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川柳的逍遥 人の世の一家言
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すべて知りたいあなたの知っていることは前田咲二

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龍馬・おりょうのハネムーンのコース

(左下-湊・浜乃市、右上-栄乃尾温泉~高千穂、中央-日当山・塩浸温泉)

寺田屋で負傷した龍馬は、おりょうとともに、薩摩藩邸にかくまわれ、

療養していた。

寺田屋で両手に受けた刀傷が、思いのほか深く、

傷が癒えるのはもちろん、体力の回復にも時間がかかっていた。

そこで、一か月余りたった3月5日、

龍馬はおりょうを連れ、治療を兼ねて、鹿児島へ向かうことになった。

この旅が、後世、日本初の”ハネムーン”と呼ばれることになった、

「龍馬とおりょうの薩摩行き」 である。

内緒だが釣堀で妻釣りました  松本あやこ

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そのきっかけは、

迫り来る”第二次長州征伐”に向けた作戦会議を開くため、

薩摩へ帰省することになった西郷隆盛が、

「鹿児島の温泉で、ゆっくり療養してはどうか」

と、龍馬に勧めたことである。

龍馬とおりょうは、

大坂から、薩摩藩の西洋式蒸気船・三邦丸に乗り込んだ。

薩摩藩家老・小松帯刀、西郷隆盛、中岡慎太郎、

そして三吉慎蔵
らが同乗していた。

途中の下関で、中岡と慎蔵は下船した。

ボクの道万歩計には頼らない  松下ヒロス

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鹿児島に着いたのは、3月10日のことである。

ふたりは、小松帯刀や吉井友実の屋敷で世話になったあと、

”日当山温泉”(3月16日)をへて、”塩浸(しおひたし)温泉”(3月17日)に着いた

龍馬が、のちに、

「塩浸温泉はもう大隈国であります」

と書いてあるように、現在の霧島市にあり、

新川渓谷沿いの温泉郷でも、上流のほうにある。

≪1800年ごろに発見された温泉、と伝えられており、

龍馬の時代には、切り傷などに効能のある湯治場として知られていた≫

将来を語ろう渋茶でも飲んで  西山春日子

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隆盛や帯刀も利用していたこの温泉で、

龍馬とおりょうは、刀傷を癒しながら、谷川に下りて魚を釣ったり、

ピストルで鳥を撃ったりして遊び、10日間ほど滞在した。

その後、”栄乃尾温泉”(3月28日)に滞在中の帯刀を訪ね、

29日には、”高千穂山”に登った。

ここでおりょうが、「天孫降臨の伝説」で有名な、

山頂に突き立てられた「天の逆鉾」を引き抜いたという。

≪龍馬は、それを笑って見ていたとも、

 また、一緒に引き抜いたところ逆鉾の長さが、4尺5寸だと分かったとも伝えられる≫

それから”霧島神宮”に参拝して一泊、さらに”霧島温泉”(3月29日)に入って、

帰りは来た道を逆行し、ふたたび鹿児島へ帰ったのは、

4月11日のことだった。

月光に広げるざらざらの心  たむらあきこ

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  おりょうの月琴

6月になって、ふたりは鹿児島から軍艦・桜島丸に乗り、おりょうだけが下りた。

おりょうは豪商の小曾根家に預けられ、

ここで長男の小曾根乾堂から”月琴”を習う。

龍馬はかねてより、

「一戦争がすめば、山中に入って安楽に暮らすつもり。

 役人になるのはいやじぁ。

 退屈なとき、月琴でも聴きたいから習っておけ」

と、言っていたので、

おりょうは月琴の稽古をすることを、長年の夢としていた。

あっちへ行ってもうちょっとだけこっち来て 倉 周三

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 月琴を弾くおりょう

おりょうにとっては、鹿児島へのハネムーンから、

龍馬のために、月琴を習ったこの数ヶ月間が、

もっとも幸せな時期だったかも知れない。

≪龍馬は、そのまま桜島丸で長州へ行き、長州に桜島丸を返還した。

 長州は船名を、「乙丑丸(いっちゅうまる)」と改め、

