円の中に座す円に疎外される瞬間 山口ろっぱ
趣味の三味線を弾き、歌を唄う晋作
「幕末カラオケ事情」
高杉晋作は、折りたたみ式の”三弦(三味線)”を持ち歩き、
それを片手に酒で喉を潤わせて、浄瑠璃を楽しんだ。
十八番は、自作自演の即興だったそうだ。
静々と浄瑠璃を歌うのが、趣味であった。
龍馬が、陸奥宗光と一緒に、馬関にある奇兵隊の兵舎を訪れた際に、
高杉の歌う”鬱の虫が巣くったような”浄瑠璃を、
たんまり聞かされたそうだが、
龍馬の性格からして、飽き飽きしたようだ。
酔えば出る清和源氏のひとくさり 森山勝彦
龍馬に見せるピストルの威力
しかし、龍馬は、高杉からピストルを一丁、もらうこととなり、
試し撃ちなどして、気が晴れた。
性格の違いか、高杉には近寄れなかった龍馬であったが、
高杉の小倉城攻撃のときには、
「やじうまなどしてよろしいか?」
と許可願いを受けて、
「よろしかろう」
というので、
「随分と勝ち戦を楽しめた」
と書き記している。
しゃっくりを止める話を持ってるか 森中惠美子
晋作は破天荒に藩の金を自由に使った
このとき高杉は、すでに酒樽などを開かせて、
宴の準備を整え、指揮をとったという。
折りたたみの三弦も、手元にあったことだろう。
その三弦は、いわばカラオケ装置、
マイクは、自分の声のみとなるのだが、
江戸中期頃から浄瑠璃は、流行の兆しがあり、
三弦で節を取り、最初に浄瑠璃を楽しんだ人物は、
織田信長ともいわれている。
ちなみに、
≪源義経と長者浄瑠璃娘との恋歌≫を、シナリオにして三弦を奏でたものが、
いわば、”カラオケの始まり”であった。
巻き貝の奥からもれるピアノソロ 本多洋子
カッポレを唄い舞う芸妓
ところが龍馬の場合には、浄瑠璃などでは、満足できない。
テンポの良い歌に踊りが入る。
龍馬の十八番は、”カッポレ”の自作自演である。
いわば、アドリブを加えたシンガーソングライターなのだ。
それに必ず、酒も芸者も入る。
そして三弦、太鼓などの鳴り物に合わせて、
場を盛り上げるのが大の得意であった。
口八丁手八丁で腰軽い 吉岡 修
≪まさに、カラオケで悦に入る主人公を、演じていたのである≫
カッポレは、今でいうロックンロールのようなもの。
大判振る舞いの、馬鹿騒ぎをするのだが・・・、
海援隊の士気を盛り上げるのに、
役立つこと大であった。
≪行きつけの店は、今も残る長崎の料亭・「花月」であった≫
阿波踊りよりもおらがの盆踊り 筒井祥文
晋作の何故かどこかに影がある
「晋作の日常」
奥番頭役から直目付役へと、昇進していった晋作の父親・忠太小は、
藩主にひたすら忠実で、実直な人物ではあったが、
小心な男でもあった。
「晋作や、おおぎょうなことはしてくれるな。トトの立場ちゅうものが、あるからのう」
というのが口癖であった。
晋作には、耳にタコができるほどではあったが、
彼の偉いところは、父親を心配させぬように、
気を使うところであった。
笑顔の裏も笑顔だなんていい人ね 八田灯子
しかし晋作は、父親と違って、気性の非常に激しい、
また男気の強い性格である。
おいそれと父親の言いなりに、なってはいられなかった。
「おおぎょうなこと」
をせずにはおれない晋作は、
父親の目に触れないように、
こっそりと”おおぎょうなこと”をしていたのである。
よそ行きの顔は四隅を欠いておく 井上一筒
高杉家と少し離れた平安古(ひやこ)という街筋に、
久坂玄瑞が住んでいた。
このあたりには、槍持ちなどを、任とする武士などが、住んでいた。
そのためか、体格のよい男が、随分といたそうである。
久坂も六尺もある大きな男で、当時としては、相当に大柄であるが、
