忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[1011] [1010] [1009] [1008] [1007] [1006] [1005] [1004] [1003] [1002] [1001]

元日や今年もあるぞ大晦日  柳多留
 


『東都歳事記』商家煤掃 (しょうかすすはらい)
     
江戸の12月は、煤払いやら畳替えなど、とにかく
新たまの年を迎えるために大忙し。掃除がひと通
りすむと、主人を始め一同の胴上げがあり、蕎麦
や鯨汁がふるまわれたりした、という。



     江戸の年末 錦絵「羽子板見世の賑い」香朝楼豊斉筆
 

江戸の冬の名物は焼芋。諸所に釜を据えて焼芋を売る者がいた。
歳の市は、15日の深川八幡宮からはじまる。
17,8の両日は浅草の観音様。ここでは、羽子板市が催される。
江戸時代中期以後は、非常に盛んで羽子板を売る店が数件も続いた。
20.21日が、神田明神。24日が、芝愛宕権現とつづく。
歳の市が終わる頃は、年一回の大掃除に当たる「煤払い」が町の家々で
行われる。それから餅つき門松、注連飾りのかざりつけ。
正月の室内の飾り物としては「室咲きの鉢植えの梅」が売り出される。


大晦日胆にこたえる頼みましょ  柳多留 


「江戸の12月」江戸の風景ー大晦日

 
師走、借金取りが駈けだせば、取られる方も駈けだす。
ふだんは落ち着いている師匠といわれる人も駈けるから
「師走」とは、落とし噺である。
江戸時代は、武士が米を給金として貰っていたから、
大きな支払いは、米の収穫後に清算される。
それで、12月は大名、旗本からそれに連なる商人・職人の
決算の月だった。年一回の決算だから忙しい。
 
 
 餅はつくこれから嘘をつくばかり  柳多留
 
 

     九里四里旨い十三里 江戸の焼き芋

京都で始まった焼き芋は、時を経て寛政(1789~1800)頃
江戸に伝わった。

一日は、たちまち過ぎて、また新しい日が来ると思うと過ぎ去り、
人はその年月のなかの旅人である。
大晦日百八つの鐘を聞き、新しき明日にはかない希望をつなぐ。


大晦日嘘をつかぬは時の鐘  柳多留   


江戸の小咄(仕形噺) 「大晦日」


この暮れは、大屋(大家)の、米屋の、薪屋のと手詰めの絶対絶命。
思い付きの早桶(棺桶)を買って来て、その内へ入り、
「おれが死んだことにして今夜を送り、元朝に蘇生したと言えばよい」
と女房に呑み込ませ、死んだふりをしている所へ、米屋が来たを女房が
段々のくどき言。
「さてもさても笑止な事ではある。ここに今取って来た銭二貫。
 これでマア、取置かしゃれ」
「イイエ、思ひがけもない。八貫から上の借りを上げぬのみか、
 ドウマア、これがいただかれませふ」
「ハテサテ、取っておかしやれ」
デモ、ハテと、あちらへやり、こちらへやりはてしなければといふ身で、
「ハテ、下さるものなら取っておきやれさ」


大晦日亭主家例の如く留守  柳多留
 


      江戸の年末の風景 其々の年末、怠りなく
 

「上の小咄が「落語」なるとー」


江戸の昔は、普段はツケで買い物をして、支払いは、盆暮れにまとめて
支払うのが習慣でした。大晦日ともなりますと、このツケの支払い、
カケの受け取りで、大変でございますな…。
そりゃ、金がありゃあいいですよ。その日暮らしの貧乏人の中には、
どうしても金の工面がつかないという者が出てまいります。
そうかといって、商人の方だって、夜明けまでに取り損なえば、
また半年待たなくっちゃいけないんでございますからな…。


大晦日よく廻るは口ばかり  柳多留


この暮れは、どうにもこうにもやり繰りがつかないという男。
どこからか都合してきた棺桶の中に入って、女房に申しましたですな…。
「俺を死んだことにして、何とか今夜をやり過ごしてくれ」
「そんなバカなことをして、後をどうしなさる?」
「なぁに、元日に生き返ったと言えばよい」
無責任なヤツがあったもので…。そこへ米屋が掛取りにまいりましたな。
女房は、あまりの情けなさに涙を零しながら、しどろもどろの言い訳を
いたしますてぇと、気のいい米屋、
「この暮れへきて、急に亡くなったとはお気の毒。せめてこれでも…」
と、いくらかの銭を置こうとする。
「とんでもないことで、お借りしたものをお返しも出来ないのに、
 これはいただけませぬ」
「そう言わずに、取ってくだされ」
押し問答をしておりますと、棺桶から手が出て、
「呉れるというものは、もらっておけ!」


ぬれ畳大屋の前へ干して置き  柳多留



    江戸の年末の風景 餅つき


そんな気のいい米屋ばかりではありませんな。
大晦日、みすぼらしい姿の浪人が、米屋にまいりまして、
「お主のところの借財が払えぬ。拙者も侍の端くれ、申し訳のため、
 この店先にて腹を切り申すが、どうじゃ…?」
米屋の亭主はせせら笑って、
「お前様方のお決まりの脅し文句…。その手には乗らぬ」
進退窮まった浪人、肌脱ぎになりますてぇと、脇差を腹へ突き立て、
へその際まで切りましたですな。
「うぅ…どうじゃ、かくの如くだ…!」
「どうせ切るなら、なぜみなお切りなさいませぬ?」
「うむ…、残りの半分は酒屋で切る」