 第二次長州戦争に備えた≫

淋しくはないよ空気が傍にいる  壷内半酔

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      咸 臨 丸

「ハネムーン・エピソード」

慶応2年(1866)には、薩長同盟が結ばれ、

龍馬は、結果、その反発から寺田屋で襲撃され、

直後、薩摩に潜伏することになる。

このとき龍馬が、薩摩へ移動に使ったのが薩摩の「軍艦・咸臨丸」である。

この咸臨丸は、サンフランシスコに到着した際、

その船の美しさに多くの人が乗船を求めたが、

艦長の木村摂津守は、軍艦であることを理由に、

女性の乗船を許可しなかった。

このことを考え合わせれば、女性であるおりょうを伴っての船旅が、

いかに型破りであったかは、想像に難くない。

新婚の部屋の空気がなまめかし  三好聖水

また、鹿児島城下での滞在は、そこそこに”霧島”で長逗留しているが、

西郷、帯刀、吉井友実、税所篤も周囲に滞在しており、

がっちりとガードを固めている。

≪龍馬の霧島滞在のエピソードは、龍馬がいかに薩摩藩にとって、

 大事な人物であったか、を示しているのである≫

割り印を確と友情というもの  山口ろっぱ

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龍馬は、土佐藩を二度脱し、土佐には帰るに帰れなかった。

吉田東洋を暗殺した大石団蔵が、薩摩藩士・高見弥一となって、

薩摩藩の留学生として、渡欧したのとは対照的に、

龍馬は、死の直前、

「薩摩藩邸に身をおくように」 と勧められたのを、

「土佐藩のいやみになる」

といって断っている。

龍馬は望郷の思いを最後まで、拭えなかったのではないか。

そして、それが文字通り命取りとなったといえる。

直線で生きよと教えられている  井上一筒 

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『龍馬伝』・38回ー「霧島の誓い」 あらすじ

龍馬(福山雅治)お龍(真木よう子)は薩摩に向かい、温泉で療養することになる。

そこで龍馬は、霧島山に伝わる神話・ニニギノミコトが国を治めるために、

この山に降臨して、

「天逆鉾を頂上に突き刺した」 

という話を聞き登ろうとする。

女人禁制のこの山にお龍は男装し、龍馬と登る。

頂上で、龍馬は逆鉾を引き抜き、

「寺田屋騒動で、一度失いかけた。

生まれ変わった思いで、先頭に立って、日本を変える」

と誓う。

言葉尻に扇風機をかけている  立蔵信子

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  天逆鉾を突き刺すふたり
 
長崎では内蔵太(桐谷健太)が、お元(蒼井優)に求婚するが、

内蔵太の乗った亀山社中の”船・ワイルウェフ号”は、難破してしまい、

内蔵太は命を落とす。

土佐では弥太郎(香川照之)、象二郎(青木崇高)に、

土佐藩が異国相手に商売をするのを、手伝うように命じられ、

ジョン万次郎(トータス松本)と象二郎とともに、

長崎に向かうことになる。
 
一方、幕府による第二次長幕戦争が始まり、

薩摩が直接出兵せず、高杉晋作もイギリスに行かずに、

戦列に加わったことを聞いた龍馬は、

内蔵太の死にもショックを受け、悩んだ末、

社中のメンバーとともに参戦を決意する。

人はみなひとりで果てる水の刑  森中惠美子

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もうちょっと大人になれと月が言う  一階八斗醁

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「龍馬とおりょうを結びつけた寺田屋事件」

寺田屋騒動で、あやうく命拾いをした龍馬

それは寺田屋の養女・おりょうの手助けによるものであった、

と、龍馬は土佐の実家に書き送っている。

「此の養女が居たればこそ、龍馬の命は助かりたり」

寺田屋は、薩摩藩士の常宿であったが、勤皇の志士も多数出入りするなど、

奉行所の捕り方に、マークされていた旅籠であった。

その寺田屋が、龍馬捕縛の捕り方に取り囲まれたおり、

おりょうは、京の凍りつくような夜道を、

近くの薩摩屋敷まで素足で走り、危急存亡の龍馬を救った。

そして、甲斐甲斐しく龍馬を看病した。

この一件があって二人は、めでたく結ばれる。

春はそこ女襟足剃っている  たむらあきこ

