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川柳的逍遥 人の世の一家言
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まず生きてほしいと思う血の絆  たむらあきこ

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 常高院像(常高寺所蔵)

「初(常高院)の生涯」

亡母の遺志を継ぎ、妹たちを守ることに必死になる姉・茶々

秀吉の政の道具とされながらも、

たくましく生きる妹・江にはさまれて、

多感な時期を過ごした

次女という立場は、後年、

初に思いもよらない役回りを、担わせることになる。

この初が嫁ぐのは、18歳、天正16年(1588)のことである。

少女から女へ雪解けが始まる  板野美子

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     京極高次

初が嫁いでいく相手は、”蛍大名”と揶揄され、

”戦国一のブレ大名”といわれ
京極高次

初よりも7つ年上で、永禄6年(1563)生まれ。

”本能寺の変”に於いて、高次は明智方の味方をし、

秀吉の長浜城を攻めた。

そのため、秀吉方の追及を受け、

姉・竜子の嫁ぎ先若狭・武田元明を頼り、逃れるも、

頼りとした元明は、秀吉に滅ばされる。

ところが、竜子が秀吉の側室であったことから、

その口添えで、高次は秀吉に帰参が叶い。

その後、九州征伐、小田原征伐の功で、

近江・大津城主6万石を得ていた。

枕辺にピンクの獏を呼びつける  中野六助

慶長5年(1600)、石田三成と家康の対立のとき、

淀と徳川家に嫁いだ江との溝が、深まるなかで、

初は、懊悩していた。

夫の高次はどちらにつくのか?

高次もまた、徳川と豊臣の対決の前に、苦悩を深めていた。

そして、一度は、三成に協力を約し、高次は北国に出陣した。

が、何があったか、高次は、突如進軍をとりやめ、

大津城に引き返してしまった。

私を突如横切る冬の雷  笠嶋恵美子

なんと高次は、家康率いる東軍に、寝返ったのだ。

しかし、大津城で西軍1万5千の兵に取り囲まれ、

初も夫とともに、12日間の籠城戦を耐え抜いたものの、

ついに開城する。

高次は降伏した責めを負い、剃髪して高野山に入った。

ひらり来てひらりと去った冬螢  合田瑠美子

大津城開城の翌日、家康と三成は関が原で激突し、

天下分け目の戦の軍配は、家康に上がる。

大津城は、西軍に明け渡したが、

「関が原の合戦の前日まで西軍を引き留めた」

という功績が認められ、

高次は、その後、

若狭・小浜城主8万5千石を、家康から与えられた。

くしゃみした弾みにプライドが消える  谷口 義

その後、勝利に酔う間もなく家康の怜悧な目は、

豊臣秀頼を睨んでいた。

関が原の戦いの9年後、夫を亡くし、剃髪して、

”常高院”となっていた初は、

関が原での心痛を胸に、

徳川・豊臣両家の和睦の使者となるべく、懸命に奔走した。

淀と江の絆をつなぐのは、

「自分しかいない・・・」 

常高院は、
その一心で女の身でありながら、

両家の間を行き来する。

木枯しの昨日をクリップでとめる  本多洋子

しかし、その願いも空しく、

徳川・豊臣の最後の決戦となった”大坂夏の陣”で、

姉・淀は、母・市の運命をなぞるかのように、

炎の中で果てた。

飛行機のネジが大小落ちてきた  井上一筒

天下人・秀吉の継嗣、秀頼を産んだ淀、

二男五女をもうけた江とは異なり、

常高院は、生涯ただひとりの子どもも、産むことはなかった。

しかし、まるで実の子どもを慈しむかのように、

常高院は、
養女とした江の娘をはじめ、

高次の側室の子どもや、

侍女・小姓にいたるまで、深い愛情を注いだ。

あなたから真綿に包まれた善意  宇治田志津子

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   小浜市・常高寺

≪生前に仕えた侍女7人の墓と、向かい合うようにして常高院の墓がある≫

姉妹を引き裂いた悲しい記憶こそが、

平穏な暮らしを求める祈りにも似た想いを、

抱かせたのかもしれない。

そして、1633(寛永10)年、常高院は静かに逝く。

享年64。

もっとも長命だった常高院の死をもって、

「浅井三姉妹の波乱の物語」も幕を下した。

大名の由来は、姉・竜子や妻・初の七光りで、生き延び、

  出世していったことから言われ、また風見鶏的性格でもあったようだ≫

誰がために泣くのか月の小面よ  森中惠美子

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「大河ドラマ・お江ー第19回-『初の縁談』  みどころ」

