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川柳的逍遥 人の世の一家言
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4分の1ずつあってほしい四季  上島幸雀



    大江戸年中行事・日本橋魚河岸、正月二日、朝市


元旦の江戸の町は人通りもほとんどなく、庶民の多くは正月を寝て過ご
していた。2日ともなると、日本橋の魚河岸には多種多様の魚が並び、
普段から多くの人々で賑わっていたが、初売りの時は、江戸橋まで店が
軒を連ね、大勢の買い物客であふれかえった


「江戸の行事へ落語と歩く」


正月はおめでたい月ですから、さぞかし賑やかと思いきや、
基本、江戸時代の正月は、「寝正月」です。
何といっても前の晩、「大晦日には、遅くまで飲んで、氏神様にお詣り
して」
と、大忙しだったもんですから、元日に朝早く起きるのは、
どうでも初日を拝みたい」と、思う人たちだけでしょう。
それでも、「年の初めの若水を汲み、みんな揃って雑煮を食べる」と、
何となく、厳かな気分になってきます。


退屈という贅沢にどっぷりと春  大葉美千代


「初詣」には、その年の恵方の神社やお寺へ参ります。
今年は南が恵方だと聞けば、そちらの神様・仏様へ一年の無事を願いに
行くわけです。
武家は、町方のものと違い、元日、2,3日と、三が日の登城をして、
「年賀の儀式」、旗本以下の軽輩でも上司に「年始回り」をしなければ
なりません。暇なのは浪人くらいなものでしょう。


明日またきっといい事ある兆し  藤河葉子



「伊勢個世身見立十二直」 (三代豊国)


町方でものんびりした気分は、「一日だけで二日から」江戸の町は動き
出します。店や問屋は「初荷」で大賑わい。
日本橋の魚河岸なんてのは、黒山の人だかりです。
かの吉原もお休みは、一日のみ、二日から営業するそうで皆働き者です。
さて一日の夜に見る夢は「初夢」といい、みんな「枕の下に宝船の絵」
を入れて眠ります。


すみませんねえというニワトリ風の声  井上一筒


落語にこんな噺があります。「羽団扇」です。
『ある男が宝船を枕の下に入れて寝る。
「どんな夢を見たか」と聞きたい女房が、納戸でも起こしてくるので、
喧嘩になってしまった。
そこへ天狗が現れて、男は鞍馬山へ連れていかれてしまう。
どうやって帰ろうか、考えた男は、夢の内容を話す代わりに
「天狗の羽団扇を貸してくれ」と、頼む。
手に入れた団扇で空を飛び、まんまと逃げたが、途中で墜落。
落ちたところは宝船のなかだった。
そこで目が覚めた男は,女房に夢を話す。
「そりゃあ、いい夢だねえ。さあ煙草でもお吸いよ。
 それで七福神はいたのかい」
「恵比寿、大国、布袋、福禄寿、毘沙門、弁天」
「一福足りないね」
「一ぷくは煙草でもって飲んじまった」
宝船には七福神とともに、
なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの 
おとのよきかな と書いてあります。
(永き世の遠の眠りのみな目ざめ波乗り船の音のよきかな)
上から読んでも下から読んでも同じ、回文です』。


いい人の明度にすこし無理がある  美馬りゅうこ


七日は「人日(じんび)」、七草粥を食べる日です。
これは将軍も武家も庶民も同じで、これを食べれば一年「無病息災」
万病に罹らないと言われています。
「鏡開き」は十一日。
お供えのお餅は、神様が宿っているお餅なので、刃物で「切る」のは
縁起が悪いとされ、「割って」小さくします。
調理法としては、お汁粉、雑煮などでしょうか。
二十五日は、「お初天神」。
天神様にお詣りに参ります。


始まりの矢印君に辿り着く  山田れもん



稲荷神社のお祭りで


このお題と同じ「初天神」という落語があります。
『男が初天神の日、お詣りに行こうとすると、女房が、「息子を連れて
行け」
という。息子は、「なんでも買ってくれ」と、騒ぐので、
「イヤだ」と断るが

「おねだありなんてしないよう」
という殊勝な言葉に、しぶしぶ連れて行く。
ところが、天満宮に着いたとたんに、
「今日はおねだりしない良い子するから、ご褒美に何か買っておくれ」
とねだられ、仕方なく飴玉を買ってやる。
お詣りがすむと、今度は凧をねだる。
それも店の看板になろうともいう大凧だ。
結局、買ってやった男だが、飛ばしてみるとおもしろい。
子供より親が夢中になってしまい、なかなか交代してくれない。
そこで子供がひと言。
「ああぁ、こんなことなら親父なんか連れて来るんじゃなかった」』