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仲人は西郷隆盛。

龍馬は180cmを超える大男であったが、

お龍もそれにおとらず、背丈の高い女で、

彫りが深く肌も白いので、西洋人に見えたという。

彼女の気性は男まさりで、

龍馬の姉・乙女と気の合わないところもあったようだが、

龍馬は、お龍を大層かわいがっている。

お龍の教育のためにと、小笠原流の礼法を習わせたり、習字をさせたりと、

いろいろと女房教育に尽力したが、

当の本人は、これらの習い事には、とんと関心を寄せようとしない、

型破りな人間で、貞女の作法など、ほとんど身に付かなかったようである。

型破りな人間同士”似たもの夫婦”であった。

玄関で転けたときから決めていた  井上一筒

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龍馬の友人、佐々木三四郎によれば、

「同人の妻は有名なる美人の事なれ供、賢婦人や否や知らず、

 善悪共に、為し兼ねる様に思われたり」

と、おりょうについて書き綴っている。

妻は美人後顧に憂いなどはない  井上恵津子

≪龍馬が京都近江屋で再度狙われ命を落としてから、

 お龍は行商人の男に一目ぼれしてしまい、

 その男の妻に収まったという、話まである≫

煙へとあなたもわたくしもやがて  杉本克子

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慎蔵と龍馬

「三吉慎蔵とは」

龍馬が寺田屋で捕り方に襲われたとき、居合わせたのは、

三吉慎蔵という侍だった。

そのとき、龍馬と慎蔵は、まだ知り合ったばかりだったが、

その後、親友として深くつき合うことになる。

三吉慎蔵は、長州藩の支藩・長府藩の出身で、龍馬より四歳年上。

槍の名手であるとともに、頭脳明晰な人物だった。

龍馬が薩長同盟締結に向けて、奔走しているとき、

同じ長府藩士の印藤聿(いんどうのぼる)の紹介により、

下関で、ふたりは知り合った。

やんわりと結んだ紐がほどけない  神野節子

その後、龍馬は、印藤にたいして、

「薩長同盟が締結されるのは確実だから、

支藩からも使者を上京させ、締結の現場を見ておくほうがよい」

とアドバイスする。

慎蔵は、そのアドバイスに従がった長府藩から、

京都の情勢を探るようにと命じられ、龍馬とともに上京していた。

≪薩長同盟締結に奔走する龍馬の身の危険を、心配した高杉晋作が、

  護衛役として、槍の名手である慎蔵を付けたという説もある≫

ぽっかりと割れた西瓜の氏素性  山本早苗

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慎蔵が龍馬とともに、寺田屋で襲撃されたのは、

まさに薩長同盟締結の現場に立ち会った、直後のことだった。

そして、この事件をきっかけに、龍馬と慎蔵の仲は、一気に深まっていく。

寺田屋事件から、1ヶ月あまりのちの3月5日、

薩摩藩の藩船三邦丸に龍馬とおりょう、慎蔵の三人が乗り込み、大坂を出港。

龍馬とおりょうは、鹿児島への旅に向かったが、

慎蔵は下関で下船し、藩に京都の情勢を報告した。

人生の出口さがして風となる  熊谷岳朗

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また、6月に第二次長州征伐がはじまると、

慎蔵は、長府藩の報国隊軍監に就任。

奇兵隊らとともに戦い、幕府軍を破った。

翌・慶応3年(1867)、龍馬は、長崎から土佐に向かう途中、下関に寄港。

龍馬のパトロンだった廻船問屋の、伊藤家におりょうを預けた。

そして、慎蔵に、

「万一のご報知仕候時ハ、・・・略・・・愚妻おして尊家に御養置可被遺候よふ」

という手紙を送っている。

≪同年11月15日、龍馬が暗殺されると、慎蔵は約束どおり、

 おりょうと起美(君江)姉妹を長府の自宅に引き取り、

 3か月間面倒を見たあと、土佐の坂本家に送り届けた≫

そう言えば名前にダブルお人柄  吉富ひろし

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次の世へこの世を脱いでいるところ  吉野成子

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ナポレオンもそうだが、懐に手を突っ込んだ同様の肖像が、