初は、京極高次(斉藤工)と話してから、

尚更、恋心が募っていった。

あれほど大好物だった菓子も、高次が嫌いだと

言うので、手を出さなくなっていた。

だが、ひとつ懸念があった。

とらわれの身である自分達は、

自由に好きな相手に、嫁ぐわけにはいかなかったのだ。

特に織田信長の姪という立場から、

秀吉の政の道具として使われる運命にある。

生き様は弦の弛んだバイオリン  高島啓子

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初(水川あさみ)は、そのことを茶々(宮沢りえ)に話し、

なんとか秀吉(岸谷吾朗)に話して貰えないかと頼む。

だが、それは無理な話だった。

先日、茶々は秀吉の「側室に」という申し出を、

断ったばかりだったからだ。

枠外の素描はいつも涙顔  岡谷 樹

ある日初は、偶然に高次と会った。

初の悩み事など知らない高次は、親しげに語りかけて来る。

それがまた、初を悩ませ、また苛立たせた。

そして、その感情は言葉として現れた。

「私が嫌いなのは、あなたのような男です!

 仕官の道を得るため、

 おのれの姉を側室に差し出すような男です!」

高次に嫌いなものを聞かれ、心にもないことを言ってしまった。

初だった。

片意地を張ってしまったとうがらし  山口美千代

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何故、そんなことを言ってしまったのか」

と、初は後悔した。

その初の思いや言葉が、茶々の心に深く突き刺さる。

そして、夜遅く、茶々は密かに秀吉と会うことにした。

秀吉と会った茶々は、

「初の純情な思いを、遂げさせてやりたい」と言う。

やおら秀吉は、言葉をきりだした。

「縁談をまとめる代わりに、わしに何かくださるのか?」

「・・・私を・・・側室になさりたいということですか?」

「そう申したら、どうなさる?」

「妹の・・・初の縁談が決まったら、お話申し上げたいと存じます」

一直線この強いもの折れるもの  ふじのひろし

数日後、秀吉は三姉妹をある部屋に呼ぶ。

三姉妹が怪訝な顔で部屋に入ると、まもなく高次が入ってくる。

高次は初を前に

「妻に迎えたい」
と言う。

突然の話に驚いた初だったが、何やら逡巡しているようだった。

初には、「高次が自分の姉・竜子を秀吉の側室に出した」

という事実に、こだわりがあった・・・。

だから、そんな男の言葉を素直には信じられなかった。

ホッチキスでガチッ口裏合わしとく  山本昌乃

そんな初のこだわりに対し、高次の姉・竜子(鈴木砂羽)は、

「それは根も葉もない噂話で、高次が明智の家来だった頃から、

 秀吉の側室だった」

と言い、高次の純粋に、初を思う心を代弁した。

その言葉を受けて、初の心の澱も取れ、

高次の申し入れを受けることにした。

あの角を曲がると歩幅甘くなる  皆本 雅

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やがて、初は近江の京極家に嫁ぐ為に、大坂城を発った。

その夜、茶々は密かに秀吉と会う。

「私を・・・私の身を、お好きになさってくださりませ。

  ただ、ひとつだけ・・・側室にはなりたくないのです。

             ・・・それだけはご容赦いただきとう存じまする」

茶々は、覚悟を決め、すべてを秀吉に投げ出すつもりだった。

泣き終えた敵が敵がとっても美しい  森 廣子

だが、秀吉は、

「お茶々様を力ずくで、手に入れるつもりはありませぬ。

  ただ、それがしは、今宵こうして来てくださっただけで、

 幸せにございます・・」

と言って、茶々の考えを断つと、

月を見上げ、貧乏な子供の頃、

月を餅に見立てていたことなどを、話しはじめるのだった・・・。

通りがかりの隕石と話し込む  山本早苗

拍手[7回]

