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川柳的逍遥 人の世の一家言
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ふるさとへときどき声を置きに行く  森中惠美子

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龍馬生前一ヶ月前、何処かの庭で撮った写真(場所不明)

イカルス号事件(慶応3年7月7日)も、あらかた落ち着きをみせたところで、

龍馬は、9月20日下関に入り、三吉慎蔵おりょうを預け、

2日間滞在ののち、土佐藩に銃を売却する目的で、

戸田雅楽(うた)ー(のちに尾崎三良)と土佐に入る(同・24日)。

25日、土佐藩全藩主・山内容堂に面会している。

29日頃には、脱藩以来の帰郷で、実家坂本家に帰り、姉・乙女らの歓待を受け、

連夜の宴会を開いたという。

そして、10月5日、龍馬は土佐藩船・「空蝉」で土佐出港する。

≪脱藩以来初めての帰郷は、最後の里帰りとなった≫

心境を聞かれスキップして見せる  星井ごろう

この日、龍馬をもてなしたであろう「土佐の豪快な伝統食」を、

紙上で味わってみることにする。

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久谷や伊万里の皿に盛りつけられる皿鉢

『龍馬の時代の食膳』

高知では、宴席のことを、『おきゃく』というそうである。

おきゃくとくれば、皿鉢料理。

「それも食べきれないほど、出さないといかんが。

 土佐の暴れ食いという言葉があるくらい、ごじゃんと食べて、飲むんですよ」

と、土佐伝統食研究家の松崎淳子さん。

≪皿鉢とは、大皿浅鉢のこと。

 直径一尺三寸(約40cm)もの大皿や大鉢に、刺身、すし、煮物、焼き物などを、

 はみださんばかりに盛りつけた、豪気な料理のことをいうそうだ≫

命の限りおかず作って片付けて  大橋啓子

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「生」と呼ばれる刺身の皿鉢

「龍馬の時代、庶民には手が届きませんでしたが、

武家の宴は、本膳と皿鉢料理でした」

皿鉢の基本形は、「生」と呼ばれる刺身の大皿。

鯖ずし、煮物、焼き物、和え物、甘い物などを、大鉢に盛りこんだ「組み物」の2枚。

客の人数によって、そうめん、すし盛り合わせ、たたき、ぜんざい、

祝宴には、鯛の活け造りや、蒸し鯛などが加わって、皿の数が増えていく。

「3人で皿鉢1枚が目安ですが、5、6人は充分食べられます」

ご馳走山盛りの大皿鉢が、いっぺんに勢揃いするというのだから圧巻。

霜降りは旨いがようするに脂  松橋帆波

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煮込み(鯖・ネギ、堅豆腐が入る)

皿の料理が減ったら、2枚合わせて盛り直せばいい。

人数が増えてもあわてることはない。

土佐人らしい、豪快で融通無碍の宴である。

「亭主は、一番先に刺身を手塩皿にとって、主賓にすすめます」

刺身は鮮度がいのち。

龍馬の時代、生魚はめったに食べられない、ご馳走だった。

「龍馬は鯖の刺身に、ダイダイの酢をかけて食べていたそうです」

と言うのは、写真の皿鉢料理の作者、名護山さん。

ご先祖は幕末のころ、龍馬の生家の目と鼻の先で、魚屋を営んでいたという。

「もしかして、坂本家はここで、日々の魚を買っていた?

とすれば、龍馬も食べていた?」

そんなことを思いつつ、豪気な料理と龍馬を肴に、酌む酒のうまいこと!絶品ぜよ!!

キムチ鍋今年我が家の大ヒット  森 廣子

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ちちこの炒りつけ(ちちことは、鰹の心臓)  ぐる煮(いろんな具が、ぐるになった煮物)

「龍馬が愛したふるさとの味わい」

聞くところによると、龍馬は酒豪だったそうだ。

「何を肴に呑んだのか?

 ごはんのおかずに、何を食べていたのか?」

興味深いところだが、記録がなく、ほとんどわかっていない。

そこで、龍馬の時代も食べられていたと思われる、昔ながらの土佐のおかずを、

生粋の土佐人の方々に、伺ってみると・・・。

「あの乙女姉さんのことだから、

龍馬に骨を丈夫にする、じゃこを食べさせたにちがいない」

「高知では、鰹の骨も捨てんがやき、アラの味噌汁も食べちゅうやろ」

鯖ずしは、みんなの好物。

「ぎっちりごはんの詰まった鯖の頭を、おきゃくの翌日に焼いて、これでまた呑むが」

「これがまた、うまい!」

と食べ物談義は、大いに盛り上がる。

コレ酒よお前も愚痴があるだろう  井上一筒

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土佐伝統の肴とおかず(中央が鯖寿司)