坂本龍馬にもある。

上野彦馬という写真家が、写した一枚がそれである。

舶来のブーツを履いて、得意になった龍馬が、

高杉晋作からもらったピストルを、懐に隠し持っているとか、

いや、あの姿は、旅籠で戦い傷ついた右手を、いれているのだとか、

はたまたあれは、スタイリストの龍馬が、ポーズを取っただけのこと、

など、諸説紛々である。

取り替えた鼻がときどきはずれます  松原末湖

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『坂本龍馬が使っていたとされる刀』

刀鍛冶・左行秀(さのゆきひで) の作で、龍馬の親友・甲藤馬太郎から伝わる業物。

ある日のこと、

すでに天下にその名を轟かせている龍馬のもとに、

志士を名乗る男が訪れた。

男は、

「これからは、これがものを言う時代だ」

と、朱鞘の長刀を差し出して見せた。

龍馬は冷ややかに眺めながら、

「そんな長いものなど、いざというときに役にたたんぜよ」

と、龍馬は懐から短刀を出した。

明日もまた朝が来るとは限らない  井丸昌紀

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男はいったん引き上げ、ふたたび龍馬を訪れた。

「先生、やはり持つべきは短刀ですな」

と、言って自分の脇差を出した。

「お前ンは、それで国の大事に、立ち向かえるのか」

「先生は、いざというときに役立つと言われたが」

「なあ、これからはこれよ」

龍馬は懐からピストルを取り出し、縁側に向けて轟然とぶっ放した。

弾丸は松の木に深く食い込んでいた。

「ぶったまげました。これは何というものですか」

「これは西洋の武器ナ、よく見ちょけ」

「西洋の・・・・・」

龍馬は、畳の上にピストルを置いた。

瞬きの間に風が入れかわる  大楠紀子

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       「万国公法」

「しかしナ、世の中は武器では、勝てぬ時代になりつつある」

「なぜですか?」

「学問が大事ぜよ。僕はいま、これを読んじょるが非常におもしろい。

 ”万国公法”という本だ。

 今からはこれナ。

 西洋の決まり事が書かれておる。

 これからは、しっかとコレを読まんといかんぜよ」

懐の奥から取り出したのは、

「万国公法」
と筆書きされたちょっと分厚い本であった。

上海から渡ってきた万国公法が、

江戸の昌平坂学問所で翻訳され、刊行された内の一冊だ。

龍馬の懐は西洋の夢で、パンパンに膨らんでいたのである。

逃げ腰の男は討たぬ夕焼けよ  森中惠美子

【万国公法】 ヘンリーホイートン著

アメリカ人宣教師・ウイリアム・マーチンが漢文に翻訳。

慶応2年(1866)頃、返り点などを付け加え、

読みやすくしたものが、日本に出回った。

龍馬は、慶応3(1867)年4月、紀州船との衝突で、

沈没した「いろは丸事件」の賠償交渉で、これを役立てた記録がある。

行合の風におしゃれを馴染ませる  上村隆

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寺田屋事件で龍馬使用?・・・回転銃を公開…高知

龍馬が所持していたのと同型の”S&W社製・回転式拳銃”

龍馬が、寺田屋事件で難を逃れるため、

使用したとされる米国スミス・アンド・ウエッソン社製の

回転式拳銃と同型の拳銃が、高知県内で見つかり、

佐川町立青山文庫(同町奥の土居)が11日、公表した。

善意ということにしてピストルを持つ  前中知栄

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不自由な右手で木戸(谷原章介)が送ってきた密約の文書に裏書きをする龍馬。

『龍馬伝』・37回ー「龍馬の妻」 あらすじ

寺田屋で襲撃された龍馬(福山雅治)は、

深い傷を負いながらもどうにか脱出し、薩摩藩邸に担ぎ込まれた。

意識が混濁し、死の淵をさまよう龍馬を救おうと、

必死で看病に当たったのが、おりょう(真木よう子)だった。

龍馬が意識を取り戻してからも、献身的に世話をするおりょう。

そのおかげで、龍馬は体を動かせるようになる。

背中の傷に 縫いこんであるむかし 井上一筒

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そんな折、龍馬は西郷(高橋克実)から、薩摩へ行くことを勧められる。

