コロコロ携え草ぼうぼうの駅に立つ 山口ろっぱ
匂宮と明石の君
わが宿は 花もてはやす 人もなし 何にか春の たづね来つらむ
「わたしの家には花を喜ぶ人もいませんのに、どうして、
春が訪ねて来たのでしょう」
「巻の41 【幻】」
新年が改まっても、紫の上の死の衝撃があまりにも深かったので、
暖かい春の光のなかにいても、光源氏の悲しみは去りません。
例年のように人びとが年賀に来ても、源氏は「気分のすぐれない」と伝え、
誰とも会おうとしない。
「人に会う時だけは、しっかりと落ち着いて冷静にいようと思っても、
今の茫然としている身の有様や、時に起こす愚かな間違いを、
迷惑がられては、死後の評判まで悪くなってしまう。
譬え呆けたという噂がたったとしても、見苦しい姿を見せる方が辛い」
といい、夕霧が訊ねてきても、御簾を隔てて会うのが、精一杯であった。
こんなにも無口が似合う春霞 清水すみれ
なぜ 出家させてやれなかったのか。
なぜ 悲しませてばかりいたのか。
女三宮を迎え、紫の上の部屋に戻ったら、
彼女は涙を隠していたではないか。
今さらながら紫の上が可哀想で、自分の浅はかさが悔やまれてならない。
人が噂するに違いない時期だけでも、じっと心を静めていなければと、
我慢して過ごしてる一方で、世間体や面倒をみてくれる女房などのことを
考えると、憂き世を捨てる踏ん切りをつけることはできない。
夫人たちの元へ稀に顔を出しても、真っ先に涙が止めどなくこぼれ、
まことに具合が悪くて、どの部屋にも無沙汰がちになってしまう。
花びらを数えて一日を終える 竹内ゆみこ
匂宮と源氏と明石
そんな中でも、紫の上が可愛がっていた匂宮の相手をしているときだけは、
源氏も少しは、元気が出る。
明石の宮は、それを知って源氏の慰めに匂宮を残し、内裏にひとり帰る。
無心に遊ぶ匂宮は桜が散ってしまわないように、
「几帳を木の周りにおいて風を防ごう」と、可愛いことを言う・・・
こんなとき源氏のこころもほころぶ。
「梅や桜を楽しんで・・・お祖母様がおっしゃったから」
と紫の上から言われたことを忘れていないのだ。
2月になると、梅の木々が花盛りになったのも、まだ蕾なのも梢が美しく、
一面に霞んでいるところに、あの形見の紅梅に、鴬が陽気に鳴き出した。
それを観ながら
「いよいよ出家するとなると、すっかり荒れ果ててしまうの
だろうか、亡き人が心をこめて作った春の庭も」
見るもの見るものに、亡き人のことが思い出されてくるのである。
折り紙に命ふきこむ小さな手 寺島洋子
少し気分を変えようと、源氏は尼宮(女三宮)のところへ行くことにした。
尼宮は花を愛しむ気持ちなどはさらさらなく、とても幼いままの様である。
ちょうど仏前で経を読んでいた。
たいした信仰によって入った道でもなかったが、人生に何の不安もなく、
余裕のある身分であるために、専ら気まぐれに仏勤めができ、源氏は、
その他のことにも一切無関心でいられる様子が、はうらやましく思った。
浅い動機で仏の弟子になった人にも、劣る自分であると残念に思った。
裏返しのままで浮んでいる豆腐 平井美智子
あかだな
閼伽棚に置かれた花に、夕日が照って美しいのを見て、源氏は、
「春の好きだった人の亡くなってからは、庭の花も情がなく見えますが、
こうした仏にお供えしてある花には、好意が持たれますね」
また、
「対の前の山吹は、ほかでは見られない山吹ですよ、
花の房などがずいぶん大きいくて、品よく咲こうなどとは思っていない
花と見えますが、にぎやかな派手なほうでは、優れたものなのです。
植えた人がいない春だとも知らずに、例年よりもまたきれいに咲いて
いるのが、哀れに思われます」 と言うと、女三宮は、
「谷には春も無縁です」と、勤行に専念しているようで冷たいあしらい。
