台風の目の中にいて思うこと 森中惠美子
横 笛 丸
慶応3年(1867)6月9日、龍馬は、
長崎から大坂へ向かう夕顔丸の船内で、土佐藩の後藤象二郎に、
「船中は八策」を授ける。
これにより、土佐藩は大政奉還運動の主役となり、10月に大政奉還が実現する。
そんな期待と緊張の交錯するなか、龍馬が頭を悩ませていたのは、
「イカルス号事件」である。
それは、対応を誤れば、
土佐藩とイギリスの戦争にもなりかねない厄介な問題だった。
≪この事件により、大政奉還が2ヶ月遅れたとも言われる≫
切り取り線の凹のあたりで立ちつくす 森田律子
事件は、慶応3年(1867)7月6日夜、
イギリス軍艦イカルス号・水夫2名・(ロバート・フィード・ジョン・ホッチングス)が、
長崎の花街・丸山で何者かに、惨殺された。
長崎では、当時、外人殺傷事件が相次いで発生して、
在留外人を恐怖に陥れ、しかも、
何れの事件も、加害者の逮捕にいたらず、
長崎奉行所への批判が厳しくなっていた。
英国公使・ハリーパークスは、此の事件を重要視し追及を始める。
如意棒でひょいと日本を混ぜにくる 山本早苗
その下手人として、海援隊士や土佐藩士らが疑われた。
嫌疑をかけられた理由は、
殺害事件のあった翌朝早く、海援隊の”横笛丸”が長崎港を出港したこと。
それも、長崎港の船奉行の制止を無視してのことだった。
加えて、犯人像に白筒袖(つつそで)の男が浮かび上がっていたことも、
嫌疑がかけられた理由となった。
海援隊の制服が白筒袖であり、さらに、殺害の夜、
丸山に海援隊士の菅野覚兵衛(千屋寅之助)、佐々木栄の、2名がいたことが判明。
佐々木はその後、鹿児島に向かい、長崎から姿を消したことで、
さらに疑いが強まった。
坂の下判決文が待っている 坂崎よし子
ハリー・パークス
こうした疑惑の状況からパークスは、海援隊士・犯人説を強く抱き、
長崎奉行へ調査を要求する。
「事件のあった翌朝に、”横笛”が犯人を乗せて港外に出、
続いて出港した”若紫”に海上で移乗させ、
本国土佐に向けて航海し、逃亡させたものだ」
というのが、パークスの主張で、
パークスは、海援隊士あるいは、土佐藩に犯人がいると決めつけ、
すぐにでも、逮捕するよう求めた。
長崎奉行所側は、当初はパークスの主張は、
「根拠が薄弱だ」
として調査を拒否した。
判決に裁判長は揺るぎない 山田こいし
パークスはこれに激怒し、
「幕府に申告して、直接土佐藩と交渉する」
と息巻き、老中・板倉勝静に話しを持ちかけた。
幕府も捨てておけず、担当者数人を土佐へ出向させ、、
土佐京都藩からも重役が同行し、周旋をする事態にまで話が発展した。
強力な英国艦の接近に、土佐藩内は騒然となった。
対応を誤れば、一戦もありうる。
事態を重く見た幕府は、将軍の新書を土佐に送り、
京都にいた龍馬も、薩摩の三邦丸で須崎沖に向かった。
土佐藩側は、後藤象二郎が交渉に当たる。
交渉は、大きな混乱を避けるため、
須崎沖に停泊した土佐の”夕顔丸”で行なわれた。
込み入った話になると色鉛筆 小林満寿夫
夕 顔 丸
パークスは、潔白を主張する後藤の姿勢に納得、
土佐を去り、長崎での事件解決を図ろうとする。
後藤、龍馬、幕府の首脳らも、長崎に向かった。
舞台は、事件の発生した現地である長崎に移され、9月3日に談判が再開。
長崎では、嫌疑のかかっていた海援隊士・佐々木栄が、
長崎奉行の前にあらわれ、無罪を主張。
これで、長崎奉行の心証がよくなったのか、真犯人は不明のまま、
9月10日、海援隊は無罪となる。
濡れ衣をカラスに着せて始末する 藤本ゆたか
「真犯人は、明治時代になって判明」
福岡藩士・金子才吉が、
