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川柳的逍遥 人の世の一家言
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蝶番のわたしとドアノブのあなた  くんじろう




堪忍袋緒〆善玉(かんにんぶくろおじめのぜんだま・山東京伝黄表紙)
 
 
絵師であり、後に戯作者としても名声を得た山東京伝のもとを、執筆の
依頼に訪れている蔦屋重三郎の様子。
 左の机に座っているのが京伝、まん中でお茶を出しているのが京伝の妻
お菊。右に座る重三郎「たとえ足を擂粉木(すりこぎ)にしても通
ってきて、声をからし味噌にしても…先生の悪玉の作を願わねばならぬ」
と催促している様子。(寛政5年刊)



耳鳴りが客の顔してやってくる  森田律子




   歌麿の代表作「寛政三美人」



「蔦屋重三郎と歌麿・写楽」ー浮世絵ギャラリー



江戸の特色ある文化のうち、戯作や浮世絵は、多くの庶民たちの娯楽に
供するものとして生み出された。これら庶民の娯楽を世に送り出すメカ
ニズムとしては、当時の版元の役割も非常に大きかった。
彼らは出版の企画から実際の版行、そして販売までを一手にこなすジェ
ネラリストで、その成功には、商才に長けているのみならず、アイデア
マンであることも必須条件であった。もちろん、新たな人材の発掘や、
作家たちとの良好な人間関係も同時に求められた。



ゆったりがいいね流れも人生も  橋本征介 



18世紀の末、天明~寛政期の江戸は、浮世絵や黄表紙・洒落本・狂歌
などの大衆文化が一頂点を迎えたときであった。そうしたなかで、これ
らの出版文化の創造に大きく貢献し「江戸文化の演出者」と称すべき役
割を演じたのが版元・蔦屋重三郎 (1750-97) である。その人となりは、
墓碑銘にもあるように「其の巧思妙算、他人の能く及ぶところにあらざ
る也。ついに大賈(たいこ、大きな商店)と為る」と称賛され、作品の
企画力や経営手腕、そして人の能力を見抜く眼力に人並み外れた才能を
発揮する稀にみる逸材だった。



皮肉屋が僕を巨匠と持ち上げる  新家完司




        鳥居清長ー品川沖の潮干狩



初期の喜多川歌麿に作品出版の機会を与えたのは、江戸版元界の老舗・
西村屋与八だったが、ここには、歌麿より一歳年上の鳥居清長がいた。
清長は早熟の天才画家で、早くから、希望の星として西村屋の熱い期待
を集めており、歌麿は、自然とその後塵を拝する形とならざるを得なか
った。そんな失意の青年に手を差し伸べたのが、蔦屋重三郎である。
重三郎の炯眼は、歌麿の天分と将来性を透視したようで、その才能が大
輪の花を咲かせるまで、時間をかけて育てるという方針をとる。
天明期に全盛を迎えていた清長の美人画と、未完の段階にある歌麿を重
三郎はあえて競わせようとはせず、狂歌絵本の挿絵という別の世界で絵
その非凡な天性を生き生きと、飛翔させるのである。



絶景ロードサザンの曲が流れだす  熱田熊四郎
  
  
 
 
「婦人相学十躰」ポッピンを吹く娘



寛政3年(1791)、山東京伝作の洒落本三部作が幕府の出版禁止令に抵触
して重三郎は、財産の半分を没収され、順風満帆だった蔦屋の看板にも
翳りが現われ始める。これを乗り越えるべく重三郎は、あえて浮世絵出
版の比重を高めていくのだが、この熱意に応え歌麿は「婦人相学十躰」
「歌撰恋之部」など、従来の美人画の枠を破る傑作を次々と生み出し、
あらためて蔦屋重三郎の名前を世間に知らしめることになる。



わたくしのこだわり石鹸は固形  黒田茂代
  
  
 

 「歌撰恋之部」深く忍恋



その相乗効果もあり、美人画家としての歌麿の名声は、これらの作品に
よって一挙に高まり、名実ともに浮世絵界の第一人者として君臨するこ
とになる。一方、重三郎も歌麿美人画の大成功によって、財産没収の痛
手からある程度回復ができたのと同時に、歌麿を擁する立場から、美人
画出版界の覇権をも手中とするに至るのである。



ビードロを吹く浮世絵に魅せられて  小林満寿夫



「歌麿から写楽へ」



しかし、人間の欲望には限りがない。美人画出版で大当たりをとった
三郎が、浮世絵界で美人画と並ぶ代表的なジャンルの「役者絵」を次の
目標に定め、その野心を強めていったのは、当然なのかも知れない。
ちょうどこの寛政初期は、役者絵界で新旧交代の動きが強まっていた時
である。大衆はそれまでの勝川派の役者絵に代わる新しい作品の描ける
絵師を求めており、その動きを感じ取った版元たちは、新進の歌川豊国
をめぐる争奪戦をくりひろげていた。



綱引きの真ん中にあるbe動詞  小池正博
 
 
 

