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川柳的逍遥 人の世の一家言
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1ページだけの絵本に月が出る  井上一筒

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   木造織田信長坐像

「信長の遺産を手にしていた朝廷」

”本能寺の変”から4日後の6月6日、

信長の居城だった安土城に入っていた明智光秀のもとに、

誠仁親王の勅使として、吉田兼見が訪れ、

京都の治安維持を光秀に命じた。

これに対して光秀は、9日に上洛して兼見邸に立ち寄り、

朝廷の勅使派遣に感謝の意を表し、天皇と親王に、それぞれ”銀500枚を献上”。

朝廷は返礼として、兼見を通じて、”女房奉書”を、光秀に手渡したという記録が

残されている。

二番手の野心鋭く爪を研ぐ  碓氷祥昭

献上された銀子は、すべて、光秀が安土城から持ち出した「信長の遺産」である。

それを受け取り、御礼までした朝廷は、

光秀の行動を正当と認めたといえるだろう。

一説によると、誠仁親王は、

9日に兼見を通じて、光秀を”征夷大将軍”に任命していた、

とも考えられているのだ。

 女房奉書=(天皇の命令などを伝えるために、女官が発行した文書)

即効性のある札束という薬  中野六助

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     誠仁親王

「祝杯をあげていた上流公家たち」

6月7日、死を遂げたばかりの信長と、

親交が深かった上流公家の近衛前久は、

誠仁親王の居所で、前久の嫡子・観修寺晴豊らとともに酒宴を催した、

という記録が残されている。

鷹狩りという共通の趣味を持ち、

信長のさまざまな要求を、朝廷に伝える役を担っていた前久でさえ、

信長の死を、歓迎していたのだ。

味方だと思った人が敵だった  西野栄子

”本能寺の変”が光秀の単独犯行であったなら、

光秀は主君殺しの逆賊である。

しかし、こうした変後の公家衆の対応は、

「逆賊に対するものとは思えない」

との指摘がなされている。

さらに『信長公記』には、

光秀軍が信長の嫡子・信忠を襲った際、

二条御所の前にあった”前久の屋敷”から、

「弓と鉄砲で攻め立てた」

という記述もなされている。

前久は、それを黙認したのだ。

にんげんの匂いが鼻についてくる  古久保和子

また前久は、”山崎の戦”で、光秀が討たれたことを知ると、

慌てて嵯峨に逃げ出し、出家している。

この行動は、前久が隠していた「何か」に対する、

「追及を免れるため」

だったと考えられている。

卵かけ御飯にもある勘どころ  緒方美津子

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      豊臣秀吉

「秘密を握った秀吉への厚遇」

山崎の戦で、光秀を討った秀吉と信長の三男・信孝は、

「本能寺の変はなぜ起きたのか?」

「誰が関与していたのか?」 

という捜査を開始。

変後に光秀を歓待し、銀子を受け取っていた兼見を捕らえ、

厳しい取調べを行った。

このとき窮地に陥った兼見は、誠仁親王に懇願し、

朝廷の仲介によって、ようやく疑いを解かれている。

処世術まずは尻尾を切ってみる  佐藤美はる

この後、秀吉が行ったのは、

御伽衆の大村由己『惟任退治記』を書かせることだった。

同書は、「本能寺の変」は、信長への私怨を動機に、

惟任(これとう)こと光秀が、単独で行った謀叛であり、

それを退治した自らをヒーローとする”合戦物語”である。

秀吉は、『惟任退治記』の内容を既成事実として、公家衆に喧伝し、

親王と兼見には、立会いのうえで朗読を読み聞かせた。

もう土俵割っているのに突き飛ばし  元永雅子

ここに、「本能寺の変」は、

現在まで通説とされている、『逆賊光秀の主謀で、引き起こされた謀反』 と、

認定されたのだ。

これ以降、朝廷は秀吉を、”信長の後継者”として認め、

上流公家でなければ就けなかった「関白」の地位を与えるなど、

秀吉からの、度重なる無理を聞き入れている。

いわば、変後の朝廷は、

秀吉の意のままに、動かされるようになったのだ。

玉ねぎを剥きますゆっくりのドラマ  谷垣郁郎

その背景には、取調べによって得た「朝廷関与」という真実を、

秀吉が創作した『惟任退治記』によって、

「隠蔽したという”功績”があったのではないか」

と考える研究家は少なくない。

そう考える事で、なぜ、変後の朝廷が、

「秀吉を前例のないほど厚遇したのか」

という謎が、説明できるからである。

ショートショート的コント的ユートピア  山口ろっぱ

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           慈照寺東求堂

銀閣と共に東山殿の遺構として現存する建物

前久は、信長の死後出家、豊臣秀吉には疎まれ徳川家康を頼り、

晩年は慈照寺東求堂に隠棲した。


我が首とゆかりの寺の花の首  森中惠美子

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