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ジェラシーの方程式の謎に落ち  前中知栄

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7歳の頃に夭逝夭折した初代・秀勝。

≪菩提寺・妙法寺には、端正な顔立ちの「秀勝絵像」が伝わっていたが、

S27年の火災で、焼失しその写真のみが残る≫

「三人の秀勝」

小西秀勝は、秀吉の姉・とも息子で、兄は関白となった秀次だった。

お江より4つ年上で、

器量はいまひとつだったが、

彼はすでに丹波亀山城17万5千石を領していた。

お江が嫁ぐ以前のこと、

秀勝は秀吉の九州討伐に従軍し、

秋月氏の岩石(がんじゃく)城を攻めて、総大将をまかされた。

生きるとはこのようなこと木の芽吹く  八尾和可子

戦いに勝利すると秀吉は、秀勝を褒めたが、

実際はお飾りに過ぎず、

秀勝に属した蒲生氏郷と、前田利長の見事な采配で勝てたのだ。

ところが、秀吉に褒められて、秀勝は天狗になり、

丹波亀山城主では「知行不足」だと言い出した。

省かれたようだ切り取り線 笑う  谷垣郁郎

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     丹波亀山城

これには秀吉も、「身の程をわきまえよ」と怒った。

亀山城を弟・秀長に預け、秀勝を勘当しようとした。

だが、秀吉は身内には甘かった。

思い直して、逆に越前の所領5万石を加増し、

そのまま亀山城主に留めた。

お江は、そんな小西秀勝の妻に納まることになる。

折れ釘でハートを描いてくれないか  くんじろう

ところで秀吉の子には、「3人の羽柴秀勝」がいた。

「秀勝という名」に、秀吉は特別な想いを抱いていたのだ。

実は淀殿が最初に産んだ鶴松は、

「秀吉の最初の息子ではない」
 といわれる。

秀吉が信長から長岡城をもらい、

初めて一国一城の大名になった時に、

手を出した女・(南殿)が、秀吉最初の息子を産んだ。

幼名を石松丸といい、やがて、秀勝を名乗ったが、

天正4年(1576)10月に、7歳ほどで他界した。

鉛筆と消しゴム距離が近すぎる  板野美子

秀吉は非常に悲しみ、”秀勝”が忘れられなかった。

しかも正室・おねに子供が生まれる気配はなかった。

そこで信長から於次丸を養子にもらい、後継者にしようと決めた。

その於次丸に、秀吉は秀勝の名を与え、

丹波勝山城主として可愛がった。

二代目・秀勝である。

残り香をまだ抱いてます待ってます  高橋謡子

於次丸秀勝は、秀吉の備中高松城攻めにも同行、

秀吉が取り仕切った信長の葬式では喪主をつとめた。

権中納言に補され、その”唐名”をもって、

”丹波黄門”の名で親しまれたが、二代目秀勝もまた、

天正13年(1585)に、18歳の若さで病没したのだ。

* (唐名(とうみょう)-中国風の名称。→大和名)

自分への弔辞自分で書いている  井上一筒

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秀吉は、わが子秀勝も、二人目の秀勝も忘れられず、

ほぼ2人と同じ年齢の小吉を、姉からもらって養子とし、

まるで、2人の秀勝が生きているかのように、

同じ亀山城主にし、同じ官位を授けて、名も秀勝とした。

お江はそんな秀吉の思い入れが強い、

「3人目の秀勝」の妻となり、
亀山城主夫人となったのだ。

残り火がゆらめく胸の底の底  加納美津子

秀吉は小田原の北条氏を攻め、

新婚間もない秀勝も従軍した。

彼はこれといった手柄を、立てたわけではないが、

鶴松の後ろ盾として、箔をつけねばならなかった。

そこで秀吉は、秀勝に甲斐、信濃二カ国を与え甲府城主とした。

噺家に化けて久しい縁の下  筒井祥文

すると秀勝の母・ともが

「そんな遠くでは可愛い息子に会えなくなる」 と嘆いた。

なにしろ秀吉は身内に甘い。

「淀殿もお江がいなければ寂しかろう」 と思い直し、

4ヶ月後、領地替えして美濃に国替えし、岐阜城主とした。

文禄元年(1592)、従四位下参議に任じられ

”岐阜宰相”と呼ばれるようになる。

しかし、同年、出兵先の朝鮮で病死する。

石段に鬼の休んだ跡がある  森中惠美子

拍手[6回]

