (朝加真由美)
人はいいが少々おせっかいな性格で、親戚である「中の家」でも何かに
つけて世話を焼きたがる。宗助との遣り取りが絶妙で、おしどり夫婦ぶ
りが、何とも憎めない。


定位置に今日も故郷は居てくれる  加藤ゆみ子


          

渋沢敬三 栄一の嫡孫 
栄一の長男・篤二の子。生物学者を目指していたものの、栄一の懇願を受
けて東京帝国大学卒業後に、栄一関連の会社や団体の役員に就任。栄一の
没後は子爵家を襲名し、名実ともに栄一の後継者となる。


 
 
尾高やへ 栄一の伯母 (手塚里美)
惇忠、長七郎、千代、平九郎の兄妹を育てた。やがて惇忠たちは尊王攘夷
の思想に突き進んでいく。いやおうなく幕末の動乱に巻き込まれていく子
どもたちを心配しつつも温かく見守る。


人間を絞れば白し胡蝶蘭  河村啓子
 
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尾高惇忠 栄一の従兄・学問の師 (田辺誠一)
武蔵国榛沢郡下手計村(ばかむら)の名主・尾高勝五郎の三男。学問を修
めて私塾を開き、隣村・地洗島村に住む従兄の栄一に、漢籍を教えるなど、
大きな影響を与えた。幕末には渋沢喜作とともに、最後まで新政府軍と戦
った。維新後は実業家に転身し、富岡製糸場の初代工場長を務めた。
深谷にある惇忠の墓碑には、栄一の手により「学あり行いあり君子の器。
われまた誰をか頼らん。何ぞわれを捨てて逝けるや」
と記されている。


 

尾高きせ (手塚真生)
惇忠の妻。各地から草もうの志士が訪れるほど、文武に精通した人格者の
夫を寡黙に支える。長男の務めがあるため、家を出ることができない惇忠
の歯がゆさを、言葉にはしないがひそかに感じている。
 
 
剃刀にときどき顎が引っかかる  桑原伸吉


 

尾高長七郎 栄一の従兄 (満島真之介)
惇忠の弟。長身で堂々たる体躯の長七郎は、神道無念流の剣豪として名を
とどろかせるようになり、栄一の憧れの存在になる。兄・惇忠に代わって
江戸や京へ遊学に行き、世情を栄一らに伝える。

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尾高平九郎 栄一の従弟 (岡田健史)
末子である平九郎は、偉大な兄の背中を追いかけ、姉の千代を心から慕い、
文武両道で心優しい青年に育つ。栄一のパリ行きに伴い、見立て養子とな
るが、そのことがきっかけとなり幕府崩壊の動乱に巻き込まれる。


実線も破線も べた凪の内に  山本早苗

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徳川慶喜 一橋斉昭の七男 (草薙剛)
栄一にとって慶喜は、誰よりも特別な存在であった。栄一は24歳の時、
慶喜に仕え一橋領内の産業奨励や財政強化などに力を尽くす。慶喜が徳川
宗家を継いだ後も、幕臣として仕え、フランス行きや、明治新政府に命じ
られ帰国した後に、謹慎中の慶喜がいる静岡に留まった背景には慶喜の配
慮があった。その後、栄一がビジネスで多忙になっても、慶喜の恩を忘れ
ることなく、大坂方面へ出張があるときは、静岡にいる慶喜を訪問し土産
物を持って行ったり、時には落語家を連れて行ったりして、慶喜を慰めた。
こうした付合いから慶喜の真意を後世に伝えるべく、熱い思いをこめ25
年の歳月をかけて、慶喜の伝記を編纂する。


夕暮れは明日のために忙しい  柴本ばっは


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徳信院 慶喜の養祖母 (美村里江)
一橋家当主・徳川慶寿の正室となるも、若くして死別し徳信院と名乗る。
慶寿の後継も亡くなり、慶喜が次いで後継となったため、わずかな年齢
差で養祖母となる。


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美賀子君  慶喜の正室。 (川栄李奈)
病にかかった慶喜の婚約者の代わりとして正室になる。一橋家の未亡人
である徳信院と慶喜の仲を疑い、自殺未遂の騒動を起こす。付かず離れ
ずの夫婦であるが、やがて慶喜のよき理解者となる。


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吉子(登美宮) 慶喜の母。 (原日出子)
水戸藩藩主・徳川斉昭の正妻。夫の斉昭は非常に気性の荒い人で、阿部
正弘
などから誤解を受け、波乱の水戸家を演出するが吉子は、そんな水
戸藩を見守り、内助の功を発揮する。


抽き出しは一つ伏せたい愛二つ  上田 仁


 