龍馬が奉行所に、目をつけられていることが判明した今、

このまま京にいては危ない。

彼らの手の及ばない薩摩で、しばらく療養したほうがいいと言うのだ。

西郷の申し出を受け、薩摩に向かう龍馬だったが、

気がかりなのは、おりょうのこと。

京を離れたら、二度と会えなくなるかも知れない。

そう思った龍馬は、おりょうに、

「夫婦となって、ともに薩摩へ行こう」

と告げた。

龍馬の思いをおりょうは受け入れ、二人は薩摩へ向けて旅立つ。

背のボタンは自分で外すものじゃない  八田灯子

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 おりょうを紹介する龍馬

旅の途中、二人は長崎へ立ち寄る。

龍馬は、亀山社中の面々に、おりょうを紹介したものの、

すぐ忙しく今後の相談を社中と始め、

次は一人で、グラバー邸に出かけてしまう。

置いてけぼりにされたおりょうは、

「自分は龍馬の役に立っているのか」 と不安になる。

グラバー邸には、海外へ密かに行こうとする高杉(伊勢谷友介)がいて、

「これから2人で一緒に面白いことをやろう」

と誓うが、

実はこのとき高杉の体は、病魔に蝕まれていた。

昨日という脱ぎっぱなしが帰らない  山本早苗

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 おりょうと龍馬の結婚式

引田屋で、龍馬の結婚の祝いが開かれる。

お元(蒼井優)は、龍馬が結婚したことに驚き、また、そんな自分にとまどう。

おりょうは、そんなお元の想いを気づいていた。

おりょうは龍馬に、

「本当にこれでよかったのか」と不安を打ち明ける。

龍馬は、

「一度死にかけて、時がもうないと気が急いている」

と謝り、そして今、

「心の支えはお龍だ」 と、

生母・幸(草刈民代)からもらって、

肌身離さず付けていた”希(のぞみ)”の文字の入った首飾りを、

おりょうに渡すのだった。

サヨナラをひとつコンニチワをひとつ  山口ろっぱ

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慎ましいエビ天は着痩せする  山口ろっぱ

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[龍馬が、寺田屋で捕り方に襲撃される寸前、

おりょうが、龍馬の部屋に駆け込んで、急を知らせたエピソード]

おりょうはその日、寺田屋に3回も伏見奉行所の与力、見廻組の隊士が、

宿改めに来ていること心配していた。

龍馬の人相書きが、市中に出回っていることも知っている。

しかし、龍馬は変装もせず、

相変わらずその日も、京に出かけていたので、

真夜中に無事に帰ってきた時は、ほっとした。

女将の登勢とお膳と酒を2階に運ぶと、おりょうは風呂に入った。

枕の中のネズミ花火がとまらない  岩田多佳子

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おりょうが入ったとされる風呂(寺田屋) 

風呂は表通りに面しており、窓を開ければ外が見えるようになっている。

窓が開いているのに気が付き、表を見たおりょうは、息を飲んだ。

表通りに槍を構えた捕吏が数十人、息を殺して立っている。

「一刻も早くあの人に知らせなくては」

おりょうは、”全裸のまま”、2階に駆け上がると、

捕吏に囲まれていることを知らせた。

龍馬は、おりょうに逃げるよう伝えると、

おりょうは着物を着ると、裏階段から外に逃げた。

うす衣まるい乳房がはねている  桜 風子

そのとき、入浴中だったおりょうは、

全裸で2階の部屋へ駆け上がった、と伝えられる。

当時、おりょうは25歳。

本当に、

全裸で梯子を駆け上がり、龍馬に危険を知らせたのだろうか?

夜逃げするときのポーズを考える  福力明良

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寺 田 屋

明治時代になってから、おりょうは、龍馬と過ごした日々について、

何件かの取材を受けている。

「寺田屋遭難事件」についても、

書籍や新聞、雑誌の記事としてまとめられているが、

それらを見ると、『千里駒後日譚』では

「わざと平気で、あなたこそ静かになさいよ、・・・中略・・・

 と悠々と衣服をつけて」

と言うように、衣服を着ていた、ことになっているものもあれば。

おつき合いで笑うソプラノで笑う  山本希久子

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龍馬・慎蔵が襲撃を受けた部屋(寺田屋)

