川柳的逍遥 人の世の一家言
六条御息所に添寝する 木口雅裕
安倍晴明・修行時代 唐の留学時代、伯道上人より陰陽道の奥義書「金鳥玉兎集」
を授けられる清明。
伝説上の安倍晴明は、「式神」といわれる鬼神を操り、物の怪を祓う超能力者
として知られるが、史実上は「陰陽寮」に属した官人、つまり役人だった。 陰陽寮とは、7〜10世紀の律令制の下に置かれた国家機関のひとつで、
「陰陽・暦・天文・漏刻」の4つの政務を司っていた。 例えば、貴族の女性が天皇の妻となるなどは、国家事業でもあり、それゆえ、
いつ入内したら良いか、「吉日陰陽道卜占」で占った。
また、屋敷に蛇が入り込んだなどの怪異(不思議な出来事)が起きると、
それが何かを予兆しているのではないかと、人々は恐れた。 そこで陰陽師の卜占に託したのである。
他にも、陰陽師は様々な禁忌(タブー)にも向かいあった。
禁という字にワセリンがぬってある 大島都嗣子
式部ー呪詛・安倍晴明
卜占を最も得意とした安倍晴明 (国立国会図書所蔵)
晴明の手前に控えるのが式神。
平安時代は、藤原氏の時代である。 とはいえ一枚岩ではなかった。
北家、南家、式家、京家、という四つに分かれた藤原家が、一族内で権力の
争奪戦をくり広げていたのである。 平安時代の権力闘争は、自分の娘を天皇の子どもといかに結婚させ、
そして、男の子を生ませるかにあった。 男の子が生まれれば、いずれは天皇となるチャンスがあるからだ。
そして、娘の子が天皇になれば、一族は、天皇の親戚となる。
摂政関白として政治の実権を手にした者は、栄華に包まれる。
その栄華の陰には、同じ血を持つ者だけに、常に陰湿な謀略劇がつきまとう
ことになる。 犬語より難解な語を手繰り合う 稲葉良岩
宮中に跋扈する怨霊
謀略によって敗れた者は、恨みが残る。
恨みを持った者は、死んで怨霊となる。
怨霊は、栄華を怨み、それを呪う。
呪われた者は、自分の栄華を奪った者を呪い、
自分の死によって、栄華を横取りした者を恨んで、怨霊となる。 権力闘争の中で生まれたものは、「怨霊」という形で平安時代を
跋扈したのである。
あの島を消してと君は指を指す 宮井いずみ
「恨み」
藤原道長の前半生は、特に華やかなものではなかった。
だが、それが一転して、権力の頂点にたつことになったのは、 995年(長徳元)に、兄の関白・道隆、弟の右大臣・道兼、左大臣・重信、 大納言・藤原朝光が、続いて亡くなったことがきっかけであった。
正統な順位を辿れば道隆が死ねば、次の関白は、道隆長男の伊周(これちか) が継承するのが順当だったが、道長は姉の詮子(せんし)の力で、本来なら なれるはずのない右大臣の座を手に入れ、翌年には、最高権力を有する左大臣 となった。 壺の中には藤原詮子を呪う「呪符」がぎっしり…呪いの品々 数式に赤い糸屑夜長し 野口 裕
いたるところから呪詛に用いる呪符が出てきた
改元されて長徳2年となった同年、怒りと恨みに狂った伊周が道長を呪詛した ことが発覚。
さらに1006年(寛弘3)にも、道長に対し二度目の呪詛をおこなっている。
(これは「呪詛事件」として公文書にも記録されている)
本来なら握ることの出来なかった権力を、道長は手にし、強大なものとしてい
ったため、多くの政敵をつくり、それによって呪われることになった。 用済みと捨てた言葉が駄々こねる 森井克子
土御門邸へ赴く清明 「陰陽師・安倍晴明の繋がりは」
藤原道長と安倍晴明との繋がりは、989年(永延3)の一条天皇が病気にな
ったときに清明が占ったという『小右記』の記録が最初である。 一条天皇の母は、道長の姉・詮子だから、関係ができたとすれば、この時期だ
ろう。 このころ道長は29歳だった。 まだ兼家の4男坊という立場で、権力の外にあった。
『御堂関白記』(道長日記)にも、清明の名は登場していない。
安部清明の名前が日記に登場するのは、1000年(長保2)道長の娘・彰子
が皇后となることが決まり、それを行うに相応しい日取りを清明に出させた時、 と記されている。 これは清明が亡くなる5年前である。
このことから藤原伊周の呪詛の祓いは清明が関わっていないことは、明白。 おぼろ月呼べば答えてくれそうで 藤本鈴菜
それから清明が亡くなるまでの5年間で、清明の名が「道長日記」に登場する
のは7回。 また、道長の権力基盤が固まるのは、彰子が天皇の子を出産する1008年
(寛弘5)だから、清明が没して3年後のことになる。 道長の日記に初登場した時期に、道長と清明の関係が始まったのだとすると、
清明は80歳だから、陰陽師の世界では最長老である。
道長の引きは、必要なかったはず、仮にそれ以前から関係があったとしても、
清明が65歳を超えたころには道長は20歳そこそこ。
その道長に、清明の人事を左右できる力は有していなかった。
動物の勘で明日の風を読む 武内幸子
六条御息所の生霊 光源氏からの愛情が薄れ、妬心が極まったことで生霊となり、 恋敵を呪い殺してしまった女性もいる。 晴明は陰陽師として、自分が生きた平安時代をどう思っていたのだろうか。
怨霊や鬼を貴族たちのように、ただ怖れたり、大江山の酒呑童子を騙し討
ちした武士(坂田金時)のように、ただ退治すればいいとは、思っていな
かったはずである。
清明は怨霊たちを見るたびに、敵として見るのではなく、その後ろにある
「人間の業」というものを見ていたのではないか。
怨霊も人も、魂を持っている。
人が人を恨めば恨むほど、その人自身が鬼に近づいていくのと同様に、
怨霊もまた、人を恨めば恨むほど、救われる機会を失っていくことを、
清明は知っていた。
陰陽師の清明には、怨霊の生まれる原因も、そして鬼が現われる理由も
すべて人にあると分っていたのである。
空っぽの棺の中の温度調整 蟹口和枝
人が人を呪い、死にいたらしめ、人が人を怨んで祟り、
無念のままに死ねば魂がさまよい、怨みを残して死ねば人を祟り、
それらは人にあらざる鬼を呼び、もののけを、この世に生みだす。
実に、怨霊とは権力闘争によって人が生み、人が育てたものなのだ。
頭を激しくゆすって戻ってこんかいと叫ぶ 酒井かがり PR |
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