『奔馬のかげに生きた女たち』(土佐出身作家・宮尾登美子著)の小文に、

坂本家の食事についての話が出てくる。〈『土佐の婦人たち』(関みな子著)

『坂本家の毎日のおかずは、尾頭つきの鯛が普通であって、

 それを裏表とも食べるのは、武士の子にあるまじき下品なふるまい』

・・・(中略)・・・

『幕末の貧乏公家などからみたらのけぞるほどの贅沢さ・・・』

とある。

毎日が鯛の尾頭付き、それも片側だけとは・・・。

平成の土佐人一同も、都会のグルメ通もびっくりである。

輪郭に嵌ってネコも太りだす  山本早苗

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  どろめ        ウルメイワシ(丸干しとオキニロギ)      潮タタキ

土佐には豊かな海があり、年に二度、米がとれる肥沃な平野があり、

阿波・讃岐・伊予との国境一帯には、緑したたる山々が連なり。

黒潮の魚、米や野菜、山菜や清流の魚の干し物など、

自然の恵みが、殿様のいる城下に集まってくる。

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日曜市の様子

高知市内に曜日ごとに立つ”街路市”は、

元禄時代から300年余も続く、市民の台所。

なかでも高知城の追手門からのびる、追手筋に立つ”日曜市”には、

四季折々の”とれたて”が並び、

大きな街路樹の下は、縁日のように賑わう。

狙われていますあなたのお人好し  井本健治

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日曜市の看板娘といわれているおばあちゃん

野菜の傍らに、自慢の漬物や庭先の花たちも、並んでいる。

「ここのはおいしいぞね」

と、買い物にきたお客さんがすすめてくれたり。

店のおばちゃんが、食べ方、使い方を教えてくれたり。

気安く開けっぴろげな、おしゃべりがはずむ。

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四方竹の筍、里芋の茎ズイキ     手作りこんにゃく

市でにぎわう路地を、龍馬も楽しんだだろうか。

元禄時代に始まる土佐の街路市から、

龍馬の生きた時代の空気が、

そこはかとなく、伝わってくる。

コマーシャル見なきゃ買わずにすんだのに  高尾くみ子

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辛味大根      田舎ずしと鮪ずし

「それからの龍馬」

10月 9日 龍馬 京都・酢屋に戻る。

10月- 日 庭先(特定出来ない)で写真に写る。
 ≪10月14日-慶喜大政奉還≫
10月24日 龍馬 由利公正(三岡八郎)に会う目的で福井へ。

10月28日 龍馬 福井にて村田巳三郎と面会。

11月 1日 龍馬 松平春嶽に拝謁し上京を要請。

11月 5日 龍馬 酢屋に入り、「新政府綱領八策」を草案。

11月ー 日 龍馬 西郷吉之助に新政府綱領八策と新官制擬定書を提出。

11月10日 いろは丸事件、紀州藩と最終決着。

11月15日 龍馬・中岡慎太郎 近江屋で刺客の襲われる。(龍馬33歳、中岡30歳)

≪12月9日王政復古の大号令が出される≫

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龍馬が愛した軍鶏鍋(龍馬最後の日、食する予定だった)

帰るまで船を案じている港  秋貞敏子

『龍馬伝』・第45回ー龍馬の休日 あらすじ

≪ローマの休日とは・・・NHKが泣かせるダジャレです≫

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容堂(近藤正臣)に、大政奉還の建白書を書かせるために、

弥太郎(香川照之)が仕入れた1000丁の銃を携え、

長崎から土佐に向かった龍馬(福山雅治)は、

途中、お龍(真木よう子)のいる下関に立ち寄る。

土佐の坂本家では、龍馬から、

「土佐に戻ることと、お龍と結婚した」

という報告の手紙が届き、大騒ぎになる。

大空と大地と貴方には負ける  西村久江

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一方、弥太郎は、イカルス号事件の責任を取らされて、

土佐商会の主任の座を追われ、自らの力で、

商売をしていくことを決心。

「薩長と幕府との戦争が始まり、銃の値段が暴騰する」

と考え、銃を大量に仕入れる。

馬鹿正直を褒めて下さいエンマ様  松田 篤

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龍馬は下関に着き、木戸(谷原章介)に会うと、

薩摩の大久保利通(及川光博)が来ていた。

二人は

「大政奉還で徳川家を残さず根絶やしにするべきだ

と主張。

龍馬は己の道の厳しさを感じる。

お龍は、龍馬との久しぶりの再会に喜ぶが、

三吉慎蔵(筧利夫)や奇兵隊たちと、飲みに出かけた龍馬は、朝帰りしてしまい、

お龍は激怒する。

昼間から酒のみ犬に吠えられる  山下蟹郎

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