『阪本龍馬未亡人』では、

「急いで風呂を飛び出したが、

 まったく着物を引っ掛けておる間もなかったのです。

 じっさい、全裸で、恥じも外聞も考えておられない」

とみずから、全裸だったと証言している、ものもある。

≪一方、おりょうの姿を見たはずの龍馬や慎蔵は、

 その後の手紙や日記のなかで、

 おりょうが全裸であったかどうかについては、まったく触れていない≫

ばあちゃんの裸は許される残暑  井上一筒     

だがひとつ、貴重な証言がある。

その夜、おりょうと一緒に入浴していた寺田屋の娘・力(りき)が、

龍馬が寺田屋から逃げ出すとき、

「お春(おりょうの変名)もつづいて、男の浴衣に男の帯をしめて」

逃げたと話している。

常識的に考えて、

おりょうと力が風呂場へ持っていく着替えは、女物だろう。

恥ずかしいところに貼ってある木の葉  木本朱夏

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 寺田屋秘密の階段

とすれば、風呂場で身につけたなら、

おりょうは女物の浴衣や帯で、逃げているはずである。

ところが、力は、おりょうが男の浴衣を着ていたという。

それならば、その浴衣と帯は、

龍馬たちの部屋にあったと、考えることができる。

つまり、部屋に駆け込んだおりょうが、とっさに羽織ったというわけである。

そう考えれば、宿の裏にあった秘密の梯子を駆け上り、

龍馬の部屋へ駆け込んだとき、

おりょうは全裸だったことになる・・・のだが・・・。

あなたより先には逃げぬ非常口  森中惠美子

拍手[5回]

出入口は味方ばかりのものでない 森中惠美子

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汗血千里の駒」・寺田屋遭難の図

慶応2年(1866)1月24日未明、

京都・伏見の「寺田屋」で、龍馬は捕り方に襲撃され、

負傷するという事件が起きた。

世にいう、「坂本龍馬・寺田屋遭難事件」である。

当時、政局は、第二次長州征伐へと向かっていた。

次期将軍と目されていた徳川慶喜が、

みずから京都より出陣するという話も流れ、

京都では、幕府側の警察行動が厳しくなっていた。

京都から底冷えのするラブレター  浜田さつき

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龍馬は、遭難2日前の1月22日、相国寺の薩摩屋敷で、

「薩長同盟」を締結させるという”大事業”を成功させ、

23日の夜、定宿としていた寺田屋に戻ったばかりだった。

警戒中の伏見奉行・林肥守配下の捕り方約20人に、襲われたのは、

ひと風呂浴びて、

寝ようとしていた午前3時ごろのことである。

階下で忍び足の音がし、さらに物音が聞えたが、

龍馬は、薩長同盟の成り行きなどを、三慎蔵吉に話している最中で、

物音に気をとめなかった。

難破船セピア色した雨にあう  稲村遊子

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その二人の部屋へおりょう

宿の裏にあった”秘密の梯子”を上がってきて

「敵が襲ってきました! 槍を持った捕手が、梯子段をのぼってきます」

と告げた。

龍馬は、とっさに袴をつけようとしたが、

隣の間に置いていることを思い出す。

そこで、袴を着けず、浴衣の上に綿入れを羽織った

だけで大小を差し、ピストルを構えて腰掛けに座った。

慎蔵は袴をつけ、大小を差し、槍を構えて、

龍馬と同じように腰掛けた。

言い足りぬ形のままで二歩三歩  山口ろっぱ

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すると、大小を差した男が廊下から障子を開けて、中をうかがった。

龍馬が、

「何者だ!」

と怒鳴ると、男は出ていったが、次の間で、ミシミシと音がする。

龍馬が、おりょうに命じて、襖をはずさせたところ

槍を手にした10人ほどの、男たちが構えていた。

龍馬は、

「薩摩の藩士にたいして、無礼ではないか」

と叫んだ。

≪寺田屋に泊まるときの龍馬は、「西郷伊三郎」という名で、薩摩藩士を偽装していた≫

呼ばれたら返事くらいはしなさいよ  岡田陽一

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捕り方は、

「上意である。座れ!」

という怒声を放ち、じわじわと間を詰めてくる。

慎蔵が槍を中段に構える。

龍馬は、右端の捕り方めがけて、ピストルの引き金を引いた。

相手が逃げたので、

隣の捕り方に向けてピストルを発射すると、その男も逃げた。

捕り方は槍を投げて攻撃し、龍馬と慎蔵は火鉢と槍で応戦する。

そのあいだに、龍馬は三発目を発射した。

力づくでくるなら受けて立ちましょう  中村酔虎

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次の瞬間、障子の陰から躍り出た捕り方が、脇差で斬りかかってきた。