大晦日命別状ないばかり  柳多留 


掛取りに回る手代の方にも、泣き落としの決まり文句が、
ございましたそうで、
「今日は大晦日、たとえ半金でも払ってくだされ。
 手ぶらで帰っては、主人の手前、わたしが首をくくらねばならぬ」
「すまぬが、今夜のところは、そうしておいておくれ」


掛け取りが帰ったあとでふてえ奴  柳多留


こちらは橋の下を住まいとする、乞食夫婦でございます。
「ねえお前さん、町中では、払え、払えぬで大騒ぎしているようだけど、
 こっちは気楽でいいねぇ…」
「これ!大きな声で言うんじゃない」
「あれ、どうしてだい?」
「みんなが乞食になりたがる…」


大根ですだれのできる寒いこと  柳多留



江戸の年末風景  餅つき
江戸の年末は、すべてにおいて女が主役だった。


「江戸城の御用納め」も、江戸の職人、商人などの仕事納めも、
28日でございます。しかし、商人のなかには、年内の仕事納めでは、
一段落とはいかない者もいるのです。  
大晦日の「晦日」は末日のことで、晦(つごもり)は月隠(つきごもり)で、
月が隠れる月末そのものを指すのでございます。
12月31日は、一年が終わる晦日ですので「大晦日」と呼ぶんでご
ざいますな。


大晦日四百五病でうなってる  柳多留



年越しそばを食う風習は、江戸は文化元年ころから
始まったといわれ、蕎麦は、他の麺類よりも切れやすい
ことから「今年一年の災厄を断ち切る」という意味。
 

棒手振りからの買い物や屋台の二八蕎麦は、現金だが、庶民が町内で
買い求める米や酒、醤油や塩、炭や油、などの生活必需品はいわゆる
”つけ”がほとんどで、盆暮れ勘定でございます。
そこで、年末になると多くの商人が、この「掛け売り代金の回収」
走り回るのです。
商人にとって、暮れの勘定は、必ず支払ってもらわねばならない一年
の総決算ですが、その日暮らしの長屋の住人に、懐の余裕などあるは
ずもありません。


大三十日(おおみそか)大きな声もする日なり  柳多留


あの手この手を使って「ない袖は振れぬ!」と、ツケの支払いから逃れ
ようとするのです、
な、もんですから、年の瀬、特に大晦日ともなりますと、
貸した方も借りた方も、まさに、一大決戦の場となるのでございます。
年末の大関所ってとこでございましょうか。
大晦日の深夜まで、取り立て合戦が続くのでございます。
取立て屋と化した商人たちは、ここが踏ん張りどころ紋付の提灯を手に、
大晦日が終わってしまう午前6時頃(明け六つ)まで、徹夜で取立てに
奔走しなければならないのです。
お江戸の大晦日の借金攻防戦は、年末名物でございますな、


むつかしい大屋はたえず札を張り  柳多留


仮病を使ったり、居留守を使ったり、厠に閉じこもってやり過ごしたり、
借金を踏み倒そうと、知恵をしぼる方も必死です。
 大晦日 よくまわるは 口ばかり~
金欠病で首は回らないのだが、言い訳の口上はペラペラとよくまわります、
 鬼じゃ〜、鬼がきよった〜。
 大晦日 首でも取って くる気なり~
金払えねぇんなら、首おいてけ!
借金取りの気合と覚悟がビシビシ伝わります。
 掛取りも 二足三足で春を踏み~
大晦日に何軒かを借金取りに出向いているうちに、夜が明けちまった。


あやまっているうち春に改まり  柳多留
 


       極月大晦日の鬼 歌川国芳
大晦日の掛け取りは、取立てが厳しく鬼や閻魔に見えた。


 「江戸小咄」 掛取り

浪人の所へ掛取りに行き、
「アイ、米屋でござります」
女房、「留守だ」といふ。
米屋障子の穴から覗き、
「それ、そこにござるではないか、ここから見へます」
と、いへば、浪人、蚤取り眼にて穴をふさぎ、
「どうじゃ、これでも見えるか」
「イヤ、見へませぬ」
「そんなら留守だ」


留守かなと見くびって来る大晦日  柳多留


【知恵袋】  まとめ

江戸時代、人々は米代や薪代、酒代などを、その都度支払わず、
いわゆる「つけ、後払い」にし、支払い勘定日にまとめて支払っていた。
また、家賃などは、月ごとに支払うことになっていた。
ところで、これら節季ごとや月ごとの支払いが、滞らなければ問題はない
のだが、滞ると、きつい取り立てを受けることになった。
特に「五節季」のなかでも、年の暮れ、大晦日は、「大節季」といわれ、
厳しい取り立てが行われた。
「掛取り」「掛乞い」といわれる人たちがやって来て、
鬼のような形相で、お金の支払いを迫ってくる、のだ。
 
節季=季節の終り。ここでは各節句前の支払い勘定日。
五節季=三月三日、五月五日、七月十六日、九月九日、十二月晦日。


煤掃きの顔を洗えば知った人  柳多留  

拍手[4回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開