単から袷に変わる恋心  関 泥鯰

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              京極高次

茶々が、秀吉の側室になった同じころ、

は、京極高次と結婚をする。

高次は、秀吉の側室・竜子とは姉・弟の間柄。

高次の母・マリア浅井長政の姉にあたり、

初と高次は従兄弟の関係にある。

いわゆる竜子は、初の義理の姉ということになる。

あらあらとDNAの一夜干し  前中知栄

長政と信長が手切れになったとき、

高次の父・高吉は、足利義昭のもとにいたので、

長政とは対立することになり、

また、義昭と信長が離れたときも、信長の支配下に入っている。

浅井滅亡後の天正元年(1573)、

少しは役に立つだろうということで、近江支配を円滑にするために、

高次は、安土に近い奥島で、5千石が与えられていた。

気楽でサまだ石ころを続けてる  森 廣子

ところが、本能寺の変で、信長が明智光秀に討たれ死ぬと、

妹・竜子が嫁いでいた若狭の武田元明と共に、

光秀に与して、秀吉の居城長浜城を攻めたので、

戦後は身を潜めなければならなかった。

しかし、元明と違い、何とか身を隠すことに成功し、

一時は、柴田勝家に匿われていた。

アナログだったら消しゴムで消せたのに  藤本秋声

しかし、竜子が、秀吉の側室になったことからか、

秀吉に仕えることとなり、

天正12年(1584)に近江高島郡二千五百石、

2年後の天正14年には五千石、

同年の九州攻めに参加して、

高島郡大溝1万石を与えられている。

髭ぬいて八百長なんか無いと言う  本多洋子

初の結婚は、九州平定が終わった天正15年のこと。

高次は、初の亡父・長政との血縁で、

生まれ育ちのよい人特有の、つかみどころのないところがあるが、

竜子に似て「美男子」であった。

この縁談は、北政所からの推薦でもあり、

初に、断る理由などはなかった。

何もかも捨ててさっぱり始発駅  薮内直人

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「大河ドラマ・『お江』-恋しくて みどころ」

天正15(1587)年の正月、

秀吉は帝より関白の他に、新たに大政大臣を任ぜられ、

また、「豊臣の姓」をも賜った。

永年の懸念だった家康(北大路欣也)も膝下に置いたことで、

次の目標は「九州の平定」と定めた。

出陣は3月1日、秀吉(岸谷吾朗)は、

秀勝(AKIRA)秀康(前田健)を連れて行き、

秀次(北村有起哉)には京、大坂の留守居を任せることにした。

まわり道悲しい僕が立っている  黒田忠昭

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一方、江(上野樹里)茶々(宮沢りえ)が、

秀吉を避けている態度が気になっていた。

明らかにこれまでの、秀吉に対する態度とは違っていたからだ。

そんな茶々に、江は胸騒ぎを覚えた。

そんなとき、初が恋をした。

相手は京極龍子の弟・京極高次(斉藤工)だった。

高次は元々、明智光秀のもとで「本能寺の変」にも参陣したが、

光秀が敗れると、姉の龍子(鈴木砂羽)を秀吉の側室として差し出し、

秀吉の家来となったと言われていた。

あんなことこんなこともう忘れたよ  藤井孝作

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それを聞いていた初は、最初、軽蔑していたが本人を見て、

そんな気持ちは霧消してしまったのだ。

一目惚れだった。

一方、江にも気になる相手がいた。

秀吉の甥の秀勝だ。

秀勝は、誰に対してもずけずけとものを言う。

相手が秀吉でも江でもだ。

それでいて、厭味なところがないという不思議な男だった。

江はそれまで、そのような人間と会ったことがなかった。

顔をあわせると何故か心が踊ったのだ。

初対面なのによく弾むね自然体  山本昌乃

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そんなとき、秀吉が密かに茶々を呼び出す。

茶々の前に現れた秀吉は、

これまでの自信満々の秀吉とは違っていた。

明日、出立だというのに気弱に見えたのだ。

秀吉  「お話ができるのは、これが最後やもしれませぬ」

茶々  「それが戦の常にございましょう」

秀吉  「・・・ただ、あれもこれも昔のようには参らず、

      出征前さというのに、いささか疲れを覚えておりまする」

茶々  「愚痴をこぼすために、お呼びになったと?」

秀吉  「かの地より無事に帰ったら・・・・・

       聞いていただきたいことがあるのでございます」

月の上のたんこぶ出たり入ったり  岩根彰子

翌日、豊臣軍は九州へと出陣していった。

茶々は秀吉がいなくなって、

何故か秀吉のことばかり、考えるようになっていた。

あのときの秀吉の顔と言葉が、忘れられなくなっていたのだ。

一方、初の方も、高次に対する思いは募るばかりだった。

昨日までなかったはずの分岐点  杉野恭子