  「市川鰕蔵の竹村定之進」



  「市川高麗蔵の志賀大八」



 「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」



これに対して、蔦屋重三郎は、豊国にはあまり関心を示す様子はなく、
別の役者絵師を探すことに熱心になっていた。そして寛政5年ごろ、
三郎はついに、その眼にかなう人物に出会うことになる。それが東洲斎
写楽である。早速、重三郎は、写楽による画期的な役者絵出版の準備に
とりかかった。この企画は第一回は28点、2回目は38点の作品を一
挙に売り出そうという内容で、歌麿の場合を大きく上回る規模だった。



しかるべく位置に満月置き直す  村山浩吉




    「高島おひさ」歌麿



      「虫籠」歌麿



だが、こうなると収まらないのは歌麿である。長年にわたり重三郎とパ
ートナーとしての信頼関係を築き、さらには、先のようにその作品の大
成功により、美人画界の帝王の地位を獲得して、蔦屋の経営にも多大な
貢献ができたということに、強い自負心と誇りを抱いていた歌麿からす
れば、自分以上の存在が蔦屋にあることなど、絶対に容認できなかった。
ましてや、それが新人の絵師ときては…。



薄皮饅頭の薄皮に惚れる  中村幸彦



こうして、2人の間には冷たい風が吹き始め、ついには歌麿は、写楽
蔦屋による役者絵出版に対する対抗心をむき出しにしながら、他の版元
と提携して「当時全盛美人揃」(若狭屋版)などの力作を発表すること
になる。「当時全盛美人揃」は下段に掲載
 
 
 
人形の家の芝居はエンドレス  山口ろっぱ 




   蔦屋重三郎
蔦唐丸(つたのからまる)は蔦屋重三郎の狂歌名)

 
 
「大腹中の男子」と称され、ものに動じない性格の重三郎であれば、歌
麿の大人げない行動にもおそらくは冷静に対処し、新たな企画の実現に
向け着々と段取りを進めていたと思われる。
寛政6年5月から翌年正月までの間に4回にわたって発表された写楽の
役者絵作品は、その意外性に満ちた前衛的表現によって、江戸市民に賛
否両論の大きな渦を巻き起こすことになった。しかし、第三・四期に入
ると様相は一変する。



神様を跨いで運を取り逃がす  平井美智子




   大童山土俵入り(写楽)



第一・二期の出版を通じて重三郎は、江戸の人々からある程度の手ごた
えを感じていたのだろう。彼はこの判断をもとにしながら第三期の企画
を立案したが、それは、一度に70点にも及ぶ作品を出版するという、
常識を超えた内容で、このすべてが写楽に依頼されることになったわけ
である。第三期の大胆な企画には、圧倒的多数の写楽作品によって「役
者絵市場を一挙に独占・支配してしまおう」という狙いがあったと推察
されるが、その裏に、切り札の歌麿を失い、美人画での利益獲得が難し
くなってしまった重三郎の、焦りにも似た気持ちが強く作用していたこ
とは否定できないだろう。



痛い目に合わねば醒めぬ欲の夢  伊達郁夫 



この蔦屋のあまりの性急さは、写楽にとっては、過剰な負担以外の何物
でもなかった。それはプレッシャーとなって、彼の創造意欲を削ぎ取り、
作品の芸術性も喪失させる結果を招いてしまったのである。
あれだけ精彩を放っていた絵師の魂は光を失い、抜け殻としての写楽の
姿を見るだけである。結局、重三郎と写楽の蜜月期間は10カ月という
短い月日で終局となり、その結果、重三郎は歌麿のみならず写楽までも
失い、美人画と役者絵出版の覇権を同時に獲得するという夢も泡のよう
に消えてしまったのである。



しかるべくしかるべくして見る夕陽  土井直子



「写楽の評言」(大田南畝『浮世絵類考』より)

「当時の大方の世評を代弁するものとして傾聴に値するが、写楽の役者
似顔絵の逸格ぶりぶりは、確かに江戸っ子たちには一時的にしか受け容
れられず、役者絵界の革命児は、予定調和の上に理想化された似顔絵を
好む保守的な伝統の前にあえなく敗退した。
あの歌麿までにも<悪癖を似せたる似ずら絵>と酷評されたこの写楽の
出現こそが、間違いなく浮世絵そのものが大きな転換点にあるというこ
とを示している」と南畝は書いている。



ワコールを外すとわたしクラゲです 美馬りゅうこ



「当時全盛美人揃」


   若松屋・花妻


   
越前屋・唐士
  

 
    若松屋・花紫



    扇屋・滝川


   玉屋・小紫


     扇屋・花扇


     扇屋・花


   松葉屋・染之助



婦人相学十躰 


   指折り数える女


   面白き相


   臼をひく女


覗き眼鏡・かわゆらしき相


    浮気の相


 団扇を逆さに持つ女


    かねつけ


    顔を剃る女


   艶書に妬む女


    風車を吹く女


  ポッピンを吹く女

蔦屋重三郎の歌麿への思い込み、きつい一言
「顔が同じなんですよ。どの女も…」 
「重三郎は、思っていたのではないですかね」 藤沢周平


そっとそっと目薬さして小休止  山本昌乃

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