龍馬はピストルで、脇差を受けたが、

右手の親指を削がれ、左手の親指と人差し指も、切り裂かれた。

だが浅手だと思ったのでひるまず、

その男にピストルを向けると、相手は障子の裏へ隠れた。

そこで龍馬は、今度は壁を背に槍を構える男に、狙いを定めた。

慎蔵の肩を台にピストルを構え、ゆっくりと引き金を引くと、

男はまるで眠ったまま倒れるように、ひっくり返った。

このピストルの威力に、捕り方たちは、

怖気づいてるように見えた。

逆境に立つほど燃えている拳  あいざわひろみ

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ドンドンと障子や襖を叩いて、大騒ぎするが、攻撃はしてこない。

そのあいだに龍馬は、弾を込めようと回転式弾倉をはずした。

六連発のピストルに、五発の弾が込めてあったが、

すでに、五発とも発射していたからである。

ところが一発込めたあと、龍馬は弾倉を取り落とす。

両手の指を負傷していたため、思うようにあつかえなかったのだ。

しかも、火鉢を投げ捨てて戦っていたため、床は灰だらけで、

弾倉のありかがわからなくなってしまった。

救急車口笛吹いて乗ってくる  井上一筒      

龍馬が、

「ピストルを捨てた」

と告げると、慎蔵は、

「ならば、敵陣に突撃するのみですな」

と応じた。

しかし、龍馬は、

「いや、違う。いまのうちに逃げる」

といって、ふたりは、宿の外の梯子を使って逃げ出した。

おりょうが、危急を報せに上がってきた秘密の梯子である。

つま先と踵夜っぴて揉めている  河津寅次郎

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    おりょうが走る

捕り方は、宿の外に梯子があるとは気づかず、

宿の中を懸命に探している。

そのあいだに、龍馬らは、隣の家の雨戸を破ってなかへ入り、

家の裏へ抜けた。

その家の者たちは、すでに逃げたあとだった。

ふたりは闇夜を駆けたが、龍馬は指からの出血がひどいことと、

浴衣の裾が脚にからまって、思うように走れなかった。

しかたなく、川端の材木小屋に身を隠し、慎蔵が薩摩藩邸に走った。

薩摩藩邸には、すでにおりょうが事件を報せに来ており、

急を聞いた薩摩藩士が、材木小屋に駆けつけ、

龍馬を藩邸まで連れ帰った。

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   龍馬の脱出ルート

左上太線の囲み「薩摩藩邸」

そのまま下へ右へ曲がった所が、龍馬が避難した「材木小屋」(囲みの斜線部分)

その右下が、「寺田屋」

右下の囲み斜線は、「伏見奉行所」

天と地のはざま儚い戯画を舞う  岡部幹和

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『龍馬伝』・第36回ー「寺田屋騒動」 あらすじ

薩長同盟を成し遂げた龍馬(福山雅治)は、

新撰組に捕らえられていた弥太郎(香川照之)を連れて、

寺田屋へ戻る。

龍馬は弥太郎に、薩長が手を結んだこと、

そして日本の仕組みが大きく変わり、幕府の時代が終わりを告げるであろうこと、

その中で弥太郎が、「何をすべきかを考えてはどうか」と勧める。

弥太郎は、驚きをもって土佐へ帰っていく。

町並みが変わり迷うた久し振り  宮前秀子

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西郷(高橋克実)が、密約を文書にしなかったことを危ぶむ木戸(谷原章介)が、

それを文書化を主張。

龍馬は、証明の裏書きを書くまで、寺田屋に残ることになる。
 
それを終えたら龍馬は、

「もう京うぃ訪れることはない」 という。

今生の別れになるかも知れない龍馬お龍(真木よう子)は、

複雑な思いを抱く。

ジェラシーが繁る人間の小鉢  たむらあきこ

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京都守護職・松平容保(長谷川朝晴)は、薩長の裏に龍馬がいることを知り、

伏見奉行に龍馬を捕らえよと命じる。

捕り方が寺田屋を囲む。

深夜、風呂に入っていたお龍が捕り方に気づき、

風呂を飛び出して、龍馬三吉慎蔵(筧利夫)に知らせる。

外に出されたお龍は薩摩藩邸へと走り、

龍馬と慎蔵は捕り方と激闘。

高杉(伊勢谷友介)から以前にもらったピストルで応戦するが、

右手を斬られ慎蔵と寺田屋を飛び出る。

しかし、龍馬はひどい出血で材木置き場で動けなくなり、

慎蔵を伏見薩摩藩邸に行かせる。

傷物にされたと泣いていたのは男  井丸昌紀

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