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茶々、初、江・・・三人とも、戦が一刻も早く終わって、

それぞれの思い人が無事に帰還することを願っていた。

大友氏と島津氏の覇権争いが続く九州。

秀吉は関白の名において、停戦を命じた。

だが、島津氏はそれを無視して戦を続けた。

そこで、豊臣軍対島津軍の戦いとなった。

剽悍な島津軍も、

圧倒的な物量で攻め込む、豊臣軍の敵ではなかった。

掌の才能線に星が出た  井上一筒

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7月半ば、九州を統一した豊臣勢は、

晴れて大坂に凱旋してきた。

さっそく初は、

龍子の仲立ちで、高次とお見合いをするこことなった。

一方、秀勝と会った江は、軽い衝撃を受けた。

秀勝はこの度の戦で丹波亀山の所領を没収され、

追放になったという。

戦で戦功を立てれなかったわけではなかった。

むしろ、誰よりも勇敢に戦った。

だが、その結果の恩賞があまりにも少なかったので、

文句を言ったところ、
秀吉の逆鱗に触れたというのだ。

それを聞いた江は、

心にすきま風が吹き抜けるような寂しさを感じた。

赤あげて白下げないで狐の正面  酒井かがり

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一方、秀吉の方は、身内の祝勝祝いもそこそこに、

茶々のもとに馳せ参じていた。

秀吉は、茶々に無事に帰還したことを報告すると、

茶々への思いを伝える。

秀吉  「それがしの・・・思われ人になってほしいのでござる」

茶々  「いやにございます」

秀吉  「それは、おねが、妻がいるからでございますか?」

茶々  「仇と一緒になりたいと思う者が、おりましょうか?」

秀吉  「かたき・・・」

茶々  「あなたは父と母を殺した仇です。

       義理の父となってくれた人の命まで奪った・・・

       お話というのはそれだけでしょうか?」

そう言うと、去って行く。

ふっと吹き消す本棚のわたぼこり  新家完司

茶々に面と向かって断られた秀吉は、茫然自失。

と、そこに江が駆けつけて来て、秀吉に喰ってかかる。

  「姉上に、何かしたであろう!」

三成  「そうではありませぬ!

                殿下は茶々様に側室になってほしいと」

  「なんじゃとおおーっ?側室うーっ?」

そのことは、騒ぎを聞きつけてきた,

北政所(大竹しのぶ)も知ることとなった。

ドドーンと花火ぼくを笑ってくれないか  立蔵信子

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あっごめんあなたの影を踏んでます  山田葉子

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 淀君に、市の方の面影が残る

「秀吉の恋ーこころの内」

秀吉のもとに、茶々、初、江の三姉妹が送られたのは、

天正11(1583)年のこと。

姉妹にとって、秀吉は生家である浅井家を滅亡へと追い込み、

さらに母が再嫁した柴田勝家を母とともに自刃させた、

宿敵ともいえる相手だった。

あの事は水に流してくれますか  信次幸代

結婚が、政治のかけひきに使われた時代、

天下統一を狙う秀吉にとって、

死してなお、カリスマ的存在感を放つ、

織田信長の血を引く三姉妹がもつ意味は、大きかった。

しかし、茶々に対する想いは、それだけではなっかった。

愛のうたらくだに瘤が二つある  森中惠美子

信長に仕えていた時代から、に想いを寄せていた秀吉は、

その面影を、茶々のうちに見出していた。

ちなみに、三姉妹のうち、”誰がいちばん母の市に似ていたか”

といえば、残る肖像画から、

「切れ長」、「蠱惑的な目つき」などが共通する、お江だといわれる。

茶々は、市の面影を残すも、父・長政似であったと見られている。

(* 蠱惑(こわく)的とは― 人の心を惑わし乱すようなこと)

睡蓮かおたまじゃくしかどうでもよいわ  岩根彰子

秀吉はまず、天正12年、大野城城主・佐治一成に三女の江を、

さらに、その三年後の天正15年には、

次女・初を、大溝城主・京極高次と次々に嫁がせたが、

茶々だけは、手放さなかったのである。

一方で秀吉は、天正13(1585)年に関白になると、

着々と「天下統一」への地歩を固めていた。

そして、茶々が秀吉の側室となったのは、

その数年後のことである。

油断してたら大人になってしまったよ  竹内ゆみこ

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金箔や銀箔を刺繍のすきまに摺り詰められた小袖

お江や茶々の気持ちを留め置くため、秀吉は、贅の限りを尽くす。

染色技術が飛躍的に進歩した桃山時代は、目にも鮮やかな繍箔小袖が流行

茶々もこの華麗な生活が、気にいっていたようだ。

市に惚れていたという秀吉が、

なぜ、市に似ているお江でなく、茶々を側室にしたのか・・・?

