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川柳的逍遥 人の世の一家言
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殿中でござるカピバラの残像  井上一筒


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「徳川家累代御台所ノ図」(明治12年作)

 

お江は、左上に描かれている。

二代秀忠・御台所(於江)から時計回りに、

九代家重・御台所(比ノ宮)、十一代家斉・御台所(茂子)、

12代家慶・御台所(楽ノ宮)、

十三代家定・御台所(篤姫)、中央10代家治・御台所(五十宮  

お江与が、特に「大御台」と呼ばれたのは、

お江与の地位・経歴、そして歴史に残した影響力の大きさによる。

     

  

「嫁ぎ先・江戸城のお江」

     

家康の側近であり、江戸城を仕切っていた本多正信が、

丁重にお江を迎えた。

秀忠の大姥局(おおばのつぼね)も、

ひれ伏して、お江に忠節を誓った。    

「これからは、御台所に任せればよい」

    

大姥局は、肩の荷が軽くなった思いだった。

世の中には、育ての親が何かとでしゃばる気風もあったが、

大姥局は、そういう人ではなかった。

末端にちょこんと座るヘビイチゴ  酒井かがり

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お江には、威厳と気品があり、

皆がその気品に圧倒された。

正信は一目見て、

秀忠は完全に尻にしかれていると察知した。

正信は、役人たちに告げた。        

「御簾中(ごれんじゅう)は、さすがは、

  信長公の妹君・お市の方のお腹だけに、

  ご気性はなかなか強い方と拝する。

  あれでは若殿も、御簾中には弱かろうな」

        

すぐ妥協する位置にある桜餅  森中惠美子

家康の側室・阿茶局も、

お江の堂々たる身のこなしに圧倒された。 

「ご幼少から2度も落城の戦火をくぐりぬけられたお方、

 まことにはっきりとしたご性格。

 お仕えする老女・椿井殿も、これまたみごとなお人ですぞ」

 

お江の側に仕える老女・椿井も、

芯の強そうな女性と評価していた。 

物心ついたころから鯨です  谷口 義
 

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「それからのお江の評価」

お江は後世、随分誤解されている。

「ヒステリックな悪女」

という芳しくないレッテルが貼られ、 

「側室は絶対に認めない」

 

と大奥に指示を出したため

”嫉妬深い女”
にされてしまった。

"彼女のプライドが、側室は許さなかった"

のである。   

「中納言(秀忠)さまに、奥女中を近づけてはなりません。

  これは御簾中さまの命令です」 

   

ちらちらと見え隠れする唐辛子  山本早苗

 

お江の側に仕える老女・椿井が心配したのは、

もし奥女中から、お手付きでも出ようものなら、

御簾中さまの怒りが爆発、

いかなることになるか分からない。  

妻が持つ謎には触れぬことにする  江森のり子   

  

「振る舞いはくれぐれも気をつけるべし」

阿茶局すらも、奥女中たちに厳命した。

このような、お江の方の凛々しい様子は、

江戸城大奥を震撼させるものだった。 

揺すらないで楔形文字突き刺さる  山口ろっぱ   

 

史実というもの仮説の上にあり、真実は、どこにあるか分からないが、

上記、江戸入城のお江と、今回、ドラマ描かれているお江は、

 かなり視点の違いがある。

  
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第32回あらすじ「江戸の鬼」

 

秀吉(岸谷吾郎)の死は、その影響の大きさを考慮し、

一部の者以外には、伏せられていた。

だが、豊臣政権中枢には、早くも乱れが生じ、

家康(北大路欣也)を、

亡き者にしようという企ての噂が立つ。

そこで家康は、不測の事態に備え、

跡継ぎの秀忠(向井理)江(上野樹里)を、

江戸へ移すことに。

。。。  

一身上の都合で夜がやってくる  竹内ゆみこ

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江は、内密に進められる江戸への転居を前に、

顔だけでも見ておこうと、親しい人を訪ねてまわる。

初やガラシャ(ミムラ)らには、

突然の訪問の理由を、語らずにとおした江。

だが、淀(宮沢りえ)は、すべてをお見通しだった。

サイフォンの濾過へ頬づえしてひとり  山本昌乃

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  崇源院像(養源院蔵)

肖像画のことで、なんともいえないが、

晩年のお江を描いた「崇源院像」を見ると、

ふくよかで、目元の綺麗な女性である。

 

母の市は、絶世の美人といわれた人である。

お江は、その人の娘であるから、

かなりの、容貌であったものと思われる。

ともあれ、夫にかしずき、

ひたすら忍従に耐えてきた女性像を、

打ち破る、「革新的な女性」であったことは、

間違いないだろう。    

≪徳川将軍・御台所(正室)で、”将軍生母”となったのは、

   後にも先にも崇源院だけである≫

    

運命というタクシーに乗って来た  時実新子

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