頭脳明晰で、幼いころから、
神童と呼ばれるほどであった。
その久坂との出会いが、高杉の人生を変えたのである。
取り扱い注意私の虚栄心 中井アキ
松下村塾
運命の場所は、吉田松陰の主宰する”松下村塾”である。
父親たちが、子に近寄らないように諭し、恐れた場所である。
村塾には、親の反対を押し切って、入塾した仲間たちが、大勢いた。
勘当されて家を追い出された者も、数知れずいた。
そういう不良仲間と呼ばれた若者たちを、指導していたのが、
吉田松陰である。
その松陰自身も密航を企て、牢獄に入れられていたのだから、
彼を大罪人と考える、萩の人たちも多くいた。
いわゆる、”村塾が危険視”されるのも、当然であった。
なァ息子時計の針を進めるな 板野美子
桂小五郎(谷原章介)
高杉にとって最大のライバルであったのが、久坂玄瑞である。
桂小五郎もいた。≪のちの木戸孝充である≫
桂は、19歳のとき江戸へ留学し、練兵館に剣術を学んだのだが、
生来の運動神経の良さか、入門早々に頭角を現し、
その塾頭になって萩に帰ってきた。
しかし、高杉はまだ頭角を現すに至らず、
詩作にふけったり、気まぐれに剣術の稽古をしたりと、
桂のような勢いがまだなかった。
桂の噂は、知っていただろうが、それほど関心も寄せず、
お坊ちゃん育ちの、ただの人だったのである。
美肌菌多いからとて持てもせず ふじのひろし
村塾・教室
気性の激しい高杉は、入塾以来、
同じく負けん気の強い久坂を、意識するようになる。
久坂は、秀才の誉れが高かったのだが、
両親や兄とも死別し、いわば、孤児同然の境遇を送っていた。
久坂もまた孤独ゆえ、仲間を求めての入塾だったのだろう。
村塾には、いろいろな事情から常時20人ほどが、寄宿していたようだが、
通いも含めると、200人の若者が、出入りしていた。
このような中で、晋作は、いつかこの頂点に達し、
彼の個性を、発揮していくのである。
≪いわば”おうぎょうなこと”をしでかす、不良仲間たちとのエネルギーが、
明治維新を導いていくことになるのである≫
クモの糸学べることはたんとある 服部文子
『龍馬伝』・第41回-「さらば高杉晋作」 あらすじ
長年の確執を乗り越えて、龍馬(福山雅治)は、
土佐藩の参政・後藤象二郎(青木崇高)と手を結んだ。
これにより、龍馬率いる亀山社中は、「海援隊」と名前を変え再出発。
土佐藩という、大きな後ろ盾を得た龍馬たちは、
運輸、開拓など、さらなる大規模な事業を展開しようと計画する。
それもこれも、自分たちの食ぶちを稼ぎながら、
大政奉還を実現するため。
龍馬たち海援隊の面々は、目標に向かって思いを新たにする。
ワインセラーから取り出す翼のひとつ 岩田多佳子
そんな中、身の危険を感じた龍馬は、
お龍(真木よう子)を三吉(筧利夫)に預けるため下関へ向かった。
久しぶりに再会した高杉(伊勢谷友介)は、病の床につき、
明日をも知れぬ身となっていた。
ともに浜辺に出かけ、2人は「新しい世」について語り合う。
「日本を頼みます、坂本さん」
「ほんまは、高杉さんと一緒に新しい日本を作りたかった」
高杉の無念を肌で感じた龍馬は、
高杉の志を引き継ごうと心に決める。
先に逝くつもり我儘いうつもり 一戸涼子
海援隊に新たな脱藩浪士も加わり、
小曾根乾堂(本多博太郎)が用意した離れを拠点として、
海援隊の活動がスタートする。
海援隊の経理を任されたのは、
土佐商会の主任である弥太郎(香川照之)だった。
彼は、龍馬たちの要望で、船を手配しようと奔走。
”いろは丸”を大洲藩から、借り受けることに成功する。
義理堅い氷河は水を盛ってくる 壷内半酔
[7回]