茶々が秀吉の側室となった時期は、

(・・・正確には判らないが)

天正13(1585)に於次丸(秀勝)が、丹波亀山で亡くなってから、

しばらくのことと考えられる。

マスクの下で夢を温めているところ  赤松ますみ

織田信雄をさしおいて、秀吉が天下に指図できたのも、

信長四男・秀勝を養子にして、跡取りにしたわけで、

天下の政権を、仮に秀信(三法師)に返さなくとも、

少なくとも秀勝に

「いずれ大政奉還するという名目があれば」ということで、

周囲に説得力をもたせていた。

うかつにもワニのなみだにひっかかる  浜田さつき

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  淀君錦絵

明治時代、坪内逍遥の戯曲・「桐一葉」が、今日一般に思われている、

「淀君」の強く雄雄しいイメージを作りあげた。

側室としての狙いをとらえ、その眼光の鋭さが伝わる・・・。

ところが、秀勝が亡くなってしまうと、

秀吉には大義名分がなくなってしまう。

そこで、織田家の血を引く姫を、

「第二夫人として迎えたい」という事情もあったのだ。

そこで、長女である茶々が、最も大事ということになった。

蚊柱が立つ累代の臍の位置  井上一筒

拍手[4回]

できたての雲です湯気を上げている  加納美津子

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「秀吉VS家康」

天下人の実母であれば、その権勢を背景にした伝説めいた逸話の、

ひとつもあっていいのだが、

秀吉母・なか(大政所)に関しては、そのような話を聞かない。

なかは、尾張の国・御器所村の鍛冶屋兼野侍の、家の娘として生まれ、

信長父・信秀の足軽だった木下弥右衛門に嫁ぎ、

秀吉を産んだ。

(弥右衛門の病没後、信秀の同朋である竹阿弥と再婚する)

