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川柳的逍遥 人の世の一家言
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帆をあげよ鼻腔に南風のいい薫り  くんじろう



「渋沢栄一」 『論語と算盤』漫画と名言


「論語」は、孔子が残した言葉を弟子たちがまとめたものである。
それは儒学となり、そこから朱子学も派生して、徳川幕府の支配思想と
なった。徳川幕府が倒れ、明治になると、朱子学は廃れ、何もかもが西
欧風に変わっていった。渋沢は明治政府に仕えながらも、こうした時代
風潮に違和感を覚えていたのだろう。論語を道しるべに生きた渋沢イズ
ムを『論語と算盤』に書かれた名言を、通して渋沢栄一に触れてみる。


引導を渡す間合いの最初はグー  中 博司


     














 





 

















 







 















 







 「民、信なくば立たず」


「子貢 政を問ふ」 子貢が孔子に政治の要諦を問うた。
子曰く「足食、足兵、民信之矣」
孔子は、まず第一に食生活の充実をはかってやること。次に軍備をとと
のえること、そして、民の信頼を得ること、と答えた。
子貢が問うた 「必不得已而去、於斯二者何先」
子貢は、ではその三つのうち、止む得ずして一つを除くとしたら、
どれを除きますか、と尋ねた。
孔子は言下に「軍備を捨てよ」と答えた。
子貢は続けて「その二つとも保持し得ない事態が到来した場合、どちら
を捨てますか」と聞いた。
孔子曰く「食を去らん。古よりみな死あり、民信なくんば立たず」
つまり、食を過大視してはならぬ。道が信じられず、道がすたれるよう
ではおしまいだ、というのである。


カンガルーの最短距離のジャブ  井上一筒









 


渋沢 「私が考え実践してきた合本主義は、単に私利お追及資本主義と
は異なり…私利と公益の合一を考えるものです」
「仁義礼智信」
「孔子を始祖とする儒学の五つの項目は、ここに『信』がありますが…
もう一つ『義』がありますね」
孔子が言ってます「行動に際して義を優先させるのは、小人である」
「私も、事業に関して利を優先せず、義お優先してきました。
『義』とは世のため人のためになること…公益だと言い換えられます。
社会・国・世界…公(益)私(利)お合一させること、つまり合本主義
です」
「国家社会の助けがあって初めて自分でも利益があげられ、安全に生き
ていくことができる。私が常に希望しているのは<物事を進展させたい>
<モノの豊かさを実現したい>という希望をまず人は、心に抱き続ける
一方で…その欲望を実践に移していくために『道理』お持って欲しいと
いうことなのです」
「その『道理』とは、社会の基本的な道徳を、バランスよく推し進めて
いくことにほかなりません」
「道理と欲望とがピッタリくっついていないと国や社会は衰えていくで
しょう」
「一方、欲望がいかに洗練されようと、道理に背いてしまえば、いつま
でも<人から欲しいものを奪い取らないと、満足できなくなる>という
不幸を招いてしまう」


ニッポンと叫ぶ時だけ日本人  一階八斗醁


 

 


「孔門十哲の一人・子貢(しこう)が孔子を語る」
孔子「言語は子貢」と称するように、子貢は雄弁な人物であった。
子貢の雄弁さは、孔子に限らず多くの人が褒めそやしており、人から
「孔子よりも君の方が優れているよ」と言われることも多々あったが、
子貢は奢ることなく、孔子の方が素晴らしいことを弁舌爽やかに一人
一人に諭した。という。


あんた何時から味醂になりはった  山口ろっぱ


「告げ口好きな魯の子服景伯(しふくけいはく)へ説得する場合」
「屋敷の塀にたとえれば、私の家の塀は肩くらいの高さですから、
家の中が小奇麗であることが窺うかがえるでしょう。
しかし、先生の家の塀は、優に背丈以上の高さがありますから、
門を叩いて中に入らなければ、その宗廟の美しさや役人たちの元気な様
子を見ることができません。その上、敷地が広大すぎて、その門を見つ
けることができる人が少ないようですから、子服景伯殿が「私を先生よ
り優れている」
と言われたのも仕方のないことです」
(ともかく孔子とその弟子の言行録である「論語」の中に子貢は、最も
多く登場してくる人物である)


曇天を切り取り血豆をひとつ  酒井かがり


「斉の26代君主・景公と子貢との孔子についてのやりとり」
景公「あなたは誰を師となさっているのか」
子貢「仲尼(孔子)が私の師です」
景公「仲尼は賢いですか」
子貢「賢いです」
景公「どのように賢いのですか」
子貢「存じません」
この子貢の答えに景公は、訝しんだ。
景公「貴方は仲尼は賢いと言いながら、その賢さが、どのようなもので
あるのかは知らないという。それでよろしいのですか」

それに対して、子貢は、
「人は誰でも、皆天が高いことを知っておりますが、では、天の高さは
どのようなものか、と聞かれたら皆知らないと答えるでしょう。わたし
は仲尼(孔子)の賢さを知っておりますが、その賢さがどのようなもの
であるのかは知らないのです」