平岡円四郎 慶喜の側近。 (堤真一)
栄一の才能を認め、栄一の運命の人となる慶喜に引き合わせたのが円四
である。旗本でご時世、不甲斐ない日々を送っていたが、縁あって
の小姓となる。慶喜からの信頼を厚くし、筆頭クラスの用人にまで昇
進する。攘夷の志士を目指していた栄一は、円四郎と出会ってから人生
が動きだす。


 
 
平岡やす 円四郎の妻。 (木村佳乃)
吉原の売芸者。放蕩生活を送っていた平岡円四郎に見初められ妻となる。
美人だが気はめっぽう強く、粗野で破天荒な円四郎もやすには頭が上がら
ない。


二番線ホームで待っているチャンス  本多洋子   


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徳川斉昭 水戸藩主 (竹中直人)
水戸徳川家第9代藩主。先進的で、実行力に富み、気性の激しさもあっ
て、のちに「烈公」と呼ばれる。それゆえに敵は多い。栄一の主君とな
る慶喜の父でもあり、幼少期から慶喜の才に期待し、暑苦しいほどの愛
情深さで育てた。



   
 
藤田東湖 斉昭の側近 (渡辺いっけい)
水戸藩主就任から支えた斉昭の腹心。斉昭が隠居謹慎処分を受けると、
東湖も蟄居を命じられるが、やがて斉昭と共に復活。「回天詩史」など
数々の著作が尊攘志士に愛読され、信望を集めた。安政の大地震で非業
の死を遂げる。
 
武田耕雲斎 斉昭の側近。 (津田寛治)
藤田東湖と共に藩主・斉昭を支えた、尊攘派の水戸藩士。やがて東湖の
息子・藤田小四郎が起こした「天狗党の乱」をいさめる立場に立つも、
小四郎に懇願されて総大将となり悲惨な最期を遂げる。


頷いただけでひまわり枯れてゆく  森田律子



 
 
井伊直弼 大老。 (岸谷五朗)
彦根藩主の14男として不遇な人生を送るが、兄の病死により藩主に就任。
さらに大老となり、幕府の実権を握ったことで運命は180度転換する。
「安政の大獄」を断行して、慶喜らに非情な制裁を下す。
 
阿部正弘 老中。 (大谷亮平)
弱冠25歳で老中職を務める。ペリー来航後の国難に立ち向かうため、
水戸藩主・徳川斉昭を海防参与に登用するなど手腕を発揮。開国か鎖国
かに揺れる幕府の舵取りに、心労を重ねていく。


権力が時に政論ねじ曲げる  水野黒兎



 

松平慶永(春嶽) 福井藩主。 (要 潤)
「才ある美しいものを好む」という気質からか、慶喜の英邁さをいち早
く見抜いてすっかり心酔。慶喜を次期将軍に押し上げるべく奔走する。
安政の大獄で隠居した後、慶喜と共に京へ上り、政界に復帰する。
 
橋本佐内 福井藩士。小池徹平)
藩主の慶永に才能を見いだされ、藩医の立場から側近へ。将軍継嗣運動
の中心となり、慶喜の側近・平岡円四郎を巻き込んで、慶喜の英邁(えい
まい)さを伝える文書を完成させる。安政の大獄により若き命を散らす。


繭吐いたあとが大きな穴になる  赤松ますみ


 
  
 
高島秋帆 洋式砲術家。 (玉木宏)
国兵制改革の急務を幕府に上申するも、秋帆は、無実の罪で武蔵野国の
岡部藩の獄に投ぜられる。岡部藩では客分扱いとし、藩士に兵学を指導
した。秋帆の門人たちは、幕府に願い赦免に尽力。12年の受牢の後に、
ペリー来航の脅威に幕府は、近代兵学の必要性に迫られたことから急遽
秋帆は赦免される。

永井尚志 海防参与 (中村晴日)
ペリー来航後、海防掛に就任。海防参与となった徳川斉昭の過激な言動
に振り回される。将軍継嗣問題では、一橋派に属していたため、安政の
大獄にて罷免された。やがて慶喜を補佐する立場となる。
 
 
アンコウのような暮らしがまだ続く  指方宏子

 
 
大橋訥庵 儒学者。 (山崎銀之丞)
「思誠塾」を開き尊王攘夷を唱え、多くの塾生に影響を与える。栄一
従兄である尾高長七郎も塾生の一人であり、大橋の思想に傾倒。大橋の
旗振りによって老中・安藤信正の暗殺計画を企てる。 
 
利根吉春 岡部藩代官。 (酒向芳)
栄一が暮らす血洗島村を治めている岡部藩の代官。時折、中の家にやっ
てきては横柄な態度で馳走をむさぼり、宗助市郎右衛門に莫大な御用
金や人足を求める。やがて大人になった栄一も対立することになる。


神様の気まぐれだろうもんじゃ焼き  雨森茂樹

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