耳たぶに指紋をつけるのはやめて  富山やよい
 


稲荷神社のお祭りで


二月にはいり、最初の午の日にあたる日が「初午」。
これは「稲荷神社のお祭り」です。
「伊勢屋稲荷に犬の糞」といわれるように、江戸市中のそこここに、
お稲荷さんが祀ってありました。
お稲荷さんは、もとは「五穀豊穣を願った農業神」。
江戸では商売繁盛の神様となったのだから、一つの町内に三つから五つ、
武家の屋敷では一軒に一つ、お社があったほど。
そして、この日に限り、武家の屋敷では、「町内の子供の出入りが自由」
なります。屋敷の中では、お神楽の舞台があったり、いつもはしかめっ
面の武士が、女装して踊ったりと楽しい余興が続きます。
また、七、八歳の子は、本日から寺子屋入りをいたします。
はじめてお師匠様に会う「入学式の日」です。


春と書いてみる2月1日朝  雨森茂樹


八日には「針供養」が終り、二十五日から「雛人形や白酒の売り出し」
が始まります。
人形は、「十軒店」という所が有名で、今の日本橋あたりにありました。
白酒は、「鎌倉河岸の豊島屋」が第一とされ、売り出し日には、押すな
押すなの人だかり。店の入口と出口を別にして、整理券まで配ったのに、
怪我人が出るほどの繁盛ぶり、豊島屋もそれを見越して医者の用意まで
してあったとか。
そんな思いで買った白酒に、ひし餅をそなえて、三月三日の「雛祭り」
を迎えます。
大名家なら、豪華な飾りもありましょうが、庶民は、今年はお内裏様、
来年は三人官女と、少しづつ買い整えていきました。
「雛祭り旦那どこぞへ行きなさい」
という川柳でも分かるように、この日は女のお祭りでした。
三日は「上巳の節句」(桃の節句)ともいい、大名たちは、江戸城に、
登城するならいになっています。


酒臭いお地蔵様のよだれかけ  ふじのひろし



      花見帰り墨田の渡し (渓斎英泉)


そういえば、三月一日になると、「吉原では桜」が咲きます。
なんのことかといえば、この日、吉原仲の町通りに桜の木が移植され、
あっという間に見事な桜が揃うのです。
これを「千本桜」といいました。
桜は、一日に間に合うように育てられたもの。
特に夜桜は、吉原の名物となっています。
庶民にとっても桜の季節は気もそぞろです。
桜の名所の代表といえば、上野に飛鳥山、墨田堤です。
しかし、上野は寛永寺の管轄で、「酒、歌舞音曲はご法度」、
「おまけに早じまい」ときています。
飛鳥山は、庶民のためと、八代将軍・吉宗公が設けたものですが、
いかんせん遠すぎる。
そこで多くの人が繰り出したのが、墨田堤です。


見るだけにしてねと桜咲いている  肥塚裕夫


花見といえばこの落語、「長屋の花見」です。
『貧乏長屋の大家が、店子らを集めて景気づけに花見をしようと誘った。
といって御馳走を整える金もない。すると大家が用意したという。
酒三本に重箱の弁当、これには一同、大喜びしたが、蓋を開けて驚いた。
酒は番茶を煮て、薄めたもの、卵焼きとかまぼこと思っていたのは、
黄色いたくわんとダイコンのお香々。
それでも出かけてみれば、あたりは満開の桜。
めいめいムシロに坐って
番茶とたくわんで花見を始めた。
すると茶碗の中を覗き込んでいた男が、
「大家さん、近々長屋にいいことがあります」
「そんなことわかるかい?」
「酒柱がたちました」
花見には庶民も武家もございません。
どこぞのお旗本が女形に扮したり、いつもは屋敷の奥に引っ込んでいる
お姫様も出張ったり、みんな桜の花を楽しみました』。


笑い皺日々幸せの副作用  掛川徹明


四月、五月、六月が「夏」いうと驚かれるでしょうが、新暦に直せば、
凡そ、五、六、七月にあたりますから、もう夏の声が聞こえます。
四月八日は「灌仏会」があります。
お釈迦様の誕生日ですね。
花を飾った小さいお堂に、「お釈迦様の像を安置して、甘茶をかける」。
この甘茶、いただいて持ち帰り、
これで墨をすり、お習字の上達を願います。また、
「ちはやふる卯月八日は吉日よかみさけ虫を成敗する」
と、書いて柱に貼っておくと、虫除けになるそうです。
お釈迦様の霊験、あらたかなるかな。


虫かごの中で命の声がする  新川博子


 
  目には青葉山ホトトギス初鰹 (渓斎英泉)


この季節になると、江戸っ子たちの関心は「初鰹」です。
明日になれば、もっと値段が下がるのに、といわれても、
「今日食わなきゃ江戸っ子じゃねえ」
とばかりに無理をして買い求めます。
初物を食べえると、「七十五日寿命が延びる」とか。
「女房を質に入れても初鰹」
まさかに女房とまではいきませんが、「もう着ない冬物を入れちまえ」
とする亭主はいたようです。
おかみさん連中は、「寒いとき、おまえ鰹が着られるか」と、いたって
冷静です。