丸山で酔っぱらい、寝そべっていたイギリス水兵2名の酔態に怒り、
凶行に及んだのだ。
その後、金子は藩に迷惑のかかることを恐れ、藩に真実を告げたあと切腹。
福岡藩がイギリスと事を構えるのを恐れ、
だんまりを決め込んだため、真相判明が遅れたのである。
小さめの卒業証書くれはった 井上一筒
「後日談」
アーネスト・サトー
イギリス側・通訳として談判に立会ったアーネスト・サトーは、
慶応3年9月3日、長崎奉行所における龍馬の表情を、
「・・・才谷氏(龍馬)も叱りつけてやった。
彼は明らかに、我々の言い分を馬鹿にして、
我々の質問に声を立てて、笑ったからである。
しかし、わたしに叱りつけられてから、
彼らは悪魔のような恐ろしい顔つきをして、黙りこんでしまった」
と記している
感情のずれからしばし無言劇 住田英比古
二人の水兵殺害現場・絵模様
「長崎新聞より」
慶応3(1867)年7月に起きた、
イギリス軍艦イカルス号事件の捜査報告が、外務省外交史料館にある。
”彩色図で詳細に描かれた水兵殺害現場”
嫌疑を受けた海援隊士(菅野覚兵衛と佐々木栄)の調書のほか、
土佐藩代表として、交渉を担った岩崎弥太郎の名が記録されている。
龍馬も、事件の嫌疑を晴らすため、長崎奉行所に出頭した。
≪この交渉の席上、海援隊は無実を主張するものの、
長崎港で制止を振り切って、出航したことを岩崎弥太郎が、認めてしまった。
海援隊の財政を担当していた岩崎に龍馬は、
その弱腰な態度に憤慨し、
「敗北してしまった」と評している≫
私の狭い心を反省す 林 文子
詳細な捜査の背景には、イギリスの強硬な姿勢がある。
長崎は他の居留地に比べ、防衛体制が強固だったことから、
イギリスは日本との戦闘をひどく恐れた。
そのためイギリス公使パークスは、長崎奉行や幕府に対し、
犯人捜索と居留地の警備強化を強く求めたのである。
龍馬と弥太郎は、対応を誤れば、
戦争に発展しかねない国家的危機に直面していた。
事件から2カ月後、ようやく海援隊士への嫌疑が晴れる。
その夜、高揚した龍馬は長崎奉行への抗議文を書く。
≪その筆跡は、事件現場近くの史跡料亭・「花月」に残されている≫
守りたいものがあるから攻めている 吉田あかね
『龍馬伝』・第44回-「雨の逃亡者」 あらすじ
薩土盟約を受け後藤象二郎(青木崇高)は、土佐に戻り、
山内容堂(近藤正臣)に[大政奉還論]を説くが、容堂は拒否する。
土佐の挙兵のために、必要な銃を仕入れるために、
長崎に戻った龍馬(福山雅治)だったが、
白袴の武士が、イカルス号という船のイギリス人水夫を殺した事件で、
海援隊に犯人の嫌疑がかかってしまう。
知らず識らず人は悲劇を追っている 吉松隆太郎
イギリス公使・パークス(ジェフ・ワスティラー)は、
弥太郎(香川照之)に、
「犯人を引き渡さなければイギリス艦隊が土佐を攻撃する」
と脅す。
奉行に追われる龍馬の代わりに、惣之丞(要潤)が奉行所に連行され、
隊士たちは真犯人を探し始める。
危機感を煽り続ける武器商人 新家完司
一方、事件を目撃したお元(蒼井優)が、それを報告せず、
不審に思った奉行・朝比奈(石橋凌)が、お元の荷物を調べさせると、
ロザリオが見つかる。
キリシタンの弾圧を始める奉行。
逃げるお元を龍馬と弥太郎は見つけ出す。
海援隊は真犯人は、福岡藩士で自害したことを探りだし、
龍馬はパークスの元に乗り込んで,
犯人が海援隊ではなく、別にいることを伝える。
パークスは、薩長を結びつけた龍馬のことを知っていて、信じると言う。
龍馬は、「お元をイギリスに連れて行ってくれ」
と頼む。
触ったら血を噴きそうな恋の傷 穴吹尚士
[10回]