金の卵になりなさい勉強なさい  山口ろっぱ

ただ、さすがに天下人・秀吉の母としての、覚悟はできていたらしく、

再三にわたる上洛の誘いに、応じなかった家康を動かすため、

秀吉に言われるまま、

人質として、家康の居城があった三河の国・岡崎におもむいた。

これにはさすがの家康も翻意せざるを得ず、

上洛に応じたため、

なかは、1ヶ月後に大坂城に戻ることができた。

山ひとつ越えたか蝶の傷だらけ  高田圭子

実は、この間、家康の側近は、

なかの居室の周囲に薪を積み上げ、

なにかあれば、いつでも火をつける用意をしていたというが、

はたして、なかはどんな心地がしていたのだろうか。

過去形で話す私とさようなら  山口美千代

秀吉の正室であるね(北政所)とも、嫁姑関係が良好で、

穏やかな日々を送ったというが、

堅実で素朴で、賢明な女性であったようだ。

が、娘の旭姫、息子の秀長が病で没したときは、さすがに気落ちしたという。

このことからも、子どもに対する愛情が、

いかに深い母であったかが、うかがわれる。

泣くところできっちり涙出すひばり  河村啓子

秀吉が関白になったのを機に、なかは、大政所と呼ばれるようになったが、

秀吉は終生、母であるなかを大切にした。

第一次朝鮮出兵(文禄の役)の最中に、「聚楽第」で亡くなったが、

その報せを、九州に築いた名護屋城で聞いた秀吉は、

ショックのあまり、卒倒したといわれている。

酸欠の青大将であった頃  井上一筒

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「大河ドラマ・第17回・『家康の花嫁』 みどころ」

天正13(1585)年7月、関白の宣下を受けた秀吉(岸谷吾郎)は、

名実ともに天下人となった。

その翌月、羽柴軍は長宗我部元親を下して四国を従えた。

念願の栗きんとんになりました  赤松ますみ

更に、能登の前田利家を動かして、越中の佐々木成政を下し、

九州攻めを前に、背後をおびやかす有力大名は、

徳川家康(北大路欣也)だけとなっていた。

だが家康は、秀吉の何度もの上洛の呼びかけに、

応じることはなかった。

人喰った顔だ涼しすぎる顔だ  安土理恵

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年が明けて、天正14年、

秀吉は家康に正室がいないことに目をつけた。

正室だった築山殿を信長の命によって殺してからは、

正室を娶っていなかったのだ。

秀吉はさっそく自分の妹の旭(広岡由里子)を、家康の正室にと送りつけた。

秀吉にとって、『大事なもの』とは家族だったからだ。

空き箱にいつかをつめているようだ  杉本克子

旭には夫の甚兵衛(住田隆)がいたが、

秀吉は、甚兵衛には、「5万石の大名に取り立てる」という条件で、

強引に離婚をさせた。

その強引な秀吉のやり方に、甚兵衛は怒りを露にして、

城を飛び出して、行方をくらませてしまった。

捏ね回しひねくり回すいい逃れ  坂下五男

やがて、家康は旭を正室として、迎えて厚遇した。

だがそれは形だけの夫婦で、そこに情愛などは欠片もなかった。

  「・・・私を妻として・・・女子として扱って下さりませ。

      でないと、兄に従うたことになりませぬ・・・」

家康 「あなたは男をご存じない。

          そのようなことを言われて、ならばと応じたのでは、

          あなたはまさに人質ではありませぬか」

0と1限り無くあるその間  岡田陽一

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それでも、家康は動こうとしなかった。

秀吉は、旭より大物を人質に出さないと駄目だと思った。

すると、おね(大竹しのぶ)なか(奈良岡朋子)が、

「自分が人質になる」

と言い出し、結局、なかが行くことになった。

まさに秀吉にとって、一番大事なものは母親だったのだ。

さすがの家康も、大政所が人質として来たことで観念してしまい、

10月、京を経て大坂に入った。

山盛りのNOからひとつだけYES  桂 昌月

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大坂城の大広間で、万座の大名衆や家来衆の注目の中、

家康は上段の秀吉に向かって、

深々と頭を下げて、臣下の礼をあらわす。

家康 「不肖家康、関白殿下の御為に忠義の限りを尽くし、

            ご奉公致す所存にござりまする」

溜め池は残ったさらさらと小川  壷内半酔

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実はこれは前もって、秀吉が家康に頼み込んでいたことだった。

そのあと次に家康は、秀吉が着ている陣羽織を所望する。

それは秀吉が、信長から貰ったものだった。

これは打ち合わせになかったことで、

家康唯一の抵抗だった。

酒のさかなにすこうし疼くものを入れ  森中惠美子

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家康との対面も無事に終わると、

秀吉は、茶室に茶々(宮沢りえ)お江(上野樹里)を呼んで

茶を振る舞った。

そこで利休(石坂浩二)は、

秀吉が駿府の家康のところに、妹の旭を送った時から

茶断ちをしていたことを明かし、茶断ちが明けた最初の茶は、

秀吉自らが点てた茶を、

「茶々に振る舞いたかった」
のだという。

秀吉 「何より好きなものを断たねば、おのれを罰することにはならないからにござ

           います。

     ・・・それがしは、妹から夫を引き離して他の男にあてがい・・・

     年老いた母を人質に差し出しました。

            おのれの妹、母親までを政の道具として使うた男にござりますれば・・・」

泥臭く生きて無色に憧れる  吉川 卓

秀吉は泣いていた。

秀吉の点てた茶を飲んだ茶々は、

今度は、茶々が秀吉に茶を点ててやった。

いままでになかったことで、秀吉は感涙に咽ぶ。

利休は、秀吉は茶断ちだけでなく、

「茶々に会うことも、断っていた」ことも明かす。

深々とブドウの垂れて恋ひとつ  前中知栄

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茶々  「前に言うておったな。秀吉は大嘘つきだと・・・」

江  「はい!」

茶々  「でもその中に『まこと』があると・・・」

  「は はい・・・」

茶々  「悔しいが、私にも、それが分かった気がしたわ・・・」

  「だまされてはなりません! あれはあの者の手にござりまする」

これは、茶々が側室・淀殿になる前兆であった・・・。

衝動にかられて握手してしまう  竹内ゆみこ


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