贅沢というモノサシの中に春  柴田比呂志


五月は、五節句の一つ「端午の節句」で始まります。
前日の四日に、「菖蒲売り」が来ますので、
これを買って蓬(よもぎ)とともに軒先に挿しておきます。
ほかにも男子がいる家では、家紋をつけた幟(のぼり)を立てる。
という風習があるようですが、貧乏長屋ではそうもいきません。
「安幟ふきんにたわしつけたよう」
くらいの飾りになってしまいます。
この端午の節句にも、武家は登城の決まりがありました。


鯉のぼり大人になってゆく五月  市井美春



江戸自慢三十六興 両国大花火 (三代豊国)


二十八日、「両国川開き」です。
いよいよ夏も盛りです。
花火が打ちあがり、橋の上に見物人が詰めかけ、「川には屋形船」が、
ぎっしりと浮いています。
この花火は、川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当しました。
この頃の花火は、赤か橙色しか出せませんでした。
それでも、夜空に煌めく一瞬の美に、江戸の人たちは楽しさを感じて
いたのです。
花火の掛け声である「玉屋ー、鍵屋ー」は、花火業者の名ですが、
実は「玉屋」は、天保年間に火事を出し、お取り潰しになっています。
それ以降、川開きの花火は、「鍵屋」の独占市場となりましたが、
「掛け声だけは残った」のだとか、


ムカシムカシのお話をする通り雨  藤本鈴菜


その掛け声にまつわる噺が「たがや」です。
『川開きの日。両国橋は人でごったがえしている。
そこへ本所方面から、馬に乗った旗本と供が三人、やってくる。
人をけちらし強引に橋を渡ろうとする。
反対側から来たのは、煙突の煤を払う竹の「たが(箍)」。
これを担いだ「たがや」
人にもまれ、押されたはずみに担いでいた「たが」が外れて、
旗本の笠
に当たって、飛ばしてしまった。
「たわけ者、手討ちにいたす」
と、旗本はカンカン。たがやは平謝りに謝るが、旗本は許さない。
ここでたがやは開き直り
「血も涙もねえ、のっぺらぼうの丸太ん棒野郎!」
「この大小がこわくないか」
「大小がこわくって、柱暦の下ァ、通れるか」
たがやは、供の刀を奪うと、必死に斬りつけてきた。旗本も馬を降り、
槍をしごいたが、たがやの刀が一閃、旗本の首がすっ飛んだ。
それを見ていた見物人、
「上がった上がったィ。たがやァい!」


成り行きはみんな私の撒いた種  津田照子



「江戸自慢十六興 鉄砲洲いなり富士詣」 (三代豊国)


六月一日は、「富士山のお山開き」があります。
富士山に登ってみたいけれど、なかなかそこまでは行けない。
ならばと生まれたのが、「富士塚」です。
神社の境内に小山を作り、富士山と見立ててあります。
ここなら、年寄も女も安心して登れます。
また一日は、富士山の頂上にある「浅間(せんけん)神社のお祭り」で、
それに伴い、江戸の浅間神社でも祭礼があります。
ここのお土産は、「麦わらで作ったヘビ」。疫病に罹らないそうです。


絶景と自由気ままに生きている  西尾芙紗子


十六日には、「嘉祥(かじょう)」という行事があります。
庶民は積極的に行わなかったようですが、江戸城内では、
一つの儀式として成立していました。
これは疫病をを払うため、平安時代の仁明天皇が、菓子を供えた故事に
基づいています。
将軍が、十六種類の菓子を臣下に配るのですが、どんな菓子があったの
でしょう。菓子は茶の湯が盛んだった京都が名産。
しかし江戸にも、桜餅やきんつばなど、京都に負けない江戸らしい味が
生れています。
二十七日は、「相模大山の山開き」。
神奈川にあるこの山は、江戸から近く、博打と商売の神様ともあって、
参詣者も多かったとか。


草餅の老舗知ってる客の列  川崎博史


では、「大山詣り」の一席をどうぞ。
『長屋の大家を先達として、大山詣りに出かける一行。
道中、怒ったら「二分の罰金」。ケンカをしたら「丸坊主になる」
といおう決まりごと。
それというのも、熊五郎がいつも問題を起こす
からです。
案の定、今回も保土ヶ谷宿で熊五郎は、大立ち回りをやらかしてしまう。

一行は、罰として眠っている熊五郎の頭を丸坊主に剃りあげ、さっさ
と帰ってしまう。
翌朝、目を覚ました熊五郎、置いてけ堀に憤慨し、早駕籠を雇って、
一行より先に長屋へ帰る。
長屋のおかみさん連中を集めると、
「仲間はみんな死んでしまった、それで自分だけが生き残ったので、
 申し訳なく坊主になった」
と嘘をつく。
菩提を弔うためには、尼になれ、という熊五郎の言葉を鵜呑みにした
おかみさんたちは、みんなクリクリ坊主の頭にしてしまった。
そこへ帰って来た長屋の連中。
「なんてことしたんだ」と息巻くが、先達は、
「お山は晴天、みな無事で、お毛が(怪我)なくっておめでたい」』

    本日はここまで、おあとがよろしいようで、By 北原進ゟ


普通という幸せ普通という贅沢  小島蘭幸

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