「ほかに言い方もありそうなものを」と、源氏はそう心に思いながら、
紫の上なら、こんな思いやりのないことを絶対に言わない女であったと、
少女時代からの紫の上のことを追想するのだった。
価値観のちがう女とたそがれる 桜 風子
源氏はそこからすぐ明石の君を訪ねる。
さすがに彼女はたしなみ深く、すぐに感じよく席を設けてくれるなど、
傷心の源氏を気遣ってくれる。
この人のだれよりも怜悧な性質は見えるものの、紫の上は、
「こうでもない高雅な上品さがあった」と、思い比べては、
その幻ばかりを追いかけて、悲しみがさらに増す。
ときどきは深いところをかきまぜる 田村ひろ子
出家を思う源氏
そして明石の君とは、昔の話などをする。
「若い頃は逆境も経験し、どんな野山の果てで、命を果たしてしまっても
惜しくはないと思っていましたが、年がいって死期が近づく頃になって、
いろいろな係累を増やすことになった為に、今まで出家も遂げることが
できないでいるのが自分で歯がゆくてならなりません」
などと、紫の上と死別した悲しみとは関係ないように、言っているが、
明石の君には、源氏の内心は分かっている。
「昔の例を見ても、突然、心の傷つけられるような悲しみに会うとか、
大きな失望をしたとか言うような時に、厭世的になって出家をする
ということは、あまり褒められることではございません。
もうしばらくご発心を延ばして、宮様がたも大人におなりになり
不安なことなどが一切ないころまで、このままでご家族に動揺を
与えないようにしていただけましたら、大変うれしく存じます」
ありふれた話でいいのもう少し 阪本こみち
「恋愛の深さ浅さと故人を惜しむ情とは、別なものだと思います。
少女時代から自分が育ててきた人と、一緒に年をとり今になって、
一人だけが残されて、一方が亡くなってしまったということに、
自らを憐んで、また故人について、その時あの時と、あの人の感情の
美しさの現われた時とか、あの人の芸術とか、複雑にいろいろなことが
思い出されるたびに、深い哀愁に落ちていくのです」
など、亡き紫の上の昔のこと今のことを、語り合って夜は更けていく。
そして、このまま明石の君のところで、
「泊まっていってもよい夜であるが」とは思いながら
源氏が帰っていくのを見て、明石の君は一抹の物足りなさを感じている。
源氏も自身のことを、怪しく変わってしまった心であると思うのだった。
野暮なこといいっこなしの膝と膝 田口和代
一周忌の法要が済んでも、かつてのような源氏は戻ってこない。
季節の風物を見ても何もかもが、紫の上と結びつけてしまう。
菊、雨、蓮の花・・・・・。
年末、源氏は女房などに形見の品を分け、紫の上の手紙も焼いた。
出家の覚悟ができたのだ。
おぶつみょうえ
年末の御仏名会で、源氏は籠もっていた部屋から出て、
初めて人前に顔を見せた。
その姿は、
以前にも増して美しく、眩しいばかりの神々しさだったという。
これからの日々は淡彩画のように 新家完司
【辞典】 光る光源氏
約一年、紫の上を思いながら、ごく親しい人としか会わなかった光源氏が
やっと人前に顔をみせ、その素晴らしい容姿に周囲が感動したことを示し、
幻の巻は描かれている。これまでの憂鬱な日々を払拭してくれる華々しい
最後です。この幻には、「ご容姿、昔の御光にもまた多く添ひて、ありがたく
めでたく見えたまう」と源氏の美貌が表現されている。昔評判だった光輝く
姿よりも、もっと美しくなり見事だと言っているのである。
女三宮の登場以来、源氏は慌てふためく姿や、悲しみにくれる姿ばかり
で源氏の美しさを示す描写は薄れがちだったが、紫式部は「やはり源氏は
美しかった」と締めくくり、源氏を主人公とした物語は終わるのです。
一幕の劇の終わりに見る夜景 中野六助[6回]