と、子貢は孔子の偉大さを天の高さになぞらえて答えた。


忖度の胃もたれに効くパンシロン  中野六助


「渋沢栄一・名言」


名言 ①
「金儲けを品の悪いことのように考えるのは、根本的に間違っている。
しかし儲けることに熱中しすぎると、品が悪くなるのもたしかである。
金儲けにも品位を忘れぬようにしたい」


エレベーターの十八階で肩がこる  森 茂俊


名言②
「人間の世の中に立つには、武士的精神の必要であることは無論である
が、しかし、武士的精神のみに偏して商才というものがなければ、経済
の上から自滅を招くようになる。ゆえに、士魂にして商才がなければな
らぬ。その士魂を養うには、書物という上からはたくさんあるけれども、
やはり「論語」は、最も士魂養成の根底となると思う。


音のない日暮れに愛は育たない  森田律子


それならば商才はどうかというに、商才も、論語において充分養えると
いうのである。道徳上の書物と商才とは何の関係が無いようであるけれ
ども、その商才というものも、もともと「道徳」をもって根底としたも
のであって、道徳と離れた不道徳、詐瞞、浮華、軽佻の商才は、いわゆ
る小才子(こざいし)小悧口(こりこう)であって、決して真の商才で
はない。ゆえに商才は道徳と離るべからざるものとすれば、道徳の書た
る論語によって養える訳である」


無駄縒りは1本もない蜘蛛の糸  新家完司


大正3~7年(1914-1918)の間、第一次世界大戦が繰り広げられた。
それをきっかけに空前の好況を迎え、「大戦景気」と呼ばれるバブルが
始まった。世界的に船舶が不足したことから「船成金」と呼ばれる大金
持ちが続出し、財閥も力を強めていった。工業生産額は農業生産額を追
い越し、求人率が増え、仕事をもとめて人が都市へと集まる結果を生む。
急速に近代化がすすむと、若者の間にも「立身出世、金儲け」が注目さ
れる時代となった。
しかし、大正7年、終戦にともなって「戦後恐慌」が起き、さらには、
大正12年に「関東大震災」が発生し長期間の不景気に陥ることとなる。
そうした時代の中の大正5年、渋沢栄一『論語と算盤』を出版した。


過去帳が湿る少しの悔いがある  西澤知子


名言③
「算盤は論語によってできている。論語はまた算盤によって本当の富が
活動されるものである。ゆえに「論語と算盤」は、甚だ遠くして、甚だ
近いものである」
「富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。 正しい道理の富でなければ、
その富は完全に永続することはできぬ。 ここにおいて論語と算盤という
懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要の務めと自分は考え
ている」と説き、論語(道徳)と算盤(経済)との一致を試みるのだ。


じいちゃんの一喝満月が上がる  和田洋子


名言④
「そのため仁義道徳によって利用厚生の道を進めていくという方針を取り、
「義理合一」の信念を確立するように勉めなくてはならぬ」と説く。この
義理合一こそ孔子の、すなわち論語と、算盤を一致させる精神なのだ」


煙突を抜けると美しい敬語  山本早苗


名言⑤
「道徳を論じている書物と商才とは、何の関係もないようだが、商才と
いうものは、もともと道徳を基盤としているもの。道徳から外れたり、
嘘やうわべだけの軽薄な才覚は、いわゆる小才子や小利口ではあっても、
決して本当の商才ではない。したがって、商才は道徳と一体であること
が望ましい」
すなわち渋沢は「事業上の見解としては、一個人に利益ある仕事よりも、
多数社会を益していくのでなければならぬ」と言い「多く社会を益する
ことでなくては、正経な事業とは言わない」と断言する。


度の合わぬメガネと遊ぶおぼろ月  田村ひろ子


名言⑥
「道理は天における日月の如く、終始昭々乎(しょうしょうこ)として
毫も昧(くら)まさざるものであるから、道理に伴って事をなす者は必
ず栄え、道理に悖(もと)って事を計る者は、必ず亡ぶることと思う。
一時の成敗は長い人生、価値の多い生涯における泡沫の如きものである」


引き際を探しあぐねている蚯蚓  河村啓子 


名言⑦
「いやしくも正しい道をあくまで進んで行こうとすれば、絶対に争いを
避けることはできぬものである。絶対に争いを避けて世の中を渡ろうと
すれば、善が悪に勝たれるようなことになり、正義が行われぬようにな
ってしまう」


明日を語る資格などありません 雨森茂樹    


「子貢が孔子に言った。それに対して孔子は何と言った」
子貢曰「他人からされては嫌だと思うことを、自分も他人にはしない。
私は、こういう人間になりたいと思います」

孔子曰「それは、とても難しいことだ。お前にできるか?」
普通の人なら「いいことだ。おおいに頑張れよ」
と言うところだが、孔子はそうは言わなかった。
孔子は子貢が日ごろ、口先が達者で、実行が伴わないことが多かったので、
嗜めたのである。


鑑みる右脳辺りの二毛作  蟹口和枝
 

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